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眠れない夜
息苦しい。
生き苦しい。
夜の閉塞感の中で浅い呼吸を繰り返しながら、私は六畳の狭い空間に転がっていた。
眠れない夜は長い。絶えず襲い来る孤独と不安、諦めと少しの希望が胸を渦巻いて、私を圧迫してくる。息が詰まる。だから夜は嫌いだ。
「……」
もぞもぞと寝返りをうつ。柔らかなタオルケットに安らぎを求めるけれど、そこにある温もりですら今は不愉快だった。
――寂しい。
もう何度目か分からないため息を吐きながら、そんなことを思う。
どうして自分は一人なのだろう。なぜだかそんな思いが自然とこみ上げる。私には友人もいる。家族もいる。良くしてくれる同僚や先輩だって。
それでも寂しいという感情だけは確かに本物で、私はいつも必死に見ないふりをするしかない。
夜という静けさが柔らかくそこに存在していて、私を優しく押しつぶしてくる。暗闇の中に私だけ。自分の呼吸音すら耳障りだった。
寂しい。一人は嫌だ――。
「っ、はあ」
いつからこんなに生きるのが下手になったのか。私は震える息を吐き出すと、ゆっくりと体をベッドから起こした。
「……今日は、無理」
こうなってしまったらすぐには寝付けないということは、経験上理解していた。私は一度ぐんと体を伸ばすと、タオルケットの温もりを脱ぎ捨てる。途端、夜特有のひんやりした空気が体を包んだ。
夜中に眠ることを放棄するのは、一種の背徳感を帯びる行動だった。鼓動が自然と早まるのを感じる。ああ、明日も早いのに。この調子ではますます眠気が訪れそうにない。
私は椅子に掛けていたカーディガンをつかむと肩にかける。とっくに充電が終わっているスマホも充電器から引っこ抜き、スウェットのポッケに滑らせた。
そのままベランダへ続く窓を開け、私は夜の空間へと足を踏み出す。六畳の密閉された空間から一気に開放されるようで、私は大きく深呼吸をした。体中の空気が入れ替わるような気がする。
「……気持ちいいな」
ふいに呟く私の下を、一台の車が駆け抜けていく。こんな時間に外出だなんて、と思いながらも、軽快に駆けていくその姿がどこか羨ましくも感じた。そのほかにも夜の世界は意外と動きを見せている。どこからか聞こえてくる大学生たちの陽気な声、救急車のサイレン、誰かの吸っている煙草の匂い、点々と灯る建物の明かり。
こんなに広い世界だ。私一人がふらりと行方をくらませたって、どうってことないんじゃないだろうか。塀に乗せた腕に顔をうずめながらそんなことを思うけれど、結局そんな妄想は全て、明日がやってくると同時にしぼんでしまうのだろう。
ポケットからスマホを取り出して画面をつける。デジタルの数字が今の時刻を無慈悲に知らせた。二時三十五分。朝のアラームまであと――。考えそうになる頭を軽く振って、私はパスワードを入力した。
いくつかのSNSを巡回しながら、動きのない画面をスクロールする。やっぱりみんな寝ているんだ。ちゃんと人間らしい生活を送っていれば、こんな時間にインターネットへ迷い込んだりはしない。そう考えると無性に寂しさが蘇ってきて、私は誰もいないであろう空間に呟きを打ち込んだ。
『眠れない。寂しい』
そのままネットの海に言葉を流す。ポン、と画面上に私の呟きが追加された。胸につかえていた感情の一部を吐き出せたような気がして幾分気が楽になる。
呟きは明日の朝にでも消せばいい。どうせ誰にも見られないのだとしても、自分の中に押し込めておくよりはマシだ。
だから夜だけ。どうか夜の間だけ、惨めな私を許してほしい――。
ピロン。
「っ!」
画面上に通知が出て、私は思わず目を見開いた。たった今呟いた言葉に反応が来ていた。誰かが私の言葉を見てくれたんだ。そんな事実に渇きが癒えていくのを感じながら、私は通知の相手を確認した。
「あ、三浦……」
私の投稿にいいねを押したのは、職場の同僚の三浦だった。よく一緒に仕事をする男の同僚。彼だって明日の朝は早いはずなのに、まだ起きているのか。
――俺寝るの嫌いでさ、昨日もオールしかけたわ。寝てたら起こしてくれよな。
呑気に笑う三浦の姿を思い出して、私は思わず笑みを零した。
「まだ起きてるの。馬鹿なやつ」
自分のことは棚にあげて、そんな軽口が飛び出す。明日起きれなかったらどうするんだろう。二人して寝坊なんかしたら笑いものだ。そんな風に思っていると、再びスマホが通知を表示した。
『眠れねえの? 俺も』
明確な、私に向けての返信。三浦からだった。突然のことに動揺していると、続けざまにもう一つ返信が表示される。
『ちょっと電話しない?』
「……」
なぜか分からないけれど、胸の内がほんのりと温かくなるのを感じた。三浦が私に、私だけに向かって言葉を発信してくれている。どんな表情でそこにいるのだろう。どこで?何をしながら? 好奇心がぐるぐると渦巻いたけれど、なによりも私の中は安堵で一杯だった。
――良かった。一人じゃないんだ。
言葉をくれた。繋がれた。たったそれだけのことなのに、私はひどく安心していた。こんな時間に、私と言葉を交わしたいと思ってくれた人がいる。それだけで私は喜びを感じていた。大げさだと言われるかもしれないけれど。
少し熱くなった頬を手のひらで包みながら、私は短い返信を送る。
『いいよ。三十分だけ』
送信した数秒後に震えだしたスマートフォンを見て、私は思わず笑い声を上げた。せっかちなやつ。本当に変わらない。いつの間にか息苦しさの消えた胸を上下させて、私はそっと通話ボタンを押した。
柔らかい夜の静けさの中で、何かが繋がる音がする。スマホのスピーカーから、すう、と呼吸音が漏れたような気がした。
『もしもし』
やがて耳に流れてきた声に確かな温度を感じながら、私は小さな小さな声で、ありがとうと呟いた。
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