恋路に灯る

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恋路に灯る

 テーブルに所狭しと並んだ料理の数々にヨナタンは大いに目を輝かせていた。  食欲をそそる塩気を含んだ魚の香りは、淡水魚独特の臭みがなく、よく刻まれた香草と合わさることで口に含むと互いに味を引き立てあい、さっぱりとした魚の脂が舌の上で溶けていくのだ。 「いやー、最高ですね。ビーバーズレイクと云えば、ゴジャ。それに野菜と果物。味も実に上品です」  ゴジャというのは、この魚の名前で、ビーバーズレイクに棲む淡水魚である。見た目はアユにそっくりで、泳ぐ姿は月の明かりを受けて青く輝くという。 「ほんと、うまいな。産地直送っていうより、釣ったばかりの新鮮さがよく分かる!」  ハナもこの魚料理には舌を巻く。さっぱりした素材の味を活かした味付けは和風の料理を想像させて、口に合うのだ。 「あとでジョレンも食べていただきたい。口の中をさっぱりとリセットしてくれる果物ですよ」  ジョレンもこのマルテカリ領の特産品で、こちらは例えるならグレープフルーツだろうか。酸っぱいけれど、その奥からじわじわと湧いてくる甘みに虜になってしまうエルフが多いという。 「セインもさ、こっちに来てたら食べられたのにな!」 「まったくです。まぁ、あいつの事ですから、その辺りで適当に食べられるキノコでも探して食っているんじゃないですか」 「アッシャもいるし、ちゃんとしたもの食べさせてやってほしいもんだね!」 「な……なんだか、やけに上機嫌ですね……?」  ハナが焼き魚をガツガツと食しながら、やけに威勢よく会話するので、ヨナタンがふと、窺ってきた。  その言葉を受け、ハナはますます元気よく……というかどこかヤケクソ気味にも聞こえるテンションで答える。 「そんなことねーよー! 明日はいよいよマルテカリかと思うと、ワクワクがとまんねーっていうかー!」 「は、はあ。ともかく、気合は十分なようでよかったです。さあさあ、まだまだ料理はありますし、しっかり食べておきましょう!」 「おうー!」  二人は宿場の一角のレストランでバクバクもりもり食事を愉しんだ。  ……ヨナタンはともかく、ハナは半ばヤケ食いのようになっていたのだが。事実、ハナは「うまい」と言った魚料理の味を、宿屋の自室に戻るころにはまったく思い出せなかったのだから――。  少女の心はどこにあっても焦れていた。腹が減っているせいだと、これでもかとかっ込んだのに、腹がいつまで経っても満たされない。気持ちに、満足いかないのだ。 (ちくしょー! なんだかもう! なんだかもう! って感じだ!! なんだかもう!!)  今夜はヨナタンとアデリンが同室で、ハナは個室を割り当てられた。一人で部屋のベッドに寝転ぶと、なぜだかやけにムカムカする想いが湧き上がるのだ。  ――あぁ、可愛い――。  セインの言葉がリフレインした。 「んがあ!」  その回想すら蹴っ飛ばしたくなる。思い切り布団に脚をばたんとほおりだす。 (なんだよ、なんでムカついて、セインのこと思い出してる!? アッシャは可愛かったろ! 御似合いだったし――) 「んがあ!」  今度は蒼い湖に映える二人のシルエットが思い出されて、またも脚をばたん、とベッドに叩き落とす。 (なんだかもう! なんだかもう!! わけわからんけど! なんだかもう!!)  ばたんばたんと、脚を上げては落し、上げては落し。ハナは留処なく湧き上がってくる嫌な気持ちを叩き潰すように、脚をばたつかせていた。  その光景は非常にかっこわるく、スーパーで好きなお菓子を買ってもらえず駄々をこねるお子ちゃまのそれを彷彿とさせるものだ。 「あー……。なんっか……だめ、私……」  右手を頭に持ってきて、コツン、と手の甲でおでこを軽く叩く。正常を取り戻せ、と自分に言い聞かせたかったのだ。  だが、ベッドに横になっていると、どんどん色んな想いが浮かんでくる。  その全てはなぜだかセインのことばかりであった。 「だから、だめだって、私……」  思い出すなよ、東雲ハナ――。  そう自分に言い聞かせる。無意識に、それ以上は踏み込むと危ないというように。  自覚の前に、吹き消すんだ。  これは錯覚で、勘違いで、間違いで、正しくないのだ。 「私は自分の世界に帰るんだ」  これが目的で、真意で、優先で、正解なのだ。 「……だから……。だめだって。……ばかやろ……」  夜は長そうだ。  瞳を閉じれば、瞼の裏に浮かんで来てしまうから、ハナはただぼんやりと人工の魔法照明を見ていた。  白く、冷たい明かりは蛍光灯に似ていて、じぃっと見ていると『無』を感じられる。  今はこれが、酷く安心する。 (そうだ、携帯……)  ポケットに突っ込んでいたスマホを取り出して、画面を見つめる。  やっぱり充電はなぜだか切れないスマホを見ていると、自分の世界の事を少しでも感じていられる。 「これが、私の第一目標」  ぼんやりスマホの画面を弄っていると、カメラアプリが起動してしまった。画面の中に宿屋の客室の天井が映っている。 (あ、そうだよ。スマホで写真とってやれば、湖まで連れて行かなくたって、アッシャに姿を見せてやれたじゃん)  と、考えて――またじわりと滲み出した黒い苦味が心を侵食してくるのを感じて、ハナは重く溜息を吐き出す。 「最悪だ」  ぱたりと投げされた右手からスマホも零れ落ち、ベッドの布団へ沈む。 「なんで……、キスとかしたんだよ。…………ばか…………」  あれさえなければ、変に意識なんかしなかったのに。  まるで遠くの雨音のようにささやかなハナの声は、霞のように霧散していく。  今頃、二人はどうしているのだろう。  ハナはもういちど、ぱたん、と脚を上げて、落とす。  力なく、それは布団が柔らかに受け止めた。  ――トントン。  モヤモヤ揺れるハナの思考をノックの音が遮った。 「……ん。誰だろ」  嫌な思いをぶつ切りにしたくて、気持ちを切り替えベッドから身を起こす。  ドアを開くとそこに居たのはヨナタンだった――。    **********  くんくん、と鼻を動かして、周囲を見回すとアッシャは後ろのセインに手を振った。 「セインダール! こっち!」 「……まじで犬……」  セインがアッシャについていけば、そこには目的にしていたキノコが木の根の脇に生えていた。 「ふむ……。十分な量も集まったし、食事にするか」 「あ、はい。どうするんです?」 「焼く」  セインは今採ったばかりのキノコをそのまま焼いて食べるつもりらしい。 「いいか、カブトダケは加熱せず食べると食中毒を起こすが、火を通すだけで食べる事ができるし、歯ごたえがあって腹にたまる。喰うに困ったらこれを探せ」 「は、はい!」  セインとしては、アッシャにこの世界でダークエルフとして生きるために知っていれば役に立つサバイバル知識を教えてやっているつもりだった。  もし、この先アッシャが生活に困ることがあった場合、自然の中でも生活の知恵を活かせるように。できることなら、盗みに手を出すことなくやっていけるようにと、セインなりに彼女へ気遣いをしていたのだ。  簡素ながら焚き火をして、カブトダケを焼く。カブトダケはキノコにしては香りは強いほうではないのだが、アッシャは本当に鼻が利くらしい。淡い香りを鼻腔で受けつつ、歯で噛み付いてキノコの繊維を縦に裂くとスルリと楽に切断できる。肉厚でそのまま咀嚼すれば濃厚な汁がじゅわりと口に広がる。  さながらエリンギに近いキノコである。 「キノコは干しておけば保存食にもできる。干しキノコを戻す時は温水ではなく、出来る限り冷水につけるんだ。栄養も味も落ちないからな」  アッシャはセインのキノコうんちくに耳を傾けながら、彼との焚き火を囲んだ食事に幸せを感じていた。  これまで食事がこんなに美味しいと思ったことはない。キノコ自体も美味しかったが、それだけではない何かが舌を刺激するのだ。 「喰ったらもう馬車に戻って休んでいろ」 「えっ。セインダールは?」  アッシャは付きっ切りでお供するつもりでいたので、ここでセインから先に戻れと言われ、酷く動揺した。 「俺はもう少し調べたい事があるんだ。少しハードワークになる」  木々の隙間から覗く月を見上げながら、セインは低く言う。  どうも、今までのことはアッシャのために、付き合っていたようで、セインの目的はどこか別にあったようだと、アッシャはその横顔を見て想像していた。 「わ、私、まだ頑張りますよ!」 「その服、汚したくないだろう」 「あ……。う……」  セインの力になりたいと純粋に想い、彼についてきたのに、彼の力にはなれていなかったのだと、アッシャは肩を落としてしまうのだった。  しかし、セインはアッシャのためにサバイバル知識をひとつ教えてくれたのだ。その気遣いに、ダークエルフの少女はまた胸を焦がす。 「明け方には戻る。月の出ている間が勝負なんでな。悪いが俺も急ぎたい」 「や、やっぱり……私のために、カブトダケを集めてくれていたんですね……」 「別にお前のためだけじゃない。自分の食料調達にもなるしな。それにお前は本当に鼻が利くらしいから、素材集めの才能がある。ひょっとしたら薬草ハンターは天職かもしれんぞ。そうしたら盗人なんてしなくても立派に生活していける」 「だけど、ダークエルフじゃ……」  ダークエルフの現状では、商売をするにしてもハンターを生業にしても、そうすんなりとうまく行かないだろう。セインの推薦の言葉はとてもありがたいし、自分の中の才能を教えてくれた事も含めて、アッシャの憧れはより強まっていく。しかし、世の中はそんな彼女に厳しく当たるのだ。 (セインダールの傍にいたい……。セインダールなら、私の事をもっと理解してくれる。私の知らない私も、見つけてくれるんだ……)  今夜はここで別れ、先に荷馬車へ戻れというセインに、アッシャは離れたくなくて、短いスカートの裾をぎゅっと握った。 (今夜、ここで分かれたら、明日はもう馬車の中。マルテカリについてしまえば、セインダールと一緒にいる理由がなくなっちゃう……)  アッシャの小さな身体が切なさで一杯になっていく。不思議だ。こんな想いは生まれて初めてだった。  ――恋しいんだ――。 (セインダールが……好き)  乙女の想いは沈黙を生んでいく。静かな湖畔にて焚き火の弾ける音と、虫のさざめきが、湿ったにおいと共に二人を包んでいた。  セインも、その少女の沈黙に対し、暫し何も言えなかった。  ダークエルフでは、この社会を生きていくのは厳しいと告げたアッシャの言葉を受け、セインは自分の心と向き合っていたのだ。  ――何のために虹川党に加わったのか。  それは、司法取引があったからだ。あの場で捕まって、収容所に連れて行かれたら、ハナとは一緒にいられなくなる。  それが嫌だったのだ。リルガミンの取引に頷いた自分の本心の安っぽさにセインは少し自嘲した。 (俺は……ダークエルフのために、など考えていないのに……)  首もとのバッジに目を落とす。実に分不相応であると思えた。  自身もダークエルフだと言うのに、ダークエルフのために人種間の橋渡しをしたいわけではないのだ。  ――ただ、一人のため。 (ダークエルフの俺ですら、ダークエルフの事に無関心になっていたのに……ファナは違った。あいつは、人の為に泣いて、怒って、笑ってをできるヤツだ) 「歯がゆいよな」  そんな言葉がぽつりともれ出て、アッシャはセインを見上げた。  セインはアッシャを見下ろしていて、彼の金の瞳と真っ直ぐに見つめあう形になっていた。  なんと煌々とした瞳なのだろうと、少女は見とれてしまう。  一つの目標を見据えた、決意の光が宿っているのだ。こんな凛々しい瞳をしたダークエルフは、セインダールだけだと、アッシャは再確認するのだった。 「……虹川党が変えてみせる。お前が立派になったときに、胸を張って商売できるような世界にしてやる。したいと、思っている」 「セインダール……」  ぱちり、と焚き火が弾ける。  少女の胸に灯った想いも、同様に――。 (もう、離れられない――。私、彼の隣にいたい――) 「セインダール、私を連れて行って」  真っ直ぐに交わされた瞳には、セイン同様に強い意思が光って見えた。  『自分』を諦め、卑屈に社会の裏側で生きていた少女が、初めて自立の意思を芽生えさせた、階段を上る瞬間だった。    **********  ハナは自室にきたヨナタンに誘われ、夜の湖付近で散歩をすることになった。  自室で一人で居てもモヤモヤとするばかりだったから、丁度良いなとハナはその誘いに乗ったのだ。 「寒くありませんか?」 「うん、平気。……それにしても、ほんと凄い湖だなー」 「そうですね。ここに来ると、マルテカリにいるのだなと、改めて自覚しますね」  青い光を放つ湖を眺めながら柔らかそうな金の髪がゆれている。何気ない言葉に思えたヨナタンの声は透き通っていた。  気にしないと、そのまま流してしまいそうな言葉だったが、ナイーブになっていたハナはヨナタンの表情を見て、「あっ」と気がついたのだ。 「そっか……もう、イヒャリテじゃないんだね」  ヨナタンはイヒャリテ追放された身であるから、もうこれで故郷の地は踏めないのだ。  領境を越える時、アッシャの事があったために、ヨナタンの想いなど考えていられなかった。  隣でどこか寂しそうな表情をしていたヨナタンに、ハナは手を差し伸べた。 「ヨナタン。寒くない?」 「……ちょっぴり……だけ、寒く思えます」  彼の白い肌は青い光を受けているためか、心持ち凍えているようにも見えてしまう。  ハナは差し伸べた手をそのまま、ヨナタンの右手に添えて両手で包んだ。ヨナタンの手はやはり暖かいと思った。温もりがほしかったのは、ひょっとしたら自分自身だったのかもしれない。 「……自分でいったこと、だから」 「あなたの掌も、温かいですよ」 「ヨナタン、……ありがとう……」 「ふふ、どうしたんですか。随分しおらしいではありませんか」  ヨナタンがにんまりと笑って首をかるく傾げた。金のポニーテールが揺れるときらりと煌めくのが美しかった。 「べ、別に……。ヨナタンはいつも私の事を気にかけてくれるのに、私、ヨナタンのこと、ちゃんと見てなかったなって……」 「いいんですよ。私はそういうあなたを見ていたいのですから」  柔らかく笑むエルフの青年は、湖の青に負けないブルーの瞳を輝かせる。彼の優しさと温もりがハナを包んでいくようだった。  ハナはそんなヨナタンに甘えたくなってしまうのだ。  よき相談相手――、というか、まるで優しい兄ができたように思える。 「セインの事でしょう」 「ち、ちがっ……」 「では、アッシャですか?」 「そ、そうじゃなくて……だから、えーとさ。私異世界の人間だから、いつかは自分の世界に帰るためにこうして旅をしているわけじゃん」  取り繕うように走り出した言葉だったが、この言葉も今ハナが抱える釈然としない気持ちの原因ではある。 「だから、この世界で大事なものができちゃったら、帰る時に辛いなぁって……ちょっと思っただけ」  重く、暗い声だなとハナは自分で思った。  思った以上に自分の中で整理できずに大きく膨らんでしまっていたのかもしれない。  その言葉を聞いたヨナタンは間の抜けた顔で口をあんぐりあけていた。 「な、何その顔……」 「い、いえ……ほんとに重症だなぁと思いまして。……ファナさんでも先行きを考えて消沈するなんてあるんですね」 「なんだよ、私の事どういう風に考えてんだぁ!」 「今が全て、と云う印象でした」 「……!」  ヨナタンの言葉は、迷っていた自分の心にひとつ、明かりを灯してくれたみたいに思えた。  ――今が全て――。  それは、つまり後悔したくなくて、生きているのだ。 「……そうかも。私、お母さんが死んだ時、めちゃくちゃ後悔したんだ。あんなこと言わなきゃ、お母さんは死ななかったんじゃないかって」  それから、後悔の念は少女に前を見据えさせず、後ろ向きに生きることを押し付けるように心を蝕んでいった。 「……それで荒れて、今生きてる大事な人も悲しませてるんだって当たり前に気がついて……。後悔しないようにって思ってたのにな……」  ぽつりぽつりと、誘われるように漏れ出る言葉の一つひとつが、心の暗闇に明かりとなって道を照らしていくようだ。 「後悔しないために、予防線を張ってたのかな、もしかして」 「後悔先に立たず、ですね。思慮が足りていれば私も首輪などを作らなかったでしょうし、イヒャリテの追放もされなかったでしょう」  ヨナタンは自らの行いに対する念を前に出し、ハナに少しだけ寄り添う。 「でもね、ファナ。よく聞きなさい」  ハナを軽く抱きながら、ヨナタンは揺れている黒い瞳を正面に捉え、諭すのだ。  優しく腕で抱き、だが厳しい瞳でハナを見つめるヨナタンは、年長者であり、少女の道しるべでありたいと、真夜中の闇に迷う黒髪に説く。 「後悔とは、()()()()()()()()()()()です。今の迷いに真っ直ぐぶつかっていれば、どんな結果でも『後悔』はしないのですよ」  挫折を知っている青年の言葉は凄味があった。経験から生まれる言葉は、深く胸の砂地に沁みこんでいくようだ。 「大事なものを作らないように、この世界で過ごし、さよならを告げるとき、あなたは『よかった』と想ってくれますか?」  ――想わない。 「私は、この世界にやってきたあなたの事を、一生忘れませんよ。もう、私にとってはファナさんは、『大事なもの』なんです」  困った――。そう言われたら参ってしまう。 「だから、あなたにも、この世界を大事に想って欲しいと、私は願っています」  ――やっぱり私は、自分のコトばっかりで――。ヨナタンは凄いな――。 「ご、ごめん、ヨナタン。ちょっと、泣きそう……」 「なら、お相子ですね。……どうぞ」  ヨナタンも、坑道で泣き顔を見られたからそのお返しだとでも言うように、ハナの涙を受け入れて、表情を和ませていた。  彼の腕の中で肩を震わせ涙を零すハナは、彼の腕の優しさに甘えるように、素直に泣いた。  何で泣いているのか、今は分からない。  後になって、この涙の意味に気がついた。  ――私は、セインが好きなんだ――と。
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