そして絡みだす三人の道

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そして絡みだす三人の道

 ドガフマウンテンはその岩肌と周囲を取り囲む森林群によって隠れ家としても恵まれている。セインの小屋がひっそりと建っている事を知っているのは一部のものだけだし、セインの小屋以外にもならず者の隠れ家として使われている洞くつなどがあった。  それは幻惑魔法で隠された秘密結社ダレンのアジトのひとつで、岩肌をくりぬいた人口の穴倉であり、かつての戦争でダークエルフが利用していた実績ある隠れ家であった。  そのならず者の巣窟に下卑た笑いがこだます。 「うまく行ったなァ! 何が服従の首輪だ、安い魔法だぜ」  アジトでは数名のエルフが宴会をしているようだ。その中にはセインの小屋に来た顔にキズのあるエルフもいた。すでに数本のエールを空けていて、出来上がっているようだ。穴倉は酒の臭いで充満している。 「これであんたの目的の第一段階はうまく行ったわけだ、ククク」  禿げ上がったエルフが酒ビンを飲み干して、汚く笑う。  声をかけられたほうのエルフは深緑のローブを身にまとい、暗い目をしてフン、と鼻を鳴らす。どうやら、ローブのエルフは酒を飲んでいないらしい。酒をかっくらう男たちとはまとう雰囲気が違った。そのローブが作り出す身体のラインからして女性である事もそうだが、その容姿には知性を感じさせる細やかさがあった。張った頬骨に細い眉が神経質そうな印象を抱かせる。年のころは三十半ばといったところか。 「まだ、たった一度の騒ぎでしかない。宴会など早いでしょう! さっさと次の仕事に取り掛かって欲しいわねッ」  ローブのエルフが甲高い声で酔っ払うエルフのならず者に命じるが、酔っ払いはゲタゲタと笑ってまともに取り合っていない。  ツバがローブにかかって、神経質そうな女はさらに顔をしかめる。 「そう慌てんなよ、サドゥリ先生。いただいた分はキッチリやってやるよ、なぁ?」  そう言って、酔っ払った三人のエルフがまた新しいエールに口をつけてはグビグビと音を立てて飲む。だらしなく、口許からエールが零れて自らのシャツに汚れをつくっていた。 「チッ、日陰者(シェイドエルフ)が……」  サドゥリと呼ばれたローブの女が小さく毒づく。 (こんな奴らとつるむ事になったのも、ドナテリのせいだ……! 見ていろよ、ヨナタン……必ずお前を潰してやるッ)  サドゥリがギリリと奥歯をかみ締め、憎しみの瞳を燃え上がらせる。  サドゥリは数年前までイヒャリテで魔法屋を営む魔法使いだった。しかし、ドナテリの魔法店の評判が高まるにつれ、彼女の魔法店は経営が難しくなっていってしまった。結果、客は全てドナテリに奪われ、彼女は店を畳まざるを得なくなったのだ。  あの店さえなければ! 彼女は逆恨みを募らせて、どうにかドナテリ店へ復讐できないかと考えた。そうして思いついたのが、ドナテリ店が考案した奴隷を束縛する<服従>の首輪だ。  今やイヒャリテの奴隷は、あの首輪があるからこそ、安心して働かせることができるのだ。首輪こそがドナテリ店の革命的商品であったのは間違いない。首輪を作り出したドナテリ店は奴隷市場と専属契約をとり、市場を独占する勢いだった。豊富な元手から、ドナテリ店がますます経営拡大していき、今や多くの符呪道具を販売するに至っている。 (あの程度の符呪道具、私でも作る事が出来るッ!)  膨れ上がる妬みがサドゥリをゆがめ、ドナテリの店をどうやって潰すかだけを考えて生きるようになった頃、彼女は首輪の<服従>魔法を解析し、その脆弱性(ぜいじゃくせい)を発見した。幸い、ドナテリはそれに気がついていない。ならば、この脆弱性を突いてドナテリの株を落とす事が出来るのではないかとサドゥリは考えたのだ。  首輪が不安定であり、奴隷購入者が被害を受けることになれば、その賠償責任はドナテリへ向かう。  そこで計画されたのが、奴隷を暴走させて問題を大きくしていき、ドナテリを失脚させるというものだった。裏の仕事を引き受けるといわれる秘密結社と接触をとったサドゥリはその計画を実行すべく、材木工場に目をつけたのだった。  計画の第一段階は成功した。だが、これはまだプロローグでしかない。ここから第二、第三と問題を大きくしていき、首輪の欠陥性を示すのだ。 「見ていなさい……私を認めない社会など……許されてはいけないという事を思い知らせてやる……」  逆襲の炎が燃え上がり、暗色の瞳のサドゥリはルージュの引かれた唇をニタリと釣り上げ、酒臭いアジトから立ち去るのだった。    **********  昼下がり、セインは地下で錬金作業を行っていた。ダレンから依頼されている『睡眠薬』は完成していたし、『媚薬』もこの調合に問題さえなければ完成になる。この薬の使い道は知らない。知りたいとも思っていないし、これからも気にするつもりは無い。  セインはそんな風に考えていた。……しかし。  ――あんな奴らを相手にするのはやめにできないのか――。  ハナの言葉が脳裏に響く。 (あんな言葉、どうだっていいはずだろ……。今までだって、人の事など考えないようにしてきたはずだ)  しかし、黒髪の少女の言葉がセインの脳裏にまるで反芻するように、押し込んでは蘇ってくる。  やめにできないかと言った少女の、あの憂いを帯びた瞳は、苦味を経験した人間の目だと思った。道徳観念から出たものではなく、実体験から出た後悔の言葉であった。考えてみれば、黒髪の少女の内情をきちんと聞いていなかったように思う――。一体彼女はどんな人生を歩んで、どんな世界で育ったのだろう。セインの作業はいつの間にか止まってしまっていた。  異世界はどんな世界なのだろう。この世界のように生き辛いのだろうか。  彼女は、母親を失ったと言っていたし、少女が纏うどこか危なっかしい空気――、異世界も厄介事は多そうだとセインは少し笑った。  その笑みは自嘲気味で、結局楽園などないのかもしれないと、金の瞳を濁らせる。そして、諦めと無気力さが綯い交ぜになった灰色の溜息が後に続く。  自分はこの世界に認められた人間ではないと思う。しかし、それ以上に、彼女はこの世界に無視された存在だ。  多くの人びとは、マナを持たずして生まれた子を『マヌケ』と(あざけ)り、かわいそうだと憐れむ。だが、『マヌケ』として生まれた者自身は、己を可哀相だとは考えない。セインとて、ダークエルフに生まれた自分を可哀相だと思った事はない。きっと、彼女もそう考えているだろう。  ――世界が認めずとも、生きていく――。それは時に大きくセインの心にのしかかる。誰だって安らぎや、より所が欲しいのだ。本当は、自分とて認められて、堂々と生きていきたい。誰かに自分が必要だと言ってもらいたいのだ。  自分の力を認めてくれたのは、ダレン社のならず者たちだった。薬物の知識を必要とされ、望む仕事をこなせば金も払ってくれる。  やつらがどんな薬を求めているのかは理解しているし、それが闇社会で取引されるようなものであることだって承知しているのだ。だが、彼らは唯一自分を買ってくれている。闇の社会こそが居場所なのだ。それがどんなに汚れていて歪でも、そこにしか居場所を感じる事はできない。彼が存在を許容される暗闇。 (なら、どうして、俺はファナを助けた?)  小屋でハナとダレン社の使いが対峙していたとき、セインは計りにかけることなく、ファナを選んでいた。 (ダレンの使いの印象を悪くするのと、ファナの印象を悪くするのは……どっちが不都合だ? 考えるまでもなかったはずだ)  なぜ、あんな異邦人を救ったのだろう。ふとした自問に、答えを探す――。 「アイツ、可愛いんだよな」  その自答は、ほとんど無意識から出た言葉だった。ぽつりと零れ出てしまった言葉に、自分自身で驚いて、セインは口許に手を当てて紅くなってしまった。 (……何を言っているんだ!? 発情期かよ、俺はッ!)  なぜ、彼女を助けたのか? その答えは漏れ出た言葉が補っていた。  ハナの事を想うと、浮かんでくるのは、始めてあった夜のあの月明かりに照らされた笑顔だった。青のムーンライトは少女の黒髪を照らし、白い肌を神秘的に彩った。小さな彼女の耳が、少し勝気な黒い瞳が、笑うと見える白い歯が、快活そうな声が、チャーミングだった。  あんなに可愛らしい笑顔が、自分に向けられているのが信じられなかったのだ。誰かにあんなに素直な笑顔を向けられた事など、なかった。  自分がゴズウェーと呼ばれている忌み嫌われた種族であることを告白しても、彼女は気にしなかった。それどころか、この黒い肌を『かっこいい』と、恥ずかしそうに言ってくれたのだ。 (……まずい、ニヤける……)  ほてった顔を冷まさせようと、一つ息を吐き出して、止まっていた作業を再開した。 (駄目だ。好きではない。好きになってはいけない……、勘違いしているのだ。落ち着け、俺はゴズウェーなんだ)  ハナをお使いに行かせたのは、彼女にこの世界を知ってほしかったからだった。  初めて会った人物がゴズウェーであった為に、彼女に刷り込みを与えてしまったのだ。  だが、世論を聞けば、ゴズウェーが危険で醜いものだと考えを改めるだろう。そうして、エルフの価値観の中でやっていけば、彼女ならうまく世界に馴染んでいける。その方が彼女為になるのは間違いないはずだ。  彼女が自分から離れてくれた方が、自分のためにもなる。このまま傍にいられると、セインの心はブレてしまいそうになる。独りを貫くのだ。他人を求めてはいけない。相手に期待をしてはいけない――。それが自らの安息に繋がっているのだから。 「セイン! ただいまっ」  上階から声がした。  ハナが小屋に戻ってきたのだ。  セインは、結局『媚薬』を完成させる事ができないままに、地下室から上がった。心を守るための仮面をつけて。 「お使いはきちんと出来たんだろうな」  地下から上がってきて、高圧的に聞いてくるセインに、ハナは宿題をやってきたかと問う教師のようだなと思っていた。 「うん、これに入ってる」  肩から提げていたカバンを下ろしてハナは椅子に腰掛けた。セインはカバンを開き中身を一つ一つ確認して、「よし」と頷く。 「御釣りは?」 「はい」  ハナが腰の金貨袋をセインに手渡す。 「……ふむ。……イヒャリテはどうだった」  金貨袋を確認しながらセインはハナに聞く。 「いいとこだったよ。エルフの人たちも思ったより悪い人じゃなかった」 (――そうか――。ならば、ファナもエルフ社会でやっていけるだろうな)  セインは、ハナの言葉で計画通りこの世界の社会を実感できたようだなと、内心安心した。 「召喚魔法に関しては何か分かったか?」  そのセインの質問でハナが椅子から勢い良く立ち上がって、大きく一喝した。 「セインッ!」  いきなりのハナの声に、セインは思わずハナを見た。 「やっと見た」  膨れっ面で眉を吊り上げたハナがセインの瞳に映っていた。その瞳をパチパチと瞬かせて、ハトが豆鉄砲を食らったみたいに銀髪の青年は固まる。  セインはハナを真っ直ぐに視界に納めようとしていなかったのだ。  逃げるようにハナから視線を外して、わざと物に目を走らせていた。  そんなセインに、ハナがムスっとしてしまったのは、もちろん装備を見てほしかったからだ。感想を聞いて、きちんと買ってくれて有り難うと伝えるつもりでいたのに、あからさまに自分の姿を見ようとしないセインに怒鳴ってしまった。  茶色のマントの下は、明るいブルーの布地を基調とした厚手の服が少女にぴったりとフィットしていた。シンプルではあるが、急所部分をガードするためにあしらわれているパデッド部分は中綿が含まれている。それがデザイン性のアクセントになっていて、活発な少女に似合っていた。ショートパンツを履いた脚は白くスラリと伸びていて、マントに合っているブラウンのブーツは歩きやすそうにみえる。 「どう? 似合うだろ」  マントの裾を広げて踏ん反るとその装備を見せつけて、明るく笑う。 「……まぁ、普通」  セインはぶっきらぼうに評価して結局余所を向いてしまう。 「んだよ、張り合いないコメントだな。結構私は気に入ってるんだけどなー」  くるりと回って、マントは踊る。運動神経のいいハナが軽く回ってみせれば、それだけでどこか華麗の舞踏のようにも見えた。少なくとも、セインの目には。 「あんがとな、セイン」 「別に。おつかいの手間賃だと言っただろう」  まるで気まぐれな黒猫のごとく、セインはやはり、ふいと顔を逸らしてどこともつかない空間に視線を動かす。 「俺は薬の調合に戻るから、しばらく地下には降りてくるな」  そう言って、地下に戻ろうとしたセインをハナは引き止めた。 「待った。……話したい事があるんだ」  言葉に重圧がある。少女を真っ直ぐ見る事が出来なかったダークエルフの動きは止められた。止めさせるだけの力ある声。ひとつの決意を秘めた、自分を個人として扱う想いは、セインをハナにもう一度向き直らせた。  ハナはやはり、前を向いていた。真っ直ぐにセインを見つめる素顔は、仮面をつけた青年の心を見透かすようにも見えてしまう。自分が酷く恥ずかしく思えて、目を背けたくなるのに、同時にもっと見つめていたいとも思えるのだ。 「私、イヒャリテである事件に出遭ったんだ。ダークエルフの首輪の効果が効かなくなって、エルフの女性を傷つけた」 「……奴隷の首輪か」  罪人として捕らわれたゴズウェーに科せられる首輪の呪縛。数年前から市場で利用されるようになってから、今ではほぼ全ての奴隷につけられている服従の首輪だ。  ほぼ完全な支配の魔術で、その効果が消えてしまうのは管理が行き届かなかった場合と聞いた事がある。 「首輪の魔法が解ける直前に、そのダークエルフは何者かにクスリを嗅がされているみたいなんだ。そのクスリは刺激臭がして……目が覚めたんだと、本人は言ってた」 「クスリ……? ……そういうことか」  ハナが何を言いたいのか、セインは察した。そのクスリが自分が作ったものではないかと聞きたいのだろう。 「俺のクスリの可能性が高いな。お前に試験した睡眠薬のサンプルを以前ダレンに渡している。……もっともあれは、睡眠薬というより麻酔薬に近かったんだが……」 「なら、犯人はダレン社で間違いないと思う?」 「断言はできない」 「……セイン、ダレンに関わるのをやめてくれ」  やはり、そういうことかとセインは瞼を閉じる。 「なぜ、やめなくてはならない」  精神に巨大な(おもり)をつけられた気分だった。それに反比例するように、声が軽口になる。腹の中がグタグタになっていて戻してしまいそうなほど苦しい不快感が渦巻いているのに、舌がペラペラと良く動く。口許はつりあがって、鼻で笑ってしまえるのだ。  そんな事をハナに聞いて、どんな回答を求めているのだ? 何を期待しているのだ? 何を試しているのだ? 正解は彼の望まない言葉であると知った上で、感情の摩擦が言葉と心をねじっていく。 「イヒャリテはいい街だと思った。大人も子供も、笑っていた。病気で起き上がれない女の子すら、笑顔を向けてくれた。いい人たちなんだ」 「ああ、そうか。知らなかったよ、俺はそれを見た事がない」  そうか、彼女はきちんと計画通りにエルフ社会に馴染んで、彼らの目線に入る事が出来たのだ。思ったとおりに行ったじゃないか、良かった。なら、それでいいじゃないか。なぜ、こんな嫌味のような言葉が吐き出るのだ。  セインは乱れて荒れる思考回路に、もはや自分がどう着地したいのか分からない。着地する事を恐れるように、飛び続けたかったのかも知れない。だから、がむしゃらに翼を羽ばたかせるように、言葉をつなぐ。それが何かを引き裂くとしても、もう止まりそうになかった。 「イヒャリテの人間が傷つくから、ダレンには関わるなということだな。だが、それは俺がダレンに関わらない理由にはならない」  なぜ舌は良く動くのに、喉の奥にあるこの不快な暗い思いは吐き出せないのだろう。言葉をつなぐほど、身体の中で潮流がぐわんぐわんと掻き乱すみたいに心がめちゃくちゃになる。 (――ああ、これじゃないんだな)  吐き出したい言葉はこれじゃないのだ。しかし、素直さなど大きな傷を生むだけの刃でしかない。それをセインは経験している。そして、それを吐き出せば、自分はどうしようもなくみっともない物になってしまう。だから、傷つかないようトゲついた言葉で相手が踏み込まないように防御するのだ。 「イヒャリテを好んだのなら、この件を街の自警団に報告しても構わん。そうすれば、お前はあの町で堂々としていられるだろうし、元の世界に帰る手立ても探しやすいだろう」  ほとんど、早口だった。勝手に口が滑るような感覚で、セインはまるで台本を読むように宿っていないセリフを吐き出す。 「あの中に溶け込めば、それは随分楽になるんだろうさ。だけど……ダークエルフは誰も笑っていなかった」  ハナの言葉にセインの瞼が開いた。少女が網膜に焼きつく。白い頬が濡れて、ひとすじの軌跡が零れる。たった一粒の涙だった。同情の涙ではないとセインは知っている。溢れ出た、彼女の激情からこぼれてしまった一滴。そして、涙を流す事が罪だとでもいうくらいに、少女はその緩んだ涙腺に活を入れ食いしばる。 「セインが笑えない街に、いたいとは思わない!」  青年は霧が晴れたみたいに、胸の中の塊が消えたように感じる。もう、舌は勝手に動かなかった。セインの用意した『正解』を投げ捨てて、望んでいた言葉が、仮面の心を貫いたのだ。 (やっぱり――、俺は、期待をしていたんだな) 「……聞いてもいいか。なぜ、他人に対して、必死になるんだ。俺もエルフも、異世界人のお前には関係ない話じゃないか」 「一緒に食べたご飯はおいしかったし、抱きしめられたら恥ずかしかったし、弱音を吐いた時慰めてくれた優しさは、嬉しかった。なんの違いがあるんだよ……なんもねーじゃん」 「答えになってない」 「なってる……と思うんだけど、ダメか?」  ハナは見当違いの事を言ってしまったのかと、少し恥ずかしげに赤らんだ。そんな黒髪の少女を見ると、やっぱり彼は、歯がゆいな、なんて考える。 「……いいや、正解が聞きたいわけじゃなかったから、それでかまわん」  求めていたのは用意された正解じゃなく、適切な回答でもなく、彼女の本音だったのだ。セインは観念した表情で、肩の力が抜けていくのを感じていた。固めていた表情が崩れてほぐされていく。心の『しこり』も、くつろげられて溶けて消えてしまった。 「な、なんだよ、それ……」  そんなダークエルフにハナはいぶかしんでしまうのだ。自分の回答は大失敗だったのかなと、ちょっぴりうろたえてしまう。ひょっとしたら、呆れられてしまったのかとも思った。ハナが上目遣いに窺うようにセインを覗き込めば、彼はニヤリと笑った。 「俺の人生をお前にやる」 「へっ!?」 「ダレン社と手を切るなら、俺はもうここでは生きていけない。生き方をしらんからな。お前がそうさせたんだから、お前が責任を取れ」 「はあ!? 意味わかんないんだが!?」 「わからんだろう」 「なんでドヤ顔だ!」 「わーわー!」「ぎゃーぎゃー!」  セインは切り替えたのだ。己の居場所を。許される場所ではなく、傍にいたい人へと。もう、ごまかせそうになかった。 (こいつの笑顔がみたいんだ)  そんな風に行き着いた答えで、なるほどなぁとハナの表情に頷いた。 (ファナの言った言葉の意味、少し分かった気がする――)  隔たりなんかないのだ。ハナは他人に対して必死になっているんじゃない。もうすでに、セインとハナは知り合いなのだ。そして彼女は知り合いに対してなら、一生懸命になれる少女なのだとそんな簡単な事がやっと理解できた。    **********  その夜。イヒャリテのラボにて、ヨナタンが小屋で起こった小火の調査を完了させていた。  小火のあった薪置き場の出火箇所を調べた結果、そこには微量のマナが残っていた。出火の原因は<火炎>の魔法であった事が発覚したわけだ。  コウマックからハナが飛び出て行った事を聞かされたときは驚いたが、それでいくつかの推論が間違っていなかった事を証明した。 「……今回の事件は複数犯でなければ実行できない。それから、魔法にある程度精通した人間……。それも幻惑呪文の知識に長けた者……でなければ、あの首輪の仕掛けを破る事はできないはず」  ヨナタンは店にやってくる魔法使いの面々を思い返しながら、それらしい人物を探すのだが、候補者は絞りきれない。  少し休憩しようと、ベッドに腰掛けたとき、布団の上に畳まれた服が整頓されて置かれているのに気がついた。 「ファナさん……」  そういえば、妹もこうしてよく自分の身の回りの世話を焼いてくれた。彼女の向こう見ずな瞳は、どこかメリーと似ている。  ハナと初めて店先で出合った時の事を思い返す。  彼女の身体には不釣合いな外套に、ブーツ。そして、街には不慣れといった様子は明らかに異質だったのだ。  だから、ヨナタンは声をかけた。  その結果、彼女は遠い世界からの外来人であり、おそらくそのまとっている外套とブーツは、この世界の何者かより援助されたものであることは推理できたし、彼女は「冷蔵庫の巻物」を購入に来たのだ。  そんなものを欲しがる人物は、この世界で住まいを持った人物ぐらいだ。  例の首輪暴走事件の話を聞いて飛び出していった事から、彼女は何かしっているのかもしれない。いや、彼女には及ばないところでも、その援助者が関わっている可能性は高い。  なにせ彼女の『ゴズウェー』に対する対応は、『ダークエルフ』を知っていなければ起こりえないモノであるから。  そこから、導き出される答えは、援助者はダークエルフ、というものだった。  ハナがドガフマウンテンの方へ飛んでいった事をコウマックが告げてくれたし、おそらくあの山に潜むダークエルフがいるのだろう。あの忌むべき山賊が巣食っていたドガフマウンテンに。  山賊狩りがあったとは言え、隠れ逃げるのがうまいゴズウェーは多くいる。おそらく山賊の残党もいるだろうし、近頃世間を騒がせる日陰者(シェイドエルフ)の活動が活発になっている。一説にはならず者で会社を興し、裏稼業を引き受ける秘密結社なるものがあるという話だ。 (もし、ファナさんがそんなやつらに騙されているのだとしたら……救い出さなくてはならない。彼女は異界の人間であるにも拘らず、妹のために涙を零してくれた人なのだから……)  ……考えてみれば、彼女が最初にこのラボに来た時、召喚魔法の話を聞いて青い顔をしていたなと、ヨナタンは視線を落とす。  そのあたりに、召喚された蝶の魂魄が散ったのだ。  異界から来た少女だとは思っていなかったから、気の利いた事もいえなかったが、今となっては色々と想像もできる。  彼女はおそらく自分の世界へ帰る為の糸口を探して、召喚魔法を調べに来たのだろう。  命尽きて消え行く蝶に、自分を重ねてしまったのだとしたら……、その胸にどれだけの恐怖を与えてしまったのだろう。あの鉄砲玉のように走り出してしまうのは、ひょっとしたら自分に時間がないと焦っているせいなのだろうか。だとしたら、その責任は自分にある。  せめて、彼女の世界に帰る為の手助けでもできないものだろうか。  ヨナタンの持つ魔法知識にも、異界から来た少女の話などないし、大学の召喚学科の教師ですら多次元から呼び出した生命が自立して動き回る事など、聞いたことも無いのではないだろうか。  魔法とはまったく違う分野からの現象だとしたら、それはもう神の御業としか思えない。ならば、もしかすると教会にいけばそれらしい伝承などもあるのかもしれない。  明日は、教会にも少し顔をだしてみようかと考え、腰を持ち上げた。  ともかく、今は首輪の欠点を見つけ出す必要がある。なぜ、あのゴズウェーが暴走したのか。コウマックの話ではエルフが何かしらの刺激物を奴隷に使用したらしい、という話だったが……。  薬品や毒を嫌悪するヨナタンには、盲点になってしまっていた。  妹を破滅させた薬物に対する嫌悪感から薬を無視するようになり、魔法に走りきったのだ。魔法が薬に負けてしまうわけが無いと、彼の入り組んだプライドが認めさせない。  首輪の強化法を練りながら、浮かんでくるのは、ハナの怒りに滲んだあの眼だった。ゴズウェーを森で追い詰めた時の彼女のあの剣幕は忘れられない。  ――どんな神経で言ってやがる!  流石にメリーもあんなに喰いかかってくる事はなかったな、と苦く笑う。 (だめだ……また彼女のことを考えてしまっている……。集中しなくては……)  この首輪を完璧にしなくては、また悲劇が起こってしまう。完全なる安心を得るためにはまだ足りない……。  ゴズウェーを封じるだけではだめなのか。  コウマックは言った。今回の事件はエルフが絡んでいる可能性がある、と。ならば、悲劇はゴズウェーを管理するだけでは終わらないのだろうか。  いずれは己にも首輪を着け、危険思考は封じるような社会構成を組まなければ、恒久の平和はやってこないのかもしれない。 「……メリー……私は、どうしたらいいんだ……二度とお前のような悲しみを、見たくないんだ……」  結局、その夜はまともに集中できなかった。疲労した頭は休息を必要とし、彼はいつしか眠っていたのだった。  ――翌朝。  ドンドンという荒々しいノックでヨナタンは眼を覚ました。いつの間にか、しっかりベッドで眠っていたらしい。  のっそりと起き上がり、ラボのドアを開くと、そこには父親のヨナタン一世が緊迫した顔で立っていた。ヨナタンジュニアとは違う恰幅の良い腹でぜえぜえと息を吐いて汗を垂らしている。どうも全力疾走でここまでやってきたようだ。 「父上……。どうしました」 「奴隷市場の仲介人が店に来てな。首輪の問題に対して、解答しろと言ってきている」 「……あの事件の話、もうそこまで……?」  確かに由々しき問題ではあるが、まだ一工場の奴隷が一人、暴走しただけの話だ。けが人は出たが、一命は取り留めたし、暴走自体は早急に片付けたと思ったのに、随分と大騒ぎになっているようだ。 「分かりました。私がお話します。父上はできればこの話題をあまり広めないように手を回していただきたい」 「もうしている。首輪は……完璧ではないのか?」  ヨナタン一世は声を落として息子に詰め寄る。責める様な口調ではなく、真実を計る責任者の顔をしていた。 「……私は完璧と自負していました。ですが……そもそも首輪で人格を封じるという事自体が……間違いだったのかもしれませんね……」  ヨナタンは、揺れていた。あの少女の言葉が耳に残る。首輪を考案した当時はこれしかないとすら思っていたのに、秩序を破壊する無法者に対する最も効率の良い、魔法具だと信じて止まなかったのに。 「何を今更! お前がゴズウェーは管理するべきだと強く申し立てたからこそ生まれた製品だぞ。それをやはり問題がありましたでは済まされん!」 「おっしゃるとおりです。どちらにしても責任は私が負います。ともかく、今は奴隷仲介人のもとへ参ります」  父の怒りは最もだ。こんな無責任な発言はない。所詮、自分はただの魔法技師であって、作りたいものだけを作っていたに過ぎない子供だったのだと己を恥じた。  それでも、首輪を作り上げた当時、ヨナタン親子は被害にあったメリーのために、ゴズウェーの管理に躍起になっていたのだ。父親とてヨナタンを一方的には責められない話だろう。  だからこそ、自分たちが生み出した首輪は『絶対』であると貫かなくてはならない。ゴズウェーの管理は徹底されなくてはならないのだ。 「いいな。なんとしても首輪を完璧にしなさい。弱気になるな」  ヨナタンジュニアの背中に投げかけられた言葉は、店の経営者としてではなく、父親の言葉であると受け取った若いエルフは深く頷いたのだった。  その後、仲介業者に首輪の使用にはマナの補充を徹底する事と、奴隷の監視は怠らない事を説明した。今回の問題はなんらかの人為的な操作によって引き起こされた旨を伝えはしたが、そんなに簡単に外れてしまう『首輪』では今後の信頼関係にひびが入るぞとクギを刺された。  どうにか話を終わらせて、次は自警団のもとへ走り、今回の事件の話をしておいた。これで多少は警戒されるだろう。なんらかの悪意が働いても未然に防ぐ確率さえ上がれば、首輪改良の時間稼ぎができるというものだ。  そして、今回の事件はやはりあの黒髪の少女をもういちど捕まえなくてはならないなと思い至った。 (ファナさんは何かを知っているはずだ。ファナさんが知らずとも、その傍にいるダークエルフが、な……)  鋭く目線を東に向ける。そちらにはドガフマウンテンがそびえている……。今日は何やら雲行きも怪しい。青空を隠す灰色の蓋を見て、雨が降りそうだと、ヨナタンは顔に皺を作るのだった。    **********  時刻は昼前。本来なら太陽が高く上り、日差しを浴びせてくれる時間だが、代わりにしとしとと雨が降り出していた。セインの小屋では、ハナとセインでダレンに対してどうしたものかと議論が交わされている最中だった。 「それじゃあ、セインもダレンのアジトがどこにあるかは分かんないんだ?」 「興味がなかったからな。俺はあの使いのエルフに商品と金、あとは必要な道具を買いに行かせていたりした」  二人はダレンから手を切り、この小屋から出るために色々と荷造りをしている。  セインとハナは、旅立つ事にしたのだ。ハナの帰還のヒントを求めるために。  だが、これまでダレンと係わりがあった以上、その脅威をほったらかしにしたままにするわけにもいかないと、どうしたものか悩みあぐねていたのだ。  ハナは、ダレン社が怪しい動きをしている事をヨナタンに報告してあげれば、聡明なヨナタンのことだ。しっかりと対処してくれるのではないかと思っていた。なので、出来る限り情報を揃えてイヒャリテに報告に行こうとしたが、セインは思ったよりもダレンの情報をもっていなかったようだ。 「んー。そういえば、またあの三下がクスリ目的にココに顔を出すんだよね?」 「ああ、そうだな。一週間と告げたが、気まぐれなやつだ。今日来るかもしれないし、明日来るかもしれない。間違いないのは約束どおりには絶対来ないという事だ」 「ずさんな奴。そいつをしょっ引いちゃうってのはどうかな」 「どうだろうな。トカゲの尻尾きりをされるかもしれんが……」  どうにも名案という会心のものがでてこない。それでも、三下のエルフをとっつかまえて、色々と聞き出すのは悪い案ではないだろう。幸いあのレベルの男なら、ハナは対処できると踏んでいた。キラーマシーンのレッテルは伊達ではないのだ。 「やらないよりは、いいかもね。……でもさ、あいつら『睡眠薬』は分かるんだけど、『媚薬』って……その何に使うんだろうな」 「それはお前、女を手篭めにするためだろう。俺はそんな風に聞いた」  ハナの素朴に湧いた疑問だが、当然だろうという表情でセインが応えた。媚薬で女を骨抜きにして、言いなりにする――。セインは『媚薬』という表現で話しているが、現代社会で言うならば覚せい剤に近いのではないだろうか。ヨナタンの妹の様子を見る限り、あの症状はドラッグ漬けにされた人間のそれと同じだとハナは考えていた。 「じゃあ、あいつら誰か女性を狙ってるってコトか?」 「どこかのハーレムに売りさばいたり、という事はしてるだろうな。だが、今回の薬品依頼は絶対にしくじれないから、よりシッカリしたクスリを用意しろと念を押されたんだ。奴らのドガフ支部じゃなく、本部からの命令なのかもな」  セインが籠に入れてあった乾燥果実を皮のまま口に含んでクチャクチャと咀嚼して言う。この乾燥果実の味は『マンゴー』に似ていて、ハナはちょっぴり苦手な味だった。皮ごと食べる事ができて、保存性もいいので、これからの旅にも持って行くことになっている。 「本部ってどこ? 支部ってどのくらいあるの?」 「知らん。構成員すら下っ端は本部の場所を知らされていないらしい。支部の数もマーチ中にあるって話だが数までは不明だな」  噂レベルの話だとセインは付け足すが、ハナが想像した以上に『秘密結社』は大きいのかも知れない。  そんな大きな闇がのさばっているマーチは未だその治安を統一できてないのだろう。  セインの行った社会授業では、マーチはイヒャリテのような大きさの街が七つ、首都として構えるクエストランが北西にある。イヒャリテはマーチのほぼ中央に位置している。  そういった都市の警備は自警団や教会騎士団が行っているのだが、マーチの全域をカバーするような警備体制などはとられていない。未だに南のほうは未開の地もあるし、治安も悪化するらしい。  どうやら、このエルフ社会は王政ではないらしい。  長老会と呼ばれるエルフの代表者が運営する統治機構があり、その代表者は教会から選ばれるらしい。  セインは色々と話してくれたのだが、自身もダークエルフなので曖昧なところもあると、深い実態までハナは把握できなかった。それになにより、社会の授業は苦手なのだ。ハナの薄っぺらな知識が大雑把に解釈したのは、長老会というのはつまり内閣で、教会は政党みたいなものだろうかと、ざっくり理解した。 「セインがここから出て行くとしたら、奴らは追いかけてくるよな」 「ああ、だろうな。……キケンな旅になるぞ」  深みのある真剣な声でダークエルフの顔がハナを見つめた。覚悟はいいのか、と聞いているのだろう。 「……はっ。さすがにこの世界の事も大体わかったし、私の異世界物語はお嬢様と貴族の優雅な物語ってものにはならないことは理解したさ。なにより、キャラじゃない。このくらいが丁度いいよ」 「強がるなよ。怖いんだろ」  ハナは強がっているつもりはなかったが、自分の終着点がどこにあるのか明確になっていないのが不安ではあった。当てのない旅――そういうとまるで詩のようでロマンティックにも聞こえるが、リアルにそれをするとなると先の見えない暗闇に立たされたようで途方にくれてしまう。  そんなハナの心を気遣っているのか、セインは十五夜の満月を想起させる瞳で少女をしっとりと見つめるのだが、どうにも気恥ずかしい。 「なにイケメンぶろーとしてんだ!」  と、照れ隠しをしてセインの脳天にチョップを入れてしまうのだった。 「ちっ、からかってやろうと思ったんだけどな」 「やっぱりからかってたのか! 性悪が!」  ドタドタとセインを締め上げてやろうと追いかけまわしていると、突如ドアの方から声がした。 「あのう。お取り込み中、すみません」  そこにはズブ濡れのヨナタンが、呆れ顔で歪に絡み合う二人をみていたのだった。
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