不良疲れた、もうやめる

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不良疲れた、もうやめる

 その日は高校一年の最初の日。すなわち、入学式であった。  窓から差し込んだ朝日は明るく、東雲(しののめ)ハナの瞳に飛び込んできた。 「まぶしっ」  目を焼いた光に寝起きの頭が刺激され、はっきりと目を覚ましたハナは、パジャマを脱ぎ捨て、下着姿のまま暫しハンガーにかかった制服を眺めた。  グレーが基調のブレザーで、中学の頃の野暮ったい黒いセーラー服ではない。なんでも有名なイタリアのデザイナーが手がけたとかで、かなりオシャレな作りをしている。  一応、ハナは数度袖を通してみたが、自分に似合っているかは疑問なところであった。 「……女子校……私の安息の地……」  手早く制服を着て、姿見に映してみるとどこからどう見ても、普通の女子高校生にしか見えない。  ……見えないはずだ。  鏡の中には不安な顔の自分がいる。 (大丈夫だ。あんだけ勉強頑張って、やっと受かった女子校だ。絶対大丈夫だ……)  ハナは、パチンと頬を叩いて活を入れ、不安な顔を吹き飛ばす。  そうして、やんわりと笑顔を作って、ロングストレートの髪をふわりと外に払って見せた。 「おい、ハナー。早く起きろや、朝飯できてんぞ」  ガチャリとドアを開けながら、のしのしとハナの部屋に入ってきたのは、父親の東雲(しののめ)海彦(うみひこ)であった。  筋骨隆々で、不衛生な無精ひげを生え散らかしている吊り目の四十歳だ。 「あ、制服か。……似合わねェーなァー。お、スカート短くしてんのか。見えそうだな、オイ。盛ってンなァ~」  じろじろと覗き込みながら下から上にと視線を巡らせて来る。 「勝手に入ンじゃねェーッ!!」  ハナは回し蹴りを放ち、見事にスカートを覗き込んでいた父親の脳天にそれは突き刺さったのだった。  体重の乗った綺麗な回し蹴りはテコンドーの選手が見ても拍手するほど、華麗であった。    ********** 「ったく、何度言えば分かンだよ。ノックしろっつってんだろうが」  キッチンのテーブルで、蹴っ飛ばしたせいで鼻血を垂らしている父親と共に朝食をとる。  文句を吐き出しながら、ハナはバクリとトーストを噛み千切った。 「ノックしたら、おめー、部屋に入れないだろうが」 「ったりめーだろが、クソオヤジ!」  怒髪天を突くと云った具合に、ロングの髪の毛を逆立てん勢いでハナは猛る。  しかし、そんなハナの対応もどこ吹く風という感じの父親は、感慨深げに遠くを見て溜息をつく。 「お前が女子高に行きたいっつったときはァよぉ~、やっとハナも女の子に成長したかと思ったもんだがねェ、全然変わンねーな」 「……まだ高校始まってないだろ、今日からだし……」  高校デビュー――。  そう、東雲ハナはそれを考えていた。  中学時代は酷かった。  もうあんなのは繰り返したくない。  もう、あんなケンカばかりの波乱の毎日は――。  小学六年の冬、母親が亡くなった。  原因は交通事故。  凍結した道路でスリップした車に巻き込まれてという話だった。  それからハナは荒れに荒れた。小学校は最後の方はほとんど行かなかったし、中学に行き始めてからは男相手にケンカしてきて勝ってしまうほどに荒れていた。  そして案の定、彼女には不良のレッテルが貼られることになったのだ。  女番長、メスゴリラ、キラーマシーン……一通りのあだ名を付けられては、突っかかってくるものはオトコだろうが、年上だろうが鉄拳をお見舞いすることが続くのだった。  そんな彼女も、中学三年半ばには母親の死も受け入れて、その精神は落ち着き始めた。  きっかけは、夜、父親が母の遺影の前で泣いているのを見てしまってからだ。  母を失いながらも、自分のために普段のままを貫いていた父親が、男相手にケンカして怪我をして帰って来た自分の事を、泣きながら母の遺影に「すまねえ、すまねえ」と何度も謝っていたのだ。  それから、ハナは少しづつながら、暴力に走ることはなくなって行くのだが……。  時は既に遅く、周囲は残酷であった。  ついたレッテルは剥がれない。  不良は絡んでくるし、学校内の評判もひどいものであった。  ――メスゴリラが三年のセンパイ病院送りにしたらしい!  ――キラーマシーンがヤクザ一人ヤっちまったってよ!  ――あいつに噛まれるとゾンビになるんだそうだ! エトセトラ……。 「んなワケねぇーだろぉぉぉぉぉっ!!」  思い返すだけで怒りが込みあがってくる。とりあえず、手近にあった親父の顔面に右の拳骨が突き刺さっていた。 「ふごっ」 「あ、ワリぃ」  海彦のせっかく止まりかけていた鼻血がもう一度、ハデに噴水を上げるのであった……。    **********  ――こんな事ではダメだと、ハナは通学路を歩きながら思い耽っていた。  ふとしたきっかけで、頻度は減ったにしても暴力が出てしまう。 (まぁ、相手がオヤジだからってのもあるか……、他人にゃ手ェ出す事もなくなったし)  何だかんだで粗暴な中学時代を勝ち抜いてきたハナは、その引き締まった肉体と、修羅場をくぐった者だけが持つ鋭い眼光を持っていた。  髪の毛は染めたりはしておらず、元来の漆黒のロングストレートが似合っている。黙っていれば、それなりに見える女性らしさはあるのだ。  だが、それでもその闘気とも云える阿修羅の雰囲気は隠しきれていない。  道を歩けば、頼んでもいないのに相手が道を譲ってくれるのだ。……すくみ上がりながら。  だから、高校からは自分を変えようと、鏡の前で笑顔の練習もしたし、女子校に行く事で、女の子らしさを磨こうと思ったのだ。  それに女子校ならば、自分の事を知っている人物は少ないはずだ。高校デビューはしやすいはず。  そんな経緯から、ハナは本日、並々ならぬ覚悟で高校へと向かっていくのであった。  ――結果から言おう。 「ダメでした」  自分のクラスは一年四組。出席番号七番。  クラスに入り、ネームプレートが置かれた自分の席に腰掛ける。  緊張しながら、席につき、周囲を見回すと既に仲間作りは始まっていた。  至る所で自己紹介が始まっていた。  ハナだってそこに加わるつもりで勿論動いた。  とりあえず、近くの席の子に話しかける……。 「おはよ。あたし、東雲ハナって云うんだ。よろしく」 「う、うん……、おはよう。知ってるよ……同じ、中学だったし……」  一気にハナの表情は青ざめた。  相手の少女の瞳の奥には明確に『怯え』の色が見えてしまっていたからだ。 (なんで考え付かなかったんだ……同じ中学の女子だって来てる可能性に……! しかもこの顔はッ! 完全に私をキラーマシーンとして見ている表情だぜッ――!!)  ケンカの話は男子までで収まっている――、ような規模ではなかったのだ。  何度も進路指導に捕まったし、警察の世話にもなった。  もはや学区内では有名人といっても過言ではないほどに、異名が響き渡っていたのを知っていたはずではないか。  そんなわけで、東雲ハナの高校デビューは初日にしてあっさりと砕け散ったのだった。  初日にして、クラス中であっという間に東雲ハナの名前は知れ渡ることになった。本人の想いなどとは無関係に、無慈悲に。 「あー……ちくしょー」  ハナは自室のベッドに、制服も脱がずに寝転がって、うつぶせに枕に顔を埋めた。 (やっぱ、高校生になっても、荒んだ毎日かな……)  そう考えてしまうと、この先の高校生活が一気に重苦しく思えてくる。  正直、もうケンカとかイザコザはめんどくさく思えてならない。  ただただ、今は平凡を取り戻したかった。  一時の気の迷いが、この先の運命まで決定するなんて考えたくない。  確かに不良だったのは事実だが、それには荒れてしまう理由はきちんとあったし、今はその荒んだ思いも時間が癒してくれたのだ。 「やっぱ、高校になったらスッパリってのは、甘い考えだったか……」  枕の中で重たい溜息を吐いては、ごろんと仰向けに転がる。  見慣れた天井がハナの視界にぼんやりと映し出されて、明日からどうしようかと思考をめぐらせるのだが、その思考の着地点を見出せぬまま、考えても考えても、ネガティブに落ちていく。 「明日、ガッコ行ったら……もうウワサとか広まってるのかな……」  女子の噂の広まり方なんてフレッツ光より早い。  きっとあの話しかけた女子以外にも自分の事を知っている人間はいるだろうし、口に戸は立てられない。 (――誰もあたしのことを知らない世界に行きたい……)  などと、軽い冗談ながらも、どこか救いを求めた、不良乙女の儚すぎる小さな願いは溜息に混じって掻き消える。 「あー、もー! ウダウダするのも、めんどくさ! ……なんか飲も……」  落ち込んだ思考を払拭しようと冷えたドリンクを求めて、のっそりとベッドから起き上がり、ハナはキッチンに向かった。  冷蔵庫をガパリと開けると、ビンに入った牛乳が目に付いた。 「あれ、こんなのあったっけ?」  母が死んでからは、父と自分で食事を作る事になったため、父が買い込んできたものが冷蔵庫に入っていることも多々あった。  しかし、牛乳を買うにしても、ウチは紙パックに入っている牛乳しか買ったことがない。  牛乳瓶など、幼い頃以来、まったく見ていないはずだ。 「んー……。げっ、切れてんじゃん」  ビンの上蓋には賞味期限が記入されていて、その日付は昨日のものであった。  やれやれといった表情で、ハナはそのビンの蓋を開けた。  一日くらいの賞味期限切れならさっさと飲んでしまった方がいいと思ったからだ。  捨ててしまうくらいなら飲んでしまおう。  喉も渇いていたし、頭を冷ましたかった。  そしてなにより、明日からの高校生活の事を考えると重くなる気持ちをぶっ飛ばしたく、ハナはその牛乳瓶を一気にあおったのだ。  腰に手をつけ、銭湯での湯上りのように。  できるかぎり、嚥下音を立ててグビグビ飲んでやる! と勢いに任せた自分のルールも付け加え、ビールのCMばりに一気飲みを開始した。  喉に落ちて行く牛乳がひんやりとカラダの中にしみ込んで行くように感じた。  ビールなんて未だ飲んだことがないが、もしかしたらこんな感じだろうかなんてぼんやり考えていた。  カラダの中に入り込んだ液体が喉を通ると同時に、まるで気化するようにスゥ――と、掻き消えるような感じ……。 「……っ?」  おかしい。――飲んでいるはずなのに、吸っている感覚なのだ。 (なんか、ヤバい――)  そう思ったときには、自分の体が動かない事に気がついた。  そして、うなじを駆け上がるような寒気がゾクゾクと身を震わせる。  その寒気が首筋から脳天に上がっていき、そのまま天まで昇っていくような感覚がハナをうろたえさせた。 (ふわってする――)  寒気が昇っているのではない。自分の感覚というか、意識というか、魂が天に昇っていくような……。  そうだ、例えるならばリアルに天国に逝ってる気分だ――。 (やべえ! これ毒!? 死ぬ? 死んでるん、あたし!?)  そんな切羽詰った意識をはっきりと持ったまま、ハナの感覚は上に上に昇っていく。  すると、天井にぶつかるのではないか、なんて間の抜けた心配を裏腹に、意識が真っ白な光に溶け込んでいく。  朝陽に溶けていく月の光みたいに、うっすらと、ハナは賞味期限切れの牛乳で、昇天してしまったのだった――。  東雲ハナ、享年十五歳。死因、賞味期限切れ牛乳の一気飲み――。  ……………………。  ………………。  …………。 「そんなんで死ねるかぁぁぁぁぁっ!?」  絶叫と共に、ハナの意識は白い光から、覚醒する。  しねるかぁぁぁ、ねるかぁぁぁ、るかぁぁぁ……。  絶叫は反響し、わんわんと自分の耳に当たってきた。  やけによく響くエコーをぼんやりと聞きながら、ハナは口をぽかんと開けたまま、目を丸くして呆けていた。 「…………」  白い光の世界から意識を取り戻した視界に映りこんだのは、自分の家のキッチンではなく、違和感のある暗闇であり、周囲は苔むした黒の岩壁に囲まれた空間だった。コケはぼんやりと緑色の光を放っていて、わずかな光源になっているお陰でなんとか周囲を確認できたようだ。  ハナはそこにぺたんとお尻を地面につけて、座り込んでいた。  手のひらに触れる床の感触は、少し湿り気のある土で、ハナは慌てて立ち上がった。 「な、なんだここ?」  ざっと周囲を見回すと、ほら穴の中にいるようだった。臭いは泥と草の水気を含んだ自然の臭さが鼻を突く。  微かな光ゴケの明かりで暗闇に目を慣らし、ふと気がついた。  今まで自分は、何か石碑のような石の板に背中を預けて座っていたらしい。  石の板は、やはり石碑らしく、何か文様と文字と思わしき記号の羅列が数行掘り込まれていた。 「何語? 英語、でもないし……読めない……」  石碑の文字を指先でなぞりながらも、結局ここがどこなのかのヒントにすらならず、ハナは結局立ちすくんだ。 (つか、これ夢っぽくない?)  少し冷静に判断すると、明らかにおかしい。  自分はさっきまで家で牛乳を飲んでいたはずだ。  いきなり、こんな岩のほら穴の中にいる説明がつかない。 「あー、これ夢だ。夢の中で夢って気がついたら、夢の世界で好き放題できるよね」  わざと確認するように声に出して言ってみる。  すると声はエコーとなって響いて、ハナの耳に返って来る。においや、感触、音やらメチャクチャリアルだとは思う。だが、これは夢であろう。夢じゃないと、怖いし。なんて考えてしまう。 「ラーメン、ラーメン食べたい。とんこつ。でろー、とんこつでろー」  両手をすり合わせてペコペコとお辞儀をするのだが、周囲に空しく、とんこつ……とんこつ……と反響するのみであった。 「……まじなん、これ」  どうやら、今の状況は夢ではないらしい。  分かってはいたが、あまりにもリアルな五感で感じる全ては、夢ではないと訴えている。 「じゃあ、なんなんだよ、ここ……。おちつけ、おちつけ、東雲ハナ……」  確か、賞味期限切れの牛乳を飲んでからおかしくなったんだ。  となると、あの牛乳のせいで、自分はいま、こんな状況に陥っていると考えるのが妥当か――。  たしか、あれを飲むと、急に意識がフワフワとして、上空に飛び上がるような感覚を――と考えて、ハナは思い至った。  そうだ、自分は牛乳を飲んで、天国にきちゃったのだ。 「……ここが天国か……、幻滅する……」  どっちかと言うと、地獄のほうが近しい気もする場所は思い描いた天国とは程遠い。  ともかく、ここが天国でも地獄でも、石碑の前でじっとしていても事態は変わりそうにない。  ハナは腹をくくって、右手を岩肌につけ、一歩づつ歩き始めた。  明かりは光ゴケの淡いグリーンだけ。  心もとない明かりに、不安は膨らむ。恐怖だって感じている。  いくら不良で修羅場を潜ったとはいえ、この状況はあまりに異常であった。  自分の常識が通用しない――。  未知に挑む時、人は誰しも不安になるのだ。 「そこで止まれ」  不意に声をかけられ、ハナは歩みを止めざるをえなかった。  ほら穴の通路が延びる先から声が投げられたらしい。  その声は男のもので、低く、こちらを威圧するものだった。 「あ、あー、すいません」  ハナはひとまず、人がいた事にほっとした。それで、とりあえず、挨拶から入るつもりで軽く右手をあげようとした。  ビシュン!  空を切る音がしたかと思ったら、ハナの足先数センチのところに、ビスッ! と矢が突き刺さった。 「っ!?」  ハナは思わず、硬直した。  一瞬それが矢だという事すら理解できず、また何をされたのかも理解できなかった。 「動くな、持っているものを捨てろ」  相手の声は、変わらずこちらを圧す声色だった。  ハナからは相手の姿がまったく確認できない。  闇の先から、相手は確実にこちらを捕らえていて、的確な命中でもって、ハナの足先数センチに矢を放ったのだろう。 「持ってるもの、と言われても……」  完全なてぶらであり、荷物もないハナは堅くなりながらも、自分は何も持っていない事を手を開いて結んでを繰り返し、アピールした。 「……」  相手が沈黙する。ハナも出方を窺うしかなく、沈黙するしかなかった。  やがて、闇の先から足音が響いて、人影のシルエットが浮かび上がってきた。  身長は百九十はあるだろうか、とても長身であり、それでいて、スレンダーなラインを見せていた。  皮のブーツに、汚れた布製の半そでのシャツとズボン。胸元は広げられていてその前で弓を構えている男が現れた。  その肌は闇の中にいるにも拘わらず、更に闇に染まった黒色で、シャツがくすんだ黄土色をしていたため、まるで闇の中に服を着た影が現れたようにも見えた。  だが、その髪は光沢を持ったシルバーであり、また瞳は金色に光っていた。  まるで黒猫を思わせる獲物を値踏みする吊った目じりが厳しくハナを見つめていた。 「女……、一人か?」 「う、うん」  ハナは身を固めたまま、首を縦に振った。  弓を下ろし、ゆっくりと緑の光の中へ、銀髪の男が歩み寄ってきた。  その顔を見て、ハナは思わず息をのんだ。  まるで美術の教科書に載っていたダビデ像のように整った顔立ちで、その作りは日本人とは思えなかった。  何より、銀の髪に金の瞳、漆黒の肌が妖しい魅力を漂わせていたからだ。  男はつがえた矢を背中の矢筒に戻し、ハナの足元にささった矢を引っこ抜いた。 「何者だ。ここで何をしている」 「そ、それがあたしも全然わかんなくて……。ここ、どこ……ですか」 「分からんだと?」  会話が成立している――。良かった話はできるみたいだ。とハナはひとまず一息ついた。  男がそのまま、ハナを覗き込むように金の瞳で見下ろしてきた。  その目は警戒の色が抜けておらず、お世辞にも友好的とは思えなかった。いつでも飛びかかれるネコの眼、そんな印象がした。 「お前……エルフじゃないな?」 「え、るふ?」  黒い指先が伸びて、ハナの耳元へかかる黒い髪を持ち上げた。 「この、黒い髪……」  何やら、ハナの耳、そして髪を見て驚いているらしい男は、黄金の目を大きくして、まじまじとハナを観察しているようだった。  そこでハナもはっとして、自分の髪に絡む男の指を払いのけた。 「き、気安くさわんな」 「あ、ごめん」  ……ごめん?  ついいつもの粗暴な部分を出してしまったハナだったが、それに驚いたのか突如拍子抜けする声で謝罪の言葉が男の口から出たのが少し意外だった。 「……お前、なんでここに居る。見たところまったく装備を持っていないようだが……」 「だから、分かんないっていってんじゃん。気がついたらここにいて……ここどこ?」 「ここはイヒャリテの西の、ノメェーグリュの祠だ。光ゴケの穴と言った方が分かりやすいか?」 「いや、全然わからん」  割と丁寧に対応してやったつもりらしい男は、ハナのバッサリした回答に眼をパチクリとした。  その表情を見て、ハナも相手をまじまじと見つめる事になった。  正確にはその耳を……。 「耳、でけー」  思わず口に出してしまうほどに、その男の耳は大きかった。その大きさも福耳とかそういうのではなく、サイドににょきりと伸びていて、先っぽがとんがっていた。 「ダークエルフだからな。こちらからすれば、お前の耳は巾着のように見える」  ダークエルフ……。  ハナでもファンタジーの話くらいは多少は理解している。  耳がでかくて、長身で美形で、寿命が長いとか、そんな設定があるあのエルフのことだろう。  でも、それはあくまでファンタジーだ。リアルではない、リアルではないはずだ。  だが、目の前の男性はどう見ても、リアルだ。  先ほど弄ばれた髪の毛の感触、少し耳に触れた体温、直ぐ傍にいる男の臭い。低いけれど、流れるような声……。 「え? 日本じゃない?」 「ニホン?」 「今は西暦二千何年?」 「セーレキ?」 「もしかして、魔法とか、つかえる?」 「簡単な変性魔法なら使えるが?」  ハナは頭を抱えてうずくまった。  どうやら天国はファンタジーだったらしい。いや、天国はファンタジーで間違っていないが。 「牛乳飲んだら、ファンタジー世界に来ちまった……賞味期限切れ、こわぁ……」  世の賞味期限切れ牛乳を飲んだだけで、異世界転移を行えるのであれば世の中神隠しだらけになってしまう。  そんな馬鹿なと思いながらも、原因はあれしか思いつかない。 「……良く分からんが、お前はかなり厄介者だな」  ダークエルフも困惑気味にやれやれと吐き出した。 「とりあえず、俺は光ゴケを採りに来たんだ。邪魔をしないなら、あとは勝手にしてろ」  男はそう言うとうずくまるハナの横を素通りして、あの光ゴケに満ちた石碑のほうへ歩いていく。  一方ハナは、どうしたらいいのか考えていた。  だが、こんな常識からぶっとんだ状況でいくら考えても、正解など出るはずがない、という答えに二秒で辿り着いたので、とりあえず、考えるのを辞めた。 「あたし、東雲ハナ。よろしくね」  その結果、とりあえず午前中に失敗した学校での仲間作りのリプレイをした。  っていうか、現実逃避だった。 「……俺はセインダール。セインダール・ウィドリャンタス・ラーメンだ。よろしくするつもりはないが」 「ラーメン、ここでかよぉぉぉぉっ!!」  ――豚骨ではなかった。
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