池魚の殃い

1/1

23人が本棚に入れています
本棚に追加
/45ページ

池魚の殃い

 マルテカリの宿の一室で、静かな夜の虫の音を聞きながら、ハナとアッシャはそれぞれベッドに腰掛けて、視線をさまよわせていた。  隣の部屋にはセインとヨナタンが泊まっているのだが、あちらもやけに静かだ。  多分、御互いに敬遠しあっているのだろう。  しかし、ハナとアッシャはそれとは違う。御互いに話を振りたいのであるが、内容が内容だけにどう切り出そうかと悩んでいるのだ。それがそのまま長い沈黙と居心地の悪い空気を生み出している。  硬質の空気をかちわりたくて、ハナはどうにかこうにか言葉を捜した。 「あ、あのさ! 私、女の子らしいことってあんまり詳しくないんだけど、アッシャはそういうの、詳しい? 教えて欲しいなあって思ってたんだけど……!」  上ずった口調で繰り出される様子見交じりの雑談は、まるで女の子と初めて話す男子のようで、自分が妙に情けなく感じてしまう。 「ご、ごめんなさい。私もそういうものには縁がなかったので……」  それもそのはずだろう。ダークエルフとして迫害されて、まともな生活すら苦しいアッシャだったのだから。  ハナは自分の話の振り方を失敗したことに反省する。 (うう……何やってんだ……。ほんとに聞きたい事はセインとのことなのに……)  どう聞き出すか、そもそも聞くべきなのかもはっきりしないまま、悶々としてしまうハナは困り果てて床に視線を落としてしまう。  しかし、その想いはアッシャも同様なのであった。  セインはおそらく、ハナに気があるとアッシャは予想していた。  これまでハナとセインにどういうことがあったのか、色々と聞きたかったが、そんな事を訊ねて嫌な空気を作ってしまうことは避けたかったのだ。  暗い夜の一室には窓から差し込む月明かりが青く周囲を照らしている。  その光景で思い出したことがあって、アッシャはせっかく話を切り出してくれたハナに対し、話題を振るのであった。 「あ……そういえば、女の子らしいかは分からないのですが……このマルテカリには特産品の宝石があるらしいんです。メレスィという宝石なのですが、ご存知ですか?」 「えっ。宝石? 全然知らない! どんな宝石なの?」  アッシャが会話を繋いでくれた事がとても嬉しかったハナはその話を必死で拾うためにそこまで興味がなかった宝石の話題に興味津々という表情で食いつく。 「あの月のように、青白い光を中心に輝かせている周囲は真っ黒の宝石らしいです」 「へえ、黒い石の中で光る青い光かー。見てみたいな」 「私も、興味があって……」 「アッシャって宝石とか好きなんだ?」 「いえっ、宝石なんてこれまでまともに見たこともありません……。でもそのメレスィはセインダールが欲しがっていたので……」  その言葉でハナは一瞬言葉に詰まる。セインが、宝石を――? 宝石とは無縁のまったく興味をもたなそうなセインが、意外である。 「そ、ソーナンダ。へ、ヘエー。セインがねー!」  なぜカタコトなのだと自分にツッコミしたくなるくらい不自然な反応である。  しかし、セインの話題が出たことにハナはもう、そこにしか意識がいかなくなってしまった。 「昨夜、セインと散策したときに、宝石の話を聞いたの?」 「はい……。ちょっと特殊な宝石で……動物の体内で作られて、排便の時に出てくるらしくて……変わってますよね」 「ええ? じゃあ、うんちまみれの宝石なんだ」 「は、はい……。でもしっかりと洗って磨いて、きちんと宝石として加工するのだと思いますよ」 「それもそうだよね、あはは……。マルテカリの特産品なら宝石屋さんに行けば見つけられるかな?」 「多分……。セインダールもそう言ってました」  セインが入れ込む宝石がどんなものか、アッシャ同様にハナも興味が湧いた。 「ね、そんじゃあさ、明日はまず一緒に宝石屋に行かないか? で、そこでお兄さんの情報集めのついでにメレスィって宝石も見てみようよ」 「あっ、それはとてもいい案だと思います!」  アッシャもハナの提案に瞳を煌めかせた。どうやら彼女も宝石屋でメレスィを見てみたいとは思っていたようだ。気持ちが同じになったことでハナとアッシャはなんだか心が通じ合ったみたいで互いに笑顔を向けることが出来た。  少しだけ、アッシャとの距離が縮まったように思えて、ハナはアッシャへ聞いてみようと思っていたセインへの想いを今は考えないように切り替えた。 「さて、それじゃあもう寝ようか。今朝は早かったし、アッシャたちはまともに眠れてないもんね」  ハナがそのままベッドに倒れこみ、静寂に身をゆだね睡魔に意識を手放そうとする。  アッシャもハナの言葉に頷いてベッドに身を横たえた時、ハナがいきなりガバリと起き上がった。 「……っ!? ど、どうしたんですか?」 「シッ」  アッシャの疑問にハナは静止するように合図した。ゆっくりとアッシャは起き上がりながら、ハナの様子を窺う。  ハナは起き上がり、素早く脱ぎ捨てていたブーツを履きなおした。履きながら、その耳を集中させて違和感の正体に気がついたのだ。 「……おかしい。()()()()()。虫の鳴き声もしない……」  その言葉で、アッシャもはっとした。言われて見れば、ついさっきまで鳴いていた虫の声がまったく聞こえない。  それにマーチに絶えず吹く風の音も。完全な無音状態が、二人の空間を包んでいるようだった。 「なにか、やばい……! アッシャ、直ぐに隣に……っ」  ハナがアッシャにセイン達を呼びに行かせようとしたその時、部屋のドアが音もなく開いたのだ。 「アッシャ! まずい! 窓からいけ!!」  ハナの言葉に、アッシャも困惑しながら、窓に近づこうとして、動きを止めた。  窓の外に、覆面の男が控えていたのだ。  そのまま窓すら音もなく開く。  ハナには分からなかったが、<消音>の魔法で一室の音を全て消していたのだ。  開いたドアと窓から同様に覆面の男が入ってくる。アッシャはたちまち窓から入って来た男に捕らわれてしまった。 「こいつっ!」  ハナが窓側のアッシャに組み付いた男に飛びかかろうとした刹那――。  ドア側の男が右手を青く光らせた。 (――マナの光! 魔法――)  右手からレーザーのように放たれた魔法はハナを貫いた。痛みなどはまったくなかったが、一瞬で思考が重くなり、目の前が真っ暗になってしまったように感じた。  ハナはこの魔法を一度見たことがあるなと思った。  確か、脱走したダークエルフを捕まえるためにヨナタンが放った<沈静>という魔法だ。  途端に反抗しようという気持ちが治まっていく。抵抗しなくてはならないのに、頭が、思考がそう動かないのだ。そして身体は脱力して、そのままベッドにへなへなとお尻を落として座り込んでしまった。 「ファナ!」 「こっちも黙らせろ」  アッシャも同様に<沈静>をかけられて、一気に静かになっていく。男の腕の中でだらりと力なくくずおれて、その体を襲撃者にゆだねてしまうことになった。 「黒の魔女は魔法が通じないと聞いたが」 「それは正確じゃない。ブラッド・マジックにマナが通用しないのだ」 「まあいいさ、さっさとずらかるぞ」  覆面の男たちはそのまま少女二人を抱えて、窓から闇夜に消えていく。まさに一瞬の出来事であった。  手際のいい、プロの犯行だろう。  意識は朦朧とする中、ハナはたった一つのことだけを考えていた。 「せ、いん……」  脳裏に浮かぶセインの顔を想う事だけが、反抗心を封じられた少女が出来た唯一の希望だ。  だが、次第にその想いすら重く圧し掛かるような(もや)の中にかすんでいき、いつしかハナは完全に気絶してしまったのだった……。    **********  夢を見た――。はっきりしないが、多分現実世界の夢だ。  台所で牛乳を飲んで死んでいた私を見つけた父親が慌てて救急車を呼ぶのだが、すでに手遅れであり、父親は瀑布のように泣き喚くのだ。  私はまだここで生きている、異世界にいるんだと叫ぶのにその声は父親に届かない。  一体、あの牛乳はなんなんだ! そもそもあんなものさえなければこんな事にはならなかったのに!  夢のなか、私の亡骸を抱いて泣き崩れる父親の傍に転がる牛乳瓶。  それを見た私は、我が目を疑った。  たしか、あの時、牛乳は飲み干したはずだ。なのに、中身にもう一度牛乳が噴水のように湧き始めているのだ。そして、その液体は青い光を放って、瓶は真っ黒の球体に変化していく。  これは、さきほどアッシャが話していたメレスィとかいう宝石ではないか?  そうだ、アッシャはどうなったんだ。こんな事をしている場合じゃない。  セインは何をしているんだろう。  あの宝石をさがすのに忙しくて、私達どころじゃないかな。  ああ、とにかく早くしなくちゃ。  家に帰るのも、アッシャを助けるのも――はやく――。 「はっ……」  夢の中で、夢を見ている場合じゃないと気がついたとき、ハナはまどろみから覚醒した。  意識がまだしっかりと立ち上がってくれず、何があったのか良く思い出せない。  状況を確認しなくてはと身をよじろうとして動けないことに気がつく。今度こそハッキリと目を覚ましたハナは自分の状況に愕然とした。  荒縄で拘束されていて、身体をぐるぐる巻きにされていた。それだけではなく、自分はどこかの小屋の天井からぶら下げられるようにされていたのだ。宙吊りのミノムシのようだった。 「ぐっ、きちしょ……どういう状況だ……?」 「お目覚めですね、黒の魔女」  ハナが周りを確認していると、小屋の隅に椅子にかけている男がいることに気がついた。その男が目覚めたハナに声をかけたのだ。 「なんだてめぇ」 「(ワタクシ)はシグマジャと申します。ダレン社マルテカリ支部の部長です」  ダレン社。秘密結社の支部長。その言葉に、ハナは睨みを飛ばす。  シグマジャと名乗った男は、壮年のエルフだった。丸い小さなサングラスを鼻に乗せていて、長い耳には宝石をあしらったピアスをつけている。黄金の髪はべっとりと脂が塗りたくられているようで、オールバックに固定されてはテラついている。  ハナは内心焦っていた。まさかこんなに直ぐにダレン社と接触することになるとは……、いや……、あちらが拉致行動をとるとは思っていなかったのだ。 「……アッシャはどうした」 「はて?」 「とぼけるな……。私と一緒に連れ去ったダークエルフの女の子だ」 「ああ、あの娘ですか。元々私の目的はあなただったので、あの娘はどうでもよかったんですよ。トボケているわけではなく、忘れてしまっておりました」  そう言って、ククっと喉の奥で笑う陰湿な男はゆったり腰掛けたロッキングチェアをギイギイと揺らしてハナの反応を見て愉しんでいるようでもあった。 「どうしたって聞いてんだ」 「さあ? 部下共に好きにしろと告げておきましたので、今頃は玩具にされているでしょうかねェ」 「……クズやろー……ッ」 「人の心配をしている余裕はありませんよ」  そう言って、シグマジャは立ち上がった。  腰に挿していた短刀をすらりと抜くと、ゆっくりと吊られたハナの傍に寄ってくる。 「綺麗な脚をしていますねェ」  いやらしい笑みを浮かべ、シグマジャが吊られたハナの左足を撫で回す。ショートパンツから伸びる太ももから膝まで、無遠慮に指を這わせる感触にハナは思わず悲鳴を上げそうになる。気色悪くてしょうがなかったのだ。  だが、そんな好色な男の手で悲鳴を上げるなど、東雲ハナの誇りが許さない。脚も自由であれば蹴っ飛ばしてやるところだが、足首にもきつく縄を絞められていて、自由にならなかった。  せめて抵抗の意思は見せてやると、ハナは冷血なキラーマシーンと呼ばれたあの日の殺気を纏わせて、下劣なエルフを見下ろした。 「ゲスが」 「……まだ、お分かりではない、か」  ――ザクぅッ!!  ハナの言葉に、男はいきなり右手の短刀を振り上げて、撫で回していたハナの脚につきたてた。 「ぐぅっ――」  左足の太ももに、短刀が突き刺さり、一気に熱い痛みが走り回る。血が噴き出し、ハナの白い脚を一筋の道を作るように滴り落ちては赤く染めていく。 「どうですか? 分かりましたか、自分の立場」  狂鬼の瞳が宿るシグマジャの表情は、邪悪の体現者であった。  そして、ハナの流れる血液をまるで可憐な花を見つめるようにうっとりと視線を這わせていく。 「黒の魔女の血……ブラッドマジック。見せてもらいますよ」  その言葉と共に、シグマジャが短刀を握る手と逆の掌でマナを光らせると、突き刺したキズを青く光る指先でジュクジュク弄びだしたのだ。 「うぎっ、くううっ」  傷口を指先で弄繰り回されると激痛が膨れ上がってハナは脂汗を額にかき、歯を食いしばって耐えようとする。  シグマジャのほうはと云えば、指先の青い光が血液にどんどん奪いとられるように、マナの流れがハナのキズに飲み込まれていく。 「素晴らしい……マナを奪う魔女の血!」  狂鬼のエルフは、自らのマナを吸い上げるハナの血液に異様なほど興奮しているようだった。  ひとしきりハナの血液を指先で掬い取っては青く光を放ちマナを生み出す。それが血に奪い取られていく光景を愉しむと、シグマジャはククっと喉奥で笑うのである。 「魔女……? 私が……?」 「そうだよ、お前の血! これこそダレンが求めてやまなかったブラッド・マジックだ!」  黒の魔女は絵本の御伽噺ではなかったのか。  セインは元になった人物が居るとは言っていたが、それがどうして自分なのだ。  まるで分からない。いきなりさらわれたこの状況も、ダレンの目的も、なぜ自分が魔女なのかも、アッシャの状況も。  わかっているのは、目の前のエルフはかなりやばいヤツということと、非常にピンチだという事のみだ。 (ちくしょう……らしくないよ……東雲ハナ……)  これまでなら、この程度のピンチに気弱になることなんてなかったのに。 (なんで、求めちゃうんだ……)  独りで傷つき、独りで苦しむことには慣れていたのに、許されない罪を罰するように、自らの肉体を傷つけることを求めてきていたのに――。 (セイン……)  助けを求めてしまう――。  この世界で、誰よりも、信じたいと想う人を、求めてしまっていたのだ――。    **********  翌朝の早朝、部屋から出てきたヨナタンが、ハナとアッシャの部屋のドアが開いたままになっているのに気がついた。  部屋の中はもぬけの殻で、窓も開け放たれていた。窓の縁には泥がついていて、何者かがここから侵入してきたのだと推理できてから、ヨナタンは弾かれたようにセインを叩き起こしたのだった。 「なぜ、何も気がつかなかったんだ……!」  ぎりぎりと拳に力を込めて、奥歯が噛み砕かれてしまうかと云う程に歯軋りをしてセインはぶつけどころのない怒りを溜め込んだ。宿屋の主人も、まったく知らなかった様子でいた。調査の結果、宿屋の主人に<睡眠>の魔法がかけられたらしい。 「部屋を調べた結果、マナの痕跡がありました。<消音>の魔法を部屋にかけていたのでしょう。随分と手際も良かったのでしょうね……。プロの犯行でしょう」 「人攫いのプロだと……」  考えられるのは裏組織の犯行だ。そうなると、ダレン社の可能性が浮上してくる。なぜ、あの二人を攫ったのかは分からないが。 「しかし、それにしたって、おかしな点はあります……このマルテカリは現在警備体制を厚くしています。警備の目を掻い潜って二人の少女を攫う等、なかなかできることではない」 「教会に行くぞ。すぐに昨夜の警備状況を確認しなくてはならん。目撃者もいるかもしれない」  セインは焦る心を隠しもせずに、教会に急ごうとする。  ヨナタンとて焦ってはいたが、セインの様子を見て、自分は冷静でいなければと必死に気持ちを整理した。  それに、まったく手がかりがないわけではない。  ハナはどうやら、<風乗り>のブーツを履いたまま攫われたようだ。ならば、ある程度は追跡できる。ヨナタンの符呪したブーツには、GPSのような追跡機能がついているからだ。  問題は距離がありすぎると、その反応もたどりづらくなるということである。もし、ハナが攫われてそのまま遠くに移送されたとしたら手遅れになるだろう。 「何をしているんだ、早く行くぞッ」 「分かってます」  セインとヨナタンは宿を飛び出し、真っ直ぐに教会へ向かう。  妙に天気のいい青空が嘲笑っているようで腹立たしく思える。街中はやはりパトロールの教会騎士が早朝だというのに、配備されているし、宿屋のあるメインストリートなど人目につかないはずがないほど開けた場所だ。  誰の目にも付かないまま、誘拐できたとしたら、なんらかのトリックがあると考えられた。  だが、今は考えているよりも、教会で多々問い詰める必要がある。  まだ朝早くで、人の数も少ない教会までやってきて、ヨナタンとセインは教会の門の前に立つ騎士に事情を説明し、アルマールへの謁見を押し通したのだった。  寝起きをバタバタと急かされて教区長室にやってきたアルマールは、二人の剣幕に(おのの)きながらも対応はしてくれた。  虹川党のメンバーが人攫いにあった事を告げられて、茶釜のような顔に汗を噴き出し、アルマールも流石に昨日のようにつっけんどんな態度は出さずにいた。虹川党員は一応教会の構成員であるし、要人ともいえるポジションの人間なのだから。 「まず、昨日の警備体制を知りたい。パトロールは何をしていたんだ!」 「い、いや、そのあたりは神官長に任せているから、私にゃわからんのだ。呼ぶからまっていろ」 「そもそも、マルテカリの現状を教えていただきたい。この厳重な警備は何のためです?」 「そ、それは……近頃このマルテカリ内で闇市(ブラックマーケット)が開かれているためなのだ」 「闇市……」  闇市は違法道具の売買や、密猟品、そして人身売買などが行われる裏社会の掘り出し物市である。もちろん教会として取り締まるべきものであり、近頃の警備はすべてこの闇市のためだったらしい。  しかし、警備を増やしても闇市は未だに検挙できずに居た。どういった手法で闇市が開かれ、客を集めているのか、まったくつかめていないと言うのだ。 「もしや、人身売買のためにファナ達が狙われたのだろうか」 「どうでしょうね……ないとは言い切れませんが……それにしても、態々宿屋を襲撃し、あそこまで計画的にやるものでしょうか……」  その時、ノックが響き、神官長のエルフが入室してきた。  中々屈強な身体を持ち、金細工の施された鎧を着た壮年のエルフで、名をタンネンベルクと名乗った。 「神官長。昨夜のパトロールの事を聞きたいそうだ。協力してやってくれ」 「ハッ。具体的にはどのような?」  堅物そうな険しい表情でヨナタンに訊ねるタンネンベルクに、セインが食って掛かるようにかぶせてきた。 「宿屋周辺だ! 警備していなかったのか!?」  イラつき押さえられず、セインが今にも掴みかかりそうな勢いだったが、タンネンベルクはそんなセインを一瞥しただけで、ヨナタンに向き直る。ダークエルフが喚くなと差別的な対応を見せ付けているのだ。 「宿屋周辺はメインストリートですので、もちろん警備しておりました。昨夜特別何かあったわけではなく、いつもどおりのローテを組んでおりました」 「そのローテーションを教えてもらいましょうか。そこの警備担当者とも話がしたい」 「……我らの警備を疑っていらっしゃるのか」  ぎらりと光ったタンネンベルクの眼光に、ヨナタンはひとつも動じず、頷いた。 「警備が完璧ならば、我らの仲間が誘拐されるわけがありません」 「こちらから言わせていただけるならば、小娘二人が夜の間に勝手に抜け出したのではないかと勘ぐってしまいますな」 「我らの狂言だと?」 「そうはいいませんが。ダークエルフのいる組織の言葉には、黒いものを感じずにはいられませんので」  タンネンベルクの厳格な強面が、セインを見もせずに――いや、意図して無視するように、ヨナタンを圧す。 「神官長、今はそれどころではない。協力してやれといっとる」  一触即発の空気に耐え切れず、アルマールがあわあわと汗を垂らして改めて指示することで、タンネンベルクは身を引き、「御意に」と敬礼する。 「ついてまいられよ」  タンネンベルクはマントを翻し、鋼鉄のグリーヴを鳴らした。そのほんの刹那だけ、タンネンベルクの鋭く射抜く視線がセインを捉える。  お前なぞ認めぬぞ、そういう強い意思を光らせていたことをセインは直ぐに感じ取った。  そんな視線に、セインは慣れていたが、今は無性に苛立たしい。こんな確執などどうでもいい。ハナが無事に戻ってくることにしか意識が向かず、それを阻害するエルフの執着が煩わしいのだ。  連れて来られた神官たちの会議室で暫く待たされて、昨夜のメインストリート周辺の警備担当者が四名やってきた。  ヨナタンはこれから、この四名にひとりずつ尋問をしたいと告げ、個室に一人ひとり呼び出してはとある質問をしたのである。  その質問はこうだ。 「昨夜、宿屋の二号室の窓は開いていましたか?」  一緒に居たセインはその質問に何の意味があるのか分からなかった。  四名の騎士団員も首を傾げる。  二号室というのは、ハナ達が泊まっていた部屋の番号であるが、見回ったときにその窓が開いていたか閉まっていたか?  それに対する四名の回答はおおよそ以下のとおりである。 「メインストリートの警備をしていた。周辺の異常はなかったと思うが、見回っていたのは宿屋だけではない。どこの窓が開いていたのかなどハッキリしない」 「開いてました。はい、間違いないです。二号室が開いてましたね。怪しい人物? いえ、見ておりません」 「宿屋の窓ォ? 知りませんよ宿屋だけ見てたわけじゃないんですよ。そういやリリザの診療所からうめき声は聞こえてきましたけど」 「窓ッスか。開いてたと思いますッ! は? 二号室? いや……外側から見た宿屋の部屋が何号室かとかはちょっと……。あれ、開いてたと思うけど、あれは道具屋の窓だったっけ」  一通りの証言を聞いて、警備担当者達を帰らせた。ヨナタンとセインは二人だけの個室の中で仮説を組み立てていく。この証言の中でヨナタンは二人目の警備担当に目をつけたのだ。 「彼は、極めて怪しいです」 「なぜだ。一番ハッキリした回答をしているぞ」 「だからですよ。他のパトロールはみな曖昧なのに、彼は異様にハッキリと証言しています。彼らの担当はメインストリートという極めて広範囲の警備地区ですが、マルテカリの玄関だけあって人目も多い。正直裏通りやスラムを担当した警備兵よりは心のゆとりがあったでしょう。それがそのまま言葉に反映されています。どこかの窓が開いているか開いていないかなど、記憶に残るかどうか曖昧なものです」  淡々と説明するヨナタンにセインはなるほど、と頷いた。  それならば、はっきりと証言した二人目の警備担当はなぜ、こうも断言できるのか。 「おそらく、彼は誘拐が起こることを知っていたのでは? だから、宿屋の事はハッキリと回答しなくてはならないと、意識しすぎたのです。そもそもこの街の警備員が宿屋に泊まるはずもなし。宿屋の二号室の窓がどれであるかなど言い切れる事はかなり不自然です」 「結構な暴論じゃないか?」  セインはヨナタンの推理を空想でしかなく、証拠がまるでないので、ツッコミどころが多いと思っていた。そんなセインの言葉に、ヨナタンは自嘲気味に笑った。 「そう思いますか。……正直言って私もね、ファナさん達の事でがむしゃら気味になっていると感じています」  重く息を吐き出して、熱くなってしまう思考回路を冷ますように身体の力を抜こうとする。掌に汗をかいてしまっている事に気がついて、セインの言う通り暴論だったかもしれないと、焦っている自分を落ち着かせようと思い直した。  ……が、その肩をセインが小気味良くタンっと、手の甲でノックするように叩いてきた。 「間違っているとは言ってない」 「……ならば、少々つついてみましょうか」  二人目の証言者はその名をエドガーと云った。三十路といった年齢の風貌でマルテカリの住宅地区に妻と二人の娘と共に暮らしている品行方正なエルフだという評判だった。  話を聞く分には、エドガーを疑う余地はなさげであったが、彼の言葉にひっかかる所がないとも言い切れない。  ハナを救いたいと想う二人は、その頼りない手がかりにすがりつくように動き出した。    **********  暗い牢屋の中、今は何時なのか、攫われてからどのくらい経ったのかさっぱり分からない。  アッシャはどこかの地下室に備え付けられている牢屋で目を覚ました。  あたりには小さな椅子とテーブルしかない。完全に牢獄の作りをしている狭い地下室で、見張りの男が一人、くちゃくちゃと干物を咀嚼している。 「目覚めたか」  見張りがアッシャに気が付くと、格子の向こうから食べていた肉の干物を差し出してきた。 「喰うか?」  差し出された手を見て気が付いた。肌が黒い。ダークエルフなのだ。  同族のためか、看守のダークエルフはアッシャに対して厳しい態度をみせず、おそらく自分のものである肉の干物を差し渡してくれたのだ。  しかし、アッシャからすれば誘拐されたことは間違いなし、現状がはっきり分からないせいで警戒するよりほかにない。 「……あ、あの……ここは……」 「ここは、ダレンの牢屋だ。それ以外は言えない事になってる。すまんな」 「……私と一緒にいた人は……?」 「言えないっつったろ。ほれ、いいからこれだけでも喰っとけ」  ダークエルフが差し出した干物を云われるままに受け取って、アッシャは途方にくれてしまう。  状況を分かる範囲で整理すると、自分は宿屋で襲撃されハナと一緒に誘拐されたはずだ。  そのままハナとは引き離されて自分はこの檻の中に入れられたのだろう。  そうなると、一体なんの為に攫われたのか。ダークエルフの少女が人攫いに遭った場合の結末など大体想像が付く。人身売買などで売られ奴隷として飼われる事になるのだ。 (……なんとか抜け出せないかな)  牢屋の鍵は壁にかけられているようだが、当然手は届かない。錠前は複雑そうではない。何か細っこいモノがあればピッキングで開けられなくはないだろう。問題は見張りだ。カギを開けるところ見られてはオシマイだし、逃げ出したとしてもすぐ捕まるだろう。  何かないだろうかと考えを巡らせるうちに、ふと鼻につく異臭に気が付いた。 「……酷い臭い……」  この臭いは動物の糞尿だ。ちかくに牧場でもあるのだろうか。家畜小屋の臭いをさらに酷くしたような不衛生な臭いにアッシャは表情をしかめてしまう。 「我慢してくれ。俺も参ってるんだ。さっさと交代したいところだぜ」 「肥溜めでもあるんですか?」 「いいや、上の牢屋にウィシュプーシュが居るんだよ」  言ってしまってからしまった、と表情をつくるダークエルフの看守だったが、もう後の祭りである。 (ウィシュプーシュって、確かあの宝石を作る動物……? ここはビーバーズレイクなの?)  そう考えてから、違うと気が付く。  ビーバーズレイクにはウィシュプーシュが居なくて、マルテカリ周辺に出没するようになったと昨夜の食事処で聞いた。それにアッシャの良く効く鼻に、ビーバーズレイクの水の臭いがしないのだ。少なくともここはビーバーズレイクではない。 「私……どうなるんですか……?」 「……可哀相だが、売り飛ばされることになると思う。俺達じゃ救ってやれないんだ、悪いな。明日の闇市に並ばされると思うから、後で風呂に連れて行かれるはずだ」  この看守はアッシャに同情してくれるあたり、同族の少女を哀れんでくれている。しかし、おそらくアッシャを取り逃がすことになれば、自分がダレンの中で厳しい処罰を受けるのだろう。せめてもの情けというように、情報を伝えてやるくらいが彼の精一杯の優しさらしい。 (――お風呂――。そこがチャンス……)  この牢屋から出される時こそ、逃げ出すための唯一の好機であるとアッシャは準備をする事にした。 「これ、いただきます……ありがとうございます」 「いいってことよ」  受け取った干物を齧り、少しでも体力を温存しようとアッシャは座り込んだ。  まだ諦めるには早い――。  それに上にはウィシュプーシュが檻に入れられているらしい。これは脱出に利用できるかもしれないと、少ない情報で出来る事を巡らせていく。  アッシャの幸運と言えた所は、ハナの高校の制服を着せられたままでいたことだ。ネクタイをしていたアッシャは、利用できるかもしれないと考えた。そしてもうひとつ、スカートを短くするためとつけていたスカートベルトもだ。 (大丈夫――きっと逃げ出せる……!)  こうして、マルテカリの長い一日が始まる。  捕らわれたハナ、アッシャ。捜索するセイン、ヨナタン。教会のメンツと、ダレン社の悪意。思惑が様々に絡まりあい、それは一つの悲劇に向かうことになるのだと、この時誰一人として想像していなかったのである――。
/45ページ

最初のコメントを投稿しよう!

23人が本棚に入れています
本棚に追加