暗闇の少女

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暗闇の少女

 暗闇にブルーライトの三ツ月が浮かぶ頃、空腹を満たすために、虹川党一行は食事できるところを探すことになったのだが、それに関してヨナタンが任せて欲しいというので、ハナとセインはヨナタンに続く形で宿場のはずれの辺りまで足を運ぶことになった。  ちなみに、御者であるアデリンは宿屋隣の酒場で飲むと言って別行動となった。  宿場町からはどんどん外れて行き、あの独特の喧騒も遠ざかる。周囲は暖かい火の灯りもあまりなくなってきて、同じ宿場とは思えないほど、静かな一角へとやってきた。 「……ヨナタン? このへん、店なんて何もなさそうに見えるけど……?」  ハナが少々心配げな顔で前をあるくヨナタンに小さく聞いた。 「この辺りの風景に関して、率直な感想を聞きたいのですが」 「え? えーと、静か、かな」 「孤独の音だ」  ヨナタンの質問に、ハナが「静か」と評したことをセインは独特の表現で言い直すように呟いた。  孤独の音――。  ほんの少し先には明るい火と、愉しげな喧騒が聞こえてくる宿場の外回りの一角。そこは、確かに、祭りに加われない除け者たちの居場所であった。 「ここです」  ヨナタンが連れて来た場所は、鉱山の入り口だった。  山肌にぽかんと暗い穴が開いていて、その奥には廃棄された坑道が続くようだ。閑散としていて、周囲は荒れている。 「ここはかつて青生生魂(アポイタカラ)が採掘できたのですが、今はもう枯れ果ててしまったので、放棄されてしまった鉱山なのです」  周りにはいくつか採掘作業に使われていた鉱山員の休憩所などがある。  かなりぼろぼろではあるが、そこに小さな灯りが点っていた。幽かに揺れるそれは、おそらく小さな蝋燭だろう。 「誰か、いるのか?」  小屋の明かりを見て、ハナは首をかしげた。こんな寂れた坑道跡になぜ人が……。 「ダークエルフの寝床です」 「!」  エルフたちが宿場でわいわいと騒ぐ外側で、ダークエルフたちはここで集まって、寝床にしているのだ。  彼らは彼らなりのコミュニティを持っていて、細々と宿場の隅で身を隠すように、切り詰めた生活をしているようだ。華やいだ宿場の裏側は閑散としたスラムで、マーチの表と裏を見せ付ける。 「ダークエルフは昔から洞くつなどを住居や要塞にして生活していた。こういった坑道跡などは割りと好まれるんだ」  セインがそう言うのだが、好んでここにいるのではない、というのはハナも分かることだ。  ヨナタンが小さな明かりの点る小屋の扉をノックした。 「こんばんは。イヒャリテ教会の虹川党と申します」  その言葉を受けて、扉がギギィと軋んだ音を立てて開いた。  中にはエルフの女性がいた。ダークエルフではなかったので、ハナは驚いた。 「……あなた、ドナテリの……」  ヨナタンの顔を見た女性は驚いた表情で扉を閉めかけた。  そこを、さっと身を割り込ませるようにヨナタンが強引に止めたのだった。 「はい。ヨナタン・ヒュージィ・ドナテリ・ジュニアです。あなたがラナさんですよね。突然の訪問、すみません。どうか、お話を……させていただきたいのです。もし、私とは話すことも無いというのであれば、私はこのまま立ち去りますので、彼女と彼を入れてあげてくれないでしょうか」  そう言って、ヨナタンが後方を向くと、そこには黒髪の少女と、ダークエルフの青年が立ちすくんでいた。  エルフの女性、ラナはヨナタンとハナたちの顔を見比べて、どういうことなのか理解できずに表情を曇らせるのだった。  ラナは悩んだ末、ヨナタンも共々、三人を小屋の中に通した。  小屋の中はいくつかのベッドと小さな机、その上では蝋燭が小さく炎を揺らしていた。それに椅子がいくつかと、殺風景な内装であったが、目を惹いたのは(かまど)だ。  他はあまり使用されていないようなくたびれっぷりだったが、竈だけはよく使い込まれているのだろう。しっかりと手入れされた大きな鍋がかかっていた。 「改めまして、自己紹介をします。我々はイヒャリテ教会の虹川党。ヨナタン、ファナ、セインです。活動目的はエルフとダークエルフの橋渡しです」 「えっ」  驚愕、という表情でラナは大きな声で聞き返す。  ラナは埃にまみれた服装にやせた体系で、ぱっと見、あまり若く見えなかった。だが、その実年齢はヨナタンとそう変わりがないようだ。酷くくたびれた顔に色が戻るように、ラナは三人をもういちどしっかり見た。 「あなたも、教会の一員なの?」  セインを見て、ラナは訊ねた。セインも、エルフの女性にこうもまっすぐと訊ねられたことがなかったので、少し戸惑って頷く。その襟にイヒャリテの紋章が刻まれたバッジを見とめて、ラナは「まぁ!」と声を出した。 「ヨナタン、この人は?」 「彼女は、ここのダークエルフ達にボランティア活動をしているのです。配給や、薬品を渡したり、個人で出来る事をしています」  その言葉に、ハナもセインも驚いた。エルフの中にもそんな人物がいたのかと。  そしてそう思うという事は、自分達もまた、エルフをエルフの枠でくくってみていたのだと、気付かされた。 「教会が……本当に、ダークエルフの事を真剣に考えるようになったのですか?」  ラナの言葉はまだ疑いが見えていた。  それは当然なのかもしれない。なぜなら、目の前の教会の使いというヨナタン・ジュニアはあの首輪の製作者であり、教会もその運用に頷いた存在なのだから。  首輪の使用を禁じ、奴隷が収容所に戻されたことは聞いていたが、まさか橋渡し組織まで作ったとは思っていなかっただろう。  ラナは教会の真意が計れず、疑いを持つしかなかった。 「……あなたには、胡散臭くも映るでしょうが、今イヒャリテは……いえ、マーチは変わろうと動き出しているのです。まだ、小さな一歩ではありますが」 「……確かに、すぐにその言葉を飲み込めるはずもないですが……。でもひとつだけ、私にわかることは……ヨナタン、あなたが変わった、ということです」  ラナの知るヨナタンは、あの冷酷な、ゴズウェーを管理すると妹の為に心を凍らせたヨナタンだったのだろう。  それが、ダークエルフを引き連れて、自分の事を信じられなくても、彼らの話を聞いてくれ、とまで言わせた彼の表情は、<服従>のヨナタンとは別人に思えたのだ。 「追って、連絡が来ると思うのですが、ラナさんには我ら虹川党へ参加していただけないかという手紙が届くと思います。我らはあなたのようなエルフと、そしてダークエルフを受け入れて行きたいと思っています」 「私が……? それにダークエルフも?」 「ええ、しかし急な変化は逆に混乱を生むので、徐々に、という形にはなるでしょうが……」 「それは……そうね。でも、なんで急に……」  急な教会の対応の変化にラナは驚きを隠せない。やはりどうしても信じられない話だ。夢ではないかとすら思うのだ。 「そう思いますよね。私が変われたのも、教会が変われたのも、実に些細なきっかけだったのですが……それがこの少女なんですよ」  そういって、いきなり紹介されたハナはハトが豆鉄砲をくらったみたいな顔だった。  ラナがハナをまじまじと見つめ、不思議そうにしていた。それはそうだろう、ぱっと見て、ハナは教会を動かせるような人物には見えないのだから。 「不思議な子ね……」 「い、いや! 普通です。ただ……その……人を見た目とか、聞いた話だけで判断して、枠に当てはめるのがむかつくっていうか、イヤで……勢いで……ハイ」 「そんな考え、私だって同じよ。私が言っているのはそういうことじゃなくて、あなた自身が纏う空気みたいなのが普通ではないと思うの」 「お前、臭いんじゃない?」 「臭くねぇ!」  せっかくラナが真面目な話をしているというのに、セインが余計なツッコミを入れたせいで話の腰が折れてしまった。  しかし、ラナの語るように、セインもヨナタンも、おそらくリルガミンも、この黒髪の少女が纏う何かに惹かれるのだ。彼女の血が、他人のマナを吸うように、ひょっとしたらハナにはエルフの心を惹きつけるカリスマ性のようなものがあるのかもしれない。 「ところで、何かお話を聞きたくていらしたのでは?」 「ああ、その……虹川党として、ダークエルフ達とできれば話がしたいと思っていまして。一緒に食事を囲みながら、ね」  ヨナタンはハナに向け、視線を送った。  先ほどの話題に出た、ダークエルフとの接触の話の場を用意してくれたのだ。ハナはヨナタンに強く頷いた。    **********  竈の鍋を火にかけ、鍋の中のスープが温まると、ラナは鉱山内に配給を報せた。  すると、鉱山奥からぞろぞろと列を作ってダークエルフが小屋の前に並ぶ。  人数にして十一人。年寄りや子供、女性ばかりであった。  ハナが昼間みたような屈強な男のダークエルフは見当たらない。 「若い男は、労働力として大半が駆り出されています。そういった者たちは自力で生活をする事も出来ますが、ここに居るダークエルフは女子供に、年寄り。働き口がまともになく、生活が困難になっているのです」  教科書やテレビで見たことしかない、アフリカの貧困風景そのままだった。豊かな日本で不自由なく生活してきたハナには、直接目にしたスラムの姿は衝撃的で、何も言えずに固まってしまう。 「ここに出てきているのは、自分で動けるダークエルフたちです。鉱山奥には足を悪くしたり、起き上がれないけが人や病院もいます。もしよければ、あなた達に鉱山奥に配給を届けて欲しいのですが」  ラナがハナに向かって提案した。自分に出来る事があるなら、ぜひともやりたかった。それに、ハナが自ら言ったことだ。ダークエルフの事を知りたいと願った少女は、ラナにすぐさま頷いた。 「私は……ここにいましょう。おそらく私が行けば……ダークエルフはいい思いをしないでしょうから」  ヨナタンが表情に皺を作って苦々しげに言う。首輪を作ってダークエルフを封印しようとしたヨナタンの話は、ダークエルフ内でも有名なことなのだろう。この場にいるダークエルフに殴られても仕方ないくらいに考えていた。 「ファナ、行こう。……病人が気になる」  セインがスープ鍋を持って鉱山内に入っていく。 (そうだ……セインは錬金術師で、親はダークエルフの医者だったんだ――)  セインの真剣な表情に、ハナは気がついた。彼のまなざしは、少女の時を一瞬止めてしまう。  なんと力強いのだろう、と。  鉱山内は少ない灯りが点っていて、真っ暗と言うわけではなかった。採掘当時の名残がいくつか見られたが、ほとんど埃を被っていて古ぼけていた。  奥へ進むと、横穴がいくつかあって、そこにダークエルフが寝床としているであろう簡易寝台やテーブルなどが設置してある。 「あっ……」  そこに居たダークエルフの少女と目があった。その瞬間、少女は声を出して驚いて、部屋の隅で小さくなる。  埃と土に汚れた麻布の服はところどころ補修の後があり、少女の銀色の髪はボサボサで痛んでいる。グリーンの瞳は大きく可愛らしかったが、少女は痩せた細いからだを折り曲げて、怯えて丸くなった。 「あ、あの、私ら食事を持ってきたんだ。ラナさんの御手伝いで……」  ハナが警戒を解こうと説明し、セインが持っていた鍋をずい、と前に出して見せてやる。少女はハナとセインを見てほっとしたようだ。 「ありがとうございます……。ごあんない、します……」  少女が立ち上がり、鉱山奥にペタペタと駆け出す。足元を見て、裸足であることを確認したハナは、疵痕の残る少女の小さい足に胸を締め付けられる思いだった。  立ち上がった少女を見て意外に思ったのが身長だ。ハナより少し小さいかほとんど同じくらいだった。  ひょっとしたら、年齢も近いのかもしれない。同い年くらいの女の子がこんなにボロボロで生活していると考えると、殊更にダークエルフの現状を看過できない。  少女の後に続いていくと少し広めの空洞に辿り着いた。  そこは病人やけが人をまとめて寝かせている病室のようだった。いくつかの簡易寝台には四名のダークエルフが横たわっている。 「みんな、ごはんです」  少女が声をかけると、うめき声と共に反応が帰って来た。  セインが鍋を下ろして食器にスープを注ぎ、ハナに手渡す。ダークエルフの少女が一人の病人を支えながら起き上がらせていて、ハナはそのダークエルフへとスープを渡してあげるのだった。  病人の弱々しい指先がスプーンをとって皿のスープを口に運んでいく。 「…………」  ハナはその光景に言葉がでない。なんと声をかければいいか分からない。ただ、この現状を絶対に忘れないようにしようと、目を背けないようにするだけだった。  セインも別の病人にスープを運び、介護してやっていた。 「どうだ。食欲はあるか」 「あ、ああ、ありがとう」 「とりあえず、ゆっくり味わってくれ。またあとで話を聞かせて欲しい」  病人とけが人にスープを渡し終えて、ハナはダークエルフの少女にもと、スープをついで上げた。 「はい。お前の分」  差し出された皿とハナを見比べ、少女はやはり少しおどおどとして、直ぐに受け取れずにいた。  少女は目の前の黒髪の人物にどう応対するべきなのかを悩んだのだ。  肌の色は白でエルフのようであったが、どこかエルフとは雰囲気が違う。変わった印象の少女に、おずおずとだが手を差し出して皿をうけとった。 「ありがとう、ございます……」 「……ううん。別にこんなの、礼を言われることじゃない。……ラナさんは立派だと思うけどな!」  小さな声で礼を述べた少女に、照れるように笑ってハナは少女の横に座った。 「私、東雲ハナって言うんだ。あー……ファナでいいよ。そっちは?」 「……アッシャです。アッシャ・セラフォー・ヨウパクと言います」  (うやうや)しく自己紹介したアッシャは、ファナと名乗った不思議な少女に軽く頭を下げる。 「あ、あのさ……食べながらで良いんだけど、話をさせてくれないかな?」  せっかく知り合えたダークエルフ、それも年の近そうな少女であれば、ぜひとも色々な話を聞いてみたいとハナはアッシャに笑顔を向ける。 「お前も、食べろ」  そんなハナとアッシャの前にスープを持ったセインが皿を差し出していた。 「い、いや、いいよ私は。それより、ここのみんなにもっとスープ……」  と、言い終わらぬうちに、ハナの腹の虫が鳴き出してしまう。 「お前の体は正直なようだな」 「そういう物言いをやめろ……」  赤くなりながら、結局ハナはセインからスープを受け取った。  一口啜ったスープは温かかったが、味はさっぱりしたもので、具材も芋や薄い野菜で正直なところ味気なかった。  だが、これでもダークエルフには十分ありがたい配給なのだろう。育ち盛りのようなアッシャには、物足りないだろうが彼女はありがたそうにスープを一口ひとくち、小さな口元に運んでいく。  セインもスープを啜り、ハナとアッシャの正面に腰掛けた。 「アッシャは、ここでずっと暮らしてるの?」 「はい……。生まれたときから、ここで生活してます」 「家族、は……?」 「両親はずっと前に亡くなって、兄がいたんですが、出稼ぎに出てそれっきりです」 「そっか……お兄さんがいたんだ」 「はい……私は身よりもなく、ここでみんなのお世話をするくらいで……」  アッシャから話を聞く限り、彼らの生活は酷い物だった。  男たちは食い扶持を得るために出稼ぎに出るため、基本的に家族はバラバラだし、ここでは満足いく食事も得られない。宿場の隅で物乞いまがいの生活を強いられてしまっていた。  アッシャに関しては手先が器用らしく、木造の小物やアクセサリー、簡単な家具を作るくらいはできるらしく、それでなんとか収入を得て生活しているらしい。  ほかにもダークエルフはそれぞれに自分ができることでどうにか生活しているようだが、貧困からは決して脱却できそうにない。 「虹川党で雇ってあげられるんだよね?」  ハナはセインに訊ねる。セインは頷きも、否定もせず、アッシャを見つめる。  その表情は鉄仮面のように強張っていた。そんなに簡単な問題ではないと言いたげだった。 「急激な変化は暴動を招く。すぐにここのダークエルフが救済できるわけじゃない。だが、徐々にではあるが……暮らしやすくしていけるように、俺達がいるのだと思っている」  その言葉は苦しそうに吐き出された。セインとて、同族を一刻も早く救いたいのであろう。だが、焦りは失敗を招きかねない。急を要するダークエルフの環境であることは重々承知なのだ。だから、セインは苦々しげであった。 「あ、あの……あなたはどうして教会の一員に認められたのですか?」  アッシャがセインの事を不思議そうに聞いた。アッシャとて状況を改善したいのであろうから、セインの立場に憧れているのだろう。  その少女の瞳はセインを羨ましげに見つめている。 「……俺は、運がよかったんだ。自分から何かをしたわけではない」  セインは少女の瞳から顔を逸らして、睫毛を伏せた。自分だけが良い思いをしているように罪悪感を感じてしまったのだ。 「そんなことないよ。セインは、変わりたいって強く思って、ダレンと手を切ったんじゃん」 「……俺の事はいいんだよ。俺は病人を診ている。じゃあな」  セインは立ち上がって二人から離れた。そして、先ほどの病人の傍に寄って行き、具合を尋ねだしたようだ。眼球の検査さ、喉の確認、脈などを取り始めた。  それをじっと見ていたアッシャがハナに訊ねる。 「あ……あの、ファナさま。質問をしても、よろしいですか?」  おずおずと恐縮そうにアッシャはハナを(うかが)った。かなり自分を卑下した態度で、彼女がダークエルフとして迫害され続けた経験から来る、(へりくだ)った顔だ。  そんなアッシャに、ハナは笑顔で迎え入れるくらいしか思いつかなかった。 「ファナって、呼び捨てでいいよ」 「……す、すみません……」 「謝らないでよ……。なんか虐めてるみたいだ」 「す、すみません……」  怯えだろう。これまでアッシャがエルフに対してどれだけ腰を低くしてきたのか、そうせざるを得ない人生を歩んできたのか、染み付いてしまった最下層の性根。ハナがダークエルフではない事は肌を見ればわかる。彼女には逆らってはいけないと、アッシャは心を自動的に飼い慣らされてしまう。  ハナはそのアッシャの対応にどうしたらいいのだろうと、少し悩む。  しっかりと染み付いてしまった卑屈な精神は、相手が救済の手を伸ばしても、素直に受け入れられない状況を生み出してしまうと思ったのだ。  エルフだけでなく、ダークエルフも、その中身を改革しなくてはならないのだと、少女は改めて思い知る。  謝り続けるアッシャに対し、ハナはとりあえず、何を聞きたかったのか、問いただしてみることにした。 「何を聞きたかったの?」 「は、はい……あのお方のお名前は……」  アッシャはセインを見つめながら聞いた。 「ああ、セインね。んっと、本名はセインダール……」  と、フルネームを言いそうになって、ハナは一瞬口を噤んだ。家の名前は好きではないと彼が言ったからだ。だから、結局セインの姓を告げずに少女の質問に解答する形になった。 「セインダール……」  ハナの言葉を聞いたダークエルフの少女は、大きなグリーンの瞳をまっすぐに向けて、看病に当たる青年を見ていた。坑道に灯る明かりに反射する少女の瞳はきらきらとオレンジの光を身にまとい、セインを熱く見つめている。憧れの瞳だった。 「あの方はお医者さまなのですか?」 「えっと医者っていうより錬金術師って本人は言ってる。両親が医者だったらしいけど……」  セインから目を離さないでいるアッシャに、ハナは「んん?」と怪訝な表情をするほか無かった。  ダークエルフでありながら、教会の一員として活動しているセインに対して感激しているのだろうかと思いながらも、少女の見つめる瞳に、何か別の意味も含まれているように見えてしまうのだ。  そんなハナとアッシャが見つめる中、セインが「おい」と声をかけて来た。  病人の下へ手招きをしている。何かあったのだろうか。 「大体病気の状態がわかった。薬を作れなくも無いが、手元の薬草では足らないものがある。クチバシソウはあるか」  アッシャに訊ねるセインは、手元のカバンをごそごそやりながらポーション作成の準備を始めた。 「く、クチバシソウ……?」  アッシャはそれが何かも分からないらしい。ハナもそれが何かは良く分からない。だが、それがあれば薬を作れるというセインに対して二人はすぐに行動にでた。 「クチバシソウがあれば、病気が治せるんだな?」 「ああ、露店でもあつかうようなものだから、店にいけば手に入るだろうが……この時間じゃ店はもう閉まっているだろうな」 「酒場とかで冒険者たちに訊ねて見る! メジャーな薬草なら誰か持ってるかも!」  ハナがそう言って、もう駆け出していた。  ヨナタンに言われたばかりだというのに、相変わらず鉄砲玉であったハナにセインは慌てて言う。 「ま、まてっ! お前だけで行くな。冒険者って言ったって、ピンキリだ。ガラの悪いのもいる。ヨナタンに何とかしてもらえ」 「分かった! すぐ用意してくるから!」  その言葉と共に、風に乗るようにハナは飛び出していく。  アッシャはうろたえながら、ハナが出て行ったほうを見ていた。 「……あ、あの! 私も何か御手伝いします!」  アッシャはハっと弾けた様に反応して、セインに振り向いた。 「なら、水がいる。それから、作業はここでやるが、手元が暗い。灯りを用意してほしい」 「わかりました、すぐに!」  アッシャもその指示で手早く行動に移った。  突如やってきたダークエルフのセインダールという錬金術師は、少女にとってとても偉大に見えた。  病人をざっとみただけで、症状を把握し、薬まで作るという。この世界には勇者の伝説や、英雄の物語がいくらもあるが、少女にとって、セインダールこそが本物の救世主のように思えた。 (あんなダークエルフ、私は始めてみた)  ダークエルフは誰もが踏みつけられて生きてきている。だから、誰もが淀んだ瞳で、エルフの言いなりになっていると言うのに、このセインダールは違って見える。  鋭く煌めく金の瞳は、きちんと意思を見せていた。聡明で強い彼の表情は、何者よりも尊く思える。  水と灯りを用意したアッシャは、その作業をするセインの横顔から目を離せなかった。 (セインダール……)  心の中で名を呼ぶ。 (セインダール……!)  顔と名前を絶対に忘れないように。泥に塗れてくすんだ心に火をつける。  こんな風に、自分もなりたい。その瞳に、憧れを燃やす。 「セインダール」  心の呟きが、声になってもれてしまう。  もう、止まらなかった。熱く胸についた火が世界を彩りだしていた。 「あ? ……ああ、どうした?」  名前を呼ばれたと勘違いしたセインがアッシャを見つめた。  彼の瞳の中に映るアッシャは黄金の中にいたのだ。煌めく金の波の中、少女は煤けた衣服すら煌めいていた。 「な、なんでもありません。ほかにできることがあれば何でもします」  赤くなりながら、アッシャは細い身体を固まらせ、汚れた服の裾をきゅっと握る。 「そんなに心配するな。大した病気じゃない。直ぐ好くなる」  セインはそう言って、低い声でゆっくりと言いながら落ち着かせるように笑顔を見せた。 (――そうじゃない。心配はしたけれど、この緊張はそうじゃない――)  アッシャは笑顔にますます表情を固めてしまう。真っ赤になってしまう。きっと、いま自分は変な顔になっているはずだ。もう彼の瞳の中も覗きこめない。 (セインダール。セインダール、セインダール……)  セインの手元を照らす灯りのように、少女のハートにも、灯りが点り、ぬくもりを生む。もう、簡単には消えそうもない熱は、これまで廃坑のほら穴で生活していた少女に生の実感すら与えるのだった――。
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