当たり前のおねがい

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当たり前のおねがい

 ハナの一撃を受けたサドゥリはそれだけで気絶した。大量にマナを消耗したこともあって、サドゥリは完全に沈黙することになった。 「っしゃあ!」  ハナがガッツポーズで向こう岸の二人に向き直る。 「や、やったのか……」  セインは脱力して、その場にへたり込んでしまった。  思った以上に緊張していたらしい。背中には嫌な汗をびっしょりかいていたようで、今更ながら背筋がヒュウヒュウと寒くなってくる。 「か、彼女は……何者、なんだ」  目の前で起こった信じがたい光景に、ヨナタンは口をあんぐり開けたまま、少女から目を離せずにいる。  確かに、彼女の蹴りが魔力の盾に接触した時、その傷口が……いや、血液がサドゥリのマナを吸い上げているように見えた。 「あいつは……ただの『厄介者』だ」  崖の向こうで手を振る少女に、呆れながらも笑顔を作るセインはやれやれと頭をかいた。 「……私は……何もできなかった。結局……」  この状況を打開したのは、ダークエルフと異界の少女で、責任者たる自分自身はまともに役に立てなかったように思う。  己の無力さにヨナタンは顔を落とし溜息を吐く。 「おうい! おうい!」  向こう岸から今回の英雄とも呼べる少女の活発な声が聞こえてくる。  まったくムチャな女の子だ――。ヨナタンは波乱万丈とも言うべき黒髪の少女へ手を振り返す。 「おうい! どうしよう! 帰り方、かんがえてなかったー!」  ――やはり、彼女は鉄砲玉だ――。  あきれてしまうほど直球だ。  しかし、そんな彼女だからこそ、ヨナタンは惹かれたのだと想う。風に流れるハナの黒髪は、忌むべき黒という価値観が剥がされてしまうほど、魅力的であったから――。    **********  その後、ヨナタンが風の精霊を召喚し、長い儀式を行うことで谷の風を一時的に操作できるようにした。  吹き荒れていた風が、精霊の力で流れを変えて、ハナとサドゥリをこちらに運んでくれたのだった。 「はー、助かった。あんがと、ヨナタン」 「あんがと、ではありませんよ! ムチャをしすぎなんですよ、あなたは!」 「ごっ、ごめんなさい!」  バッチリと怒られて、ハナは堪らず萎縮した。ヨナタンの剣幕は本当に必死で真剣に怒っていたから、ハナも素直に謝罪の言葉と共に頭を下げた。 「ともかく、脚を見せて。手当てします」 「あ……うん」  ヨナタンがハナの右脚に手をかざすと掌から淡い黄色の輝きがキズを包んでいくのだが……。  シュウウ……。 「う……マナ、が……」  回復魔法を当てられたキズは癒されることなく、その輝きの力を吸い上げていくのだ。  ヨナタンの掌から、ぐいぐいと引っ張り吸い上げるように強い力でハナの血液がマナを奪ってしまう。 「い、いいよ、ヨナタン。このくらい平気だし」  かざされていたヨナタンの手を取って下げさせたハナは、遠慮がちに笑った。 「ファナ。ポーションだ。これで回復能力が高まる」  セインが赤い水薬を差し出した。ポーションの最もポピュラーな姿である体力回復薬だ。 「ありがと、セイン」  さっそくそれをひと飲みすると、痛みはすぐに消えていき、出血も止まったようだ。さすがに神秘の薬品『ポーション』だと、ハナはファンタジー世界を再度認識したのだった。  ハナが立ち上がって、もう平気だとアピールするが、ヨナタンは変わらずその場に跪いたまま頭を垂れている。 「……本当に私は……何も出来ずに……。もっとも得意とする回復魔法すら、あなたの役に立てない……まことに……。あのような首輪を作って調子に乗って……実のところはただの火種にしかならぬような問題ばかり……」  情けなさ過ぎて、プライドも何もない。  自分の全てが間違っていたようにも思う。  妹のためと必死にくみ上げた魔法も、悪事に利用されその倫理観すら危ぶまれた。 「妹のためだと思って、これが更なる悲劇を防ぐものだと信じて、いた、のに……」  肩が震える。声が濡れる。瞳の奥がジリジリと熱くなる……。 (なんと情けないのだろう。失態ばかりを起こした挙句、弱音を吐いて涙まで零しているのか――) 「そいつはちょっぴり違うぜ」  ヨナタンの頭上から、勝気な口調で、でも暖かい声が振ってくる。  少女のその声は、木漏れ日のように温もりを与えてくれた。 「この靴がなければ、何にも出来なかったのは私のほうだよ。ヨナタンが、私に一歩を歩かせてくれたんだ」  見上げた少女は笑顔で手を差し伸べてくれていた。  その手を、ヨナタンはそっと取る。  自らの掌よりも小さく、柔らかい乙女の手だというのに、なぜこんなにも全てを委ねたくなるのだろう。 「私さ、お母さんが死んだとき、めちゃくちゃ荒れたんだ。そんで、思いっきり親父に迷惑かけた。自分の親を泣かせることになるなんて、思いもしなかったんだ。親父に泣かれるのってめちゃくちゃ応えるんだな」  ハナの告白を二人の青年は静かに聞いていた。ざあざあと谷風がもとの強さを取り戻して、ハナの髪をふわりと弄ぶ。 「メリーもさ。多分、自棄(ヤケ)になっちゃう可能性だってあったはずなんだ。きっとメチャクチャ辛い目にあったんだろうし、私なんかが想像できる範疇すら超える苦痛を体験したはずだもん。もう生きていたくないとか、世界の全てがいやだとか、そんな風に思うこともあったんじゃないかなって」  その通りだろう、とヨナタンは思う。  救助された直後のメリーは口も聞けず、感情も死んでしまったように無反応だった。何もかもがどうでもいい、そういう表情をしていた。 「だけど、荒んだ自分の傍で誰かが必死に頑張っていたんだ、自分の事に人生を注いでくれている人がいるんだって気がついたら、どんなにどん底でも這い上がれるかもしれないって思うんだ。手を伸ばしてくれる人がいる限り」  つないだ手が強く握られる。 (あぁ――、この手だ)  妹の手を握ったとき、彼女の衰えた筋力は強く握り返すことはできないというのに、しっかりとした意思を持って暖かくヨナタンの手を包んだのだ。 「ヨナタンは、メリーの為に一生懸命やったんだ」 (あ――は――)  妹の笑顔は何度も伝えていたじゃないか。 「無力じゃない。ヨナタンがメリーに笑顔を与えたんだ。ありがとうって、言ってただろ」 (私は、ずっと――、妹を救えなかった事に罪を感じていたんだ――。ゴズウェーを罰したかったんじゃない。許されたかったんだ……)  ハナの手を強く握り締め、ヨナタンは月夜に泣いた。  みっともなく、子供のように泣く。  風が涙をさらって、月明かりに舞い上がれば、それは星々に交じり合って溶けていく。  羽ばたき続けたヨナタンが、その翼を休ませる。欲しかったものを手に入れた瞬間(とき)だった。    **********  数日後、イヒャリテの教会ではサドゥリに対する討論が行われていた。  今回の事件で露になったダレン社というならず者の集団。そして同族のエルフによる凶悪な犯罪。これまで犯罪者のゴズウェーには首輪をはめるように決定されていたが、サドゥリに対しても首輪を着ける必要があるのではないかという意見と、それは非人道的であるという意見がぶつかり合っていた。  責任者である教区長は判断に悩み、討論は長丁場になっていた。  これまでならば、ゴズウェーはゴズウェーと明確な区別をつけてきた民衆の意見に、首輪の凶悪性を身近に感じた者達が異議を唱え始めたのだ。 「サドゥリには情状酌量の余地もあるのでは? 彼女は職を失い、生活が難しくなっていたのだから仕方がなかったのかもしれない」 「それなら、ゴズウェーと蔑まれ肌の色だけで職に就けないダークエルフはどうなのだ。犯罪行為に走るのは仕方ないとは言えないか」 「奴らは動物と同じだ! 我らと同じ知性があるとは考えられん」  堂々巡りと言った討論ではあったが、これは歴史的な変革の一歩であった。  ゴズウェーに対する思いにエルフたちの中にも少数ながら肯定的な者が現れ始めたのだ。  そんな中、揺れる教会の中に、ハナはいた。  ヨナタンが教会ならば異世界転移に関する伝承が記された物語も残されているかも知れないという話をくれたからだ。 「異世界転移の伝承なんてあるの?」 「……マーチには様々な教会があり、それぞれに派閥があります。派閥によって多々伝承の見方が変わっていたりもするので、ひょっとしたらどこかの教会には異世界の話がでているかもしれないと思ったのです」  教会の神官に通された図書室は神に関する書物が沢山あって、読書の苦手なハナは少し気が滅入った。 「しっかし、荒れてるね……会議」 「あなたのせいなんですけどね?」 「えっ!? 私!?」  ヨナタンが半ば呆れて言った言葉にハナが飛び上がるように鸚鵡返しした。  あの後、サドゥリを捉えてイヒャリテに帰還した三名は、明け方の凱旋になったにも拘わらず、街の人びとから注目の的になった。  何せ、今回の犯人はエルフであり、それを捉えた三名が首輪の製作者、ゴズウェー、黒髪の少女であったからだ。  セインは町に入る事を拒んだのだが、ヨナタンが危害は加えないと強く約束をした上で恐る恐るという具合に街の門をくぐった。  ハナもフードを被ろうとしたが、それもヨナタンが隠さなくていい、と言ったので黒い髪を靡かせてイヒャリテへとやってきたのだ。  教会までやってきた三名はサドゥリを引き渡した直後、教会の広間で教区長のリルガミンと対面することになった。 「ヨナタンこのたびの件、ご苦労だった」  サドゥリ捕縛の件を述べたヨナタンにリルガミン教区長が静かに言った。  教区長は年のころは五十そこらに見えるその名を関するにしては若々しい男だった。すらりとした体躯で綺麗に整えられたあごひげにはうっすら白が混じっている。もっともプラチナのような毛色をしているのでほとんど目立つようなことはない。  聡明な瞳はグリーンに透き通っていた。頬が少しこけていて、頼りなげに見えなくもないが、その緑の目はまだまだ意欲のある光を宿している。 「だれ?」 「こっ、この方は、教区長リルガミン様です! 長老会に出馬される予定の……と、ともかくイヒャリテで最も高位の方ですよ!」  ハナもセインもぼんやりと初老のエルフを見ているだけなので、ヨナタンがその分あわててしまっていた。 「フフフ、かまわぬよ。しかし、教会にダークエルフと黒髪の少女を連れ込むとは、流石に驚いた」 「こ、この者たちこそ、今回の事件の解決において、もっとも活躍し、力添えをしてくれた者達です。それに報いた評価をいただきたく、参上いたしました」  ヨナタンが深々とおじぎをして、恐縮そうに声を固めていた。  教区長リルガミンは、細く小さな緑の瞳をさらに細めてハナとセインをじっと見つめた。  さすがにハナもセインも多少は堅くなる。 「ありがとう。若者達よ。何か望みはあるかな」 「い、いや、別に」  褒美が貰いたくてやった事ではないし、急にそう言われても特別欲しいものも浮かばない。  ハナもセインも居心地が悪そうに視線を泳がせていると、ヨナタンが言葉を代わってくれた。 「畏れながら、教会で調べ物をさせていただければ、幸いでございます」 「ほう、そのような事でいいのかな。ならば教会の図書室を自由に使いなさい」  静かに笑って、教区長は一つ頷いたのだった。  ハナは、少し気になったので、教区長へ質問することにした。 「ねえ、サドゥリはどうなるんだ?」 「彼女は裁判にかけられる。そこで罰を与えられることになるだろう」 「教区長さんが、取り仕切るのか?」 「最終決議は私が決めるが、陪審員による会議のもと、その刑罰は決まっていくだろう」  リルガミンの言葉はゆっくりと低く、教会のホールに響く。 「……そっか。じゃあ、ひとつだけ言わせて欲しい」  ハナの言葉に周囲の神官が「無礼な」と、遮ろうと動き出すが、それをリルガミンが手を挙げていなした。 「なんだね?」  異質な雰囲気をまとう少女を正面に見据え、そのグリーンの瞳が心の奥まで推し量るように覗き込んでくる。理知的な眉がくいと持ち上がるのが少し少女を物怖じさせる。ハナは一度だけ深呼吸して、その瞳と向き合った。 「罪には罰を与える事は必要だと思う。だけど、大事なのは罰を与える人たちが……事件の被害者が、罪を許せるかどうかだ。罪を償ったものが罰に向き合えるかどうかだって思う」 「…………ふむ」 「許しあえることを、めざしてください」  そして、黒髪がさらりと下に流れるように、お辞儀をした。  その少女の言葉は、周囲の人間を沈黙させた。  ハナは実に当たり前の事を言っている。だけれど、首輪を用いた罰は、許しあうことを放棄したものだ。  最初からゴズウェーと切り捨てるのは、相手を見ていない思考停止でしかない。  だから、少女はこの世界で学んだ事を精一杯考えて、出した答えを拙くも、やはり真っ直ぐに吐き出すのみだった。  ――許しあう――。  それが当然であるのに、なんと難しいことか。  いつから人びとは、歪な迷宮で生活をしていたのだろう。  許しあうのに幾度と遠回りをして、その道すがらで何を許せばいいのかも忘れてしまう。  真っ直ぐに――。  真っ直ぐに進むことが困難な世の中で、「それでも」と少女は訴えていたかった。  遅すぎるとか、手遅れだとか、諦めて期待を忘れてしまえば、現代も異世界もどこにいたって終わってしまう。  少女自身は自分の拙い思いをもっと上手に伝えられたらと歯がゆい気持ちで一杯だった。  だが、その少女の言葉は、その場に居た誰もが言葉を失うほどに、世界の歯車を止めさせたのだ。  現状にあまんじるなと云う言葉は、彼女自身への言葉でもあったかもしれない。  しかしながら『当たり前の発言』は同時に、改革に繋がる小さな第一声となったのだ。  罰が目的ではなく、手段であってほしい。『目的は許しあうこと』。  その言葉はやがて、マーチ全域に広がって時代に名を残す言葉になるとは、この時言葉を生んだ少女にはまったくもって思いも寄らぬことであった――。 「ファナさんのあの言葉で、陪審員が……いえ、多くのエルフが影響を受けたんですよ」 「そんなすごいコト、言ったつもりはないんだけどな……」 「まったく、貴女と云う人は……」  なんだか、身に余りすぎる賞賛の言葉でハナは赤面してしまう。 「な、なあ! それより早く異世界の伝承、探そう!」  誤魔化すように、厚めの本に手を伸ばす少女に、ヨナタンはくすりと小さく笑った。  本当に、ただの鉄砲玉みたいなお転婆娘という具合であるのに、とんでもない少女だと感心してしまう。 「おい、ちょっとこれを見ろ。異世界の伝承が載っているぞ」  セインが古臭い書物を覗き込みながら、こちらに寄ってくる。 「なんでも、他次元からやってきた女神と草の伝承らしい」 「くさ? 草って、その辺に生えてる、クサ?」 「その辺に生えている草が伝承に残るとは思えんが、そういう草の話だ」 「なになに――」  三人は古い本に目を落としこんで、『草』の伝承を読み解いていく――。  ハナが元の世界に帰るための情報は、まだ何もつかめてはいない。  しかし、この『草』の伝承こそが、本当の異世界冒険譚の幕開けになるのだと知りもせず、うさんくさい古代神話に黒髪の少女は眉をよせるのだった。  一章――終幕。
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