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雑多な色の人となり
「ヨナタン! ヨナ……えっ?」
坑道を抜けてほら穴から飛び出したハナが見た光景は、彼女の足を止めさせることになった。
ダークエルフがまばらに各々食事を取る中、一人のダークエルフの少年の前でヨナタンが跪き、深く頭を垂れていたのだ。
ダークエルフの少年は年齢にしてまだ十歳かそこらの子供であり、目の前で自分の視線よりも頭を深く落とし、地を見つめるように跪くエルフに、どうしていいのか分からないようで当惑している。
「ヨナタン……?」
ハナは状況がつかめず、様子をうかがっていた。そんなハナに、ラナがそっと教えてくれた。
「ヨナタンが、一人ひとりにああして、許しを請うているのです」
ラナ自身も状況に驚愕しているようであったが、これまでの経緯を説明してくれた。
ヨナタンは、ダークエルフに全員、配給したあと、一人ひとりの前に跪き、頭を深く下ろし、「すみませんでした」と謝っているのだという。
首輪を作り、人権を無視したことを侘びて回るエルフに、ダークエルフたちはどう応対したらいいのかわからず、何も答えない。
ひとしきり侘びると、ヨナタンは立ち上がり、また別のダークエルフの傍へ行き、跪いて侘びることを繰り返していたようだ。
それは相手を選ばず、あのような子供であろうと、深く頭を垂れ、首輪の事を伝えた後に侘びるのである。
だれもが、彼に何も声をかけることはできなかった。ダークエルフたちもどうしたらいいのか分からないのである。
これまで自分達を踏みつけていたエルフが突如、地面に額を押し付けん勢いで謝るのだから。
「私も、驚いています。あの首輪を作った冷血のヨナタンとはまるで別人です……。本当に、彼にどれほどの変革を与えたんですか?」
ラナが黒髪の少女に訊ねるのだが、ハナとて彼に大きく何かをしてあげたわけではない。強いて言うなら、タイミングが好かった、というだけだろう。
首輪を作り、妹の復讐と悲劇を胸に歩んでいたヨナタンは、いつまでも晴れがましい気持ちになれない己に苦しんでいたのだ。断罪を目的にせず、手段にするというハナの行動に、彼は救われたのだ。
罪に対する罰は、許しを与えるための道筋であることを示した普通の少女は、ラナの言葉に、何も答えられない。ただ、自分の当たり前の思いに動いただけだったから。
ダークエルフとして、これまでの恨みつらみもある。だからといって、反発の言葉をぶつけることも、許すような言葉もかけることはできない。相手はエルフなのだ。機嫌を損ねるような態度を示せば、またダークエルフを弾圧するような行動に移るのかもしれないと、怖れてしまうのだ。
「ヨナタン……」
これがヨナタンの贖罪の一歩なのだと、ハナは感じ取る。第三者にはこれをヨナタンの自己満足であると言う事も出来る。
しかし、ハナはこんな風に思うのだ。
(許し合えるためには、まず謝ることから始まるんだ。どんな一歩でも、歩み寄った一歩は、相手に寄り添うためにあるんだ――)
返事がもらえることなど期待はしていない。
今はそれは当たり前だ。
だが、この一歩こそ必ず両者のためになるはずだ。そうなるように歩んで行きたいと、ヨナタンは暗い地面を見つめながら祈った。願わくば、許される日がくるように、と。
「……うん、もうしちゃだめだよ」
その声に、ヨナタンは、顔を上げた。
ダークエルフの少年は笑顔で、ヨナタンに答えてくれた。
きっと、幼い少年には、ヨナタンの罪は理解できていないだろう。
だが、そんな子供でもわかることはある。目の前の年上の青年のエルフが、真剣に謝っているのだという事を。
少年の短い人生の中で、謝った人にできることは、許してあげることだけだと、知っていたのだ。
大人になれば、理屈やしがらみや、組織などが邪魔をする。だが、本質は全て同じなはずだ。真摯な思いには裸の心で答えてあげればいいのだ。
そう、信じたい。世界は、単純でもいいのではないかと、ハナはこの時だけは、楽観的でいたかった。
ヨナタンは、少年の言葉に涙を零して、もう一度、震える言葉で謝罪した。
「……すみません、でした……」
周りのダークエルフも、ハナもラナも、その光景に小さくも確実に心を動かされる。
ダークエルフたちが、自分達が見下ろす形でエルフの謝罪を聞きながら、己の足場を確認することになったのだ。
見上げるばかりだったダークエルフは、相手の顔をきちんと見ていなかったのだと。
同じ目線で並ぶヨナタンと少年に、彼らは何かを気付かされていた――。
「ヨナタン」
ハナがそっとヨナタンに声をかけた。
ハナが見ていたことを気がついていなかったヨナタンは、ゴシゴシと涙を拭き、赤らんだ顔で一つ咳払いをした。
「なんですか?」
「ダークエルフの病気の治療のために、薬草が必要らしいんだ。クチバシソウっていうらしい」
ハナはあえて、今までの出来事には何も言わないようにした。それがヨナタンのためだと思うから。
セインが必要とする薬品の話だけして、ただ真っ直ぐ彼を見つめるだけだ。
「分かりました。宿場まで行けばどうにかなるでしょう。お任せください」
「私も行く。私だって、何かしたくてたまらない。たまんないんだよ……」
セインも、ヨナタンもそれぞれに歩みだしているのだ。ハナとて、そんな彼らと共に歩みたいと願うのだった。
何も出来ない異世界の少女は、胸に根付く『熱さ』に身体をもてあましていた。
やりたいと思うことなど、これまで特に無かった。
何かに熱く心が動かされ、駆け出したくてしょうがないほどに、意欲が湧いてくる。
使命、などおこがましいが、自分がどうしてここにいるのか、なんだか分かったような気分になってくる。夢の欠片を見つけたような、若々しい心が翼を付けて羽ばたくのだ。
「行こう、ヨナタン!」
「ええ!」
二人は宿場へと駆け出していく。
そんな二人の背中を見つめながら、ラナは変革を目撃したのだと、今こそ確信をもった。
夜風がざぁっと、世界に吹き付ける。追い風だと、感じられた――。
**********
クチバシソウは酒場で飲んでいた行商人からあっさりと買い取ることが出来て、病人の薬も滞りなく作成することができた。
けが人のほうは、ヨナタンが回復魔法で癒してやることで、歩けなかったダークエルフも立ち上がってお礼を述べた。
「凄いな……二人とも」
大活躍のセインとヨナタンを見ていて、ハナは少し居たたまれない気持ちでいたのだ。
自分は結局何もできなかったように思う。
何かしたいと思ったところで、気持ちだけが先歩きし、行動としては特別何かを起こせたわけではない。
――忘れていたのだ。
イヒャリテ教会でリルガミンにアイドルになってほしいなんて言われて、思い上がっていたのかもしれない。
自分は日本の不良少女で、この世界で何かできるわけもないではないか。
「……うん……。二人は、凄いんだ」
自分との違いを少しだけ感じたハナは、距離を取るように、炭鉱から出て何をするでもなく、座り込み、月を眺めた。
見上げた月は雲がかかっていた。そのせいか、いつもよりは夜の闇が深く感じる。
(同じだけど、違いもある。それは当然な話)
だが、自分はどうだろう。明らかに異質な異世界の自分。
やはりどう考えていたって、ここはアウェイなのだ。自分の本来の居場所ではない。いつか離れるところだ。
(――いつか、離れる……か……)
本当にそんな日がくるのだろうか。元の世界に、自分の家に帰る日がくるのだろうか。もし、帰る手はずが整ったら――。
(そうだ――。いつかはこの世界からも離れるんだから、セインとも分かれる日が来るんだ)
当然な結論であったが、なぜだか見落としていた。……一期一会。……会者定離。
ハナが元の世界に帰ることを望む以上、別れは来るのだ。
(なんだろな……。このかんじ……)
胸の中に小さな針が刺さってしまっているみたいに、時折、ちくちくと痛むようだ。
喉の奥には何か黒い靄が渦巻いているようで、吐き出したくなる。
「はあ……」
思わず、溜息が漏れた。不快感に取り込まれて体の中の嫌なものを全部ぶちまけたくなるような重苦しい溜息だった。
(なんかすげえ、ムカついてる――? ムカついてるってのと、違うのか――? わかんねぇ……わかんねぇけど、気持ちがおもっ苦しい……)
ついさっきまではまるで自分の使命を感じたように、気持ちが高鳴っていたというのに、今はもう気持ちが泥沼にあった。
躁鬱病にでもなったのだろうかと思ってしまう。異世界に来て、環境の変化による、ストレス――? そんな風に考えたところで回答はどこにもない。
(何……、してんだろ、私……)
「どうしたのかしら?」
女の声にハナはいつの間にか伏せてしまっていた顔を上げた。
ラナが見下ろしていて、ハナの顔色を窺うように瞳を覗き込む。
「あ……いや、なんでもないです」
「なんでもないって溜息じゃなかったけど。疲れたのかしら?」
どうやらあの溜息を聞かれてしまったらしい。ラナが心配をして見に来てくれたのだろう。
「隣、いいかしら」
「あ、うん」
ハナの隣にラナが腰を降ろし、「ふー」と息を吐き出す。
ハナの溜息とは違い、一息ついた、というそれだった。
「あなた達のお陰で少し気が楽になったわ」
「ラナさんは、どうしてボランティアをしてたの?」
「……こんなことを許しておけなかったから」
と、ラナが厳しい表情を空に向け、きゅっと唇をかみ締めていた、が。
「というのは建前」
そう言って、苦笑いを浮かべたのだ。意外な反応にハナはきょとんとしてエルフの女性に目を奪われてしまった。
「人って、結局自分の幸せのために生きているでしょう?」
訊ねている口調だったが、回答は気にしていないらしい。ハナの反応も見ず、ラナはそのまま続けていく。
「私はね、何にもできないの。普通の人ができることも、なにも、ね」
苦笑いは張り付いて、瞳の奥は淀んでいるように見えた。声は低く落ち込んで、ラナの抱える何かが重々しく吐き出されるようにも感じ取れる。
「そんな事、ないと思います」
まるで社交辞令みたいな言葉だとハナは思いながらも、それ以外でなかった。
「小屋の明かりを見たでしょう」
ラナが突然の明かりの話題をしたので、ハナは「え?」と反射的に聞き返すことになった。言わんとする事がつかめなかった。
たしか、小屋の明かりは小さな蝋燭のみであったと記憶している。それがなんだというのだろう。
「……あなた、本当に変な子ね」
ラナがそう言い、クスっと零すような笑いを見せて、ハナは益々分からなくなる。何かおかしなところがあるというのだろうか。
「私はマヌケなの」
その告白で、ハナは合点がいった。
そうだ。この世界は魔法社会だ。蝋燭に火をつけ、明かりにする必要がない。魔法の<照明>があるからだ。
おそらく、セインもヨナタンも、この世界において蝋燭で明かりを用意するということが何を意味しているのか、すぐに察したのだろうが、ハナはわかっていなかった。
彼女は魔法が使えない体質だったのだ。
「マヌケというだけで、まともに仕事もさせてもらえなくてね。ま、それも当然の話。他の人よりできることが少ないのだから」
そういうものなのか、とハナは沈んだ声を誤魔化すように笑顔で続けるラナにどういう顔を向けていいのか分からない。
そんなことはない、と云うだけはできるだろうが、異世界育ちのハナにその苦しさは理解できないだろうと思ったからだ。
「だから、他の人たちには憐れに思われたり、同情されたり、見下されたりってね。……だから、私は自分よりもさらに可哀相な人たちを探すことにしたの」
「それって……!」
「最低、でしょう。でもね、最初はそういう気持ちから始まったの。私はこいつらよりもマシなんだ。私のほうが上なんだって。……そうやって、彼らを哀れんで自分を慰めていた。彼らに配給をして、私がいないと彼らは生きていけないって、カスのようなプライドすら癒そうとしていたわ」
ラナの告白は、予想外だった。
世のため、人のため。ボランティアをする人というのは、そういう『出来た人間』だと思っていたからだ。
だが、ラナはそうじゃない。そんな崇高な精神などはまるで持っていない、と自白しているのだ。
「そんな風にして始めたこの活動だったけれど、いつだったかしら。……私の気持ちを知りもしないで、ダークエルフが配給をする私に、こう言ったの。『本当に助かっています。有り難うございます』。……満面の笑顔で。お礼にと自作のブローチをくれたわ」
ラナの表情はもう苦みを堪えるものではなかった。
柔らかく白い微笑みは、幸福を湛え、見ているだけでもその幸せにあやかれそうな聖母のような微笑であった。
ハナの沈んだ精神すら、うっすら色を取り戻させるその力は、『真心』というものなのかもしれない。
「不思議なものでね。その笑顔で救われたのは私のほうだった。どこへ行っても必要とされなかった私が、彼らは必要としてくれた。私は、『感謝』されたかったのだと、気がついたわ。その気持ちは今も私の原動力のひとつよ」
最初の印象は幸の薄い、ほこり塗れで痩せ細ったエルフだと思っていたのに、今の彼女には逞しさすら感じる。
ハナは、また人を知ったのだと実感した。
第一印象や、その人のイメージからくる先入観の先にある、雑多な色をした『人となり』。これこそ、『虹色』なのだと、黒髪の少女はうずくまっていた身体を解くのだ。
人は、自分の欲求のためになら、頑張れる。他人を理由に頑張る事は、それこそ聖母のような精神力が必要なのだ。
「私、あなたのこと、大好きです」
「あら、ふふふ。ありがとう。私も、私の事、好きなの」
格好を付けないラナの告白に、マヌケがどうだなど、何も関係がないと思える。彼女はチャーミングだと、ハナはそう感じ取れたのだから。
そして、分かった。自分が何にイラついていたのか。
「私、カッコつけようとしてた。教会にバッジもらって、教区長にほだされて、セインやヨナタンに負けないようにって。でも、カッコつけようとして動いてたら自分がもっと惨めに見えたんだ」
――だから、ハナは自分にむかむかしていたのだ。
肩書きや、他の人に影響されて動くのではなく、自分のために動いたって、何にも悪くない。そうやって生きるラナが、今何よりも魅力的だと思えたから。
「ラナさん。やるよ。私の幸せのために」
やりたいことは一つじゃない。
目標は元の世界に戻るだけじゃない。
レッテルを剥ぐことが、ハナにとっての幸せにも繋がるのだ。
(私……自分のことだったんだ。セインの、ダークエルフのこと、自分に重ねてた。だから、人のことを知りもしないで知った振りをしたくない。わかった振りをしたくない。私、人間に触れたいんだ。エルフもダークエルフも関係なく、人となりを認め合いたかったんだ)
見上げた空は三つの月が明かりを下ろし、雲はいつしか去っていた。
何も焦って特別なことをしなくてもいい。
相手を知り、自分を知ってもらおう。
そこから、マーチは変わっていけると信じてみよう。
だって、異世界も人の世なのだから――。
**********
一夜明け――。日が昇るころ、虹川党はまた馬車に乗り込んでいた。
宿場町で得た一夜の出来事は、ハナにとっては重厚な一夜となった。ダークエルフのことも、エルフもことも改めて知ることができた。
そして、自分の内に秘める意思にも、気がつくことができたのだ。
「くぁぁ……こいつのせいでまったく眠れませんでした」
ヨナタンがあくびをかまして、不機嫌そうにセインを睨んだ。
どうも昨夜はあれから宿屋で御互い、隙をみせないように踏ん張りあっていたらしい。
要するに、寝顔を見られたくなかったとのことで、どちらも寝ずに起き続けていたようだ。
「ふふん、だらしないヤツ」
「お前は、昨日の午前中、馬車で寝ていたからだろうっ!」
どうせ、セインが眠れなかったのをヨナタンが変に気にしすぎて揉めたのだろう。ハナは相変わらずの二人に溜息をつく。
ハナのほうは、ハナのほうで、酔っ払って帰って来たアデリンのいびきに悩まされながら、眠ることになったのだが。
「馬車はこのまま、イヒャリテ領の境を越え、マルテカリ領に入ります。イヒャリテとは少々世情が違うので気をつけてくださいね」
「具体的にはどう違うの?」
「マーチは南に行けば行くほど、エルフの影響力が薄くなります。ダークエルフの数も増え、エルフの中にも日陰者が増えてくるでしょう」
「つまり、イヒャリテよりも治安が悪いってことだ」
「だとしたら……ダレンの連中も動きやすいのか」
どうやら、この領境を越えてから、虹川党としての活動が本格的になりそうだ。
せまる領境の橋を目前に、三人は眠気を振り払って、気を入れなおす。
橋を越えるその時、荷馬車がガコン、と揺れた。
「きゃ」
可愛らしい悲鳴がひとつ三人の耳を打った。
「……私じゃないぞ」
「それは分かる」
否定するハナに、間髪いれずセインが答えた。まるで『お前はそんな可愛い悲鳴をあげるキャラじゃない』と言いたげだった。
むっとするハナの奥に積まれた荷物をヨナタンが調べると、一つの木箱が目に付いた。他の木箱と違って少々色合いとつくりが違っているのだ。
「……これ、ありました?」
「……いや」
ヨナタンが木箱の蓋に手をかけ、二人に目配せをした。
ハナとセインはひとつ頷き、すぐに動けるよう中腰の姿勢になる。
ヨナタンが、それに頷き返して、一気にその箱の蓋を開いた。
「ひっ」
「あ、あなたは?」
箱の中でまるくなっていたのは、銀色のぼさぼさ髪にボロ布の服に身を包んだダークエルフの少女だった。その顔に、ハナとセインは見覚えがあり、眼を丸くしてしまう。
「アッシャ!?」
密航者は坑道で知り合ったダークエルフの少女、アッシャ・セラフォー・ヨウパクだったのだ――。
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