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「みーちゃん。カレーできたよ」
交際が表沙汰になって私たちは互いの家を行き来するようになった。航は週刊誌に撮られるたびにその表現が面白いとげらげら笑っているので私も堂々としたものだった。今日は航の家にいる。私が美味しいと言ってから航はカレーばかり作っている。正直、ちょっと飽きているがあまりに熱心なので黙っていた。まあ、美味しいことは美味しいし。
「ん、ありがと。いただきます」
「みーちゃん、この番組ちょっと趣味悪くない?」
「いや、今つけたとこなんだって。もう終盤だよ」
TVではインディーズの歌手たちがカラオケの勝ち抜きをしていた。優勝すると最後に自分の曲が歌えるらしい。審査員には私の元同僚(?)もいてなんだか笑ってしまった。確かに彼女は私なんか問題にならないくらいうまいけれど、審査員レベルではない。出場者たちもそうだ。もう決勝も近いのにどこまでもカラオケレベルだ。チャンネルを変えようとしたとき、ひとりのさえない風貌の男が歌い始めた。リモコンを持つ手が固まる。
「うわ。うまい」
言葉がこぼれた。伸び伸びとした声だった。完全に本家を食っている。航に話しかけようと隣を見た。
「航?」
目を大きく見開いて固まっている。手からスプーンが零れ落ちた。いくらなんでもリアクションが大袈裟すぎないかと思ったが、航は私の方など見もせずに呟いた。
「冠木」
「え?」
「うまいなあ。相変わらず」
あの目だ。乾いたそれでいて今にも涙があふれそうな不思議な目。
「そうね」
その目を何とかしたいのにいざとなると何も言えない。
「多分、審査員含めてここにいる中で断然うまい」
「総合得点でなんとかものになってるアイドルとは違う」
驚くほど平坦な声だった。
「耳が痛いわ」
そこでやっと我に返ったらしい。カレーだらけのスプーンをティッシュで拭きながらあたふたしている。
「いや、あの、ごめん」
「いや、正しいよ。アイドルと歌手は違うもん」
審査員の好き勝手な評論を聞き流しながら言う。
「知り合い?」
「俺がね、ちょっと荒れてたっていうか腐ってたころね」
「航が? どうして」
「イケメンって言われるのが苦痛でさ。その頃、モデルから俳優に転身したばっかりの頃で何やってもイケメンだからとかイケメンは違うしか言われなかったんだよ。演技のうまい下手も言われない。とにかく毎日毎日イケメンイケメンで嫌になってた」
「あたし、元アイドルってだけで役貰ってたけどね。役があるだけありがたいじゃん」
「そうだよなあ。でも、イケメン枠なんて後何年かすれば取って代わられるんだ。そしたら俺には何もないと思ったらもう焦っちゃってさ。不安で不安で家でひとりでいると考えこんじゃって。仕事ないときはひたすら街をさまよってた。その時、ライブハウスで冠木と出会ったんだ」
冠木は優勝した。メンバーだろう。同じ年ぐらいの男がふたり駆け寄った。航は嬉しそうだったが、目はそのままだった。冠木たちが歌い出す。先ほどのカラオケが冗談に思えるほどうまい。やっぱり持ち歌は違う。だか、私は妙なことに気付いた。
「なんでドラムないんだろ」
「ドラム?」
「絶対あった方がいいでしょ」
航の目が揺らいだ。
「そう思う?」
「あたし、曲なりにもバンド形式のアイドルもやってたんだけど」
この際、キーボードもベースもいらない。この曲ならギターとドラムだけでいい。
「俺」
「うん?」
「ドラム、俺なんだ」
「メンバーだったの?」
「ふたりでやってたんだよ。あいつがギターとボーカル。俺は後ろで顔見せないようにドラムやってさ。あいつだけだったんだ。ネタでも俺の顔どうこう言わないで仲間にしててくれたの。でも、メジャーデビューの話が出た時の条件、俺がメインボーカルだった。俺だけ呼び出されて言われた」
「顔で選ばれたってわけね」
「またかって思った。そう思ったらもうダメだった。俺は逃げた。なんにも言わないで音信不通になったんだ。そして何事もなかったように俳優に戻った。もうなにやっても同じように言われるなら諦めて好きな仕事をしようって」
ようやく腑に落ちた。私は図らずもあのバラエティで航の一番欲しい言葉をあげたのだ。だから、航は私に恋をした。時折、遠い目をしたのは何の脈絡もなくそのことを思い出したからだ。私にもある。唐突によみがえる苦い記憶。
いつの間にか曲は終わっていた。スマートフォン見ると冠木の歌声は賞賛の嵐だった。この分ならメジャーデビューも目前かもしれない。
「おめでとうは?」
「え?」
「メアド、まだ残ってる? 残ってるなら送らないと」
「残ってるけど、そんな権利ないし。多分メアド変わってるし」
「冠木さんが、ドラム入れてないのなんでか少し考えなよ。変わってて届かなかったら事務所に連絡すればいいじゃん」
「でも、ドラムないのやっぱり偶然だよ。絶対無視されるよ。当然じゃないか」
私は航のカレーを持ち上げた。出来うる限りの怖い顔をした。
「無視されようが、メアド変えられてようが仕方ないでしょ。航が悪いんじゃん。でも連絡しないとカレー食べさせない」
「……わかったよ」
ちゃっちゃとケリをつけてあの遠い目から私を開放して欲しい。そして鬱陶しくて残念で恥ずかしい彼氏になって欲しい。今気づいたけど、そういう航が好きだ。わざと知らんふりしてカレーを食べていると航のスマートフォンが震えた。航が立ち上がる。
「航?」
「ごめん、あのその俺、落とし物!」
「あー、はいはい。明日休みなんだけど、泊っていい?」
「うん! ごめん!!」
スマートフォンをポケットに突っ込み、いつも使っている鞄をひったくるようにとって走り出した。途中で自分の足に自分で引っかかって転ぶ。
「大丈夫?」
航は返事もせずに飛び出していった。冠木から返信が来たのだろう。恋人を置いていくのは忍びないので一応、取り繕ってみたのだろうが、嘘が下手すぎる。帰ってきたらちょっと意地悪でも言ってやろうか。例えばそうだな。
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