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旅立ち
イヒャリテ教会の公務室にて、リルガミンは分厚い本を開いて、詩を読み解いていた。
その分厚い本は詩集であり、預言書であり、古文書であった。
常人には読み解くことが難しいとされるその本は、不可解な暗喩や韻を踏み、さらりと読んでもその意味はつかめない。
この古文書が書かれたのはもう千年以上前だと学者は語った。
教区長の手に収まる本は<転写>の魔法で複製されたコピーで、源本はクエストランの大学が保管している。
その本は、発見当時、ただの詩集として認識されていた。
昔の言葉で、ところどころ意味不明なところがあるのだが、これが予言書であることに気がついた学者がいた。
二百年前にエルフがマーチにやってくることを千年前の本に詩として記入されていたのだ。
それから百年後の戦争も、その本に抽象的ではあるが、詩として書かれていた。
もちろん、現在、未来にも該当することが書いてあるのだ。
読解に手間のかかる詩は、いつを指しているのか不明瞭で、おぼろげにぼやかされているが、エルフがいずれマナを失うであろうことも記入されている。
だが、その読み取り方は千差万別とも言えて、ある学者は預言書としては使いにくい、と眉唾の古文書として評価を受けたことがある。
我々の世界でいうならば、世紀末に恐怖の大王がやってくるとか、そういう類のロマンある預言書のようにされていた。
リルガミンはこのどうにも胡散臭いが、だが無視もできないペテンのような予言詩集が好きだった。
その本を読んでいるとノックがして、神官長が入って来た。
「虹川党の三名、無事出立しました」
目の細い、四角い顔のエルフがカチリと、ブーツを鳴らして、リルガミンに報告する。
「ああ、いい出立になったな」
本から顔をあげ、リルガミンは面白そうに笑って言う。
「そうですね、顔ぶれが顔ぶれですし、注目度は高かったでしょうが……あの少女の言葉には、なんというか……意表を突かれます」
「拍手をする予定だったサクラは必要なかったようだな。やはり、私の眼に間違いはなかった。あの娘はいい見世物になる」
「おや、それはもしかして、嫉妬ですか?」
神官長が教区長に対して意地悪そうに笑う。
「私の演説、悪く無かったよな」
「はぁ、まぁ拍手はあがりませんでしたが」
「ぐぅ」
ぐうの音も出ないのが悔しかったので、リルガミンは不毛なぐうを吐き出す。
少々膨れっ面の教区長に神官長が「それにしても」と少々声をひそめながら低く訊ねた。
「……よく、虹川党を組織するまでの行動をとられましたね。正直なところ、今でも私は虹川党には不安があります。本当にダークエルフに人権を与えて、世の中が上手く回っていくのか。それに長老会に目をつけられると思っておりますが」
「まぁ……私とて、色々と思うところはあったさ。しかし、決定的だったのはサドゥリの供述だな」
「は? と言いますと……」
「ブラッドマジックの使い手。――黒髪の少女は『黒の魔女』である、という話さえ聞かなければ、虹川党など作りはしなかっただろう」
そう言って、賢者の瞳は手元の分厚い詩集に落ちる。
その詩集の著者は、『黒の魔女』とされていた。
「私はね、ファン一号だからね」
教区長は髭を撫でつつ、憧れの人を思い浮かべるロマンティストの表情を浮かべていた。
政治家というのは、本当に分からない。
目の前の初老が腹の中では何を考えているのか、神官長にも見抜けなかった。もっとも、だからこそこのイヒャリテはマーチの中央という微妙な地理にさらされながも、安定した街としてやっていけているのだ。リルガミンはまさに天秤だ。どちらに傾いてもならない中央要塞の錘をどう運ぶのか、聡明な頭で政を動かしていた。
今度の虹川党が、バランスを調整する役目を果たすであろうと神官長はイヒャリテの神、シャンテビモンに祈るのみであった。
**********
馬車の旅など生まれて初めてだったハナは、荷馬車に揺られて外を見ていた。空は高く、雲は早く流れていく。マーチの空は機嫌が良さそうだ。
「大丈夫ですか、ファナさん」
旅など初めてだというハナにヨナタンが気遣う。
「うん、大丈夫。このまま三日も馬車で移動ってのが、個人的には驚きだけど」
現代社会に移動に三日なんてかけることなど無い。ハナは、移動するだけでそんなにかかるのかと、世界の広さを思い知る。そして、同時に自分の世界の文明というのは、物凄いのだなとも思い返した。
「夜は、宿場に泊まりますので、きちんとベッドで眠れますよ」
「そうなんだ! いやーよかったよ。当初セインと二人で旅にでるって話をしてたときは、野宿が当たり前みたいな予定だったからさー」
セインも実のところ、そこまで旅慣れしていないと言っていたから、馬車を使わせてもらえるだけでなんともありがたい。
夜はきちんと宿屋にも泊まるようだし、ハナは気持ちがかなり楽になっていた、
野宿で、セインと二人きりなんて、ちょっとどうしようかと思ってしまう部分もあったのだ。
もちろん、セインには信頼を置いているが、それでも男と女だし、ほかにもたまに出てくるセクハラ発言とか、油断ならないところがあるかもしれないと、ドキドキしていた。
(ドキドキしてたのか、私……?)
と、思いなおして、何を想像していたんだろうと赤くなってくる。
この世界に来てどうにも自分の感情がおかしい。
異世界にやってきて、平静を保っていられるほうが凄いけれど、なんというか、感情の起伏がとても激しくなってきたというか、盛り上がっているというか、調子付いているというか……。胸が高鳴りやすいのだ。
(家に帰れず、もしかしたら、マジで死んでるかもしれないのに、なんでこんなにテンションあがってるんだろな……)
ちらり、とセインを見た。
セインは荷物を背もたれにして、こっくりこっくり船を漕いでいた。
「セイン、寝てる」
「夜の番をすると言っていたので、今眠るつもりでしょう」
「え? 一緒に宿屋で寝るんじゃないの?」
「……彼は馬車で夜を明かすつもりのようですよ」
宿屋に泊まるとなれば、ダークエルフであるセインは邪険にされてしまうからだろう。彼はあえて最初から馬車で過ごすつもりなのだ。荷物番もできるし一石二鳥だと言っていたとヨナタンは添えた。
しかし、それでいいのだろうか。虹川党はエルフとダークエルフの架け橋なのに、その構成員が遠慮して接触を避けるとなると、どうにも関係性に矛盾が出ている気もする。
「荷物番って必要なの?」
「宿屋に入ってしまえば、ほぼ必要ありませんよ。車庫にはカギもかけられますし。もちろん、荷馬車自体にもそこの扉にカギをかけることが出来ます」
木造のほろは簡素ながら扉がついていて、出入り口にきちんとカギをかけることもできる。番の必要性はほぼないようだ。
「じゃあ、セインも宿屋に泊めたい」
「……まだ虹川党の伝令は広まっていません。今、宿にダークエルフの彼が入っていけば、罵声を浴びせられるのは明白ですよ」
「……なんかさ、それだとちょっとモヤっとするんだよね」
ハナは、少し機嫌悪そうに口を尖らせて言う。
「も、もやっと?」
「虎の威を借るきつねっていうか……教会が後ろにいるんだから、仲良くしろって言ってるんじゃ、ダメだとおもう」
「……あなたって人は、どこまでも、正々堂々を好むんですね」
ヨナタンはちょっぴり呆れながらも、仕方ない人だと優しく笑う。なんだか、お転婆な妹を見守る兄の目だった。やれやれ、という軽い溜息が良く似合う。
「セインも言ってたでしょう。利用できるものは利用しろ、と」
「あ! いま、ヨナタン、『セイン』って初めて言った」
「うっ……今はそういうことはどうでもいいでしょう!」
今度はヨナタンが唇を尖がらせる番だった。うまいこと揚げ足を取られたと言うか、油断をつつかれたというか、エルフの魔法使いは大きな白い耳を朱色に染めていく。
「でもね。私、セインに笑って欲しいんだ」
ハナは眠りこけるダークエルフを眺めて、優しい声色で呟いた。
「セインはきっと、教会のバッジに挨拶されたって、嬉しくないから」
人を役職や、見た目という代名詞で判断しないというのは、エルフのヨナタンにはすぐに出ない発想だった。
社会は地位や外見から判断する。それが世の仕組みであると考えていた。小さい頃からそういう世の中で育っていれば、疑問は生まれないのだ。
だが、その価値観からでは辿り着けない世界もあるのだと、異世界の少女が難なく発する言葉のひとつひとつに、ヨナタンは惹かれてしまう。
セインは、教会から地位を得て、喜んでいると、喜ぶべきことであると、ヨナタンは思っていたのだが……そうではないと黒髪のハナが教えてくれる。
『人』を見ることが、何より貴重なことなのだ。
ハナは思う。自身がそうであったから。
いつも不良の色メガネで見られては、周囲からこいつは『悪』だと判定されてきた。
たしかに、暴力に走った時期はあり、それは罪だっただろう。
だが、それが自分の全てじゃない。
誰もがあいまいなのだから、分別する事自体が愚かなのだ。
ハナは、セインが目を覚ましたら、宿屋に泊めることを話し合おうと思うのだった。
**********
馬車の旅は順調に続き、夕暮れ頃には宿場が見えてきた。
ここにくるまで、風景を眺めては、地図と見比べたり、ヨナタンに解説やうんちくを語ってもらいつつ、周囲の地形の知識を仕入れることが出来た。
イヒャリテから伸びる道を東南方面へ進み、山を一つ越えてついた新天地は、イヒャリテ領とマルテカリ領の境に近い温泉が湧く小さな山にあった。温泉を引いて作った宿場は冒険者たちの拠点としても賑っていて、ひとくちに宿場と言っても、小さいながら武具店や道具屋の露店。そして食事処は多々あった。
「へええ! 想像してたよりずっとすごい!」
ハナがほろから顔を出し、宿屋へ向かう街道を走る馬車の中で盛り上がっていた。
まるで、縁日に並ぶ露店のように、わいわいと行商人の店の前で冒険者達が大きな声で騒いでいた。イヒャリテのメインストリートより、活気があるように見えた。
というか、活気の質が違う。イヒャリテは、どこか上品な落ち着いた華やいだ街であり、こちらは喧騒響く下町風景とでもいおうか。ハナとしてはこの雑多な雰囲気のほうが性に合いそうだった。
昔見たアニメ映画の神隠しにあった女の子が迷い込んだ世界にも見える。少し変わった香りが漂っているのは温泉の硫黄なのだろうか。
「あ、ダークエルフもいる」
周りを見ていたハナの目に肌の黒いダークエルフの冒険者らしき男性が留まる。セインよりも年齢は上だろうか、かなりガタイがいいし、体のあちこちには疵痕が見える。きっといくつもの修羅場をくぐってきたのではないかと思えた。
「ああ、彼は……下男、召使いですね。首輪こそつけていないですが、扱いはほとんど奴隷と変わりません。少ない賃金でああしてエルフの冒険者に雇われ雑用を任されています」
ヨナタンもほろから少しだけ顔を出し、そのダークエルフを確認した。だが彼は冒険者に買われている雑用係りであることを察した。基本的に彼らはエルフの冒険者と違い、武具を携帯していないのだ。そしてみすぼらしい姿をしているのが大体だった。
「……そうなのか……」
そう言われて、彼の体のキズが別の意味をもちはじめたようで、ハナはダークエルフに視線を送るのをやめ、荷馬車の中に戻る。
「大体ダークエルフの扱いはあんなものだ。エルフの奴隷として暮らすか、盗賊だかになるか……」
セインが暗い声で誰にともなく呟いた。
その言葉に、ヨナタンも顔を伏せ黙り込む。
これがマーチの現状であり、この状況を我ら虹川党が変革させていかなくてはならない。本当にできるのだろうかと、三人は暫し沈黙する。
「……私、ダークエルフのこと、全然しらないんだ……」
ハナは今更ながらに、ダークエルフの暮らしなど、まったく分かっていないことに沈痛の面持ちで独り言ちる。
これまでエルフの暮らしや人となりは沢山接することができたが、ダークエルフでまともに会話できたのはセインだけなのだ。
マーチのダークエルフがどうやって生活して、どんな思いでいるのか。それはハナの空想の中のものでしかないのだと、思い知った。
「ヨナタン、私さ……」
「ダークエルフと接触したい、ですか?」
「う、うん」
ヨナタンの瞳は蒼い光を厳しくハナに向けていた。批難の視線ではなく、生半可な気持ちで行動してはいけないと、諭すようなものだ。
ハナもその視線を真っ向に受け、背筋にピリリと緊張を走らせる。ヨナタンは立場をないがしろにはしない。それはそれで大切なものであると知っているからだ。仕事に活きる男の責任を宿した精神で、少女とはベクトルの違った一本気を見せ付けるのだ。
「これまでは、あなたはあなたでした。ファナさんが、人を大事にするのはとても素晴らしいことです。ですが、私は立場というのも重要なものだと思っているのです。今のファナさんは、虹川党のファナになるのです。それはお分かりですか?」
「分かる……。私らの行動で、いろんなものが変えられるんだろ」
それはまさに自分達次第でプラスにもマイナスにもなる変化を生むだろう。組織として動くというのは後ろ盾がある分、ついて回る責任もある。
「その責任は重大ですよ」
「ケジメは、つける。責任にビビって何もしないより、何かして、変えたい」
『責任』の捉えかたはそれぞれだ。『責任』があるから、守らなくてはならない。『責任』があるから動かなくてはならない。そのどちらも正しいのだろう。
ハナは負うべき失敗の責任を心配し行動しないよりは、動いて摩擦を生んだとしても、それを無視しない事の方が重要だと言っているのだ。
「……一つ、約束して欲しいんですが」
ヨナタンは思う。彼女はこれでいいのだと――。
だが、彼女にだって間違っているところもあるのだ。それが人間だと、彼女自身も言っている。そして、自分も正しく、また間違ったところがあるのだ。
完璧などないから、我ら虹川党は三名なのだとエルフの青年は理解している。
だから、ハナが真っ直ぐに進むのなら、己は軌道修正をしてあげようと。
それは、彼女には、そのままでいて欲しいというヨナタンの我侭でもあった。
「ご自身の事を大事にして、飛び出さないでください。あなたに何かあったら、私はまた首輪を作りかねない」
堅くも脆く、優しくも悲しい言葉は、ハナを頷かせるだけの想いを含んでいた。
「うん。約束する」
「では、誠心誠意、あなたの力になります」
馬車はそのまま宿屋の車庫に入り、一行は宿屋の戸をくぐった。
その中には勿論、セインも入っていた。
ハナの説得にセインはしぶしぶという具合であったのだが――。
「部屋を取りたい。四人だ」
ヨナタンがカウンターの主人に声をかける。
主人がさっと一行に視線を走らせた。
ヨナタン、ハナ、馬車の御者。そして、ダークエルフのセインに。
「四人?」
「四人だ」
主人はじろりとセインにもう一度視線を走らせた。こいつを部屋で寝泊りさせるのか、と云う表情をしている。
宿屋には冒険者も多数部屋を取る。その中には先ほどのようなダークルフの召使いもいるが、大抵ダークエルフは馬小屋あたりを割り当てられるのだ。部屋に通す者はまずいない。
「そっちの黒いのも?」
「そうだ」
「……金さえ出してくれるならいいけどね。そいつもきちんと人数分の御代に含まれるよ」
まるで、ペットを旅館に持ち込むのか、というような対応だとハナには感じ取れた。ダークエルフが本当に人として扱われていないのだと良く分かる。
「金は出す。いいな」
ヨナタンは有無を言わせないように強めに言い、主人の首を縦に振らせた。
「わかりやしたよ。でも、こっちじゃ厄介ごとには対処しないんでね。何かあっても、あんたらで対処してくれよ」
ひとまず、セインを宿屋に入れるということは何とかなりそうだった。
セインはやはり無表情で黙っていた。特別、傷ついた様子もない。それはエルフに期待をしていないからだろう。セインらダークエルフも、エルフに対して、同族ではないのだから同じ気持ちを持ち合わせないのかもしれない。
「今空いてるのは、二人部屋が二つ。分かれてもらうけど、いいか?」
「あぁ、うん」
ヨナタンがチェックインのやりとりをするなか、その内容を聞いて、ハナは「あ」と思った。
この中の誰かと同じ部屋で一夜過ごすのだ。
ヨナタンか、御者のおじさんか、セインか。
思わず、セインを見ていた。
セインがそれに気がついて、「?」と怪訝な視線を向ける。
(これまでも一緒に小屋で寝泊りしてたんだし、セインと一緒は、別に普通なことだよな!?)
と、己に言い聞かせるようなハナは、セインの金の瞳に覗き込まれながら、どくんどくんと、変に鼓動が高鳴っていくのを感じていた。
(でも、小屋のときは地下室で、カギもかかってて、部屋が違ってたし。今回はそもそも部屋が一緒なわけで……でも、この世界だと男女一緒の部屋で寝るくらいなんでもないことだよな……!)
せわしなく思考を回転させる少女は、セインと泊まる夜を意識しないための言い訳探しに必死になっていた。
やはりおかしい。どうしてこんなにセインを異性として意識しだしたのだろう?
恋に落ちるのはなにか凄くドラマティックなイベントを経由して、そこから「あ、好きかも」みたいな展開になるはずだ。……と、ハナはドラマやマンガの知識で補う未体験の恋愛知識を総動員して自分の『意識』の変化を探す。
(やっぱり……キスされた、とき、かなっ……?)
だが、それを認めたくない自分がいる。一度キスをされただけで好きになってしまうなんて、自分はそんな単純で惚れっぽい女だと思いたくなかったのだ。
(ちがう! 好きじゃない、まだ好きじゃないんだ! あれだ。意識はしてしまうけど、まだ好きとかじゃない。うん、誰だってキスされたら、うわー! ってなるし、多分。それでちょっと舞い上がってるんだ、私はまだセインを好きじゃない!)
懸命に意識をかく乱させて、恥ずかしさを打ち消そうとする。
――恥ずかしい――。
そう、恥ずかしいのだ。なんだか、もう、頭から蒸気があがってもおかしくないくらい、恥ずかしい。この気持ちは恋ではなく、恥じらいだ。キスなんてされたら、恥ずかしくなるのはフツーの反応だ。
ハナがそう納得させる間に、部屋割りに関して、ヨナタンが決めて発表した。
「では、私とファナさん。アデリンさんとお前」
と、セインを指差しながら、ヨナタンはハナの肩を抱いた。
「へ」
てっきり、自分とセインだと勝手に思い込んだ。だってそれが一番自然だろうし。アデリンさんというのは御者のエルフであるが、彼も生粋のエルフである以上、ダークエルフのセインと同室というのはいささか思う所もあるだろう。かといって、仲の悪いヨナタンとセインが同室ではケンカになるかもしれないから、結論とハナ&セインが落ち着く形なのではないか。
「なんでお前がファナと一緒だ」
「ファナさんは女性です。この中で最もファナさんが安心できる男性は、誰ですか? 私です」
ヨナタンは論破のしようもないだろうというドヤ顔で、胸を張りながら説明するのだが、セインは勿論、アデリンもジト汗を垂らしてしまう。
「おや、分かりませんか? アデリンさんは本日が初対面です。さすがに初対面のおじさんとうら若い少女を同じ部屋にというのは、デリカシーに欠けるでしょう。そしてお前は助平だからだ」
バッサリ切り捨てる理論武装ではあったが、いちおう筋は通る理屈だった。
「ファナさん、私とアイツ、何かあるとしたら、起こり得る可能性が高いのはどちらですか?」
「……せいん……」
「ほらね?」
赤くなる少女を勝利の表情で肩を抱き、ヨナタンは反論できまいとセインを嗤うのである。
「お前とて、ファナに何かしないとも言えないだろうが!」
セインが食って掛かった。ふざけるなと表情で言っていた。あれだけ他のエルフのことを無表情にいなしていたセインが、この時ばかりは熱くなる。
それは相手がヨナタンだからなのか、問題がハナ絡みだからなのか。それは当人にも分からないことだろう。
ともかく、ムカつくので、ヨナタンの案は徹底的に否定してやると意気込んでいるわけだ。
「一緒にしないでもらいたいね、発情猫」
「とりあえず、ファナに触るな! 手をどけろ!」
「おや、これは失礼しました。つい、いつものように、ファナさんの肩に手を添えておりました」
「なにが、いつも、だァ!?」
ヨナタンの分かりやすい挑発にセインは乗っかってしまって血管を浮き上がらせて凄むのだが、ヨナタンはことさらにハナに添えた手を見せびらかす。
もう完全に玩具を取り合う子供のような喧嘩であって、ハナもアデリンも、宿屋の主人も呆れ顔であった。
そして思うのだ。
このエルフとダークエルフはなんでこんなに『言い合い』をできるのか、と。
エルフとダークエルフが言い合いをしている光景などまずない。
エルフが一方的に命令し、ダークエルフがそれに従うばかりの世界だから。
ヨナタンも、セインも、それぞれに認めている所があるからこそ、こういう喧嘩が生まれるのかもしれない。
「とりあえず、宿屋のロビーで喧嘩はやめろよ。……その、もう、じゃんけんとかで勝負キメたら?」
ハナが事態を収拾しようと、勝負を提案した。
「ハッ、勝負か。望むところだな」
「良いでしょう。御相手しようではありませんか」
二人はハブとマングースのように絡み合いながら、宿屋を出て行く。
ハナとアデリンも、困り顔で宿屋の主人に「すいませんでした」と謝って、二人の後を追いかけるのだった。
宿屋の主人は、こんなおかしな一行は始めてみたと、ぽかんと口をあけっぱなしで見送った。
二人がもみ合いながらやってきたのは、温泉だった。
そこは入浴自由の天然温泉が至る所に湧いていて、中にはきちんと区分けされ、男湯、女湯と分けられた小屋もある。かと思えば完全に露天風呂の形をして混浴可の吹きさらしの温泉もあった。風呂というより、温水の川のようだ。ハナが匂った香りはどうやらこの温水の川から漂ってきていたようだ。
冒険者たちは多々、色々な温泉に漬かっては旅の疲れを癒しているのだろう。さすがに女性の冒険者はそこで風呂に漬かっているものはいないようだが、男性は数名全裸で温泉の川で赤い顔をしていた。
そんな温泉の中に、一箇所誰も入っていない温泉があった。大きさにして、およそ直径三メートル程度の小さな楕円上の温泉だ。そこだけ異様に湯気がもうもうと上がっている。
「あれは、溶岩魔獣の釜と呼ばれる、激アツ温泉です。この温泉の名物スポットのひとつです」
ヨナタンの観光案内を聞いてハナはその付けられている温泉名称に嫌な予感がした。
「この温泉場の中で最も熱いと言われる温泉です。あれに入って三十秒もった者はいないと言います」
「ほぉー、面白い。どっちが長く漬かれるか勝負ってわけだな」
二人は温泉の熱気に負けない勝負熱を燃やし、溶岩魔獣の釜に同時に右手を突っ込む。
みるみる二人の両手は真っ赤に染まって、額に汗を滲ませる。
「くひっ、クククッ! ど、どうですか! やめるなら、今のうちですよッ……!」
「おま……、おまえこそ、もう顔まで赤くなってるぞ……やめたほうがいいんじゃないか……ッ?」
やっぱり――と、ハナは不毛な男の戦いに天を仰いだ。ぶっちゃけ別にどっちと同じ部屋でもいいくらいに思ってしまう。まぁ勝負を提案したのは自分なのであまり強くも言えないが。
「ようし、見てろよ。ファナ、どっちが勝つか、きちんと判定しろ」
言いながら、セインが服を脱ぎだしたので、ハナはぶふぉっと噴き出してしまった。ヨナタンも負けじと服を脱いでいくので見てられない。
慌てて後ろを向いて視線をそらしたのだった。
「うぎゃあっ!?」
「あっつうっ!」
どっぽん、と勢い良く飛び込んだ水音のあと、ハナが温泉を振り向くと、二人の無様な悲鳴とともに、温泉から慌ててはいでる姿が目に映る。テレビタレントのリアクション芸人のようでハナは笑いを通り越してあきれてしまった。
「「……どっちが早く上がった!?」」
二人の全裸がハナに詰め寄ってくるので、少女はヒクつかせた表情で痴漢の二人を熱湯にもう一度放り込んでやるのだった。
結局同室になるのはアデリンに落ち着くのである――。
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