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そのさん:リシェ、パンを買う
美味しいパン屋があると聞いたリシェは、授業が終わったと同時に荷物を纏めて学校を飛び出し、携帯電話で地図を広げて確認しながら噂のパン屋へ急いでいた。
焼き立ては勿論、冷めてもとても柔らかく美味しいらしい。
口コミもチェックした。五段階の中の四から五が大半を占めていて、相当な高評価。これは買わなければならないと使命感を覚える。
バターを乗せてからトースターで焼いて、その上にバニラアイスなどを添えたらきっと美味しいに違いない。授業中それを想像し、期待で胸をときめかせていた。
絶対に買って食う。
終わったらラスなんかを無視してパンを買いに行くのだと気合を入れていた。
もしかしたら店先で並んでいるかもしれないが、暇潰しに本も準備したのだ。朝の部、昼の部、夕方の部と販売時間が分けられていて、夕方ならばちょうど授業が終わった頃で間に合う。念入りに計画していたので抜かりは無いはずだ。
地図を頼りに店があるという通りに入ると、わずかだが並んでいる人の姿が見えた。恐らく目的のパン屋に違いない。可愛らしい外装で、いかにも女子供が好きそうな印象だった。
…あった、ここだ。
リシェは嬉しそうに目を輝かせながら並んでいる人々の最後尾に並んだ。
ああ、良かった。この調子なら普通に買えそうじゃないか。
安心して自分の携帯電話をちらりと確認すると、ちょうど着信を受けている事に気付いた。
「はい」
電話の相手は勿論ラス。
『先輩!!またどこに行ったんですかあ!』
別に迷子になった訳でもないのに悲鳴まがいの声が飛んでくる。リシェはうんざりしながら「パンを買いに行ってる」とだけ返した。
「いい加減お前は俺から離れる事を覚えろ」
親離れみたいなニュアンスで訴えるも、ラスは『嫌です!』と言い切った。リシェは思わず鬱陶しいなと舌打ちする。
『だって先輩が一人で街とかに行ったら変な奴にナンパされるかもしれないじゃないですか!!駄目ですよそんなの!!』
どうやらナンパされて欲しくないようだ。
そんなに話しかけられる訳ないだろう、とリシェは呆れた。
「ただパンを買いに行くだけでお前はいちいち大袈裟だ。切るぞ」
『だから心配なんですってばー!せんぱ…』
キリがないのでぶつりと通話ボタンを切った。
面倒臭いな…とポケットにしまっていると、ちょうど自分の後ろに同じ位の年齢の制服姿の少女が着く。彼女も同じようにパンを求めに来たのだろう。
ひたすら自分の電話を駆使して何かを打ち込んでいる様子だ。
リシェは気にせず、鞄から本を取り出して読んで順番を待つ事にした。
「…もしもし?…うん、今着いたから買ったらすぐ帰るよ。ん?うん。ちゃんと並んでるから待ってて!うん、じゃあねぇ」
背後で突然声がしたかと思うと、すぐに会話が途切れる。どうやら約束していた風のニュアンスだった。その間、徐々に自分の番が回ってくる。店の手前に来た時、中に居た店員が出て来たかと思うと申し訳無さそうに在庫数を告げてきた。
残り在庫数が六つ。
ちょうどリシェが最後のパンを購入出来るが、彼の後ろに居る女子高生からは買えない状況になってしまった。
「えぇええええ!?」
納得いかない様子の女子高生は悲しそうな声を上げる。
「折角やっと時間見つけて並んだのに!」
「申し訳ありません!人気商品で潤沢に準備はしていたのですが、申し上げた通り残り僅かになってしまいまして…」
話を聞きながらリシェはホッと胸を撫で下ろす。
間に合って良かったと思いながら。
後ろで並んでいた人々は仕方無いねと言いながら立ち去っていった。
ようやく自分の順番が回り、無事に店内で目的の食パンを購入出来た。これで思い描いていた美味しいトーストを食べる事が出来るぞと意気揚々としながら店先に出る。
バターも買っていかないと、と来た道を戻ろうとした瞬間、いきなり背後から腕をぐっと掴まれてしまった。
「ぎゃあ!!」
思わずリシェは声を上げる。
「ちょっと!!」
何かと思って振り返ると、先程の背後に居た女子高生。
「は…?」
リシェは眉を顰めながら彼女に目を向けた。諦めきれないのか、彼の持っている食パンに目を向けた後「お願いがあるの」と告げる。
待ち伏せしてパンを強奪する気か!とリシェは警戒した。
「やらんぞ!!俺だって欲しくて並んでたんだからな!!」
「べ、別に奪おうなんて思っていないわよ!!失礼ね!!」
茶系の長くサラサラの髪を振り乱しながら女子高生はリシェに対して怒鳴り返すと、お願いだって言ったでしょと言い直した。
「は?」
「その食パンの半分を売って欲しいのよ」
「えぇ…」
確かにこの食パンは一人では食べきれない位の長さがある。だが、全く知らない他人と仲良く分け合える程リシェは寛容な精神は持ち合わせていなかった。
自分に何のメリットがあるのかと嫌そうな顔をする。
「そっちが運が悪かっただけじゃないか。何で俺が仲良くお前とパンを分けなきゃいけないんだ」
「タイミングが悪かったらあんたがあたしの立場になったかもしれないのよ」
「じゃあお前は俺に分けてくれるのか?」
リシェはパンを抱き締めながら誰がやるかと強気になる。
「うーん…分けないかもしれないわね」
「じゃあ俺も分けない。冗談じゃない」
ぷいっとそっぽを向き、リシェは断った。すると彼女はうぅうと弱々しく泣く素振りを始める。
「泣けばどうにかなると思うな!!」
涙に訴えればいいものではない。リシェは彼女に対し冷たく突き放した。すると相手は泣き真似をしながら切実そうに呟く。
「おじいちゃんに食べさせてあげたかったのに…」
「…は…!?」
そういえば先程の電話ですぐ買って帰る的な事を言っていたのを思い出す。その電話はもしかすれば家族だったのかもしれない。
リシェは困った。
これで断ったら人でなしになるのか?と。
「はぁ…」
金銭の強奪ではなく、パンの強奪に遭うとは思ってもいなかった。リシェは目の前で弱る彼女を見ると、次第に自分がまるで悪者になっているような錯覚を覚える。
自分は全く悪くないのに。
「…あぁ、もう!!面倒な奴だな!!待ってろ!!」
彼はそう言うと、店の中に戻る。
間を置いてから、二つの袋を持って姿を見せると少女に一袋突き出してやった。
「ちょっとだけだからな!!三分の一だ!!これ以上は無理だ!」
俺だって食べたいのだ、と怒りながら言った。それでも彼女はぱあっと顔を明るくする。
「本当!?嬉しい!!ありがとー!!」
先程の悲しげな顔はどこへやら、彼女はすぐにリシェから袋を受け取った。
「泣き落としてみるものね!良かったぁ!!」
「は!?」
泣き落としだと!?とリシェは愕然とする。
彼女はパンだけをしっかりと受け取ると、じゃあねえとさっさとその場から立ち去ってしまう。普通は少し払うだろうが、彼女はそのまま人の波に溶け込み、姿を消してしまった。
「お前!!売ってくれって言ったじゃないか!待てバカ女!!」
声を張り上げるが、既に遅かった。唖然とするリシェ。
まさかお金を払ってくれず、三分の一とはいえ強奪されてしまうとは、と。確かに自分も甘かっただろうが、こんなに堂々とした強奪犯も居ないだろう。居てたまるか。
「何だあの泥棒…」
やらなきゃ良かった。
あまりにも鮮やか過ぎて、ぐうの音も出ない。
ぽかんと口を広げ、呆気に取られてしまった。
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