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白犬と黒猫と魔女
「あのう。お取り込み中、すみません」
雨に打たれたのであろう、金の毛先を頬に貼り付けたヨナタンが呆れた顔で、玄関に立っていた。水も滴るいい男、という印象よりも、雨に濡れた捨て犬の発想がでてきたハナはやはり乙女とは程遠いのだろうか。
「ヨナタン!」
ハナがセインに一発拳骨を入れてから、濡れた彼に駆け寄る。
「とりあえず、火に当たりなよ。乾かさないと」
ヨナタンを家の中へ引っ張り込もうとした時、セインが厳しくヨナタンに目を向けた。
「待て。……イヒャリテの人間か。なぜ、ここが分かった」
セインの警戒はもっともだろう。これまで、この小屋はイヒャリテの人間が発見しづらいように幻惑呪文で誤魔化していたのだ。
ダークエルフの問いかけに、ヨナタンは失笑した。セインの威圧を物ともしないといった態度で、どこか相手をバカにしているようだった。
「もしかして、あの<幻覚>の魔法で隠れているつもりだったのですか? 逆に目立っていましたよ。あまりに稚拙な構築の<幻覚>でしたから」
<幻覚>魔法はセインが張った物ではないが、エルフがこちらを見下しているのが気に入らない。
「魔法がどうこうじゃない。そもそもこの小屋は山道をわざと外れないと見つけられるものではない。何をしに来たんだ」
「私はファナさんに、会いに来ました。符呪の軌跡を追ってね」
そう言い、ハナのブーツに目を落とした。どうやら、ハナの居場所を把握できるように、何かしらの魔法でもかけてあったのだろう。
そこまで聞いて、ハナもヨナタンに対し、警戒を持った。
「……ヨナタン、まさかセインを捕まえに来たのか?」
その言葉に、ヨナタンは回答せずにハナをじっと見つめた。青の瞳はどこか儚げで触れると割れてしまいそうなガラス細工のようだった。
「ファナさんが何者かの協力を得てイヒャリテに来たのは推測しておりました。おそらく、その人物が、ゴズウェーであろうことも……」
「ゴズウェーじゃない」
ハナが即座に否定する。黒い瞳が強硬な鉄鉱石のように艶だつ――。
彼女の意思は決して砕けない。少なくとも自分には崩せそうにないと降参するようにヨナタンは目を伏せた。
「……先ほども言いましたが、私はファナさんに会いに来ました。いくつか、お話を伺いたいのですが」
「分かった。私もヨナタンには伝えておきたい事があったし」
「あれ? それでは相思相愛ですか?」
おどけた様子でヨナタンはにこりと笑う。ハナは突拍子のない冗談に、キョトンとしてしまった。だが、それを聞いたセインがギロリとヨナタンに敵意をむき出す。さながら、野良猫の威嚇だった。
「あ゛ぁ?」
「おや、まだいたんですか。あなたには興味がないので、結構ですよ。さようなら」
「ここは俺んちなんだがッ?」
どうにもヨナタンの対応はセインをわざと挑発しているというか、露骨に邪険にしていた。かねてよりダークエルフに偏見を持ち嫌っていた彼だから仕方ないにしても、ここで変にこじれていては、話が進みそうにない。
ハナが強引に間に入って、仕切るしかなさそうだった。
「セイン、ちょっと待ってて! ヨナタン、慎めよ!」
とりあえず、二人を黙らせてハナは改めてヨナタンに向き直る。
「んで、話って何を聞きたいんだ?」
長い討論になるかもしれない。玄関で立たせたまま話しをするのもやりにくかったので、ハナはチェアを持ってきてヨナタンを座らせた。
セインはちょっぴり嫌そうな顔をしたが、黙っていてくれた。やれやれといった様子で、小屋の壁に寄りかかって腕を組む。
ハナは二人の間に立つようしたかったので、二人を隔てるテーブルに腰を降ろして軽くよりかかった。食事をするテーブルにお尻をつけるのは行儀が悪いとは思うが、セインもやってたし、行儀がうんぬんという性格でもない。
「あの首輪の呪文が外れた事件の事なのですが……ファナさんは何か思い当たる節があるのではないか、と思いましてね」
「……ああ、うん。私がしたかった話もそれ。まだしっかりした証拠はないんだけど、たぶん犯人は……秘密結社ダレンのやつらじゃないかなと思ってるんだ」
「秘密結社、ダレン? 噂程度には聞いたことがありますが……。なぜそう考えたのでしょうか?」
ヨナタンも街の噂に詳しいほうではないが、そんな彼でも謎の犯罪集団の話は耳にした事がある。もっとも、都市伝説ではないかとも考えていたのだが、近頃の日陰者の活発な活動はその存在をまことしやかにしていた。
「あの事件で使われた薬品……セインが作ったものに似てるんだ。そして、セインの取引相手はダレンだった」
ハナはセインに少し目配せをしたが、彼は別段反応がなかった。言わざるを得まい、という表情をしていたのでハナも小さく頷いたのみだ。
「……なるほど。それはそれは……少々信用できかねますね」
「えっ?」
ヨナタンからの意外な返事に、少女は大きく瞳を開いた。てっきり、セインへ行為を咎める言葉からくるかと思ったが、話を信じてすら貰えていないのだろうか。
「私の作った魔法が、こんな野良猫みたいな男の作った薬品で突破された、と? 断じてありえない」
冷たい目線を投げやって、微笑を浮かべて大仰にパタパタ手を振る。
「なんだと、おい。お前こそ首輪が似合う犬っころみたいなくせに、錬金術を理解できているのか?」
「だから、やめろっつーの! 事実、ヨナタンの首輪の魔法は薬品で突破されているだろ。どこかに問題点があったんじゃないのか?」
どうも二人は犬猿の仲……いや、犬猫の仲であるらしい。口を開けばケンカになりかけるので、ハナとしては手間のかかる子供の相手をしている気分になってしまう。
「……っ、それは……おっしゃるとおりです。……ですが……ただ薬品を嗅がせただけで魔法を解除するなど……信じがたい」
「錬金術で作るポーションはそんじょそこらの風邪薬なんかとは違う。魔法に対する耐性を強化するものだってあるからな」
セインもヨナタンもどうにも相手が気に入らないようだ。その気持ちはわかる。長い間、互いを憎みあった種族であるし、こうも敵愾心を露にされてしまえば、なんだこのやろーとハナも思うことだろう。
「そんじょそこらのポーションと私の魔法を一緒にして欲しくないですね」
ヨナタンは口許に微笑を崩さないままに、目が笑っていない。
「お前ら、そんなにケンカしてーのかよ……」
「こんな奴とケンカなど……争いは同じレベルの者同士で発生するものですよ」
「躾なら……してやってもいいんだがなァ……!」
どうにも御互いに――、ヨナタンは魔法、セインは錬金術に対してプライドもあるようだ。それを真っ向から否定しあえば火花も散るというもの。ハナはひとつ大きく溜息を吐き出してパン、と諸手を打つ。乾いた響きが雨音響く小屋に鳴り、一旦空気はリセットされる。
「とりあえず、検証だけでもやってみたら? 私の推理だと、セインの睡眠薬で首輪の人格が眠っちゃって、元の人格が起きちゃったってものだけど、どう?」
魔法も錬金術も知識がないので、完全な空想の推理であるが、矛盾はないと思う案を述べてみた。しかしながら、ヨナタンはあっさり首を横に振った。
「いえ、それはありえませんよ。眠るだけで<服従>が切れてしまうとなると、不意の事故で奴隷が気絶した場合や居眠りした時に魔法が解けてしまうので、使い物になりません。眠ったところで<服従>の魔法は解けることはありません」
「えっ、あ、そう? じゃあ、なんだろな」
まさか自分の発想が正解なハズも無いかと思ってはいたが、ちょっと自信もあったのでなんだか恥ずかしかった。
「その服従の魔法はどういう仕掛けなんだ。それが分かれば、ポーションで突破できる点も絞りやすいが」
壁に寄りかかったままのセインが問題解決の案を練るために情報提供を求めるが、これもあっさり首を振られる。
「企業秘密だ」
「ああ、そうかよ」
ケッと顔を背けて口を聞いてやった事すら失敗だったなとイラだつセインに「まぁまぁ」と視線を送るハナだった。とりあえず、ヒントがないと先には進まないのだから、ヨナタンには<服従>の情報提供はしてもらいたいところだ。
「説明書くらいないの? 人に売ってるんだから、マニュアルくらいあるよな?」
「……ええ、まぁ。そのくらいであれば……」
そう言ってヨナタンはカバンから首輪の現物と取り扱い説明書をハナに手渡した。首輪を持ってきているあたり、ヨナタンも色々と思惑を持ってここに来たのだろう。しかし、ここはあまり食い込まず、説明書に目を通す事にした。
説明書はちょっとした文庫本程度のサイズで頁数は少なめではあったが、ビッシリと細かい文字で頁一面に文字が書かれているのを見て、ハナはちょっと読む気をなくした。たぶん、日本語で書いてあっても読む気をなくした。苦手なのだ、取説。
「う、私じゃ読みきるのに時間かかりそう……」
「貸せ」
セインがハナの後ろからひったくるように取り扱い説明書を手に取るとサラサラと頁をめくり、読みすすめる。
「……マナ検査を行う事、とあるな。首輪を着ける人間にマナがなければ効果を得られないのか」
「じゃあ、私は首輪を着けられても奴隷にならないってことか」
ハナはいわゆる『マヌケ』に該当するため、首輪を着けられてもおそらく効果が発揮されないだろう。この世界の住人でも、『マヌケ』ならば首輪の支配からは逃れる事が出来るようだ。
「暴走した奴隷を検査しましたが、彼は所謂マヌケではありませんでした。事件後もマナは正常に血液に循環しておりました」
地味に、ハナがマヌケである事を初めて聞かされたヨナタンは、軽く驚いた。しかし、異世界人なので、逆にそういうものかもしれないなと、遅れて納得が来た。
「うーん、私にはまったく理解できない内容だ」
「つまり、奴隷の血に流れるマナを<服従>させている、ということか」
「そうだ、血管という伝達線を支配し、<服従>で動かしている」
魔法の話になるとどうにも置いてけぼりになってしまうので、ハナはどうにか自分の価値観に魔法を当てはめようと記憶探り出した。ほどなく、ポケットのスマホに思い至って口を開いた。
「……なんだかハッキングみたいだな」
「ハッキング?」
聞きなれない言葉に二人のエルフ耳がピクリと動いた。
「私もそんなに詳しくないけど、私の世界でいう魔法……みたいなのだよ。パソコンっていう色んなことができる道具があるんだけど、ネットにつないで世界中の人と話したりとか、情報をしらべたりとかできるんだ。で、ハッキングっていうのは、その人が使ってるパソコンを遠隔で操作すること(たぶん)。<服従>ってそのハッキングみたいだなーって思ってさ」
「……なるほど。そのハッキングに対応するにはどうしたらいいんだ」
面白い話だと、セインがハナに訊ねる。ヨナタンも興味津々のようでハナの顔をまじまじと覗いていた。しかし、ハナはそこまでテクニカルな分野の話はできないし、ハッキングもされたことはないからどうしたらいいかなんて分からない。
「いや、私も全然そっち系の知識はないんだよ。だからまぁ……ネットにつながなきゃいいんじゃないかなって、思うけど」
ハナのおぼろげな話を二人は真剣に聞いていた。ハナはなんだか、ハンパな知識で口を出してしまったのが恥ずかしく思えてきた。二人が暫く黙ってしまい思案に耽る間、ハナはテーブルの上で縮こまってしまう。
「ネット、というのが今回の場合、首輪に相当するとしたら、首輪を取れば良いということになりますね。しかし、首輪は外されていませんでした」
「マナを一時的に奪えば、支配を脱却できるかも……しれない」
ハナの話をこちらの世界の状況に落としこんだ二人のエルフがそれぞれに思考を言葉にしていく。いつしか先ほどまでの憎まれ口を叩き合う状態ではなくなっていた。
二人の青年はどちらもひとつの問題に対して真摯に向き合って、端整な顔に皺を作っている。
「……それもきちんと対策している。<服従>は血液のマナを利用するのだから、心臓にその呪文を刻むのだ。心臓を止めない限り、<服従>の効果の乗った血液とマナは逐一生産される」
「心臓を……止める?」
「どうかしたの?」
ヨナタンの言葉に、セインはふと目線を右下に動かした。セインの物事を考えるクセで、何か閃きかけた時の反応だ。
これまでの情報が一つ一つ、浮き上がってはロジックを組み立てていく。
――ダレンの所望するクスリ――。――心臓に呪文――。――ファナ――。
セインがぱっと顔をあげ、腕組を解いた。
「麻酔……、マナの流れ……そうか、副作用を逆手に取ったのか!」
「もしかして、分かったの?」
ハナの質問に、セインはニヤリと笑う。銀の前髪がさらりと流れるように軽く頷いた。
「ああ、ファナ。お前を最初に実験体にしようと言った時、試そうとしたクスリがあった事を覚えているか」
急に言われて少し戸惑った。
慌てて思い返すと、最初に提案されたクスリは睡眠薬や媚薬ではなく……?
「え、あー? なんかマナのどうのこうのって……」
「魔法抗体を活性させるクスリと、マナ補給のクスリの同時使用だ」
この二つも、ダレンからの依頼のクスリだと付け加えた。同時に使用する、という事がミソなのだろう。それ単体では完成されているクスリのようだ。
「ふん、魔法抗体程度で<服従>を妨げられるものか。それにマナを補給したところで直ぐに血流のマナと同化するはずだ」
「そうだ。だが使い方次第で、これはマナポンプにできる。心臓を麻酔で一時的に止めて、マナの供給も停止させる。その状態で、マナ補給薬を飲ませたら、心臓から作られていないマナが身体をめぐる」
なんともぶっ飛んだ話だとハナは思う。人間の心臓を止めてしまったら死ぬんじゃないか、といぶかしんだ。しかし、現代社会にも心臓手術をする場合は心肺機能を停止させてから手術するというし、何か心臓に変わるものがあればいいのかしれない。もっとも、錬金術や魔法の世界なので大なり小なりのファンタジーが働くのかも知れないが。
「しかし、心臓が止まっていれば、動きようがない!」
「オレがダレンに渡した試験版は魔法抗体薬とマナ回復薬の併用で、副作用が出る事が分かっているんだ。その効果は強心剤と同様に、心臓の活性化、機能不全の回復などになる」
(――ああ、だからパソコンで例えると……再インストール、みたいなかんじかな。汚染されたプログラムを、入れなおす――)
……と、拙い知識でコンピューターウィルス対策を思い出す。OSを再インストールしてやればいい、という話を聞いたことがある。この場合<服従>の呪文が入ってしまっている心臓を止めて、もう一度動かしてやる、という理屈でハナは今のやり取りを理解しようとした。
「しかし、そうした場合にも首輪は動くはずだ! 新しく<服従>の魔法をマナに走らせるはずだ!」
ヨナタンはありえないという表情で、だが、まさかという声で、叫ぶように否定した。
「はずだ、だと? その検証はやったことはあるのか? 心臓の止まった人間に、<服従>のマナをかけ、息を吹きかえらせる調査したか?」
「……それは……」
そんな検証をするはずがなかった。ゴズウェーが死んだ場合に、蘇生させるなんて考えは、ゴズウェーの命の重さを考えていなかった自分にはできない発想だったのだ。妹の惨劇を見せ付けられた頭で作り上げた首輪は、罪人に対して殺してしまうよりも惨たらしい人生を送り続かせてやる、というものだったから――。
「脆弱性とはそういうものだ。そんなことをするわけがない、という盲点があったな」
ヨナタンは首輪の脆弱性を見つけられた事には安心した。問題点が分かれば対応事態はできるからだ。しかし、まさかゴズウェーに解決を手伝ってもらう事になるとは思わなかった。自分の甘さをしっかりと突きつけられたようで、下唇を強くかみ締め、小さく肩を震わせる。
「じゃあ、それを実施した犯人は……」
嫌な想像をしたハナが、表情を曇らせて視線を床に落とす――。
「おそらく人体実験をしたんだろうな。奴隷を買い、首輪の制御をどうすれば突破できるのかを」
「そして行き着いた方法は心臓を止める事だったと……」
すなわち、実験に使われた奴隷のダークエルフは……心臓を止められ……おそらくは……。そこまで考えて、ハナは胸糞が悪くなるのを感じて、その想像を放棄する。
そして、やはり秘密結社ダレンは、野放しにはできないと強く思い直すのだった。
「今回の事件の問題は、分かった。あとは犯人をどうやって見つけるか、だね」
まだ今の話はあくまで仮説でしかない。どうしても立証するためには証拠が必要だ。ハナはどうにかダレンに対するカードを見つけたく思っていた。
「私は、一度イヒャリテに戻ります。首輪の修正を行わなくてはなりません。……ファナさん、できればあなたも一緒に来ていただきたいのですが……」
ハナを誘う言葉は弱かった。その言葉は拘束性がなく、おそらくヨナタンの『お願い』なのだろう。だが、ハナはその彼には首を振って応えた。
「私は、ダレンをなんとしても倒したい。そして、できることなら、首輪からダークエルフを開放してやりたいんだ。だから、ヨナタンの傍には、今はいたくない」
何の遠慮もない飾らない言葉がキッパリとヨナタンを突き放す。そんなハナの回答はおそらく予想の範疇だったのだろう。儚げな瞳は寂しさをまといながらも、譲れない一歩で踏みとどまる。
「……首輪は……今は必須なのです。世の中には必要悪というものがある」
「悪だとは思っているんだね」
人の心を魔法で支配することの倫理観は、やはりこの世界であろうと歪なものであるのだろう。ハナはそれが分かっただけでも少しだけ心が落ち着いた。今のヨナタンの言葉は、森で見た冷徹な機械色ではなく、泥だらけになっても歩み続ける、汚れているが人の言葉であると思えたからだ。
「……貴女が、そこの黒猫とじゃれているのを見ましたからね」
「誰が黒猫だ」
「べ、べつにじゃれてたわけじゃないよ?」
おそらく、ヨナタンも首輪の行き着く先に疑問を持っているのだろう。ダークエルフが全てゴズウェーではない。ゴズウェーを生んでしまう世の中こそ、そもそもの土台が間違っているのかも知れない。この世界に生まれ、生きているものには当たり前で気がつけない価値観を、黒い髪の少女があまりにも飾らない直球をぶつけるので、目から鱗が落ちたような気分だった。だが、それでもヨナタンは首輪を取り消す事など出来ない立場にある。今は、この首輪は必須なのだと言い聞かせるしかない。
「おい、黒猫。お前も秘密結社に薬物を売って協力していたというのなら、私はお前にも首輪を着けなくてはならない。その首輪は、そのつもりで持ってきたものだ」
「着けるのか?」
セインの瞳はまっすぐ、ヨナタンとぶつかっていた。だが、最初にぶつけ合ったような視線ではない。それなりに、御互いに認める部分もあったのかもしれない。
「今はつけん。お前は、ファナさんを守るのだ。それだけは、はっきりと伝えられる」
その時のヨナタンのブルーアイはガラス球よりも強く美しくアクアマリンの光を湛えていたように見える――。
「ヨナタン……」
「ファナさん、その黒猫が少しでもおかしな真似をしたら、首輪をかけてやってください」
冗談交じりの笑顔を見せて、でも半分本気も交じっているなとハナに感じさせたヨナタンの言葉にハナは凛として対応した。
「わかった! ありがとう、ヨナタン。ダレンの事はこっちでも調べるから、ヨナタンはヨナタンの仕事をしてくれ」
「ええ、また会いましょう」
ヨナタンは椅子から立ち上がり、小屋を出るのだった。
雨はいつしか止んでいて、曇り空から光の帯がいくつか下りては、七色の橋を生んでいる。まるで世界は白と黒だけではないのだとヨナタンに諭すような虹色は、所詮は光の屈折であると分かっているのに、彼の指先に触れてしまえるのではないかと思わせた。
**********
翌日に、ダレンの使いがセインに小屋に顔を出した。顔に残る切り傷と濁りきった瞳は相変わらず、ふてぶてしい態度で小屋の様子をぐるりと見て回っている。
「あの女はどこ行った」
「もういない。マヌケ治療の薬を持って帰った」
「……バカな女だぜ、マヌケは一生マヌケのまま。治療なんぞできやしないってのになぁ」
下劣な表情で笑う顔傷のエルフは何が面白いのか一通りゲタゲタとツバを飛ばしていた。
「これが媚薬だ。持っていけ」
小ビンに詰め込まれているポーションは淡い紅色で、まさに『それっぽく』見えた。その小ビンを箱に詰め込んで合計二十のポーションをセインは手渡す。
「よし。金は後日だ。お前の価値はこの錬金術のみだからな、今後ともイイ薬を作り続けることだぜ。首輪を着けられたくなきゃよォ~」
「……」
ダレンの使いは御決まりのセリフのように言い残して、セインの顔も見ず、さっさと小屋を後にした。
そのままポーションの箱を詰め込んだカバンを抱え込んで、足早に複雑な山道を進んでいく。
どうやら、向かう先は山の南側の中腹らしい。その辺りまで来ると、特別何もないと思われた岩壁の前でエルフの足が止まる。
岩壁前には無骨な岩が二つ転がっている。成人男性が丸まった程度のサイズの岩で二つの岩の間は一メートルほど開いているだろうか。
8の字を描くように三度、エルフの男がその岩を間をすり抜けるように歩くと、山の岩肌がざりざりと擦れる音と共に下がっていく。あっという間に二メートル程のサイズの穴が開いて、山の岩をくりぬいて作ったと思われるダレン社のアジトが現れたのだ。
エルフの男はさっと周囲を見回して、その穴に消えていく。程なくして、その岩の扉がまたわずかな振動と摩擦音を立てて閉じられてしまった。
「……よし、バレなかったな」
エルフを尾行していたハナはひとまずほっと胸をなでおろす。ヨナタンの<風乗り>のブーツは想像以上に便利だった。風にのって滑っていれば、この砂利道でも足音を立てずに追跡できる。セインが使えと言って渡してくれたポーションも役に立った。
一時的に体重を羽のように軽くすることができるポーションらしく、うさんくさいと思いながら使用した結果。着地の音も殺せるほどに、ふわりと足をつけることができるのだ。まるで重力がなくなったみたいで最初はどこか落ち着かなかったが、月面のようだと発想したハナは宇宙飛行士が月面を歩くみたいにスローモーションで動いてやると、体の操作がうまく行った。
「うん、バッチリ取れてる。電池切れしないのってマジ便利だな」
エルフの男が8の字を書いて隠し扉を開ける動画をスマホで撮影できていたので、とりあえずの任務は完了だ。あとはこれをヨナタンか街の警備隊にでも見せて秘密結社を逮捕してもらうよう動いてもらうのがいいだろう。
身を翻して風に乗ろうとしたその刹那、砂利道を歩く足音が聞こえた。
すぐさま身体を隠し周囲に気を配ると、アジトの入り口にもう一人、人物が現れた。どうも山を登ってきたようだが、その姿は深緑のローブに刺繍の入ったブーツ、そして何やら神秘的な首かざりを着けているエルフの女性であった。大きな荷物袋などは持っていないし、旅人のようにも見えない。かといって、あのならず者のダレン社の人間というには少々雰囲気が違って見えた。
念のために、ハナはスマホのムービーを録画開始した。顔を良く見えるようにズームすると、細い眉を神経質に吊り上げた見た目三十過ぎほどの女性が画面に良く映った。
(なんだ……? こいつもダレンの社員か?)
ローブの女性は、やはりダレンの使い同様に岩の間をするする動いて、8の字を三度描く。そして開いた岸壁の穴に足早に駆け込んだ。
(アジトを知っている動きだ。あの女も……ダレンなのか……)
どうにも違和感を感じながら、ハナは今度こそセインの小屋へ向かって風に乗った。
**********
暗いアジトの入り口を潜り抜けると、その扉は自動的に閉まる。かつてこの仕掛けを作り上げたダークエルフは今やゴズウェーと罵られて、泥を啜って生きている。なんとも無様なことだとサドゥリは嘲る。
隠し扉の先は粘土固めて作った簡素な階段が続く。そのまま暫く進めばアジトとして利用している広間にでる。大抵はそこで作戦会議をしているのだ。更にその奥には逃亡用の通路として利用されたのであろう地上への別の出口が延びている。
サドゥリがアジトの通路を下っていくと日陰者が何やら話しているのが見えた。
「……うん? 何を見ているんだ、奴ら」
サドゥリはエルフの男たちが何かの箱を開いて中身をニヤニヤと見ているのを隠れて覗いた。
「これが、例の媚薬か。見た目はライフポーションのようだな」
ヒゲの男が箱の中身の小ビンを摘み上げて観察している。
「だから、イイんだよ。騙して飲ませやすいだろうが。なかなかイイ出来らしい。マヌケの女に使ってやったらしいが、一晩中楽しめたって話だ」
顔に傷のあるエルフが下品な笑みで「ひひひ」と笑う。
「そうは言っても、コイツは本部からの指定品だろう。俺らじゃ楽しめないだろうが」
剥げたエルフが詰まらなそうにぼやくが、顔傷のエルフが剥げたエルフにゲシゲシと蹴りを入れて言う。
「バ~カァ。このまま本部に渡すわけないだろ。一本試しておかねえと、もし紛い物だったら大目玉じゃ済まされねーぜ」
「あー、そうかもなあ? でも、試すってどうするんだ。適当に奴隷でも買いあさってくるか」
「そんなもん用意しなくとも、あの女に試しゃあいいだろう。サドゥリの先生さまによぉ」
サドゥリはそれを聞いて、臓物をぶちまけたくなるほどに腹の中が煮えくりたった。こいつらは、やはり自分の仕事をこなすつもりなどなかったのだ。貰う分だけ頂いて、あとは依頼主であるサドゥリをも騙して利用する腹積もりなのだろう。
「げえ、あんなババァかよ。どうせなら俺はまだなんにもしりませんって感じのウブな娘をドロドロにするのがたまんねえけどなあ」
「このロリコンが! ぎゃははは!」
低俗すぎる会話内容にサドゥリも、そちらがそのつもりならばと、口の中で呪文を形成し始めた。
サドゥリの得意魔法は幻惑呪文であり、人の精神に関与する魔法を主としている。今作り上げた魔法は、首輪の<服従>を応用した……いやヨナタンの呪文を転写った<服従>である。
ヨナタンの作った首輪は首輪を外せば魔法が解除されるように設計されているが、彼女のそれは、完全に対象の自我を抹消し、命令を忠実に聞く人形へと作り変える禁忌魔法とされるものだった。
それをゲスの集団に向けて放った。
「このゴミムシどもがぁ! <服従>しろッ!」
怒声と共に彼女の口から音波のように魔力が飛び出し、日陰者達の耳から侵入して脳を破壊する。
男達は耳からひとすじの血を流し、悲鳴も上げることなく人格を殺された。目玉を大きくむいて、ぽかんと口をひらき、だらしなく涎を垂らしてしまう。
「さあ、<命令>だ。次の計画に移るぞッ! 今すぐだァ!」
その一声で男達は一斉に蠢きだす。計画は首輪の支配にあるゴズウェーを自由にすること。ずばり、奴隷市場の首輪を機能不全にしてやるのだ。研究の末見つけ出した首輪の脆弱性。心臓を止めてしまえば、奴隷への<服従>が解けてしまう事。数名の奴隷を死なせたが検証はうまく言った。心肺停止の後、ポーションで血液とマナを補ってやり、再度心臓を蘇生させてやれば呪文に欠損があることが分かったのだ。
心臓を止める麻酔薬と、強心剤作用のあるポーションの掛け合わせは見事だった。こいつらが利用しているという錬金術師は並外れた腕ではないだろうとサドゥリはそこだけ、このならず者たちを評価するのだった。
計画がスムーズに進行し始めたことにほくそ笑むサドゥリ。どうせなら、最初からこいつらに<服従>をかけてしまえば早かったと軽く反省した。そしてやはり邪悪な唇を釣り上げる。
しかし、笑う暗色の瞳は、未だに気付かないでいた。
――時すでに遅し、である事に。
イヒャリテでは寝ずの作業で構築しなおした<服従>の修正呪文をヨナタンが街の隅々まで駆け回って首輪の対策を行っていた。
この失態はサドゥリ自身が招いたことでもあるのだ。
計画の効果を焦るばかりに、材木工場での事件を少々ハデに吹聴しすぎた。そのせいで奴隷市場が大々的にドナテリ店に駆け込んでしまったのだから。
ヒステリックに笑う女は、すでに破滅に向かって歩いているのだった――。
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