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橋の上の挽歌
太陽がとろとろと落ちていくのを、私は橋に凭れかかるようにして見ていた。
ああ、そんな忙しない町人達のように、太陽まで働いてくれなくても良いものを。そのまま偶には休んでくれても良いではないか。その空の上、丁度鐘の横なんぞ実に善き眺め。その美しい景色を、いつもよりほんの少し長く堪能させてくれたところでバチなど当たるまい。
――このまま、夜など来なければ良いのに。
ほう、と吐いた吐息を拾う者は誰もいない。江戸の町は今日も忙しなく、くだびれた町娘が橋の上でため息をついている様など誰も気に止めることなどないのだ。
あの真っ赤な日が、金貸し屋の屋根瓦の向こう側に消えてしまったら。そうして夜が来たら、あの人が自分を迎えに来ることになっている。
絶対に結ばれない相手だとわかっていたのに、何故好きになってしまったのだろう。自分は小さな団子屋の娘。あの人はお武家様。身分があまりにも釣り合わない。それでも、何度も店に足を運んでくれるあの人の精悍な横顔を見つめているだけで愛しくて、隣で二、三言言葉を交わすだけでも幸福で満ち足りていられたのに。あちらもあちらで、ただの町娘に手など出せぬと知っていたはず。恋人の真似事をしたところで、そっと隣に寄り添って手を重ね合うのが精々の関係だったのだから尚更だ。
何故、流行の真似事などしてみよう、などと口走ってしまったのか。
共に橋から身を投げて、身分の差を飛び越えて結ばれてみたいなどと。
――お慕い申し上げております……善之助様。でも、私は……本当は生きて、貴方様と共にいられた方が良かったのに。
ああ、でも耐えられただろうか。
いつかあのお方に相応しい、高貴な身分の娘が現れ、隣に寄り添う姿を見ても。この浅ましい胸の内を押さえ込み、平々凡々とした毎日を笑って過ごすことが可能であったのか。
不可能と断じたからこそ、愚かな申し出をしてしまったのではないか。
そしてそれを受け、約束をしてくれたということは。あの方も少なからず、同じものを思い描いてくれていたということで。
――約束を言い出したのは、私の方なのに。今更怖気ずくなんて、無礼千万だわ。
だから、願うことはひとつだけ。
どうかこのまま、昼と夜の狭間で時が止まってしまえばいい。
夜の、あの人との約束の刻が未来永劫訪れなければそれが一番であるはずだと。
――何故なら、そうではありませぬか。……心中などしてしまったなら最後、私達は自らのため、挽歌を歌うことも叶いませぬ。そんな虚しいことが、本当に美しきものなのでしょうか。
嗚呼、それでも時は待ってはくれない。
私の目の前で夕陽は鐘の横を滑り落ち、瓦屋根の向こうへ消え、無慈悲な夜を連れてくるのだ。
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