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ひとすじの道
その日、イヒャリテの北にある奴隷市場でちょっとした騒ぎがあった。
「……首輪ハ、危険ダ……。排除ガ必要……」
うわ言の様に言いながら、強引とも言える正面突破で奴隷の首輪を狙った日陰者が、襲ってきた。彼らはそれこそ首輪を着けられた奴隷のように死んだ瞳でダークエルフの首輪を外そうとした。
すでに、ヨナタンからの話もありイヒャリテの町は教会騎士団による警戒態勢にあったので、大した被害もなく、その日陰者たちは早急に取り押さえられることとなる。
縛り上げられても奴隷の首輪を狙おうとする動きは止まらず、彼らが何者かによって<服従>を受けているのが分かった。
彼らの<服従>の解除にヨナタン・ヒュージィ・ドナテリ・ジュニアが対応に当たったが、<服従>を解いても、最早その精神を破壊されているため、廃人となるしかないことにヨナタンは金の束ね髪を振り、睫毛を伏せる。
結局、この日陰者がどこの者かも明確に分からないまま、彼らは牢に繋がれた。
牢に繋がれた日陰者たちは憐れとしか言えなかった。この者たちは確かに法を犯すならず者であったのだろうが、こうして自我を抹消され与えられた命令を実行するだけの人形と成り果てた同族の姿を見て、エルフ達は首輪のおぞましさを知ったのだ。
そしてヨナタン・ジュニアは駆け出した。黒髪の少女が待つドガフマウンテンへと――。
ヨナタンが山小屋に辿り着いたころには太陽が沈み始めていた。駆け込むように小屋に飛び込むとハナとセインが、待っていたという様子でヨナタンに視線を送るのだった。
**********
ヨナタンが小屋に来て、さっそくとばかりに三人はダレンのアジトへ向かうことになった。その最中、ハナは録画した映像をヨナタンに見せていた。
「……これは……ッ、サドゥリ・ヤルヤードだ……そうか、彼女なら……首輪の呪文も解読できるかもしれない」
スマホの映像を見たヨナタンが驚愕の表情で息を呑んだ。知人であるサドゥリが犯人だという事もそうだったが、ハナの持つこの『スマホ』から発せられている映像の魔法に驚いていた。
「どういう奴なの?」
「元々私の父の店は、小道具屋として細々と始まったのです。イヒャリテの魔法屋と云えば、このサドゥリの構える魔法店を指していました。ですが、私が魔法技師として様々な魔具を父に提供してから、ドナテリ店は魔法店として飛びぬけて繁盛しました……。その結果、サドゥリの店は撤退してしまったのです」
「……なるほど、商売敵というわけか。店を潰された復讐のため、首輪に目をつけたって話のようだ」
セインの推測に、ヨナタンも頷く。父、ドナテリからはサドゥリの話を聞いていたし、彼女自身にも数度会った事がある。一度、共同経営の話を持ち掛けに行ったことがあったが……。
――もともと店を畳むつもりだったから結構よ――、そんな風に言ったのを覚えている。あれはやはり、本心の言葉ではなく、ドナテリ店に負けた事を認めたくなかった故の発言だったのだろう。ドナテリからの提携の誘いはプライドの高い彼女には堪らない侮辱にも聞こえたのかも知れない。
「あそこだよ」
ハナが指差した先に動画に映っていた転がる二つ岩と岩壁があった。映像によると、この岩肌が動き、隠し通路が現れるようだ。
「ここは、かつてダークエルフが使っていた隠れ家だ……。ダレンはこんなところを根城にしてたのか」
セインが隠れ家の作りを見て、同族が作り上げたものだと把握したようだ。もとよりダークエルフは、洞くつなどを好む種族だったため、削岩や岩場の仕掛けに長けていた。
「ファナさんはここでお待ちいただけますか。この先は少々危険です」
「私も行く。自分の身は守るから心配しなくていい」
「……分かりました。でも、ひとつだけ」
ヨナタンがハナの手に、自分の手を重ねた。温もりのある手だ。今までも、彼はハナにこうして手を添えて包んでくれた。その優しさは、何一つ、ウソなどなかったとハナは思う。
「心配は、させてください」
少女の胸はドキンと、震えた。
ヨナタンの顔はまっすぐにハナを見つめていて、その意思を星の光のように瞳に宿している。彼の男の表情――。逞しさと覚悟を孕んだ青年は頼もしかった。
どこかマイペースで、優しいヨナタン。そして、裏に持つ暗い感情と冷たい思い。少しおかしいけれど、無邪気な子供のような笑顔――。
ハナはこれまで色んなヨナタンの表情を見たと思っていたのに、今の彼の表情は始めてみたように思った。
「うん。……頼りにしてる」
その言葉で、ヨナタンは頷いて手を離した。
(自分の世界へ一刻も早く帰りたいのでしょう……。召喚の実態を知って、怖かったのでしょう……。それでもあなたはここにいる。真っ直ぐな瞳で、どこまでも直線だ。その流れる髪のように)
彼女だけは、命に代えても守ろうと、ヨナタンは一人誓う。
なぜそんな風に思うのか分からない。
彼女は極端に言えば、完全に無関係の異世界人で、誰よりもしがらみがない人物だ。執着する必要などないし、切り捨てるとしても不思議ではない存在だ。
だが、彼女は何かを自分に与えてくれるのではないかと、期待してしまう。具体的にそれが何かは分からないのだが。
(何を、求めているんだ。私は――)
今はそんな事を考えている時ではない。気持ちを切り替え、サドゥリ捕縛のために警戒を引き締める。
「よし、行くぞ。俺が仕掛けを開ける。扉が開いたら直ぐに入るんだ」
セインが二つ岩に歩みだし、二人に目配せした。
ハナ達はそれに頷き、気を張りなおす。
セインが二つの岩を素早く三度、8の字を描いて歩み勧めると、ザリザリとじゃりの擦れ合う音と共に隠し扉が沈んでいく。
ヨナタンが先行し、続いてハナ。最後にセインが後方を確認しながら穴に飛び込んで行った。
夜中の隠し通路は真っ暗で、先がまったく見えなかった。
「<照明>を使いましょうか」
「……いや、<照明>だと、相手側にこちらの動きがばれやすい。このポーションを使え。数時間、暗視が可能になる」
セインが腰の薬品バッグから三本の小ビンを取り出した。中には暗視になれるらしい薬品が緑の光をうっすらと保っている。
その光に見覚えがあったハナは、もしやと思って聞いてみた。
「これ、あの光苔で作ったのか?」
「ああ、そうだ。別に害はない」
緑に淡く発光する薬品を見て、怪しさ抜群ではあったが、セインがぐい、と一気に煽ったのでハナも小ビンを一息に飲み干した。
すると直ぐに網膜にある視細胞の桿体細胞が働き、暗順応を引き起こす。あまりに急な視界の変化に、ハナは一瞬車酔いにあったみたいにクラクラとしたのだが、それもすぐに落ち着いた。
「……大丈夫なんだろうか」
ヨナタンがポーションに警戒し、飲むことを躊躇していた。
「別に飲まんでもいいぞ。お前はここで後方確保でもしていろ」
「ふざけるな、私が行かずして誰が行くのだ。……飲む!」
ほとんどヤケクソ気味にポーションをガブ飲みにして、ヨナタンが先頭を歩みだすこととなった。
暗闇の通路はなだらかな階段で下るようなつくりだった。コケないように慎重に一歩を踏み出しながら進んでいくとやがて、通路奥に明かりが見えてくる。どうやら先には広間があるらしい。
「<生命探知>」
セインが小さく魔法を発動させると、その黄金の目には暗視とは別の魔力を宿して周囲に生き物がいるかを視認できるようになった。
「……いる。人が一人」
「サドゥリか」
「先制攻撃する?」
「まず話を聞きたい。もちろんあちらが攻撃してきたのならば、応戦はやむを得ませんが」
ヨナタンがそのまま先頭に立ち、広間の前まで歩み進む。
ハナもセインも、それにしたがい後ろに続くことになった。
広間はいくつかのテーブルに、椅子。周囲には小物が散乱していて、酒瓶やら食器、何かの食べかすなんかが放置されていた。
保存用の木箱やタンス、ベッドもあって、ここで数日引きこもるくらいはできるように見える。奥には更に通路が延びていて先はやはり暗闇だった。
「サドゥリ、動くな」
広間奥の通路前には深緑のローブに身を包む女性が待ち構えていた。事件の主犯、サドゥリ・ヤルヤードで間違いなかった。
ヨナタンの声にサドゥリは不適に笑ってみせた。
「ヨナタン坊ちゃんか。こんな所まで何をしに来たんだい?」
その場から動かないが、ヨナタンたちに視線を突き刺して油断は一切感じさせない。
「あなたには首輪事件の嫌疑がかかっている。大人しく投降してくれれば、危害は加えない」
「つまんないセリフを吐くんじゃあないわよッ」
ヨナタンの警告を短気に叫んでサドゥリは踏みつける。
サドゥリのヒステリックな叫びが広間に反響してピリピリと空気を震わせるようであった。
「もう分かっているッ、おしまいだってね! だったら、せめてヨナタン! あんただけは、破滅させてやる!」
自暴自棄になったサドゥリの憎しみはヨナタンを落とし込める事だけが目的になっているようだ。
「いい加減にしろよ、あんた!」
狂女に対してハナが怒りの声で立ち向かった。ヨナタンの隣まで歩み出て、猛る気を放ちながら、サドゥリを見据える彼女はその体躯よりも存在を大きく見せていた。
「あんたの破滅はヨナタンのせいじゃない! 助けを求めなかったあんたの妬みだ!」
「お前に何が分かるッ!」
「ヨナタンの優しさは、分かっている! あんたはヨナタンの手を取らなかったんだ! その手を取れば、ヨナタンが憐れみで救おうとしているんじゃないって絶対分かったはずだ!」
「ハッ! お前、坊ちゃんのオンナか? 色ボケやがって。……ああ、良い事を思いついた」
突如サドゥリの表情が歪む。最悪の企みが浮かんだと思わせる表情は、悪魔のようだった。
「なぁ、ヨナタン坊ちゃん。妹は元気かい?」
「……っ!?」
突然の質問にヨナタンの血の気が引く。その表情を見て、サドゥリはニタついて口許を釣り上げた。
「妹のメリーちゃん、山賊に捕まって、いろいろと酷い目に遭わされたそうじゃないか。薬漬けにされて、ぐにゃぐにゃになったままなのかい? 可哀相にねェ」
「何を言っているッ」
ヨナタンのトラウマとも言うべき妹の事件は、彼の心を抉るのにまったく持って都合がよかった。
卑劣な女魔法使いはまさにそれを突こうと、ヨナタンの心を弄び始める。
「ほら、コレ……。ダレンの連中が持っていたんだけどね。なんでも上等の媚薬らしいんだよ」
「なにっ」
サドゥリの手にポーションが握られていた。あのセインが作った『媚薬』だとハナは気がついたが、ヨナタンはその事実を知らなかったため、激しく動揺したのだ。
「これを、そこの彼女にたっぷり注ぎ込んでやったら、楽しいことになると思わないかい、ねぇ?」
「サドゥリ! ファナさんは、私とそういった関係の女性ではないッ! おかしな考えはやめろ!」
「構わん、やれよ」
セインの声だった。後方から挑発するようにサドゥリを焚き付けた。
「何を言うか、ゴズウェーめが!」
ヨナタンが怒りを隠しもせずにセインに食って掛かった。
「そうだ、ゴズウェーの俺にはまったく興味がない話だ。いいからさっさと終わりにしようぜ。エルフの魔法使い共」
無遠慮にセインが弓矢を構えてサドゥリに向ける。
「ぐっ、ゴズウェーなんぞに! <閃光>!」
サドゥリの魔法で辺りが激しい光に包まれた。暗視のポーションで闇慣れさせていた目には強烈で、一気に視界を奪われてしまったのだ。
「うっ。待て、サドゥリッ! 待てえッ!」
通路奥に駆けていく足音が目の眩んだヨナタンに響く。追いたくても視界が潰されテーブルや椅子に躓いてしまう。
「私に任せろっ! 絶対に逃がさない!」
ハナはフードをしていたため、<閃光>に目を焼かれずにすんだらしい。
無事だったハナが叫ぶ。その声と共に、ハナの駆け出す足音も響いて、ヨナタンはいよいよ慌てた。
「やめなさい! ファナさん! まちなさい! ファナッ!」
ヨナタンの制止の声は空しく反響するだけだった。
後にはセインとヨナタンが広間に残された。
「貴様ッ! どういうつもりだッ!!」
目が回復して、ヨナタンはセインに掴みかかった。
「頭を冷やせ。今は俺と取っ組み合いをしている場合じゃない。ファナを追うのが先だ」
「言われずともッ!」
セインを突き放して、ヨナタンは通路奥へと駆け出す。セインもそれに続いていく。
「一応、言っておくが。あのポーションは俺が作ったダミーだ。媚薬じゃない。サドゥリは幻惑呪文の使い手なんだろう。お前のトラウマを利用する魂胆が見えていたから、辞めさせただけだ」
「ッ……!」
おそらくサドゥリは幻惑呪文の<心的外傷>を使って、ヨナタンへの復讐を行おうとしていたのかもしれない。
またしてもこのダークエルフに手助けしてもらったのかとヨナタンは歯噛みした。
ともかく、いまはハナの事が心配だ。二人は全力で通路を駆け抜けていくのだった。
ハナはサドゥリを追い、通路の奥へと進んでいた。
なんとしても、サドゥリを捕らえなくてはならない。彼女には罪を認めさせ、罰を受けてもらわなくては救いが得られない。自暴自棄にすべてを投げ出し、自らの破滅に向かうことは、もっとも楽で、もっとも苦しい選択肢なのだとハナは分かっている。
「待てよ!」
「ええいっ、しつこい! <鎌鼬>!」
ハナの執拗な追跡に苛立ったサドゥリから魔法が発射された。風の破壊魔法で鋭い風圧で相手を切り刻む<鎌鼬>だ。
ヒュウッという耳を劈くような高音と共にハナの脚に風の刃が襲い掛かった。
サクッ! ビシュッ!
「うあっ」
まるで鋼のムチで殴られたように、ハナの太ももの肉が裂け、赤い血が舞う。
思わず走っていた足がもつれてもんどりうって倒れこんでしまった。
その隙にサドゥリは一気に間合いを取ろうと素早く奥へ逃げ出していく。
「ちきしょ、このくらいで、東雲ハナが退くかよ!」
歯を食いしばって脚の痛みを根性で打ち負かし、立ち上がる。
そしてもう一度サドゥリを追うために全力で通路を駆け出すのだった。
やがて通路を駆け抜けると、洞くつを抜け出た。月明かりが映す景色にハナは思わず足を止めて、息を呑む。
そこは大きな谷であった。つり橋で渡された向こう岸まで五十メートルはありそうだ。谷の底は暗くて良く見えない。落ちればひとたまりもないということは分かった。
「サドゥリ!」
その谷にかかるつり橋の先にサドゥリがいた。
ハナがその後を追おうとした時、サドゥリがつり橋に魔法で火を放ったのだ。
「うっ」
一気に燃え上がるつり橋はごうごうと音を立てて、焼け落ちる。あっという間に二人を分かつ谷を寸断してしまった。
「ハハハ! さようなら、お嬢ちゃん。坊ちゃんとお幸せに」
向こう岸でサドゥリが笑う。
ハナは考えた。
崖の間に吹く風を利用すれば、<風乗り>で向こう岸まで渡れなくはないだろう。
だが、問題はその谷に吹く風の強さだった。
まるで荒波のようにうねる風は、乗りこなすにはあまりにも危険だ。
もし踏み外せば、谷にまっさかさまとなるだろう。この傷を負った脚でどこまでバランス調整できるのだろう。風から落ちてしまえばおそらく助かりはしない。
足止めを喰らってしまったハナのもとへセインとヨナタンも追いついた。
「これは……っ」
状況を見て、ヨナタンが愕然としてしまう。
「残念だったねえ、ヨナタン。私は一旦姿を消させてもらうけど、必ず、復讐にやってきてあげるわ。必ずねぇッ!」
「待て、サドゥリ! 私に復讐するのは構わない! だが街に暮らす人びとに被害を及ぼすようなやり方はやめるんだッ!」
「街の連中だっておんなじさ! 私を無視する世の中なら、こんな世界はぶち壊してやるッ!」
ビュッ!
言葉もなく放たれたセインの弓がサドゥリに向かって飛んだ。
「しゃらくさいッ! <盾>!」
サドゥリが防御魔法の<盾>を発動させると、セインの矢が展開された魔力の壁に阻まれて弾かれてしまった。
「……チッ。面倒な奴だな」
「ここからでは決定打になる攻撃も取れない……! なんとか近づけさえすれば……」
ヨナタンは何か手がないものかと思考をフルに回転させるが妙案が出てこない。ハナも策を練ろうとはするのだが気持ちが焦って考えがまとまらない。そんな中、ふと気がついたことがあった。
「セイン、この谷の風の中、よく矢を真っ直ぐ撃てたね……しかも夜の闇の中で……」
「前にも言っただろう。<生命探知>のお陰だ。風の中に小さな虫が多数棲んでいるようだな。その虫の小さな命が俺の目には光って見える。風に流れる光の波が、風の軌道を伝えてくれる。タイミングを計れば、その波間を縫って矢を飛ばすことが出来る」
セインの目には風が形を持って見えているのだろう。そのうねりが複雑ながらも一定のパターンで流れていて、風と風の隙間には無風である箇所もあり、そこに狙って矢を飛ばしたのだ。
その言葉でハナは一気に覚悟を決めた。
「……なら……矢を間違いなく真っ直ぐに飛ばせるんだ?」
「ああ、だが、飛ばしたとしてもあいつの魔法の盾に弾かれる程度の威力しか出せない。有効打とは言えない」
「いいや、それでいいんだ。矢が真っ直ぐ飛ぶだけで、いいんだよ」
「何? ……ファナ、まさか!」
ハナの意思に気がついたセインが驚愕した。
「うん、セイン。それだよ」
不適に黒髪の少女が笑う――。
「何を言っているんです」
サドゥリが憎々しげな表情のヨナタンを観賞し、そのちっぽけな自尊心を癒しているなか、ヨナタンはハナとセインの密談に眉を寄せ怪訝に訊いた。
「だが、俺とてさっきのはたまたまうまくいっただけかもしれん。あまりにも綱渡りすぎる」
ハナの狙いにセインは体が震えそうになった。あまりにも危険な一か八かである。
ダークエルフは瞳に不安を宿らせて、少女の顔を見つめた。
「セイン」
そのハナの顔は、三つの月明かりに照らされて――。
「信頼してる」
芯の通った笑顔を向けて青年の心を鷲掴みにするのだ――。
(――歯がゆいな……!)
こんな顔を見せられて、滾らないわけがあるか。
誰からも必要とされず、ただ闇に生きる人間からしか求められなかったゴズウェーと呼ばれた青年は、たった一言、その言葉だけで一騎当千の力すら出せると信じさせるのだ。
「分かったよ、タイミングはこっち任せになるぞ」
「いいよ、出たとこ勝負って好きなんだ」
二人はニヤつくサドゥリをキッと捉える。上空から川魚の狙う猛禽類のように、たったひとつの突破口を見ていた。
「ヨナタン、少しだけでいいからサドゥリの注意を引いて。あいつを逃がさないでくれ」
ハナの言葉に、ヨナタンは戸惑いながらも頷いた。
「サドゥリ! 今ならまだ間に合うはずだ! あなたの知識があればきっと完璧な首輪すら作れるかも知れない!」
「何を今更! もとよりお前の首輪など私にとって玩具にすぎない! 私の<服従>は首輪すら要らないのさ!」
二人の怒号にも似た叫びが谷に飛び交う。サドゥリはこの期に及んで共に協同していこうというヨナタンに激しく怒りを滾らせた。どこまでも私を見下しやがってと、歪み切ったプライドが言葉をねじれさせ、心を侵食する。
「行くぞ」
「応ッ」
セインの言葉を受け、ハナが舞う。
その瞬間、セインの弓から矢が放たれた。
強く引かれた弦でしなを作った弓が弾け、力強い発射が矢を支えて空を裂く。
ハナはその矢が産み出す『矢風』に乗ったのだ。
吹き荒れる谷風の中、セインが見抜いた矢が真っ直ぐ飛べる道。
それはとても細いが確かな道。
矢風の架け橋であった。
ブーツの青生生魂がそこに飛び乗れば、さながらモノレールのように、一本の風の線路に乗ったハナが、突風のようにサドゥリに向かって飛び立っていく。
「な、なにィッ?!」
慌てたサドゥリが<盾>を張るのだが、矢は弾かれたとしても、その風に乗ってきた少女の一撃は支えられなかった。
「これが私の必殺! 『思いっきり蹴る(オヤジゴロシ)』だあッ!」
風の勢いのままに突撃したハナの伸びやかな右足がサドゥリの魔法の盾に突き刺さる!
バッシュウウウウウ――!
サドゥリの魔法の盾はそれなりに防御力を持っていると自負している。いくらなんでもこんな小娘の蹴りで破られるはずがない――。意表は突かれたが、それでも魔力を全力で練りだせば、かつてのイヒャリテナンバーワンであった魔法使いとして負けることはないのだ。
――しかし。
「な、なにい? マナが!? 奪われていくッ」
魔力の盾に突き刺さったハナの右足が、激しいマナの奔流を飲み込んでいくようだった。
眩く閃光が走り、盾の形成が崩れていく。
そのたび、焦って女魔法使いはマナを込めるのだが、そのマナを根こそぎ吸い出そうとするように、ハナの蹴りが……いや――ハナの右脚の切り傷が、奪っていくのだ。
「あ、あれはッ!?」
ヨナタンもその光景に目を向いた。
「血魔術。黒の魔女の、禁断魔法――」
セインはかつて読んだ御伽噺の伝承を思い出す。
呪われし黒の魔女は血を操り、禁断の魔術を生み出す、と。
激しいマナの嵐の中、ハナのフードは捲れあがり、黒髪が荒ぶる竜のように舞い上がる。
「黒の魔女ッ!?」
サドゥリも伝承の存在を想起して、目の前の少女に驚愕した。ガリガリ削れて行く己のマナを必死に抑えようとしているのに、最早手遅れだった。
壊れた蛇口のようにサドゥリのマナは<盾>を媒介にして奪い取られていく。
「くうっ! <服従>! <服従>しろおーっ!」
その呪文はやはり掻き消える。
ヨナタンの呪文を転写した<服従>ではマナのないハナを縛ることなどできはしない。
やがて、盾の形成もおぼつかなくなったサドゥリに、ハナの渾身の一撃が突き刺さったのだった。
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