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異世界なんだなーって思った。
「ねえ、ラーメン。色々聞いても良い?」
「……なんだ」
ハナは、光苔のほら穴の中央に鎮座する謎の石碑を眺めながら、周囲のコケを採取するセインダールに質問を投げた。
聞きたい事は山ほどある。
「まずさ、あたしがこことはまったく違う世界から来たって言ったら、信じる?」
「……まぁ、そうだな」
コケを採取する手を止めず、セインダールはあっさりと言った。
「お前は、明らかに異質だからな」
「あんまり驚かないんだな……。そういうのって良くあるの?」
「召還魔法の類であれば、他の異次元から一時的にこちらに呼び寄せる事もできる」
その言葉で、ハナは少し安堵した。
割と普通にある話なのであれば、自分がこのファンタジー世界にやってきた理由もすぐに解明できそうだからだ。
つまり、帰る事もそんなに難しい事ではないのかもしれないと思った。
「どうやったら、元の世界に戻れるかな?」
「知るか、専門外だ」
「……詳しい人間、知ってるか?」
「魔法大学まで行けば、召還士のプロフェッショナルがいるだろう」
セインダールは、聞けば回答してくれる。
してはくれるが、言い方はぞんざいでぶっきらぼうだった。まるで、必要以上に関りあいにならないようにしているように感じられた。
「……魔法大学ってどこ」
「……マーチの北西、クエストランの都だ」
「……マーチって何」
「…………」
そこで返答が止まった。セインダールの作業の手も同様にストップし、暫し沈黙が訪れる……。
「めんどくさくなった」
セインダールがぽつりと零した。
「は……?」
ハナは突然の反応に、きょとんとするしかなく相手の反応を窺うしかない。
「お前は『喉が渇いた』と言って、相手が『水を飲め』と回答した後、『水って何?』と言ってるようなもんだ!」
突如、激昂して怒声を飛ばすダークエルフは、子供でも分かるような比喩を交えてハナに詰め寄った。
なるほど、それはめんどくさい。
ハナは的確な例えに、なるほどと頷いてみせたが、本当に言っている単語が意味不明なのだからしょうがない。
と、思いながら、自分が今の世界ではかなりの常識しらずなのだとも良く理解した。
「すまん、ラーメン。でも、本当に何もかも分かんないんだ」
「あと、そのラーメンと呼ぶのを辞めろ」
「え、あー。わるい、馴染み深い言葉だったもんで……でも、あんたの名前だったよな?」
ハナはいつしか口調が中学時代の、着飾らない素になっていた。
おそらく相手が感情をみせたせいだろう。壁を作っていたダークエルフの、小さな『隙』が見えたような気がしたのが、ハナの口調を崩させていた。
「家の名前は、好きじゃないんだ」
(ラーメンって苗字か……イジメられそうだなあ)
「じゃあ、セイン……なんだったっけ」
「……セインでいい」
詰め寄っていたセインは、我に返ったらしくまた一歩、ハナから離れた。
「セイン、あたしは多分、こことは全然違う世界からやってきた。その理由も自分じゃサッパリ分からない。多分、事故的なもんだ。だから、全然ここの常識が分かんないんだ。助けて欲しい」
ハナは元来の包み隠さない性格をそのままに、素直に自分の状況を伝え、現状唯一の話が通じる相手にすがる他なかった。
だから、頭を垂れ助けを求めた。
「めんどくさいって言ったろ。俺に何の得があるんだ」
ダークエルフは、やはりつっけんどんな対応で返す。だが、ハナだってここで諦めるわけには行かない。
「もちろん、あたしに出来る事なら何でもする。コケ集めを手伝うよ」
「いいよ、もう必要な分は採取したし」
「なら、荷物もちでもやる! これでも腕力と体力は人一倍あるつもりだ!」
どん! と胸を叩いて鍛えた筋肉をアピールしてやるつもりだった。力こぶだって作れるのだ。
ハナがアピールするのを、溜息を吐いて黄金の瞳を細くして見ていたセインは、ハナにゆっくりと近づいてきた。
「じゃあ……」
セインは、そのままハナのプライベートエリアも無視する勢いで接近し、一気に顔を近づけてきた。
漆黒の肌に、銀色の眉。そして釣り目の金色がハナのすぐ目の前にくる。黒猫の瞳が見下ろしていた。
吐息すらかかる距離で、ハナは呼吸することも忘れてしまうほど、胸が高鳴った。
心臓の鼓動すら相手に聞こえてしまうんじゃないか。恋愛なんて考えた事もないハナでも、目の前の男が並外れた魅力を持った顔立ちをしているのは分かった。
なんせ、相手はファンタジー世界のエルフなのだ。日本の不良女子に、初体験の色香を感じさせる。
そんな目の前の男は、ハナを見下ろして、こう言った。
「俺の実験材料になってくれ」
「は!?」
あまりにも予想外の要求に、ハナはまぬけな声で聞き返すのだった。
「俺は錬金術師だ。様々な薬品を作っている。薬品の実験には、被験体が必須だ。俺の作ったクスリの実験体をしろ」
「げ、なにそれヤクかよ。流石のあたしも、そういうのは引く……」
「なら、この話は終わりだ」
「あー! 待て! 待て待て! やらないとは言ってないッ!!」
ここでこのダークエルフに置いていかれたら、完全に孤立する。この非常識な世界で。
それは避けたい。
現状を打破するためにも、この男の提案は飲むより他にないのだ。
「やるよ、やる! だから、色々とこの世界の事を教えてくれ!」
――こうして、東雲ハナは、ダークエルフの青年セインのモルモットになる事を宣誓したのだった。
**********
暗いほら穴をセインの後ろに続きながら暫く歩くと、やがて外に脱出できた。
その外の光景に、ハナは思わず「わぁっ――」と子供のように感嘆の声を上げたのだった。
ほら穴の外は、夜で空には輝く星と大きな月が一つ、小さな月が二つ浮かんでいた。
「――すっげえ――。月? 月みたいなのが三つもある――」
大きな月は、煌煌と青く輝き、小さな二つの月は白とグリーンで鈍く輝いていた。
それだけの光を天に抱えながらも、無数の星たちも負けじと煌めき、ハナの心のフィルムに鮮明に焼き付こうとする。
そして、周囲は岩肌の多い山岳地帯になっていた。
道は道ともいえないような砂利道だし、坂が上に下にと延びていた。
ハナ達の居場所は山の麓に近いところらしい。
少し下の景色に、川が流れ緑も多数確認できた。
「現代日本じゃ見れない風景だな……」
大きく息を吸い込むと、冷たいが清んだ空気が肺を満たして、心も体も軽くなるように感じる。
日頃自分達が吸っている空気が、どれほど淀んでいたのかを思い知らされそうだった。
「あの川を下流に向かえばイヒャリテだ。イヒャリテは……エルフの集落の名前だ」
「そこに行くの?」
「俺の家は上だ」
セインは、そう言い後ろを見上げるように首をもちあげる。
どうやら、セインはこの山に住んでいるらしい。
「いくぞ」
ハナは周囲にあるもの全てが新鮮でキョロキョロと見回しながら、セインについて坂道を登ることになった。
周囲は夜のため、月明かりしかない。
月が三つ。しかも大きなものもあるため、思うよりも暗くはないのだが、それでも視界ははっきりとはいかない。
「あまり離れるな。山賊狩りで治安が安定したが、野生動物はまだいるんだぞ」
「さ、山賊っ?」
あまりの幻想的な雰囲気に美しい世界だと夢心地になっていたハナを一気に現実に引き戻させる言葉だった。
現代社会のように治安が約束されている世界ではないのだ。
もしかしたら、ゲームみたいなモンスターも出るのかも知れない。
ハナは、意識を切り替えて、中学時代の戦いに明け暮れたあの感覚を手繰り寄せようとしたのだった。
暫し坂道を登り続けるのだが、ハナは自分の足元の不安定さに悪態をつくことになった。
何せ、自分が履いていたのは、キッチンのスリッパだったからだ。
まさに、あの牛乳を飲んだときの姿のままこの世界にきてしまっていたのだ。
そして、その事に気がついてはっとした。
(そうだ、あの時のままなら――)
そっと制服の上着のポケットに手を入れてみると、堅い板の感覚が指に触れた。
自分の携帯電話だ。
まさか、この異世界で携帯電話が通じるはずがないとしても、確認せずには要られなかった。
取り出し、画面を立ち上げるとアプリアイコンがいくつか並んでいるのと、圏外の表示、そして時計……普段のままのホーム画面が表示されるのだが……。
「やっぱり圏外か――あれ?」
電池残量のアイコンの場所に目を向けて、ハナは首をかしげた。
たしか、電池残量は少し減っていたように思う。
だが、充電はマックスまで溜まっているし、充電中を示す『稲妻』みたいな形のアイコンが点滅しているのだ。
もちろんこの携帯はどこにも接続なんてされていない。
だというのに、充電は今も続けられているらしい……。
(故障……かな)
電話としての機能を使えないのでは持っていてもしかたない。
気にはなったが、今はポケットに戻し、このスリッパをどうしたもんかと、足の痛みに対応するのが先決となりそうだ。
「止まれ」
先を歩いていたセインが弓を取り出しながら、制止の声を後ろに投げた。
はっとして、ハナは息を殺す。
(まさか、モンスターか?)
セインは夜道の先をじっと見ている。
そうして、ゆっくりと矢筒から矢を取り出し、つがえた。
矢が向けられている先は山道脇に広がる藪と木々の見通しの悪い草むらだった。
(なんだ、何かいるのか? 全然見えない……)
ハナは矢の向く方向をじっと睨むのだが、その先はただの草むらにしかみえない。
あの藪の中に何かいるのだろうか――。
ビュッ!
矢が放たれた。
鈍くズゴ! という肉に刺さりこむ音と、甲高い獣の悲鳴があがった。
「当たった!?」
「よし」
セインは、手ごたえを感じたようで、そのまま獲物がいた場所に駆け出す。
ハナも遅れて後に続くと、藪の中にはなんとも奇妙な生き物が息絶えていた。
頭部はネズミのようであり、その手足はモグラのように土を掘る為に発達したのか大きなツメがある。体長は中型犬程度のくすんだ毛を纏う獣だった。
わき腹に矢が刺さっていた。セインはそれを抜き、その死骸をよく確認して後ろ足を手早く縄で縛り上げる。
慣れた手つきで仕留めた獲物を吊り下げるような形で縄をくくり、持ち運びが可能にしたようだった。
「おい」
「え?」
「運べ」
「……え?」
「荷物もち、するんだろ」
「……これ、なに」
「モグラネズミ。今日の晩飯だ」
「ワイルドー」
ハナは、サバイバルなんてテレビ番組で『とったどー』と言っているところしか見たことがない。
ついさっきまで生きていた動物を抱えて山道を歩くというのは、結構に敷居の高い荷物運び初日だな、と青ざめた表情で汗を垂らすのだった。
重さ八キロくらいはあるだろうか、縄を背負うようにして担いで山道を登ることになった。
スリッパで踏み込みに力を入れづらい。
「せ、セイン……家はどのくらい先なんだ……」
「もうすぐだ」
「あ、そ……」
ハナは息を乱しながらも、日頃のケンカのお陰なのか、それでもどうにか歩けてしまえるのが我ながら大したもんだと思った。
セインの背中を見つめながら、少し気になることがあったので、気分転換に訊ねてみた。
「なあ、さっきの良く命中させられたな……あたし、全然見えなかった」
「ああ、魔法だ。変性魔法の初歩。<生命探知>」
セインが軽くこちらを振り返って教えてくれた。
<生命探知>の魔法で、暗闇であろうと障害物越しであろうと、そこに生命体がいれば、ぼんやりと視界にサーモグラフィーのように写りこんで来る。それを使って矢を命中させたのだという。
おそらく、セインとの初邂逅の際も使われていたのだろう。それで、ほら穴の暗闇からでも、的確に矢を射ることが出来たのだ。
持っているものを捨てろ、というセリフが出た事から、<生命探知>では何を武装しているかは分からなかったからではなかろうか。
「魔法ってすごいな……あたしでも使えるかな……」
「マナさえあれば誰でも使える。勉強は必要かも知れないが」
「へえ、そいつは……たのしみ……っ?」
ずるりっ――。
スリッパが滑った。
(や、やばっ――)
そのまま前のめりに転びそうになる。
両手はモグラネズミを支える縄を掴んでいるので、咄嗟に受身が取れない――。
ぐらりと崩れるハナの上体はそのまま、山肌の岩に倒れこむ。
ハナは思わず目を閉じた。
その瞬間、鈍い衝撃を体に受けた。
だが、思ったりも痛くない。
そして、カラダに伝わるこの暖かな感覚――。
「あ――」
ゆっくり目を開くと、ハナはセインの腕の中にいた。
すぐ目の前には、セインの黒い胸板がありハナを受けとめていたのだ。
大きく開かれていた胸元に治まる形で、ハナは耳にセインの鼓動を感じた。
(なんだよ、こいつ……けっこう筋肉あるな)
目の前の黒い青年の胸は日頃の生活で培われたであろう健康的な筋肉を見せていた。
日焼けとは違う、肌の黒さにどこか美しさすら感じてしまう。
どくん。どくん。ドキン、ドキン。
セインの妙に大きく、早い鼓動がハナの全身に響くようで、なぜだかハナはそのまま暫く動けなかった。
見上げると、セインの黒い肌は、紅潮していた。
汗を垂らして固まっている。
金色の瞳がゆらゆらと揺れて、艶々と月の光に光って見えた。
(って……、これって……なんかエロい!?)
ハナは男の胸に抱かれていることに、ハッとして真っ赤になって跳ね上がる。
「ごっ、ごめん! だいじょうぶ!?」
ハナはセインの両手にしっかりと抱きこまれている事に気がついて慌てて立ち上がった。
男にこんな風に抱きしめられたのは生まれて初めてだった。
立ち上がってから気がついたが、鼓動が高鳴っていたのは自分も同じらしい。
胸のあたりが熱くなっていた。
「……あほ……コケんな、アホ……」
セインが小さく悪態つくが、擦れた声は1オクターブ上がって聞こえた。
見たところ、怪我はないようではあるが、しばらく顔を落としたままでセインはモゴモゴしていた。
月明かりの銀髪がふわふわと揺れて、黒い耳の先は赤らんで見えた。
(なんだよ、ダークエルフだってテレるんじゃん……)
ハナは、堅い表情のダークエルフが見せた人間臭さになんだかほころんでしまった。
「ふふっ」
思わず、笑顔がこぼれてしまう。
異常な世界にやってきて、何も分からない状態で気を張っていたのだ。
だけど、少なくとも、今目の前にいるダークエルフは、ただの男の子にしか見えなかった。
ファンタジーな異種族だって、おんなじ心を持っているんだと分かって、ハナは堅くしていた精神をくつろげる事ができたのだ。
そんなハナの笑顔を月の蒼い明かりが照らす。
きっと、その光景は、ダークエルフの心にも差し込んだのだろう。
ハナを見上げるセインの瞳は、日本のヤンキー女子高生に奪われていたのだから。
三つの月の下、黒い髪の少女と、黒い肌の青年は、互いの中の小さな何かを確認しあったのだった――。
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