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虹をかける
異世界に名前はない。
もし逆に異世界人がこちらにやってきたとして、この世界の名前は? と問われた際になんと答えるだろう。
地球、だろうか?
しかし、それは星の名前であり世界の名前ではないと思われる。
地球と答えるのであれば、異世界ではなく異星という表現に留まると思われるからだ。
そういうわけで、この異世界において、それらしい名称はないのだった。
とりあえず、そういう設定的な話題から入りつつ、黒髪の少女、東雲ハナの冒険は、これより始まるのだ……ということでひとつ。
**********
マーチの気候は日本と比べて少し肌寒い。
おそらく高地にあることと、絶えず風が吹き続けているせいかもしれない。
時刻はもう昼を過ぎるころに差し掛かるのだが、冷えた風が黒髪を撫ぜ、ハナはフードを被る事にした。
教会のテラスから内部に戻ると、ヨナタンが角を曲がってこちらにやってくるところだった。
「ファナさん。サドゥリの件、落ち着きましたよ」
その言葉にハナは真摯な黒の瞳を金髪のエルフに向け、言葉の続きをまった。
「サドゥリはその罪から終身刑が言い渡されました。三人のエルフ……日陰者とは云え、彼らに<服従>をかけた事は大罪にあたります。ほぼ、殺人と同じですので」
ハナはその言葉に、少しだけ睫毛を伏せた。
サドゥリにもそれなりに事情はあったのだろうが、人の心を抹殺し、操り人形にしてしまう魔法をかけたことはやはり相当に大きな罪に問われるのだろう。
ヨナタンはそれから少しだけ間を置いて、言葉を続けた。
「それから……<服従>の魔法は禁忌とされました。サドゥリの事もあり、首輪の使用も取りやめになります」
「それって、多分、イヒャリテの人たちにとって物凄く大きな事になるよね?」
これまで奴隷を制御するために使用していた首輪の撤廃を決定した教会の方針に同意する気持ちはあれど、それがすぐ街に浸透し、やっていけるのかは疑問なところである。この件は自分の意見からも動きだしたものだから、他人事にもできない。
少女なりに責任を感じ、何かできることはないのだろうかと思案することになった。
難しい表情のハナを見つめていた蒼の瞳は柔らかい光を携えている。
ヨナタンは少女の肩に手を添えて、落ち着いた声で異邦の少女を包むように言う。
「あまり気にしないでください。確かに、これはちょっとした改革になりますが、あなたの言葉がなくともいずれはこうなったことでしょう」
首輪の製作者として、ヨナタンの言葉にはどこか陰が差していた。だが、ハナを気遣うエルフの青年の優しさは肩に置かれた暖かい掌が物語っていた。
「奴隷のダークエルフたちはどうなるんだ?」
「とりあえず、罪人は収容施設にて労働という形で罪を償ってもらうという首輪前の対応に戻ります」
「そっか……」
人として、罪を償う機会を与えられる当然のことが認められて、ハナは少しほっとしていた。
「ですが、これまでダークエルフを非人道的に縛り付けた反感はぬぐえません。彼らの中で、身勝手なエルフの決定に不満を募らせるものは多い。いや、ほぼ全てのダークエルフが、そうだと言えるでしょう」
それは分からない話ではない。
人権を奪っておいて、その後、やっぱり酷かったから辞めるね、と簡単に鞍替えされても、ふざけるなと反発するのは当然の感情だろう。
結局ダークエルフに、エルフと同様の人権がない以上、エルフの一存でダークエルフの運命が決定してしまうのだ。
人種差別の根底を覆さないと、この問題はきちんと折りたたまれる話ではない。
「……私も首輪の製作と政策を挙げた当人であるので、彼らからは最も憎まれるべき人物に上がっているでしょうね」
「そ、そんな……でもさ!」
「いえ、いいのです。それは本当に私が受けとめなくてはならない罪と罰です。なので、私はイヒャリテから追放という処置を取られました」
あまりにさらりと言ってのけたので、ハナは一瞬言葉が出なかった。
だが、そのエルフの表情は覚悟の上の、真っ直ぐと前を見ている男性の顔だった。
「追放って……この町には入れなくなるってこと!?」
「ええ、イヒャリテ領から出ることになるので、町に入るどころか、この辺り一帯にはもう近づけませんね」
そんな話があるだろうか……。
それでは、ヨナタンがこの町から追放されるきっかけを生んだのは、自分ではないかとハナは更に視線を揺らしていた。
「……ご、ごめん……私が……」
「だーかーらー、気にしなくていいと申し上げたでしょう。ファナさんが何もせずとも、おそらくこうなる事は確実だったでしょう。私が首輪を作って、サドゥリが恨みを募らせた時から、ね。寧ろ、あなたはその被害をもっとも最小限にする努力をしてくれたのです。胸を張るくらいでいいのですよ」
「だって! それなら、メリーはどうするんだ。妹のこと……もう、会えなくなるって……」
ヨナタンの妹、メリーは全身の筋肉がまともに動かず、寝たきりの生活をしている。ヨナタンはメリーにとって、かなり心の支えになっていたようだし、それを引き剥がしてしまうのはあまりにも心苦しい。
「そうですね……それは、本当に……寂しいことですが……。メリーは大丈夫です。父も母もいますし、きっと、分かってくれます」
ヨナタンが切ない笑顔を作っているのがハナの心を締め付けた。
だが、ハナはもうそれ以上何もいえない。
それがヨナタンの受けるべき、罰であるというのなら、それをきちんと受け止めたあの蒼い瞳には、これ以上何を言ってもヨナタンに寂しそうな表情をさせるだけに思えるから――。
「私の事はともかく、いまイヒャリテは結構な緊迫状態になっています。エルフとダークエルフの摩擦は一触即発です。ぞんざいな対応をすれば、また戦争に発展するかもしれないほどに」
戦争という言葉をつかったヨナタンだったが、もしそんな状況になれば、戦況はダークエルフが圧倒されるに違いないだろう。
そうなると結果は完全なる弾圧につながる。
ダークエルフの駆逐、という方向に世界が歩んでいきかねない。
それはハナも、ヨナタンも理想とするところではない。
「……そこで、ある案が発令されましてね。私は一部、どうにも納得できていないのですが……」
珍しく温厚なヨナタンが歯噛みしながら、言葉を濁すのでハナは何事かと首をかしげた。
「虹川党という組織が作られることになりました。流れる川に多色混合の橋をかける、という名目で名づけられたのが由来です。つまり、人種間の橋渡し組織です」
川というのは、風の流れを意味し、マーチを指す。虹の橋は、そのまま色は白、黒だけでなく、多種多様なのだから共に混ざり合っていこう、という事で、マーチの人種をまとめようとする団体なのだとヨナタンは説明した。
「いい組織じゃん! なにが納得できてないの?」
「そのメンツに選ばれたのが……」
「俺だ」
会話に入って来たのは黒の肌を見せ付ける銀髪の青年。セインダールだった。
ダークエルフである彼だが、ヨナタン及び、教区長からの達しでイヒャリテに滞在することを一時的に許されている。と言っても、街の居心地はあまりいいものではないらしく、セインは教会からほとんど出ることは無かったが。
「セイン!」
セインもヨナタン同様に、裁判を受けることになり、ダレン社との繋がりと違法薬物作成の罪で教会から罰則を与えられるという話になっていたのだが……。
「司法取引というんだそうだ。俺の罪は無かったことにするから、力を貸せといわれた。その虹川党のメンバーに加われ、とな」
橋渡しをするという意味でも、ダークエルフの協力は必要不可欠の組織だろう。
そこに、今回の事件に深くかかわったセインという人物は適役だったのかもしれない。
「……だから、納得できないと言っているんです。こんな重大な役割を担う組織のメンバーにこんな野良猫が加わるとはッ!!」
「こっちだって、お前のようなバカ犬と一緒なんて反吐が出るんだよなぁ」
セインとヨナタンがそこで火花を散らし始めたのだが、間にいたハナははたと気がついた。
「えっ? ヨナタンも?」
「そうです。イヒャリテ追放に伴って、マーチ各地を巡回するよう虹川党の一員として指名を受けました」
その言葉に、ヨナタンがイヒャリテから、本当の意味で追放されていないのだと気がついて、ハナはぱっと表情を輝かせた。
「まったく、あのリルガミンってジジイは喰えないな……」
やれやれという具合にセインが重い荷物を背負わされたように肩をすくめた。
リルガミンというのは、このイヒャリテ教会のもっとも偉い人物だとヨナタンから説明を受けた。
ハナも一度その顔を見ているし、言葉も交わした。非常に聡明な人物であるようで、その心の奥底では何を考えているのかうかがい知れない。
しかし、ハナのお願いした、『人が許しあえる世界』の言葉を受けて、この組織を作ってくれたのだとしたら、少なくともハナにとっては感謝してもいい人物となる。
「ジジイだなどと! リルガミン様と呼ばんか、黒猫助平!」
「だれが、助平だ!」
「ファナさんから聞いているぞ! 貴様、ファナさんにいかがわしい事を色々としているんだそうだな!」
「しとらん! ファナッ!?」
「だって、いきなりキスとかするし」
「貴様! そこに直れ!! 燃やしてやる!」
「御静かに!」
騒ぐ三人に、教会神官が厳しく注意して、三人は小さくなってしまうのだった。
**********
改めてヨナタンの家までやってきた三名は、居間にて話題の続きを行った。
「とりあえず今日までは私もイヒャリテの滞在が許されています。明日から、虹川党として、活動することになるので、この家で過ごすのもコレが最後ですね」
「で、リルガミンから、ファナにお願いがあるんだよ」
「え、私に?」
そう言って、セインが差し出した書簡にはリルガミンの判と共に丁寧に書かれた文字で、ハナに『虹川党』に加入してくれないかという願いが書いてある事を確認した。
「私が……いいのかな」
異世界から自分がこうも世界の情勢に携わるであろうポジションに加わっていいのだろうか。なんというか分不相応に思えてならない。
とはいえ、光栄だという気持ちもある。
これまで不良として、人からこんな名誉ある役職に推された事もなかったし、必要とされる喜びは素直に嬉しさにつながっていく。
「ファナさんは寧ろ、必要だと考えます。不要なのはこいつですし」
「俺は『リルガミン様』の御墨付きだろうが」
「でもなぁ、私も私で早く家に帰らないとって目的もあるわけで……」
当然ながら、ハナの第一優先は自分が己の世界に戻ることだ。
虹川党に加わっても、きっと帰る算段がついてしまえば、そちらを優先することになるだろう。そんなハンパさで、これほどの大役に加わっていいのかと少女は簡単には首を縦にふれない。
「そこは、俺からも話しておいた。異世界から来た話もすんなり受け入れてくれたし、『リルガミン様』も帰還を大前提の上でのお願いだと思うぜ」
「え。そうだったのか? ……なんで、そこまで協力してくれるんだろう」
「長老会選挙のために、名を売りたいんだろう。違うか、ワンころ」
セインがヨナタンに話を振って、ヨナタンは「ふん!」とセインを無視する対応を取りながらも、ハナの疑問に回答してくれた。
「今回の虹川党は、イヒャリテ教会発足のもと管理される団体になります。我々の活躍しだいでその名声はイヒャリテ教会につながりますし、それはつまり教区長リルガミンの立場を押し上げることになります。リルガミン様は長老会への出馬も控えていますし、おそらく偶像がほしかったのでは、と」
「ぐーぞー?」
「教会ですから。信仰がそのまま票にもつながります。信仰の対象として、分かりやすく人を惹く組織を作ろうと考えて、今回の企画を動かしたのでは、と」
「ええと、つまり政治に利用するためにってことか? 私らは営業周りをしろってことかな」
「もちろん、それだけではないと思います。リルガミン様は本当に、ファナさんの言葉を受けた上で、感銘したからこそ、虹川党を作り、そこにあなたを推しているのでしょう」
政治的なことはハナには良く分からない。ドラマなんかでは政治に利用されることを良くないみたいに描かれていることも多いが、別段ハナには悪い事でもないと思っていた。
人間である以上、何かしらメリットがあるから行動するのであって、それが教区長という立場の人間にとってのメリットを考えるなら、政治面に繋がるのは当然のことだろう。
それになにより、リルガミンがエルフの内閣に選ばれるのであれば、マーチのダークエルフに対する対応を根本から変えるという事にも繋がるのではないか。
リルガミンはハナが異世界に帰還することを第一目的にすることを承諾もしているようだし、なんら問題はないと思う。
「……うん。じゃあ私、虹川党に入るよ」
「まぁ、そのほうが行動もしやすい。お前もお前で利用すればいいんだ」
セインがぶっきらぼうに言う。
ヨナタンは素直に喜びを表情に浮かべていた。結ったポニーテールがフリフリと動く姿は、ヨナタンには悪いがやっぱり従順な犬のように見えてしまう。
「では、明日から三名で旅にでるという事になるのですが、あの『草』の話は覚えておりますね?」
ヨナタンが改めてという感じに、話題を変えてきた。
『草』というのは、イヒャリテ教会で見つけたある文献にあった異世界の神の話に由来する。
この異世界にて、エルフの信仰は多神教となっており、マーチにある七つの街それぞれに教会があり、それぞれが別の神をあがめているのだ。
ここ、イヒャリテはシャンテビモンという名の神を崇めているらしい。教会には大きな神像もありその姿を確認することもできる。
シャンテビモンは男性の姿で描かれていて、管理、秩序、規律をつかさどる神という話だった。
神像も右手に本を持っていて、それっぽく象られている。
ハナにとってちょっと意外だったのは、ファンタジー世界のようなこの世界においても『神』というものは実際には具現せず神話の中の登場人物にすぎない、という話だった。
てっきりファンタジー世界なので、『神さま』と言ったら、天空から厳かに話しかけてくるようなそんなのがいるのかと思って、ちょっとワクワクしていたのはナイショにした。
そんなマーチの神々だが、マルテカリという街の教会が崇める『イホテ』という神の伝承に面白い記述が見られた。
一説によると、イホテは他の世界からやってきた異界の女神であるというものだった。
詳しくはマルテカリに行かなくては不明瞭だが、そのイホテは豊穣や、草花の神として崇められていて、その女神像の右手はとある『草』を握っているようだった。
ハナの話から、異世界旅行のきっかけになったと思われるものはポーションであると推測していたセインは、『草』なら薬剤として考えられると思いついた。
異界の神が持つ、草。コレが何かを知ることが出来れば、もしかすると、その草からポーションを作り、異世界転移の秘密に近づけるかも知れないと述べたのだ。
神像の造詣からは草が何の草かは把握できない。イヒャリテ教会では、結局その草に関する話もそこまできちんと伝わっていないようだ。
そして、出した結論は、マルテカリへ行くという、まぁ至極普通なアイディアに着地した。
そこに虹川党の話も加わって、ダークエルフとエルフの問題を調べ、場合によっては現場で対応し、虹川党の存在を世論にアピールする、という宣伝活動も同時にこなすという計画となる。
ハナが例えた営業活動というのは割りと的を射ていたということになる。
「マルテカリには徒歩で五日ほどで到着しますが、今回の話をリルガミン様にしたところ、イヒャリテからの馬車を用意してくれるとのことでしたので、三日で到着するでしょう。そのつもりで、旅支度をしてください」
「……ヨナタン。ヨナタンは、旅支度よりも大事なこと、済ませてよね」
明日からはヨナタンは名目上、イヒャリテ追放となるのだ。
この家にはもう戻ってこられない。
家族との挨拶があるだろう。母親と死別し、父親とは異世界に飛ばされたせいで音信不通のハナにとって、家族とのお別れはきちんとしておいてほしかったのだ。
その言葉を受けて、ヨナタンはコクンと小さく頷いた。
**********
旅支度、とはいえ具体的にどうしたらいいのか分からない。
ハナはセインと共にイヒャリテの街で、必要なものを探していた。セインをイヒャリテに連れ出すのは少し気が重かったが、ヨナタン一家を家族水入らずで過ごさせたかったというのもある。
想定どおり、街中でのセインを見たエルフの反応はひどいものだった。
隠すつもりも無い批難の声、中傷。
こんな状態で、どうやって橋渡しができるのだろう。この組織を作ろうと思い至ったリルガミン教区長はこの世情をどう捉えているのか、ハナにはイマイチ考えが及ばなかった。
「セイン、大丈夫?」
「まぁ、予想通りだ。なんとも思ってない」
「セインは、リルガミンさんと色々話したんだよな? どういう人だと思った?」
「ジジイだな」
バッサリ答えたセインに、ハナはそうじゃねえよと突っ込んだ。
聞きたかったのは、このエルフ社会の状態をどう捉えている人物なのか、虹川党を作った狙いはなんなのか、という疑問だ。
「気になるなら、今から挨拶に行くか。虹川党の参加も伝える必要があるだろう」
「あ、うん」
セインのためにも街中を歩くのはあんまり得策ではないし、教会に居た方が罵声を聞かずにすむだろう。
「でも、旅支度はどうする?」
「別に今あるだけでも十分だ。元々俺たちは旅立つつもりでいただろう」
それもそうだとハナは頷いて、教会へ向かいだした。
セインの黒い肌を見て、エルフたちは避ける様に道の脇に姿を寄せる。
ハナですらそんなエルフの反応に辟易するのに、セインはまったく気にしないように、ずんずんと歩を進める。
本当に、想定内の反応なのだろう。いちいち気にしていたら疲れるだけだというように、セインはエルフを無視して教会への道を突き進むのだった。
教会にやってくると、神官が顔を出し、セインとハナにお辞儀した。
「ああ、そろそろ来るかと思っていました。教区長が首を長くして待っていましたよ」
「……え、待ってたんだ?」
「恋文を出せば、返事が待ち遠しくもなるだろ」
「……恋文て……」
通された部屋は大きな机と周囲に本棚。天井には魔法のあかりが点っていて、いつ何時でも、明るく部屋を照らしているのだろう。それから大きなタペストリーが垂れ下がっている。なにやらシンボルが描かれており、全体的に黄色で統一されていた。
複雑な三角形が重なるようなシンボルは、イヒャリテ教会を示す証だった。
机には大きな背もたれがついた椅子が設置されてあってそこに教区長が腰掛けていた。何やら分厚い本を読んでいたらしい。
「ああ、来たな。セイン、ファナ」
そう言って椅子から立ち上がり、本をぱたんと閉じた。
「あー、えっと。手紙、読みました」
相手がとても偉い人だという事はわかっているが、イマイチどう応対するのがベストなのか分からないハナは、とりあえずの丁寧語で拙い挨拶をした。
「ああ。加わってくれるだろう虹川党」
「あ、あぁ。はい」
ハナの回答をあらかじめ予想していたような態度だった。というか、断るはずが無いという自信があったのだろうか。うんうん、と数度頷いてからリルガミンは後ろを向いて、戸棚をゴソゴソとやりだした。
「さあ、身につけなさい」
と、言ってリルガミンが戸棚から取り出した小さい木箱を開くと、何かの金属で作られたバッジのようなものが収められていた。バッジの表面には、タペストリーと同じシンボルが掘り込まれている。
「え、くれるんですか?」
「うむ。これはイヒャリテ教会直属の者がつけることを許されるシルシだ。これをみせれば、身分は証明される。虹川党の発足関しては明日にでも全教会に報せを送る」
見ればセインの首元にも同じバッジがつけられていた。まるで士業のバッジみたいだとハナは思った。というか、そうなのだろう。教会とは政党であるという考えをするならば。
「あ、えと……虹川党の話は大雑把にしか聞いてないんだけど、エルフとダークエルフの架け橋になるって具体的に何をしたらいいんですか?」
「セインと町を歩いた君には、良くわかっていると思うが、我らエルフ社会はダークエルフを蔑み、認めず、さながら家畜のようにしている」
「……家畜のように、ではなく、家畜だな」
セインが突き刺すように教区長に踏み込んだ。相手はこのイヒャリテの最高権力者だというのに、まったく怖じない。
だがリルガミンもリルガミンだ。その言葉を受けて、表情を変えずに頷いた。
「私は、兼ねてより、このエルフ社会の現状に隔靴掻痒としていた。貴重な人材を腐らせてしまう世の作りにね」
リルガミンは、こけた頬と皺の顔立ちからは想像できないほどに、その声に逞しさを抱いていた。
人の上に立つ人間というのは、やはり生半可な者にはできないのだろう。年齢を感じさせない力のこもった意思と、光る瞳は聡明そうにハナを見つめる。
「有能な人物こそ、世界を成長させるというのに、長老会はその名の通り、老人ばかりで運営されてしまっている。老齢のエルフが動かす社会など、変化を認められぬ動かぬ未来しか生み出せん。それはもったいないと思わんか」
「お前もジジイだろが」
「おいこら! 言葉を選べよ! 私も思ったけど言わなかったのに!」
容赦ないツッコミを入れたセインにフォローのつもりでトドメをいれるハナに対して、リルガミンは若者のように大きな声で笑った。本当に自分の事を老人、とは思っていないのだろう。
「私は見た目、それっぽくしているだけだ。教区長の皮を被っているのだよ。なんならファナ、今夜は共に過ごさんか、見せ付けてやるぞ、若さをな」
と、ギラリと歯を見せ笑ったリルガミンは、初対面の印象とまるで違ってみえて、どっちが本当の姿なのかハナには見抜けなかった。政治家の顔、というのを見たように思ったのだ。
「……良くわかんないけどさ、リルガミンさんは、変えたいって思ってんだ。世の中を」
「時代の分岐路である今こそ、歩んだ道のりを引き返して、別の道を選びなおすことが必要だと考えている」
何やら回りくどい答えにハナは眉を寄せてしまう。政治屋特有の煙に巻いた言い方は、好みじゃない。具体的な回答を求め、ハナは踏み込んだ。
「それはつまり、エルフとダークエルフの関係性をやり直したいって意味?」
「そのとおりだ。首輪を作ったのはドナテリだが、その政策に頷いたのは私だ。その時は、秩序と管理の神の許、もっとも適した策であると考えていた。だが、それは結果的に過ちだったと、ヨナタンが私に命を捨てる覚悟で訴えてきた。私にもその行為に対する責任がある」
「それが、種族間のいざこざを引き受ける虹川党ってこと?」
「そうだ。具体的な話はヨナタンとセインに告げているが、お前たちに全てを任せるというわけではない。お前たちはあくまで代表であるのみ、支援はイヒャリテ教会が全面的に行う」
そう言われても、現状のイヒャリテの街ですら、エルフとダークエルフの関係には深すぎる溝がある。これをどうにかするというのは、一個人で何ができるというのか。教会がバックアップするというなら、一刻も早くイヒャリテの街をダークエルフでも住み良い街にしてほしいとハナは願う。
「んじゃあ、私らはどうしたらいいの?」
「難しくいう事も出来るが、あえて簡単に説明してやると……」
「あ、それ私のこと、ちょっとバカにしてる?」
どうにも好きに扱われてしまっているように思えて、ハナはちょっぴり反骨精神を見せてみた。無駄なことではあるとわかっているが、従順な女の子だと思うなよ、と少しだけでも噛み付いてやろうと思ったのだ。
「異世界から来たと聞いたから、噛み砕いて教えてやっているだけだ。ファナ、言っておくがお前は私にとって偶像なんだよ。バカになど絶対にしない」
「はぁっ!? アイドル!?」
噛み付こうとした歯が一気に折れてしまったようだった。いや、それどころか、あっちが飼い犬のような甘えっぷりを見せてきたので、拍子抜けしてしまう。それにしたって、不良女子高生を捕まえて、アイドルとはどういうことかとハナは混乱に拍車がかかっていく。
「私は、ファン第一号。会員になりたいものはイヒャリテの戸を叩くこと。異邦の黒髪少女、ファナ。最高のヒロインではないか!」
「ど、どういうことだよー!」
慌てるハナを意にも介さず、勝手なファンクラブ宣言を行い、少女を祭り上げる教区長は、本当にこれが教会の代表者かと疑わせてしまう。
「だから、簡単に説明してやるとだな。セインと共に、世界中にその名を売って来て欲しい。知名度を上げ、名うての冒険家として活躍して欲しいのだ。黒髪の少女とダークエルフが各地で問題を解決。その噂はみるみるマーチに広がるわけだ。私のコネで」
「インチキじゃねえか!」
「何を言う。宣伝というのは、多くのものに見てもらわなければ意味が無い」
なるほど、これはアイドル活動だとハナはジト汗垂らして髭の教区長を見ていた。どうも本気の計略らしい。だが、この案は実に正攻法であり、確実でもあるなと少女はふと思う。現代世界のほうだって、企業イメージを良くするために、ボランティア活動をしているコマーシャルをテレビで流したりしている。エルフ側に偏見のある黒い少女と青年が教会の名の下に活躍していけば、ダークエルフの偏見も減っていくかもしれないし、ダークエルフ側にも、虹川党にならば居場所があるのだと知らせることもできる。しかし、具体的にどう活動していけば名声を得ることなどできるのだろう。
「……大体、問題を解決って言ったって、何の問題を解決するってんだ? 橋渡し役なんだろ? 冒険家って無関係だろ」
「ところがそうでもない。お前たち虹川党が主に扱う問題というのはマーチ全域に広がる社会悪の結合会社である、ダレンに対してだからな」
そこでハナは合点がいった。なぜ、セインとヨナタンなのか。そして、名を売るに値するマーチの抱える問題の一つに対応する組織。秘密結社ダレン撲滅委員会とでも言うべきか。
「セインはこの話を聞いていたのか?」
「あぁ。お前の言葉。罪と向き合い、償える世界。それを考えたら俺のできることは、ダレンの壊滅だと考えた」
「ダレン社は、その構成員が日陰者に、利用されているダークエルフだ。多くのものにとって、奴らは害悪だ。それをダークエルフであるセインに、黒髪の少女が壊滅させていったとすれば、ダークエルフに対する物の見方を社会的に見直しさせるきっかけになるのだ。そしてその人物は、できるかぎり特異性があるほどいい。人はそういうものに目を奪われやすい。レッテルも使いようなのだ。なぁ、セインダール・ウィドリャンタス・ラーメン」
意味深に投げかけられたフルネームに、セインは何も答えなかった。
セインも何か、ワケアリの事情があるのだろうかとハナはちらりとセインの表情を見つめたが、その冷たい金の瞳からは何もうかがうことは出来ない。
ひとつだけ、思い至ったのは……。
(家の名前は好きじゃない――)
出会ったときに、そんな風に言っていた気がするとハナは思い出していた。
ラーメンなんてイジめられる苗字だからと、適当に聞き流したが、実際のところ、そんな理由じゃないだろう。
セインには、まだハナの知らない何かがあるのだと思うと、少女は少しだけ、寂しい気持ちが心を冷ました。
とにもかくにも、ハナたち虹川党の活動は、目下名前を売るということになるらしい。
そのために、マーチをできるだけ回ってもらってハデに活躍して欲しいとの言葉を改めて受け、ハナとセインはそれにしても……と一つ不満がよぎった。
――『虹川党』はダサいなぁ、と――。
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