スーパーブラック企業、秘密結社ダレン

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スーパーブラック企業、秘密結社ダレン

 エドガー・バルト・フェンリスは騎士団に入り十年が過ぎ、近々昇進の予定もあった。従順で、真面目な性格の彼は神官長のタンネンベルクからも多大な信頼を得ていたし、美しい妻に可愛らしい娘を二人授かって誰が見ても順風満帆の幸せな家庭であると思われていた。  そのフェンリス家では、今少女二人が、母親を看病している。長女のチタニアは十三歳という年齢でありながら気丈に家族を支えて、母の看病を頑張っていたし、次女のナミィも十歳という母に甘えたい年頃にありながら、泣きださずにいられたのは姉の頑張りを見ていたからだ。  母親であるシャーリーは今、ベッドで浅い息を吐きながら虚空を見つめていた。濁った瞳は何も映しておらず、娘ふたりのことすら眼中にはいっていないようだった。 「おかあさん、お昼ごはんができたよ。少しで良いから、たべよ?」  チタニアがお粥を用意して、スプーンを使い、母の口元へ運んでやる。シャーリーは流し込まれるように粥を啜るのだが、口の端からこぼれてしまい、布団を汚してしまう。 「あぁ、うう……」  言葉にならぬ声を漏らして、シャーリーは力のはいらない全身を娘に支えられ、どうにかこうにか食事を行う。  なぜこんな事になったのか――。  それはおよそ一ヶ月前になる。警備員である騎士団のエドガーはマルテカリで行われる闇市の調査のために毎日奮闘していた。真夜中、物音を感じ取ったエドガーは下水の入り口に人影を確認したのだ。そこでその人物に接触しようとした時に、背後から迫ったもう一人に気絶させられた。  彼が頭痛に目をしかめながら覚醒すると、怪しげな覆面の男たちによって拘束されている状態であった。  すぐに闇市の主犯グループだと分かった。このまま殺されてしまうだろうと覚悟したエドガーであったが、覆面たちのやり口は狡猾で残忍だった。  警備隊員を殺したとあっては、足が付きやすいとしてエドガーの殺害は行われなかったのだ。しかし、その代わり覆面たちはエドガーに仲間になれと脅した。もちろん正義感の強いエドガーは拒否し、死を望んだ。  覆面の男はその希望を裏切り、エドガーをもう一度気絶させたのである。  再度目を覚ましたエドガーは驚愕した。なんと自宅に居たのだから。  自宅では愛する妻と娘らが覆面の男に捕らわれていた。  何をするつもりだと声を荒げようとしたのに、魔法かなにかで声を封じられていたようで舌が動かない。  エドガーが組み敷かれ、やめてくれと表情で訴えるなか、覆面の集団は妻のシャーリーを襲い、何かの薬品(ポーション)を無理やりに飲ませたのである。  闇市で違法に取引されているドラッグであることは、その覆面の口から説明された。  そして、シャーリーはその身体を薬物に侵食されてしまったのだ。  覆面たちは嘲笑い、再度エドガーに仲間になれと命令した。  怒りに震えるエドガーはそれでも拒否の意思を示したが、覆面たちが長女のチタニアに牙を向け始めたのを見て、エドガーはいよいよ観念した。  その結果、覆面グループは騎士団員のエドガーを仲間に引き入れることで、これまで以上に闇市を行いやすくなっていく。エドガーからもたらされる警備状況を知り闇市を開けば、まず検挙されることなどはなく安全に悪事に手を染めることが可能となった。  エドガーに、裏切れば今度は娘を襲うと脅迫し抜け出せない隷属の状況を組み立てたのだ。  ――フェンリス家はいつやってくるとも知れぬ脅迫者達に怯えながらも、いつか救いが訪れる事を願って息詰まる生活をしていた。 「お姉ちゃん! 誰か来る!」  カーテンのスキマから窓の外を見ていた次女のナミィが叫んだ。  チタニアはハッとして、台所からナイフを取り出し、ナミィには部屋の奥へ隠れるように指示した。しかし、ナミィは首を振って鉄のフライパンを握り締め姉同様に戦おうと構えるのである。  しかたないとナミィを窓の傍に立たせて自分は玄関のドアの前で待機する。 (おかしいな……こんな日中から奴らが来るとは思えない……)  ナイフを後ろ手に隠し、チタニアは玄関で息を潜める。  ――とんとん。  軽いノック音がした。返事をせずにいると、男の声が聞こえてくる。 「すみません、イヒャリテ教会虹川党のヨナタンと申します。どなたかいらっしゃいませんか」  落ち着いた声からは知性を感じさせる。覆面の連中ではないとは分かったが、父親からは出来る限り来客は無視するようにも言われている。  悩んだ結果、チタニアは居留守を決め込むことにした。  が――。  ガチャァンッ!!  窓ガラスが叩き割られて長身のダークエルフが入り込もうとしてきたのだ。  窓が小さいせいか頭からのっそり入り込んできたのが悪かった。すかさずその頭部にナミィの渾身の一撃が叩き込まれた。 「んぐぅぅぅっ~~~~!?」  ダークエルフは悶絶し、頭部を押さえ込んで窓の外でのたうった。 「セイン! むちゃくちゃをするなッ!!」  ヨナタンと名乗った玄関の男が窓のほうへ回りこんできてダークエルフを見下ろす。その光景を窓からナミィと一緒にチタニアは警戒しながら覗き込んだ。 「のろくさとノックしている場合じゃないだろうッ!」  セインと呼ばれたダークエルフが起き上がって怒声をぶつける。どうも切羽詰っているようだ。 「気持ちは分かるがッ……と、すみません。窓、修理させてもらいますので……」  二人の少女に気が付いて、エルフの男性が丁寧に頭をさげ謝罪した。 「ええと、改めまして私は虹川党のヨナタンと申します。このバカはセイン。突然の訪問、申し訳ありません」  ダークエルフのほうも頭をさすりながら立ち上がって、こちらを覗いてきた。そして、ダークエルフがまたも懲りずに窓に頭を突っ込んでくる。流石に毒気を抜かれたナミィは今度はどつかずにいた。 「おい、こいつはどうしたんだ。病人か」  セインは窓からベッドの母親シャーリーを診て、声を静かに、しかし力強く届かせた。 「そ、その……お母さんは……え、ええと……」  どう対応して良いのか分からない。  彼らの首元に光るバッジを見ると教会関係者であることは間違いないようだ。警戒していた悪者ではないし、とりあえず、襲われることはないだろうが、家の状況を教会に知られてはならないと父親からの言いつけを破ってしまうことになる。  だが、もう……少女だけで怯えていることは限界でもあった。すでに母親の状況まで目撃されてしまったのだ。  チタニアは、玄関のドアを開くことにしたのだった。  家に入って来たダークエルフは真っ先に母親の様態を看始めた。その手際から医者なのかと思ってしまうほどであったが、ダークエルフの医者など見たこともない。野蛮人ばかりのダークエルフの噂を聞いていたせいで尚更にセインの行動は驚いた。  また、ヨナタンと名乗ったエルフも母親の様態を看て、その端整な表情を凍りつかせていた。ついさっきまで見せていた血のかよった顔立ちとは別人のように機械的であった。 「セイン。もしやこの女性は……」 「ああ……。薬でやられている」 「外道めッ……」  ヨナタンの鬼気迫った表情に姉妹はすくみあがってしまう。これから自分達はどうなってしまうのだろうか……。少なくとも、何かが変わる。それが良い事か悪い事は分からないが――。 「悪いが台所を使わせてもらうぞ。ヨナタン、市場でこれから言う薬草を揃えて来い」 「何? まさか今から薬を作るのか?」 「早いほうがいい」  先ほどまでハナの事で焦りに焦っていたセインがその色を消し、医学者の顔をしていた。おそらく内心は今もハナの事を想い、居ても立ってもいられないはずなのに、目の前の薬物に侵される女性に向き合うことを決めたのだ。 「どうするの? お母さんのこと、助けてくれるの?」  突如として訪れた客人とも言えない謎のエルフとダークエルフに戸惑いながら、ひょっとしたら神が与えた救いの手かもしれないと希望を胸に、セインをじっと見つめる。  こんな幼い少女二人で苦しい状況を支えてきたのは、並々ならぬ精神疲労があったことだろう――。もう、とっくにその小さな胸には抱えきれないほどの不安を懸命に隠してきたのだろう――。  セインは、必死に戦っていたチタニアを労う様に、後は任せろと、視線を返した。 「俺に出来る全てを賭けて、助けてやる」 「なら、私が買い物をしてきます! お母さんを助けて!!」  チタニアは涙を溢れさせ、ダークエルフにしがみついた。小さな身体が震えてとても弱々しく感じられる。 「では、共に行きましょう。二人の方が早く済ませられる」 「ナミィ、このダークエルフのお兄さんの言う通りにして。お母さんを助けよう!」 「うん!」  ナミィは握り締めたフライパンをぎゅっとさらに強く握り締めた。姉妹にとって、野蛮人とされたダークエルフは、すがりつく救世主のように見えていたのだろう。  ヨナタンとチタニアは家から駆け出していく。  ナミィはそれを見送って、セインの脇でフライパンを握り締め続けていた。 「……あのな、また殴られそうで怖いから、フライパンは下ろしてくれないか……」 「うん!!」  後頭部を撫でさすりながら、セインがジト目でナミィを見下ろす。立派なたんこぶが出来ていて、あとで冷ましてやらないとなとセインは眉をしかめる。一方、ナミィは言われたとおり、セインの足元でフライパンを下ろし、その長い脚にしがみついた。 「逃げないから安心しろ」 「ちがうの」 「あ?」  きゅっと、握った小さな手がセインのズボンに皺をつくる。大きな瞳をセインに真っ直ぐ向け、ナミィは「叩いてごめんなさい」と素直に侘びた。  まだ世の中のよどみに染まりきっていない、差別や偏見のない幼い気持ちが、ただただ、真っ直ぐに、セインを見上げるのだ。大きな瞳は、美しく透き通ってセインを向いている。  セインは膝を落し、ナミィを正面に見て、右手で頭を撫でてやった。 「窓、割って、ごめんな」  ――きっと、こんな単純さが――何よりも尊い宝なはずなのだと、黒と白の境目をなくさせて、温もりを与えるのだと、そう信じていたい。    **********  ――暗い小屋の中、隙間から差し込む光で外は昼くらいだろうと察することが出来た。  相変わらず宙吊りのまま、ハナは身動きを封じられていたのだが、現在この小屋にシグマジャはいない。何をしに出て行ったのかは不明だが、脚のキズをほったらかしたままでハナは脚の痛みに汗を垂らして荒く息を吐いていた。 「ちきしょ……」  このくらいのキズは中学時代のケンカの時にも負ったことはある。だが、先行きの見えない不安が心を染めて、脚の痛みを倍増させるようであった。  なんとかしなければ、ダレンの連中に何をされるか分からない。どうもハナの血液が目的のようである。自分の血液がこの世界の人間にとってウィルスのようなものである事を知ってはいた。もしかしたら、このマナを吸い上げる血を利用してバイオテロなどを考えているのかも知れない。  懸命に身をよじるがきつく巻かれた荒縄が外れるようなことはなく、寧ろ益々ハナの細い身体に食い込んでジリジリと痛みを与えるのだ。脚の怪我も相まって、どんどん自分の体力が落ちていくのが分かってしまう。  絶望だけはしないと健気に精神を奮い立たせる。必ずセインとヨナタンが救助に来てくれるはずだ。  弱りかけそうな心を気合でもたせていた時、ごとん、と何やら物音がした。  自分の背後からで、吊り下げられているハナからは把握しきれない。 「……なんだ、誰かいるのか?」 「……静かに……」  言葉が返ってきてハナは少し驚いた。  声の主は男らしいが、ヨナタンでもないし、セインもない。一体誰だろう。声の質からまだ若さを臭わせる。  何者なのか気になりながらもその声にしたがって騒ぎ立てることはしなかった。 「引き上げる」  声は頭上からした。見上げると、ダークエルフの若者が(はり)の上に中腰でいて、ハナを括って吊り下げている縄を掴んでいた。  そのまま若者がぐっ、ぐっ、とゆっくり音を立てないようにハナを引き上げる。  ぽたり、と汗がハナに落ちてきた。懸命な表情で歯を食いしばるダークエルフから滴ったのだろう。ハナが重いわけではないが、不安定な足場とバレやしないかという極限状態が彼に多量の汗をかかせていた。 「ふンぐぅっ」  やっとのことでハナを梁まで引き上げたダークエルフの若者がひとつ汗をぬぐった。 「あ、ありが……」  礼を言いかけて直ぐに人差し指の先で口元を刺される。静かに、と言われたらしい。  ダークエルフが腰からダガーを抜き、ハナの荒縄を切り裂いて、ハナはやっと開放されることになった。 「とりあえず、逃げる。ついてきてくれ」  ダークエルフは緑の瞳に銀の短髪がツンツンと跳ねている。黒い鉢巻を巻いていて、顔や身体に擦り傷が沢山あった。服装は身軽そうな麻布で身体にフィットするようなもので、印象としては盗賊とか、コソドロという風貌である。  どこまで信用できるかは分からないが、このままここに吊るされるよりはいいだろう。ハナはその若者の言葉に頷いて、梁の上を四つんばいで移動する。  ズキン――! 「う……っ」  脚の痛みが熱を持って痛覚神経を責めてくる。思うよりもキズは深いのだろうか。これでは逃げるにしても文字通りの足手まといとなりそうだ。だがくじけている場合ではない。額に脂汗をかきながらもダークエルフの若者に必死についていく。 「こっちだ」  ダークエルフはどうやら、屋根を一枚外して入って来たらしい。人が一人すり抜けられるくらいの大きさで板がずらされていた。 「ボロ小屋でさ、修理を命令されてたんだけど、細工しといたんだ」  小さい声で囁きながらも悪戯な笑みを浮かべて若者がその細工から這い上がって屋根上に出て行く。  その後、手を差し出してハナを持ち上げてくれた。 「よし、第一関門突破。あとはどうにかマルテカリまで行ければいいんだが……」  屋根の上から眺めた風景は森の中であった。どうやらマルテカリの街門の外に広がる森の中らしい。ひっそりと立てられているこの小屋はまさに隠れ家という印象だった。表の扉は閉じられていてその前には見張り役らしいエルフの男が鼻提灯を膨らませて眠りこけている。 「ね、ねえ、なんで助けてくれるんだ? お前はダレン社じゃないのか?」  ハナはそれだけは聞いておきたくてダークエルフの若者の手を捕まえて問いただす。  ハナの言葉にダークエルフは周囲を見回し、ひとつ汗を垂らした。まだ油断ならない状況のためだろう。若者はかなり逼迫しているようだったが、完結に回答を返してくれた。 「俺はダレンの人間だ。でも、お前にどうしても頼みたいことがあって、お前を助ける」 「頼みたいこと……?」 「妹を……救いたい」  ダークエルフの逼迫した表情は、誰かに似ているなとハナは気がついて、そして思い至った。  彼の碧の瞳は、アッシャと瓜二つだったのである――。    **********  女を二人攫ってきたと聞いて、どんな女か気になったロカク・ハロン・ヨウパクはその少女を盗み見に行った。  片方は黒髪の妙な女で、もう一人はダークエルフの少女だった。  黒髪のほうは始めてみる人種という印象で暫し気を取られた。どうやらダレンの狙いはこの黒髪の女だったらしく、ボスのシグマジャが色々と攫ってきた魔法使いに指示をしていた。どうも森の隠れ小屋に閉じ込めておくらしい。  もう一人のダークエルフの方は完全にとばっちりだったのか、この少女には目もくれず、シグマジャは好きにしろといってさっさと出て行った。  ――可哀相に、運がなかったな――。  そんな風に思って、その憐れな少女の顔見て、ロカクは一瞬で青ざめた。 (アッシャじゃねえかッ!?)  それはイヒャリテにいるはずの自分の妹だったからだ。見慣れない服装だったから直ぐに気がつけなかったのだ。  だが、その顔立ちは忘れたことはない。たった一人の大切な家族なのだ。  なぜ、こんなところにいるか分からないが、組織に捕らわれたら最後、少女は奴隷として売り飛ばされてしまうだろう。 (まずい……なんとか救い出さなくては……)  組織に加わって、確かに収入を得ることはできた。昔とは比べ物にならない安定した生活を出来る様になったが、その対価は大きすぎた。  この組織に加わる以上、もう抜けることは許されない。そして同時に、故郷に帰ることも、できないのだった。  まさかこんな巨大で邪悪な犯罪組織だとは当初、思いもしなかったのだ。  ちょっとした盗賊ギルドだと思っていたが、実態は違う。これは確かに会社で、カンパニーで、一つの国のようでもあった。その会社を秘密結社ダレンと云った。  せっかく金を稼いで妹に仕送りでもしてやろうと思っていたのに、足がつくからと許されなかった。新入社員はまず、会社に対してどこまで信用に足る人物であるかを示さなくてはならないと言われ、完全にダレン社内で軟禁されて飼い慣らされていくように、与えられた仕事をこなし給与を得る。過酷な任務もあったが、確かに支払いは良かった。もう後戻りできないと分かって、自分はここで一生やっていくのだと覚悟したのだが、気がかりは妹の事だった。  願わくば、自分の事は最初からいなかったものと忘れ去って欲しかった。そしていつか、自分がそれなりの地位まで上り詰めたら、妹に大金を渡してやろうと考えていたのに……。 (これじゃあ、本末転倒じゃねえか……!)  そこから、ロカクは妹を救出するためにどうしたらいいか必死に考え出した。  アッシャは不幸中の幸いであるが、今回、標的のオマケでしかなく、本来は誘拐する目標でもなんでもなかったということだ。  それであれば、あの黒髪の女を使えば、アッシャは救い出せるかもしれないとロカクは計画したのである――。 「奴らの狙いはお前さんだ。だから、あんたにゃ悪いが……、アッシャを助けるためのオトリになってもらいたい」 「分かった。やる」 「え、あ? あぁ、頼む……」  あまりにあっさりと黒髪の少女が承諾するので、ロカクは間の抜けた表情で返事をしてしまった。  てっきりふざけるなとか、自分が誘拐されたことを批難されたりすると思っていたのだが、随分肝が据わった女だとロカクは少しうろたえた。もっとも、こういう特異性があるからこそ、ダレンに狙われているのかも知れない。どこか普通ではない少女なのだろう。ならば納得だ。  特別な奴らは特別な状況に流されても仕方ないだろうが、アッシャは違う。あの子は普通の、何の罪もない優しい女の子なのだ。それがこんなことに巻き込まれて奴隷にされてしまうなどあってなるものか。  ロカクは森の小屋から少し外れた小さなほら穴に身を隠して、黒髪の少女のキズの応急手当をしてやった。簡単な自己紹介を御互いに済ませて、アッシャの兄である事を告げると、ハナはやっぱりと合点がいったようであった。  ハナからはアッシャが兄である自分を探してここまでやって来たことを教えてもらい、ハナと虹川党の話もざっと聞かされた。ロカクにとってはその辺りはどうでも良く、アッシャのことだけを気にかけていたので、話もそこそこに今後の計画をハナへ告げる。 「いいか、アッシャはまだマルテカリの中にいる。正確にはスラムの奥のマルテカリにありながらマルテカリとされていない所だがな」 「闇市があるのは今夜で間違いないんだな?」 「あ、ああ……。使われるのは下水道だ。警備には穴が開くように、教会の神官を一人懐柔してるらしい。場所はわかってる。お前はその下水道で奴らの目に留まってくれりゃいい。後は俺がアッシャを逃がす。出来る限りお前は時間を稼いでくれ。逃げ切れるものなら逃げ切ってくれたっていい」  一応、お前にもメリットはある計画なんだぞ、という小さなフォローのつもりで言った言葉であるが、まるでフォローになっていないなと自覚しなおした。  てっきり今度こそふざけるなと言われると思ったのに、黒髪の少女はただ、こちらを強く見つめていた。  黒い瞳は射抜くようにロカクを貫く。全て見抜いているように思えて、ロカクはその視線から逃げ出す。そんなロカクに、ハナは切り込むように入ってくる。 「あんたはどうするんだ。アッシャを助けた後、またダレンに戻るのか」 「そ……、そうするしかない。組織を抜けることは許されない。抜けた奴はみんな殺されてる……。アッシャには、俺の事は忘れろと言うつもりだ……」 「ふざけんなッ!!」  思いもしない所で叱咤されたロカクは、ぽかんと口を開けて、怒りに燃える黒髪の少女を凝視した。サッパリ分からない。  なぜ? 何に対して怒っているんだ、この女は――? 「理不尽な別れがどれだけ苦しいか……! 家族を忘れることがどれだけ怖いのか、なんでお前がわかんねぇんだッ!?」 「な……! そんなこと、言われなくたってッ!! でも、現実は甘くねえんだよッ!」 「んなセリフは、死んでから言えッ!」  バギィッ!!  ハナの渾身の拳がロカクをぶん殴りぬけた。ロカクはそのままふっとんで、背中から地面に倒れてしまう。  痛みなど、大して感じなかった。これまでいくつも修羅場をくぐってきては死に掛けるような酷い暴力だって受けたのだ。こんな小娘の拳一発、なんてことはない。  だが、頬をさすって見上げた黒髪の少女が、涙を溢れさせていたのを見て、急に殴られた頬が熱くなっていくのを感じた。 「……アッシャを助けてやれるのは、お前だけなんだ! 家族は、かけがえがないんだよッ!!」 (――あ――)  そうだ。まだ幼い頃、アッシャが居て、両親が居たころに、感じた懐かしい感覚――。 (説教なんて、親父からしかされたこと、なかったのに……) 「ダレン社は潰してみせる」 「お前なんぞでどうにかできるような組織じゃねえんだよ、ダレン社ってのは……」 「目には目を。組織には組織を。あんたの言う通り、私なんぞ独りじゃなにもできないよ。でも、仲間がいる。エルフのヨナタンに、ダークエルフのセイン。教会のみんな」  ハナは首元につけたバッジを見せ付けて、不敵に笑って見せる。 「虹川党の名に賭けて」  黒髪の少女は自信を持ってそう言った。いや、自信とは少し違うかもしれない。それはやるという覚悟の印だったのだろう。  自分と同じような年齢の少女に、こうまで言われては面目もない。だが、ダレンの事を良く分かってもいなさそうな少女が啖呵を切ったところで具体的にどうしようもないではないか。  ……しかし、それでもこの少女の言葉のある一点に置いては、その通りだと同意せざるを得ない。  家族はかけがえがないのだ。それが分かっているからこそ、アッシャはここまでやってきたし、自分もアッシャを助けたいと願うのである。そんな当たり前をダレンの中で汚されてきていたのかもしれない。  黒い瞳は力強く、訴えている。きっとこの少女も大切な家族を失い、別れを経験してきたのだろう。失くしたからこそ知っている、かさぶたのような格好のつかない確かな疵痕が、しっかりとした経験として人を成長させたのだろう。  この少女が痛みを知らず、心地よいだけの世界を怠惰に求めている人間であれば、ロカクはこの言葉を鼻で笑っていた。辛い現実は、どの世界であろうが逃げることは出来ないのだ。人が生きる限り、苦のない生などないのだから。世界が変わろうと、ハナはそこで自分らしくあがき、もがくのだろう。泥にまみれているような汚れたざらつきが心地いい。  ロカクは生まれて初めて、肌の白い人物に対し、素直な気持ちで『信じたい』と想うのであった――。
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