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ふたりで店を出た。十九時半を過ぎたところで、帰るにはまだ早かった。かと言って、単なるバスオタクのオレが、初対面の女性をどうもてなしてあげたらいいのやら、わからなかった。
「ここから五分くらい歩いたところに、キンコーのバスターミナルがあるんです」
「古河さん! 同じ年なんやから、敬語はやめへん?」
「あ、えっと……。ほな、そうしますわ」
緊張してチグハグなオレを、水戸さんは笑った。
「バスターミナルの裏の独身寮に住んでるの?」
「えっ? 独身寮なんて、よく知ってんね。ここ地元ちゃうやろ?」
ちょっとぎこちない感じのタメ口。
「地元やないけれど」
水戸さんが視線を落とした。何か、おかしな質問したかな? 気になりながらも触れずに話を続けることにした。
「オレ、そこに住んでるから、車取りに行ってくる。ドライブがてら送っていくわ」
「マイカーって、バスちゃうよね?」
「いくらバス好きでも、マイカーちゃうわ!」
敬語からタメ口に変えただけで、不思議なことに緊張がほぐれた。
愛車はグリーンのミニクーパー。趣味らしい趣味もなく、浪費もしないから、車にはお金をかけている。
「かわいい車やなぁ」
「オレがバスの次に好きな乗り物やからね」
「よっぽど好きなんや、バス」
「地元がここやから、このバスターミナルには小さい頃からよくバスを見に来ていて。あんな大きい乗り物を、ひとりで動かして、お客様を運ぶ。カッコエエなぁ! って」
水戸さんは、無言になった。自分のバス愛を、つい熱く語ってしまった。だからあかんねんや、オレ。
「ご、ごめん……」
「えっ? なにが?」
「ひくやろ? オレ、バスオタクやから」
「夢中になれるもんがあるって、いいと思うよ」
水戸さんは、笑顔でそう言ってくれたから、ちょっと救われた気がした。
「事務員って、どんなことしてるの?」
スポーツセンターに近づいて来た時、気になることを質問した。
「フロントでの受付、接客。店内商品の販売、館内の美化、清掃。あとはお客様に運動プログラムを紹介したり」
「受付嬢ってことか」
「そんなええもんちゃうよ」
「水戸さん目当てに来るお客さん、絶対いてると思うわ」
つい、本音を言ってしまった。見た目は美人で、ちょっと近寄り難い雰囲気はあるけれど、話すと気さくで明るい女の子やから。
お互いの仕事のことを少し話した頃、車は、百合ヶ丘団地近辺に到着した。まだ二十時前。でも、自分から誘えないオレは、一旦、車を止めた。
「えっと、どっちに行けばいい?」
「うちは、そっちのほうやねん。悪いけれど、近くまで送ってもらっていいかな?」
水戸さんの指差す方へと車を走らせた。
「そこらへんで止めてもらっていい?」
水戸さんに言われた通りに車を止めた。
「連絡先、交換しよ?」
信じられないけれど、オレから言えなかった言葉を、水戸さんから言ってくれた。
「ありがとう。じゃあ、またね」
「こちらこそ、どうも」
石岡さんの紹介やから、一応、連絡先を交換してくれたんやろうな。脈なんかない。最初から終わってる、そう思った時やった。
「秀明くん!」
いきなり名前で呼ばれてびっくりした。目を丸くするオレに、水戸さんは笑って言った。
「次、休みはいつ?」
「さ、三十日……」
「じゃあ、ご飯食べに行こ? もっと話がしたいから」
う、嘘やろ? ほとんど会話らしい会話もできんかったオレと?
「また連絡するね! あ、それと『里実』って呼んでいいからね」
水戸さん……里実ちゃんはそう言うと、軽く手を振って、歩いていった。オレは、信じられなくて、しばらくハンドルを握りしめたまま、動けなかった。
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