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マルテカリのビーバーズレイクにて
虹川党の乗る荷馬車は、イヒャリテ領を越えて、ついにマルテカリ領に入り込んでいた。
大きな川を挟んでいる領境の標しであるエートーン橋を渡れば緑豊かなマルテカリ領となる。
イヒャリテよりも、少し湿った空気と草木のにおいがするマルテカリは薬剤として使える様々な草花が生きている。そのため、錬金術師のメッカとして有名な領域となる。
だが、荷馬車の三名は、四人目を見つけたことで外の景色どころではなかった。
「な、なんでアッシャがここに……」
古ぼけた木箱の中で蹲っていたアッシャは相変わらず箱の中で小さくなったまま、三人の視線を受けて固まっている。
「説明をしてくれますね」
ヨナタンがそう訊ねると、アッシャは表情を青ざめて、ますます堅くなった。
「あ、あの、あ、あのっ……その……、すみませんッ……! お、お、お許しくださいっ……」
怯えた声で震えるアッシャが木箱の中で土下座した。
「み、みなさまが、マルテカリへ行くと、聞きましたっ……。そ、それで、マルテカリに、行きたくて、忍び込んだのです……っ」
少女がカタカタと震えると木箱ごと震えるので、まるで木箱が怯えてしゃべっているようにみえる。
状況が状況なので、滑稽な姿であるが笑えない。
「どうして、マルテカリに行きたいのですか」
ヨナタンが重ねて聞くと、アッシャはもう泡でも吹き出しそうなくらい真っ青で、汗をだらだらと垂れ流して、固まる舌を必死に動かし弁明するのが見ていて辛い。
ひょっとすると、ダークエルフのアッシャにとって、エルフのヨナタンから詰問されるのはかなり怖いのかも知れない。
これまでエルフから虐げられてきたトラウマもあるのか、小さく細い身体を強張らせ、断頭台にでも登ったかのように竦んでしまっている。
「ヨナタン、ごめん。アッシャの相手、私がするからちょっとだけ退いててくれないか」
「え? ……あぁ、そうですね。おねがいします」
ヨナタンも察してくれたのか、その場はハナに委ねられた。ハナは木箱の少女に手を差し伸べ、立ち上がらせる。
「アッシャ、とりあえず箱からでよう」
「う、……はい……」
箱から這い出るようにアッシャはもつれながらも荷馬車の床に座り込み、また改めてふかぶかと頭を下げる。
「実は……マルテカリには私の兄がいるかもしれないのです」
土下座のままに、おでこを床に押し付けてアッシャは告白した。
「え、……出稼ぎに出たっていう?」
「はい。マルテカリで仕事を見つけたという連絡の後、もうまるっきり音沙汰がありません。わ、私は……、兄の行方を……元気にしているか、しりたくて……」
行方不明の兄は、アッシャにとって唯一の家族だ。気になっていたのは当然だろう。そこにたまたまやってきた虹川党がマルテカリに行くと知り、夜中のうちに馬車に忍び込んでいたようだ。
大人しそうな外見とは裏腹にかなり積極的な行動に移った少女は、それだけ兄に対して本気なのだろうと理解することもできた。
「なるほどな。動機は分かったが……よくこの馬車に忍び込めたな。割としっかり戸締りはしていたと思ったが」
セインがよく車庫内の荷台に潜り込めたな、と軽く驚いていた。戸締りはきちんとされていたし、生半可な細工なら、出発前に気がついたはずだ。
「……もうしわけありません、私……手先が器用なので……簡単な細工は自在に扱えるんです……カギを外すくらいはあまり苦労もなく」
「つまり、盗人紛いの事もこれまでやってきていたのか」
「……も、もうしわけありません……もうしわけ、ありません……っ、なんでもします、なんでもいう事を聞きますから、お許しください……」
これまで彼女がどうやって生活をしていたのか、少しだけ窺うことができた。彼女は以前、手先が器用で細工品を売っていると言っていたが、どうもそれだけではなかったようだ。
見事に忍び込んだ技術は、それなりの経験を得て培った技術が見えていた。
盗みをしなくては厳しかった状況もあるのだろう。ハナからすると、同情こそすれ少女を責め立てる気持ちは湧かない。
怯えて侘びるアッシャに、ハナは上体を起こさせて、その肩に手を添えしっかりと力を込めた。逃がさないという意思ではなく、きちんとしろ、と伝えたかったのだ。
「なんでもするとか、簡単に言うな」
自分の事を捨て鉢のように扱って欲しくないし、心身ともに、大切にしてほしいという願いを両手に込めた。
「も、もうしわけありません」
「いいからとりあえず、頭を上げて、謝るの一端中止」
ハナの言葉に、アッシャは強張らせていた体を少しだけ緩めてくれたようだ。
「ヨナタン、マルテカリまで一緒に乗せていくことくらい、いいよね」
「まぁ、ここまで来てしまったことですし。マルテカリまで連れて行くこと自体は構わないのですが……」
仕方ない、という表情で頭をかきながら、ヨナタンも同意した。
セインは、ひとつ頷いただけで別段気にしていないようだ。
「じゃあ、アッシャ。マルテカリまで一緒に行こう」
「……すみません、出来る事はなんでもしますので……」
「だから、謝るのも、何でもするとか言うのもナシだってば」
「あ、すみま……、あ……ええと……。ありがとう、ございます……」
ハナの言葉で、やっとアッシャは顔を見てくれた。よほど怖かったのか、目の端には涙が溜まっていて、瞬きをするとそれがこぼれてしまう。
「今夜は、マルテカリの宿場町に泊まることになっていますが……彼女の事はどうしましょうか」
「アッシャも一緒に泊まればいいんじゃ?」
イヒャリテ領の宿場では、セインも宿屋に泊めることができたのだから、マルテカリ領で、アッシャが一人増えたくらいなんという事はないと思った。
しかし、アッシャは恐れ多い、という態度で身を縮めて、遠慮した。
「わ、私はこの荷馬車に居させて頂ければ十分ですので……」
「なら、俺も荷馬車でいい」
セインまでそんなことを言い出してしまったことに、ハナは驚いた。せっかくゆっくりとでもエルフとダークエルフの溝を埋めるべく、一歩一歩を歩みだしていると思えたのに、ここに来てまたダークエルフが遠慮して、エルフを避けていては進んだ一歩をまた引き返すことになるのではないかと思えたのだ。
「遠慮はしなくていいんだよ。セインだって……」
ハナが二人に宿泊を促そうとするのだが、セインは「いやそうじゃない」と首を振った。
「……マルテカリは、前から興味がある土地だったんだ。錬金術師としてな。それで、夜に咲く花や光虫を見たくてな……夜、少し自由に活動したいんだ」
なるほど、セインは錬金術師であるし、マルテカリは様々な薬草が群生する魅惑の土地なのだろう。
夜だからこそ得られる素材もあるようで、そのために夜間フィールドワークに出たいとのことだった。そういえば、セインと始めてあったのも夜中だったとハナは思い出した。もしかしたら、錬金術の素材集めは夜のほうが都合がいいものもあるのかもしれない。
「セインダール、私も御手伝いをさせてほしいです」
そう言ったのは、アッシャだった。意外な言葉に一同は目を丸くした。
「……みなさんにご迷惑をおかけして、マルテカリまで連れて行ってもらうのですから、せめて何か御手伝いがしたいの……」
お礼がしたいという気持ちはよく分かる。しかし、アッシャの雰囲気に少しだけハナは引っかかるところがあるのだ。
アッシャはハナやヨナタンと向き合うときはカチカチに固まって、竦んでしまうようだったが、セインに対する時は随分と柔らかい表情をするのだ。
同族だから……? それもあるだろう。これまでダークエルフと共に生活してきた彼女だから、セインの傍にいることは安心するのかもしれない。
「……宿場付近とはいえ、夜のフィールドワークは危険だぞ」
「平気です。それに私、鼻が利くんです。薬草のにおいを教えていただければ、それを見つけられるかも」
「犬か、お前は」
「えへへ……」
笑った――。怯えていたアッシャが、セインとの会話でなら、素直に表情を綻ばせるのだ。
ハナもヨナタンを顔を見合わせて、アッシャの反応に目を白黒させるのみだった。
それから、夜の活動のためセインは荷馬車の隅で眠りこけていた。アッシャはそこに寄りそうに座り込んでいて完全にセインに懐いている風である。
結局、今夜は素材探しのために、セインとアッシャは馬車待機することになり、ハナとヨナタン、御者のアデリンが宿屋に泊まることになったのだが……。
ハナはなんだか気分が悪い。
(……なんだよ、くそ……。なんか、すげー腑に落ちない)
何をむかむかしているのだろう。せっかくアッシャに歩み寄ろうとした自分を差し置いて、セインがいとも容易くアッシャと打ち解けてしまったのが悔しいのだろうか。
(ちぇ、せっかく女の子の話ができるかと思ったんだけどな……この世界の女子の感覚とか、いろいろさー?)
と、頭の中で悶々と言葉をつむいではセインの横でちょこんと座り休んでいるアッシャを見ていた。
そして、彼女の服装を見て、思い立った。
アッシャは坑道のときの服装のまま、ぼろぼろの麻布の服に身を包んでいたのだ。足は裸足だったし、まともな服装を着させたかった。
「あっ、そうだ! アッシャ、これ着てみない?」
「は、はい……?」
そう言って取り出したのは、高校の制服だ。今はヨナタンと選んだ冒険者装備だから、制服は着ないのだが、大切にとっていた。高校の制服なら今のアッシャの服よりはマシだし、見た目も随分綺麗になる。
「これは……」
「私の服なんだけど、いまは使ってないから。アッシャがよければ、なんだけど」
「そ、そんな……ファナ様の御召し物を……私が着るなんて恐れ多いです……」
「いや、だから、そんなにかしこまらないで欲しいんだけど……その、わ、私さ……女の子の友達って一人もいないからさ……と、と、友達になってほしい、ん、だけど、さ……」
後半の言葉はもうしどろもどろに真っ赤になって言っていた。
高校デビューで上手く行かなかった自分にとって、同い年の女の子の友達は憧れの一つだったのだ。
実際のところ、虹川党はヨナタンにセインと、男ばかりだ。この世界の女の子を知りたいというのもあったのだ。
「でも、こんな綺麗な服……私、みたことありません……」
「あー、まあほとんど新品だし、なんか有名なデザイナーが作ったって制服だもんな。きっと、アッシャに似合うと思う。着て見せてくれないかな」
「……ほんとに、いいんですか? こんな素敵な服を……私みたいなのが……」
「いいよー! 体格もそんなに違わないし……イヤなら無理には勧めないよ」
無理強いしているようになるのはイヤだったので、ハナは取り出した制服を畳み始めたのだが、アッシャは「あ……」と小さく声を出し、所在なげに手を伸ばす。どうやら着てみたいという気持ちはあったようだ。
「はい」
ハナが制服を差し出すと、アッシャは「ありがとう」と小さく呟いて受け取った。
「ヨナタン、ちょっと外向いてて。セイン、今起きたら永眠させる」
男共の視線を外させ、アッシャの着替えをマントで隠しながら手伝ってやる。
「あの、これは……帯ですか?」
「あ、それはネクタイ。貸して?」
と、ネクタイをしてやろうとして、人にネクタイを巻いてやったことがないハナはネクタイの締め方が上手く行かず、アッシャの後ろに回って、自分でネクタイを締めるときのように、アッシャに巻いてやる。
「はい、できた」
「すごいです……こんな綺麗な服、初めて着ました」
「あー鏡でもあればいいのにね。ヨナタン、ちょっと見て。どう、アッシャ」
ヨナタンが振り返ると、ハナの制服に身を包むアッシャが恥ずかしそうにしていた。
グレーのブレザー姿のダークエルフの少女は、見違えるように可憐だった。
白いシャツから黒い肌が覗き、短いスカートからは細身の脚が伸びている。
「え、ええ、その非常に良いと思いますが……その、少々スカートが短いのではないかと……」
「あ……。そういえば、こっちはあんまり脚を出したりしないんだっけ……ごめん、アッシャ。恥ずかしかったよな」
「い、いえ! とても、素敵な御召し物で、身に余る光栄です……」
そう言いながら、アッシャはちらちらとセインを見ていた。
セインはすっかり眠りこけていて、アッシャを見ていない。
そんなアッシャを見て、ハナはやっぱりな、と思っていた。
(アッシャ、セインのこと、好きなんだ……)
可愛い服を着て、好きな人からの感想を聞きたいのは当たり前だろう。
同じダークエルフで、虹川党で活躍していて、頼りになるセインに惹かれてもなんら不思議な事ではない。ひょっとしたら、兄の事以外にも、彼女がついてきた訳がそこに含まれているのかもしれないなと感じ取った。
「セインが起きたら、見せてあげなよ。アッシャも夜セインに付き合うんなら、少し眠っていてもいいよ」
「あ……はい。ありがとうございます、ファナ様……!」
恥ずかしそうにして大きな瞳をパチパチしながら、アッシャは大きくお辞儀した。勢いよく九十度に折り曲がった身体は、やはりどうしても硬さを感じざるを得ない。
「ファナ様は辞めてってば……。友達に、なってほしいって言ったじゃん……」
ハナだって、そこに関して言えば、恥ずかしくて顔が熱くてしょうがない。友達になってほしい、なんて恥ずかしい言葉を何度も言わされてしまって、もう不良も何もないなと『自分で感じる自分らしさ』に恥じらいを持ってしまう。
「……ファ……ファナ……、ありがとう……」
勝手に決めた自分らしさを持っていたのは、ハナもアッシャも同じなのだと、ダークエルフの少女は赤くなる黒髪の少女を見て、やっと理解できた。
同じ女の子なんだと、アッシャはやっと、ダークエルフの土台から降り立ち、ハナに柔らかく笑んだ。
「あ、あのう……ですから、スカートがちょっと短いのではという私の意見はですね……?」
蚊帳の外のヨナタンは制服姿のアッシャからそろりと目を外し、ちょっとだけ泣いた。
**********
――やがて、一行の乗る馬車はマルテカリの森を抜けて、大きな湖がある宿場へと辿り着く。
あたりはもうとっぷり日が暮れていて、ジージーと、何かの虫の鳴き声が周囲で響いている。
「着いたよ。セイン、アッシャ」
眠っていた二人を起こして、ほろから顔を覗かせたハナはマルテカリの宿場、『ビーバーズレイク』の景色に目を奪われた。
大きな湖である『ビーバーズレイク』の傍に作られたこの宿場は、湖で取れる新鮮な魚と豊富な野菜に果物が魅力で、美味い食事を愉しむことが出来ると評判らしい。
湖の大きさもまるで海のように大きく、日本の琵琶湖ってこんなところなのかなとハナは想像した。異世界の湖を見て、琵琶湖を空想するあたり、なんだかおかしな話ではあるが。
しかし、ハナが目を奪われた理由はその大きさではなく、湖が蒼く光り輝いていたからだ。
その光は天の三ツ月が水面に映って、反射しているためだとヨナタンが解説してくれたのだが、そんな理屈をほったらかしてもその光景は圧巻だった。
「すごい! まるで、月の海……」
「お前、ほんと月が好きだな」
セインがなんだか随分と優しく笑って言うから、ハナは急に恥ずかしくなってきた。はしゃぐ子供を見る親みたいで、こっちを子供扱いしてるんだと思ったのだ。
「だ、だから! 月が好きなんじゃなくて、スゴいっつーか……」
言い訳を変に考えながら、あっと、気がついた。
月を映す水面なら、鏡のようではないか。アッシャに今の姿を見せてあげることが出来る。
「アッシャ! 一緒に湖に行こう」
裸足のアッシャに、間に合わせのスリッパを渡し、とりあえずの裸足対策をして馬車の外へ連れ出す。
水面にアッシャを映してやると、そこには蒼の光にゆれる幻想的なダークエルフの少女が映し出される。
ダークエルフが日本の女子高の制服を着ているのが、なんだかちょっとコスプレみたいに見えてしまうが、独特の美しさと怪しさが混ぜ合わせになって、ある種の背徳的な印象を深めさせる。
「……はわ、こんな……こんな私……変ではありませんかっ……」
アッシャが改めてみた自身の姿に自分の身体を両手で抱いて蹲ってしまう。
想像以上にいつもの自分と違って見えたアッシャは、なんだか急に恥ずかしくなってきたのだ。
「いやー……なんというか……小悪魔チックな見た目というか……ある種、私より似合っていて凄い」
「そ、それは褒めているんですか!?」
「褒めてる褒めてるっ! たぶん、私の世界の男だったらほっとかないレベル……」
アッシャの制服姿はなんというか、ある種の男性に非常に好まれそうな見た目に仕上がった。正直なところ、コスプレ会場に連れて行けば注目の的になるのは間違いないだろう。
「セインダール……? 私は、変ではありませんか?」
アッシャは消え入りそうな声でセインに見た目の評価を訊ねる。
だが、そのセインはさっそく湖の周りの草花に心を奪われてしまっていて、アッシャもハナも眼中にない様子で、木々の間で蹲っては草花を観察している。
「すごいぞ……! 湖だから、湿気が多いんだ。こんなにリュウノヒゲが群生しているのは見たことがない! む! まさかあのキノコはカブトダケか!」
まさに虫取り少年の顔で、目をらんらんとさせてガラにもなくはしゃいでいる。
そういえばヨナタンも魔法関係になるとあんな風に人が変わっていたような気がする。男というのは、自分の好きなものにどうしてこう夢中になれるのだろう。まったく周囲の目を忘れてしまっているのだ。
(とはいえ……、ああいう無邪気な顔のセインを見ると、なんだか私も嬉しくなっちゃうな……)
セインはいつも仏頂面でいるし、ダークエルフであるために、基本的には心を素直に見せてはくれない。セインが笑っていられる世界にしたい。そう思ったのは前も今も変わってない。それが私の原動力の一つなんだと、ハナは自覚しなおした。
「……とはいえ、アッシャを無視するのは重罪だ、セインッ!!」
薬草に夢中のセインをとっつかまえて、アッシャに向き直らせる。
「ぐえ。何をする……」
「アッシャのこと、ちゃんと見てろ! 今夜は二人で活動するんだろ!!」
アッシャのほうに蹴っ飛ばしてやって、強引にだが、二人をくっつけてやる。
「セインダール……」
アッシャが自分の足元に蹴っ飛ばされてきたセインを気遣いように寄り添う。二人のダークエルフは青く光る湖をバックに、シルエットが重なるようだった。
(御似合いじゃん)
その光景は、まるでメルヘンの絵本の一場面のように様になっていた。ダークエルフの男女が寄り添い、青の光線が柔らかく二人を包むと、二人の銀色の髪が空気に彩りを与えるように透明に光る。
(私の黒い髪じゃ、ああは行かないなー)
「セインダール? 私、この格好、変じゃないですか?」
アッシャがセインを覗き込むように訊ねるとセインはアッシャをまじまじと見つめて言うのだ。
「あぁ、可愛い」
セインはアッシャを見つめて、金の瞳を細めながらいつもの低い声でそう言った。
――ずき――。
(あれ)
ハナは胸の中に何かを突きつけられたみたいに、痛みを感じた。重くて、鋭くて、でも見えない。そんな痛みだった。
(……セイン、人に対して、可愛いなんて言うんだ。……あ、そっか。好みのタイプってヤツか)
――ずきん――。
(アッシャ、かわいいもんな)
「ほんと、ですか。うれしい、ですっ……」
アッシャは凄く嬉しそうに笑う。
セインもなんだか柔らかい表情でいたし、とてもいい雰囲気だ。どう考えてもいいことだ。だというのに――。
(だって、私はいつか元の世界に帰るし。ずっと一緒じゃないし、幸せを考えるなら、二人のほうがいいし)
――なぜ自分は心の中で言い訳をしているのだ?
――何に対する言い訳だ?
「じゃあ、セイン。アッシャ。私、行くから」
「おう」
「ファナ……。本当にありがとう!」
「うん。じゃあね、また明日」
ハナは二人に背を向け、宿屋でチェックインの手続きをしているヨナタンのもとへ駆け出した。
逃げるように。避けるように。その場を後にした。
また明日と言った時、うまく笑えただろうか。
なんだろう。この感覚は。
いきなり見えない膜で覆われたみたいな、不自然な――居心地の悪さ。
呼吸するだけで、身体の重みを感じるみたいなこの違和感。
「変だな、私。たぶん、何も間違ってないと思うのに。なんか、すげえ、違うって思う」
セインは最後、どんな顔をしていたろう? それも思い出せないまま、ハナは宿屋のドアを潜り抜け、明るいロビーで立ち尽くした。
魔法の明かりが灯るロビーは、どこか冷たい光で、今のハナには丁度いいなと思えた。
丁度いいなと、思えた。
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