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指輪とパパ
「聞いてください!」
部屋の隅に置かれた、満月のような形をした間接照明の薄暗い光が、お互いの顔を照らす。
ソファベッドに寝転びながら、テーブルの上に手を伸ばした彼は、私の言葉に「なに?」と返事を返しながら私のタバコとピンク色のライターを取ると1本口にくわえ、火をつけて渡してくれた。
「すっごい面白そうな人に会ったんです」
箱からタバコをもう一本抜き取り、火をつけて吸い始める彼は、煙を吸って「……どんな人?」と聞き、煙を吐き出した。
「んー、すっごい人生楽しんでそうな人」
「ははっ全然わかんない」
灰が落ちそうになり、起き上がる私の目の前にスッと差し出してくれた、お気に入りの赤い灰皿。
受け取りながら、至れり尽くせりの彼に満足する。
「さきちゃん、最近明るくなったね。色んな出会いで人は変わるから、いい出会いをしたんだね」
「だいきさんと出会えたことが、今は1番だと思ってますけどね」
「今は、ね。そんなおっさんが喜ぶセリフ、どこで覚えたんだ?」
本当のことを言ったのに、あまり嬉しそうではない表情に、「今は」は要らなかったなと反省する。
彼は、だいきさんは私の拠り所なのだ。
背を向けただいきさんは、咥えタバコでテーブルに置いてあった指輪を左手の薬指に嵌めた。
「だいきさんが救ってくれたんだよ」
返事をしないまま、私の持つ灰皿にタバコを立てかけると、ソファベッドから立ち上がり、乱雑に落ちてあるシャツを拾い上げ袖を通し、スラックスを履いてベルトを締める。
「感謝してもしたりない」
だいきさんは身支度を済ませ、灰皿からタバコを取り上げ一口吸い、火をもみ消すと、ジャケットの内ポケットから見慣れたものを取り出した。
「これが、目当てのくせに」
口角をあげ笑顔を作るが、目は笑っていないだいきさんに少しだけ恐怖を覚える。
皮の2つ折りの財布から紙切れを数枚取り出し、それをテーブルに置いた。
薄暗い間接照明だけではよくは見えないが、その紙切れがお札であることは知っている。
「まあ、それもだけど」
「素直でよろしい。あとは振り込んどくね」
「でもほんとに、だいきさんが蜘蛛の糸垂らしてくれたから、今生きてられるんですヨ」
「そうだね」と、今度は本当の笑顔を、私の1番すきな顔を見せてくれた。
「まあ、俺はどんな出会いをしても、何があっても、さきちゃんの味方でいるから」
覚えておいて、と言いジャケットを羽織る。
そんな優しい言葉を出会ってから何度もかけてくれるだいきさん。泣きそうなほど嬉しくなるが、本音が漏れた顔を見せたくなくて顔を少し伏せた。
「聞きたくないけど、その人の話、また聞きに来るね」
「やきもちじゃん」
ははっと笑い肯定をしただいきさんに、返す言葉がなく、少し顔を上げ、だいきさんの様子を伺う。
少し考え込む表情に、ただ口を噤んで見つめていると、目が合い口を開いた。
「俺がさきちゃんのことを、大切に思ってるの伝わってる?」
「はい、一応、たぶん」
曖昧な返事に、はあーっとため息を着かれる。
「今は分からなくても、いつか絶対に自分を大切に思えるようにさせるから。大切にされてる事にまず気づきなさい。あ、これ、お土産」
そんなことを言うだいきさんに、自分を大切になんてよく言えたなと思う。帰る場所がありながら、ほかの女の援助をする男。
これが、だいきさんが自分を大切にした結果なの?
……なんて、そのおかげで私がここにいるのは確かなのだ。
「いつもありがとうございますぅ」
鞄から取り出したコンビニ袋を渡された。
私が吸う銘柄のタバコ、1カートン。
特徴的な長い長方形なため、袋の中を見なくてもわかる。
「今日は、コンビニ3件ハシゴした。タバコ変えてくれ」
「これが好きだからしょうがないですよ」
私の頭に手を置きながら、「はは、じゃあ、また」と言う。
「また、ね」
奥の方でドアが閉まる音が聞こえ、静寂が部屋に広がった。
無意識に口角と瞼が少し下がる。
誰かが去っていった後の寂しさにはいつまでも慣れない。
今度は自分でタバコに火をつける。
煙を吸って、思い出しそうな過去を押し込めるように、煙だけを吐き出した。
だいきさんが帰ったあとは、いつも頭が痛くなる。
寂しさが私を支配する前に、誰か。
テーブルの上に裏返し置いていたスマホが暗闇の中薄く光を宿し、存在を主張する。
手に持ち画面を見ると、電話がかかってきていた。
それほど長くはなかったが、相手は諦めたのかすぐに鳴り止む。1件の不在着信の文字。
誰でもいいから、私を助けて。
指をスライドさせて、折り返しの電話をかけると、相手は待っていたかのようにワンコールで出た。
「はいはーい」
スマホから聞こえる陽気な声に、渇いた笑みが滲む。
「あははっ、出るの早くないですか? あきひろさん」
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