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~心恋~ うらごいし
夜も深まり、あたりは寝静まっているころ、ヨナタンの腕の中で泣いたハナは、ゴシゴシと顔を拭いて、すうっと大きく息を吸い込んだ。
「ありがと、ヨナタン。もう大丈夫だ!」
「どういたしまして」
さっぱりとしたすがすがしい気持ちで、黒髪が舞うと、ハナの普段の笑顔が月明かりに煌めいた。
ヨナタンもその顔を見て、ひとつ、頷いてくれた。
吸い込んだ水辺の空気はひんやりとしていて、心地いい。今はやるべきことがはっきりと見えているように心の霧が晴れていた。
(そうだ。自分の心に真っ直ぐに向き合っていたら後悔はしない。だから、私のこの想いも……認めてあげよう)
「いつか離れる世界だからとか、分かれることになるからとか、全部言い訳だ。それと、気持ちは無関係なんだね」
「そうですよ。いつもの貴女なら、『失敗するなら最初からしない』なんて言いません」
「そ……そうだな……。ほんと、なんだろ。どうかしてた」
「……それだけ、今の想いに本気なのでしょう?」
そんな風に言われると、ドキリとしてしまう。
今のハナの想いとは即ち、セインへの慕情なのだ。つまり恋に本気だと言われているようだった。
周りが不良と呼ぶ中、自分自身へもそのレッテルに乗っかっているところがあったハナは、自分が恋愛などすることが考えられなかったのだ。
なんだか無性に恥ずかしくてたまらない。
しかしながら、自分への想いを確認したこと自体はよかったが、セインはアッシャに気があるようだし、この恋愛が成就するかは元の世界に帰る帰らない以前の話なのだ。
(つか、冷静に考えてみたら……私よりアッシャだもんな。私、あいつのことぶん殴ったりしたし、好かれる要因がないわ……)
誰がどう見ても、ハナ×セインよりも、アッシャ×セインのほうが御似合いだと言うだろう。
自分の慕情を認めてやるにしても、それを打ち明けてどうこうというのは、やはり出来そうもない。
(どんだけ本気になっても、相手の気持ちがあってこその恋愛だもんな。……ケンカみたいに簡単じゃないよな……)
アッシャと勝負して勝ったらセインをゲット、みたいなものではないのだ。
いくらヨナタンが聞き上手で相談役になってくれると言っても、恋愛相談を異性にはしづらい。この気持ちは自分で整理しなくてはならないだろう。
「さて、もう遅いですし宿に戻りましょう」
ヨナタンに促され、ハナはその後ろについていく。彼の背中を見つめながらも、想いは内側を向いていた。
(こういうときこそ、女友達に相談するもんなんだろうけど……その女友達が……アッシャだしな……)
アッシャの気持ちは間違いなくセインに向いているだろうから、その彼女にセインが好きな事を相談するのは色々と思うところがある。
(でも、まあ……。今はいいか。自分のこの、初めての想いを大事にしよう。真っ直ぐに、相手してやろう)
ヨナタンに説教されて、自分の事が客観的に見つめられた気もした。
ハナは、悩んで出した結論よりも、感情に任せて動いた結果のほうが、納得できると気がついたのだ。
「私ってば……、やっぱり猪突猛進だなあ……」
「ええ、そうですね」
「……少しは否定してよー……」
「非の打ち所がないので」
クスクスと笑いながら、ヨナタンがばっさりと言ってくれるのがなんだか嬉しかった。ハナは不満そうな言葉で照れ隠しをしながら、その表情は朗らかだった。
「ま、それでいいか。ラナさんも……そうだもん。私じゃ尚更、順序を間違っちゃう」
「ラナさん? 彼女がどうかしたのですか?」
「人は自分のためになら、頑張れるってこと。自分がどうしたいかを大事にするんだ」
今は、それでいい。そう信じよう。
そう思うことで、ハナはようやく今夜は眠れそうだと安心するのだった。
今もセインとアッシャは、森のどこかでフィールドワークをしているのだろうか。
願わくば、あの二人にも実りある一夜になってほしい。
明日の朝、素直な気持ちで向かい合えるように。
**********
宵闇の中、青明かりの湖の水辺でセインとアッシャはその光景に暫し時を忘れて見とれていた。
二人は湖の水辺付近を歩いていて、目的のものを見つけたのだ。
それは光虫と呼ばれる、光る虫だ。蛍のように発光器を腹部に持っている虫で、ビーバーズレイク周辺の餌が豊富な水面付近で飛び回っている光景をみることができる。
「すごく、キレイ……」
アッシャはその光景を生まれて始めてみて、感動していた。青の湖の光の中で黄色の明かりがふわふわと待っている光景は、ロマンティックであり、ファンタジックだった。
セインも知識はあったのだが、目の当たりにするのは初めてで、これには思わず息を飲んで見蕩れてしまった。
魔法やマナがある世界であるとはいえ、やはり闇に灯る光の舞は単純に美しい。
セインはふと、隣のアッシャに視線を落とした。
アッシャはまだ光虫に夢中で、感嘆の溜息を漏らしている。
結局セインは、アッシャの圧しに負けたのだ。どうしても付いて行きたいという少女の言葉は、ハナと初対面した時を思い出させていた。
光苔の洞くつで出会って、荷物もちでもなんでもやるからと必死に付いて来ようとしていた黒髪の少女は、きっと不安でたまらなかったはずだ。
このアッシャとてそうなのかもしれない。兄を探すため、単身見知らぬ土地にやって来て、心細さはあるだろう。
(……今、隣にファナが居たらどういう反応をしたんだろう)
ハナもアッシャ同様にこの光景に見蕩れただろうか。
黒髪の少女はよく月を見ていた。
もしかしたら、こういう闇の中の光が好きなのかもしれない。
セインはそんな風に思いながら、「よし」と気持ちを入れなおす。
彼がここに来たのは、光虫を見るためだけではないのだ。
「アッシャ。お前はそこにいろ」
そう告げて、光虫の舞う中へ、足を進めていくセインにアッシャは驚いた。
「セインダール! 水の中に入るの?」
じゃばじゃばと音を立て、セインは湖の中へ入っていく。まだ浅瀬であるため、膝下くらいまでしか水には漬かっていないが、当然ながら服や靴はぬれてしまう。
「光虫が集まるところは、とある水草が生えているんだ。それが目的でな」
「わ、私も……」
「ダメだ。お前はそこで待機。絶対に入るな」
ぴしゃりと止められ、アッシャは仕方なく岸辺からセインを見つめるしかなかった。
服が濡れてしまう事を気遣ってくれたことは分かったが、気遣いとはまた別の意思もちらりと見えた気がしたのだ。
(……セインダールは……この服が汚れるのを心配してる……。私が濡れることじゃなくて、ファナの服が濡れることを……心配してるの……?)
ハナから着せてもらったこの制服を見て、セインは可愛いと言ってくれた。
でもそれは、アッシャが可愛いと言ったのではなく、ハナの服が可愛い、という意味だったのではないだろうかと、アッシャは思ってしまう。
(もしかして、……セインダールは……ファナのこと……)
アッシャが見つめるセインは、バシャバシャと水面に手を突っ込んで手探りしながら水草を採っている。
そんなセインの髪の毛に光虫がとまったりして、そよぐ銀髪に黄色の明かりがチラチラ点滅する。それを見ると、アッシャはセインをますます愛おしいと思ってしまうのだ。
(……セインダールとファナだったら……私なんかじゃ絶対に割り込めない……二人とも、立派だもん……)
自分には何もない。みすぼらしく、髪の毛も手入れされていないし、身体はいたるところに傷跡があって汚い。
何かセインの役に立てる事があるのかというと、まったくないのだ。
どうして、自分はこんなにも何も持っていないのだろう……。情けなくてたまらない……。セインに胸を張って向き合えるような女性になりたいとアッシャは睫毛を伏せた。
「アッシャ、見ろ。これがエキノドルス・キホウテリアンだ。錬金術の素材としては中々役に立つんだぞ……おい、どうした?」
湖から上がってきたセインの言葉で我を取り戻して、アッシャは慌てて取り繕った。
「あ、ごめんなさい! 少し考え事を……」
「……そうか。兄のことか?」
「あ……いえ……。は、はい……」
本当はセインダールの事で悩んでいたのだが、そうとは言えず、セインの言葉に乗っかって誤魔化すことにした。
「どういう兄だったんだ」
「兄は……いつも私のために必死で頑張ってくれていて……その……できれば、皆さんには言わないで欲しいのですが……」
「あ? みなさんってファナとヨナタンか?」
「は、はい……兄は……スリをしていたんです。エルフの冒険者達から……」
「ああ、そういうことか。まぁ、想像の範疇だ」
当然な風で特別何も感じていないようにセインは表情を変えなかった。アッシャにとってそれが安心に繋がる。
「ある日、兄が言ったんです。マルテカリで自分を雇ってくれる会社を見つけたから、そこに就職すると……。纏まったお金を用意できたら仕送りもするって……」
「……で、音沙汰がない?」
「はい……」
その会話の中でセインはひとつ、思い当たることがあったのだ。
ダークエルフが就職できる会社など、そうはない。十中八九、裏の社会のヤツだ。……そうなると、ひょっとしたら自分達虹川党の標的組織である秘密結社ダレンに関係しているのかも知れない。
「アッシャ。その話、ヨナタン達にもしたほうがいいかもしれん」
「で、でもっ……」
「兄の事を責め立てたりということじゃない。寧ろ逆だ。兄の捜索、俺達が手伝ってやれるかもしれんぞ」
「え……」
その言葉は、アッシャにとって救いの手以上の願ってもない話だった。
アッシャは、マルテカリについてしまえば、もうセインとは一緒に行動する理由がなくなると思っていたから、もし兄探しまで協力してくれる話になるのなら、まだセインと共に過ごせるのだ。
そうしたら、もしかしたら、セインとハナの関係を知ることもできるかもしれないし、ひょっとしたら自分にもまだチャンスがめぐってくるのかもしれないのだ。
今、まさにそのチャンスの前髪を掴む場面であると悟ったアッシャは、セインの提案に喰らい付こうと考えたのだった。
「分かりました。私、兄のことをみなさんにお話します」
アッシャの言葉にセインは頷いて、もう一度湖のほうを眺めた。
「しかし……いないな」
「……? 何か探しているんです?」
「ウィシュプーシュだ」
ウィシュプーシュというのは、このビーバーズレイクに住み着く巨大なビーバーの名称だ。
普通のビーバーよりも巨体でその大きさはクマ程にもなる。雑食性であるウィシュプーシュは獰猛ではないのだが、腹を空かせている時は人間も襲うことがある。
「さっき、夜の間に探したいと言ったろ。それがウィシュプーシュ……のウンコだ」
「うんっ……」
セインがオブラートに包みもせずに言うので、アッシャは鸚鵡返しになりかけて口を噤む。
「あの、なぜウン……糞を探しているんですか?」
「ウィシュプーシュは夜行性でな。夜の間に活動するんだが、その間、自分の寝床を空けることになるんだ。やつの寝床にはマーキングのためにウンコを……」
「ウンコ、言うの、やめません?」
会話していてどうにも品性を欠いてしまうのと、少々口にするのに抵抗ある単語であるため、アッシャはとりあえず話しの腰を折ってでもツッコミを入れておきたかった。
「あー……、ごめん。……糞をだな、しているわけだ。だからヤツの棲家を漁るなら寝床を空けている夜のうちに、ってワケだ」
「その……ウィシュプーシュの糞も錬金術にとっての素材になるんですか?」
「いや、錬金術の素材というより、肥料にはなるが……。糞そのものには興味がないんだ。糞と一緒に出てくる宝石があるんだよ」
「ほうせき!?」
思いも寄らぬモノが出てきてアッシャは驚きの声をあげる。ウィシュプーシュという巨大なビーバーがいるということも驚いてはいたが、それがまさか宝石を生み出すことができるとは不思議な話だ。
「そう。ウィシュプーシュは雑食性でな。なんでも喰うからそのために消化できなかったものを腹の中で石ころみたいに固めて糞と一緒に出す。その石ころがメレスィという宝石になるんだ」
「すごい……宝石を産む動物がいるなんて」
「産むというか、排泄というか……。ともかく、俺はそれを探していたんだが、ウィシュプーシュがそもそも活動しているような形跡も見当たらないんだよな……」
あたりを見回し、足跡や食べかす。体毛なども探していたのだろうが、セインはそういった形跡も見つけられなかったらしい。
ウィシュプーシュは巨大なビーバーであるため、水辺付近で生活しているのは間違いないのだが、こうして湖の周囲を回ってみても特に何も見つけることが出来ないのだ。
「あの……糞を探せばいいなら、私が臭いを探すという事も……」
「あのな……これでも一応お前を気にして言わなかったんだぞ。……女にウンコの臭いを探せなんて言えるか」
セインがガシガシと銀髪をかき乱して、大きく溜息を吐く。女性として気遣いしてくれたことに、アッシャは胸が熱くなってしまうのだ。
「あ……私のこと、……想ってくれたんですか……?」
「……そんな大それたものじゃないだろう。ともかく、ウィシュプーシュに関してはもういい。少し早めだが、引き返すとするか」
セインが荷物を整理し、もと来た方へ歩みだすのを見て、アッシャは後に続きながら訊ねた。
「……いいんですか? メレスィって宝石は必要なのでは……」
「あれば、良かったって程度だ。絶対に欲しかったわけじゃない」
「そうですか……私も少しその宝石に、興味が湧いたんですが……」
動物の糞から採取できる宝石だから、勿論綺麗に洗ってからのものが見たいところではあるが、そんな不思議な宝石に少女も興味が湧かざるを得ない。今回のフィールドワークで出会えなかったことを残念に思う。
「見るだけならマルテカリの宝石屋で見ることが出来るだろう。特産品になるからな」
「そうですか。……どんな宝石なんですか?」
宝石なんて触ったこともない。これまで過ごしていたあの鉱山跡はかつては貴重な鉱物が採れたらしいが、今となっては石ころしか目に付かない。アッシャにとって、宝石は雲の上の存在的、幻の一品という印象だ。
「黒いガラス球のようで中心部がうっすらと見えるんだ。中心には、蒼い円形の光が宿っているように輝いている」
「へえ……。まるで夜空のお月様みたいですね」
「そう思うだろ」
アッシャの例えに、セインの声がいつもよりも明るく聞こえてきた。少年みたいに楽しそうなセインの声を始めて聞いて、少女の心臓がかるくトクンと鳴った。
前を歩くセインの表情はアッシャからは見えないけれど、きっとその表情は笑顔であったのだと思う。
一体、どうしてそんな笑顔で出てきたのだろう――。アッシャには、その言葉の明るさの意味を汲み取ることは出来なかった。
でも、セインがとても面白そうに笑っていたから、アッシャも幸せな顔をつくることができるのだ。
「……だから、見せてやりたかったんだがな」
ぽつん、と零れたその小さく低い声はマーチの夜風に掻き消える程度のものだった。
後ろを歩いていたアッシャにもセインが何かを言ったことは分かったが、なんと喋ったのかは聞き取れなかった。
セインは消えかかっている空の月を見上げ、徐々に白んでくる水平線を横顔に、いつかはメレスィを手渡してやりたいと思うのだった。
いつも、月を見上げているあの少女は、宝石を見てなんと思うだろう。
あの日の月明かりの笑顔をみせてくれるだろうか――。
あの笑顔を見るためならば、糞まみれになろうが一粒のメレスィを見つける価値はあるなと、錬金術師は瞳を細めて笑う。
淡い想いは夜空に溶けて――。
朝がやってくる。
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