パレットワールド

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パレットワールド

 慌しい足音が響いてきたと思えば、神官長室の扉を荒々しく開いて伝令の神官が飛び込んできた。 「神官長ッ!! ウィシュプーシュが現れッ! 街中を暴れまわっておりますッ!!」 「何ィ? 門の監視塔はどうしたッ!!」 「いえ、それが街の外からではなく、スラム街から出現したらしいのですッ!」 「ダレンかッ? 自ら出る! 緊急配備!!」  命令に飛び上がるように反応して、伝令は駆け出ていく。タンネンベルクは剣の鞘をギリギリと握り、舌打ちした。 「虹川党は矢張り疫病神でしかないな……ッ」  ――スラムから出現したウィシュプーシュは周囲を破壊しながら怒り狂った叫び声と共に、突き進む。  狂獣が通った後は傷を負った人びとが倒れ、うめき声を上げている。  その中にはダレンの構成員のほかにも罪のないダークエルフも含まれていた。  ダレンのメンバーは最初はウィシュプーシュを押さえ込もうとしていたが、想像以上のパワーに叩きのめされていったのだ。事態を鎮圧することは難しいと判断したシグマジャはウィシュプーシュの捕縛を諦め、黒の魔女と共に攫ってきたダークエルフの少女アッシャを連れて、直属の覆面隊、通称『実行部隊』と隠れることにしたのである。  マルテカリ内は地下に張り巡らされた下水道があり、ここは日陰者(シェイドエルフ)の巣窟になっていたのだ。複雑な迷宮の一角には隠し部屋が幾つも作られ、そこで秘密結社ダレンのマルテカリ支部は闇市を開き収入を得ていた。  このウィシュプーシュも実験と金儲けのために捕まえてきたものだ。ウィシュプーシュが作るメレスィを量産させようと、この固体に様々な薬品入りの食物を与え、良質で大きなメレスィを作るように肉体改造を行っていた。  しかし実験は上手く行かず、ウィシュプーシュは薬のためか徐々に狂気に染まっていった。もう、ダレンとしても管理を持て余していたのだ。  シグマジャは黒の魔女を捕らえるという最上級の目標を達している。もはやウィシュプーシュやマルテカリ支部にも必要性を感じない。  ここらが潮時であると、支部とウィシュプーシュ、そしてダレン社の雑兵を切り捨てたのだ。いざと云うときの人質に使えると踏んで、アッシャは覆面隊に担がせたままシグマジャは下水道を隠れ進んでいた。この下水を抜ければマルテカリの門の外にも抜けることはできるし、黒の魔女を捕らえている小屋へと行く事もできる。  黒の魔女を回収してしまえば、あとは組織のルートを使って本部まで黒の魔女を連れて行けば晴れて首領の右手として側近にさせてもらえるだろう。すでにシグマジャの逃亡計画は動き出していたのである。  ――そんな事を知らない教会騎士団は下水の配備などは眼中になかった。  エルフの住まうマルテカリの表側へウィシュプーシュが入り込んでくる前に動きを止めなくてはならない。  警備隊はスラムを封鎖するように陣を取り、スラム街の広場でウィシュプーシュを取り囲む作戦となっていた。部隊はいくつかに分かれ、逃走経路を押さえるようにし、ウィシュプーシュを広場に誘導しおいつめるのだ。  作戦の指示を行い、タンネンベルクはまだダークエルフの避難がすんでいないスラム街へ完全な封鎖を行う。 「神官長! スラム街封鎖、完了しました。ウィシュプーシュがマルテカリに入る事はないでしょう」 「よし、広場への追い込みはどうなっている」 「一番隊が西側から追い込んでおりますが、想像以上にウィシュプーシュが危険らしく手間取っております」 「二番と三番で連携させろよ。所詮ウィシュプーシュだ。火を放てば逃げる」  教会騎士がスラムでウィシュプーシュを追い込んでいる方法は、いわゆる焼き討ちであった。獣である以上、必ず火を怖れる。そのため、スラムの各所に火を放ち、道を塞ぐようにしたのだ。  まだ、逃げ切っていないダークエルフもいると云う状況ながら、タンネンベルクはもろともに火攻めにしたのだ。 「ダレンよ、あぶり出しにしてやるわ。ゴズウェー共なぞ、一網打尽よ!」  マルテカリのスラムから黒煙が吹き上がる。猛り狂う狂獣の咆哮と共に。  逃げ遅れたダークエルフたちの叫びを押しつぶし、赤光(しゃっこう)の火炎が燃え上がる。  マルテカリの命運を分かつ火蓋は切られたのである。    **********  ハナとロカクは、街の下水に通じる隠し通路へ向かうべくマルテカリ外周の森を歩いて回っていた。  その時、森の先に何かの気配を感じて、二人は茂みに隠れて息を潜めた。 「何かいる」  木々の奥に何か大きな毛むくじゃらの動物が見えた。大きさにして三メートルはある熊のような動物だった。  しかし、頭部はネズミに似ていたし、げっ歯類の特徴である前歯がにょっきり生えているのを見て、大きなビーバーだと分かった。 「なにあれ」 「ウィシュプーシュだ。近頃、この辺りによく出没する。こっちから仕掛けない限りは襲ってこないからやり過ごそう」  ハナの質問にロカクは解答し、二人は暫しウィシュプーシュが過ぎ去るのを隠れてみていた。  ウィシュプーシュはそのまま森の出口、マルテカリの方へと向かっていっていたように見える。 「ひょっとしたら、アイツを探しているのかもな」 「……あいつ?」 「ダレンが捕まえたウィシュプーシュの子供だよ。全長は一メートルくらいのやつだけど、色々と肉体改造で子供なのにあの親のウィシュプーシュくらいまでデカくなっちまったらしい」  動物の密猟までやっているのかとハナはダレンの悪事の手広さに辟易した。動物とは言え、家族を引き裂かれたことにハナは自分を重ねてしまう。  今、父親ももしかしたら、自分のコトを探しているかも知れない。あのウィシュプーシュのように。  ハナはウィシュプーシュが消えた先を眺めていて、木々の隙間に見えた空に伸びる黒煙に気が付いた。 「え……? あれって……」  ハナのその怪訝そうな表情を追ってロカクも気が付いた。マルテカリの方角から黒煙が上がっていることに。 「何かあったのか……?」 「嫌な……予感がする」  黒煙の先で何か重大なことが起こっているような気がした。ハナは風を感じ取り、ブーツの能力を使い風に乗る。 「んな!?」  ロカクが目をひん剥いて驚愕の声を上げることになる。それもそうだ。いきなり人が飛んだのだから。  まるで空中で滑るようにハナは風を次々乗り換えて木々よりも高く空を舞う。  高い上空からマルテカリを見ると、街から火の手が上がっていることがしっかり確認できた。どうやら一区画で大規模な火事があったようで、火の手は広がっているようだった。  それを確認して、風を滑り降りてロカクの傍に着地する。 「マルテカリで火事みたいだ。それも結構広範囲で……」 「つか、なんだお前はッ!? 空を飛ぶ魔法は始めてみたぞ!?」 「あ、これは違うんだ。魔法は使えないんだけど、符呪してもらったブーツの能力だよ」 「空飛ぶ靴……。そんな凄いマジックアイテムもあるんだな……」  ロカクがまじまじとハナのブーツを見て関心を示した。売りさばけば良い値段が付くだろうと思ったのだ。  これまで盗人をしてきた品定めのクセが働いてしまって、うっかりと現状を忘れてしまっていた。 「それより、マルテカリで異常発生だ。もしかしたら、ダレンの仕業なんじゃないか?」  ハナの言葉で意識を切り替えた。そうだ。マルテカリで火事があるなどそうない事だ。もしかしたら、本当にダレンに関わるなんらかの仕業かもしれない。今はアッシャもマルテカリのアジトに捕まっているはずだから、可能性としてアッシャに何かあった可能性は捨てきれない。 「火の手はどのあたりだ?」 「教会の裏側。隅のほうだったよ」 「スラムか。ダレンの隠れ家もその辺だな。マジで何かあったのかもしれない」  ロカクは段々と気持ちが焦りだしてきた。当初の計画では夜行われる闇市にまぎれてハナと騒ぎを起こす予定だったのに、悠長にしている場合ではなくなっているかもしれないのだ。  それに考えようによってはチャンスでもある。態々自分達で騒ぎを起こさずとも、何者かがマルテカリのスラムで騒ぎを起こしてくれたのだ。このタイミングならアッシャを救い出せるかもしれない。 「計画変更だ。今からアッシャを救いに行こう。多分、その火の手が上がっている辺りにアッシャは捕まっているはずだからな」 「だったら、アッシャもキケンじゃないか! 早く行こうッ」  ハナが弾かれたように動き出したので、ロカクは本当に目の前の少女が分からなくなってきた。 「……なぁ。なんでお前はアッシャを助けようとしてくれるんだ」 「私のせいでアッシャは巻き込まれた。黙ってられねーだろ」  義理を通す――という物ではなく、ハナはひとつのトラウマを抱えていた。自分のせいで人が苦しむ事を極端に嫌っていたのだ。それはかつての教訓からか、防衛本能からか、少女は自覚の外で行動に移してしまう。  この世界に来たその時、セインにとって迷惑になるならセインの家から出て行くと言った事も、ヨナタンがイヒャリテを追放された時も、そして今も――。ハナは自分のせいで人を不幸にしたくなかったのだ。  母親を失った時、自分のせいだと追いやったトラウマが顔を覗かせる。  本当は怖くてしょうがない。逃げ出して投げ出したくて、無関係だと切り捨ててしまえばどれだけ楽だろう。しかし……。 「それにさ、約束してんだよな」 「約束……?」  ハナはその恐怖心から沸き起こる慫慂(しょうよう)に流されたくはなかった。自分で決めた事なのに、人から言われたことみたいに思えてならなかったからだ。 「一緒に宝石を見るって」  だから、笑ってみせる。自分自身の変な責任感なんかでアッシャのところへ行くんじゃない。友達だから行くんだと。 「おまえ……さっきの空を飛ぶの、まだできるか?」 「え、うん、風さえあれば飛べる」 「なら、俺は地下から行くからお前は真っ直ぐ飛んでマルテカリへ行け。その方が早い」  この黒髪の少女なら、信用できる。ロカクはすでに、ハナを他の誰よりも信じていた。あんな奮い立たせる笑顔をくれた人はいなかったからだ。  こいつなら、アッシャを救ってくれる。ロカクは確信した。 「お前がアッシャを救うんだ。俺がオトリになる」 「……元気な姿でアッシャと会うって約束しろ」 「当然」  ニッと笑って白い歯を見せ付けてロカクは親指を立てた。  その顔を見て、ハナは強く頷いた。そして、もう一度黒煙の空を見上げる。風を感じ取り、上昇気流を捕まえて、ハナは羽のように天に舞い上がる。  黒髪が流れハナは文字通りに風の速さでマルテカリへ飛び立った。  風に舞う花びらのように儚げに見えて、命の煌めきを纏う美しさを確かに見せ付ける。 「いい女じゃねえか」  ロカクは笑う。あんな女に巡り会えた幸運を誰かにジマンしてやりたい。だからこそ、俺も死にはしないと、勇気を奮い立たせた。    **********  シグマジャと覆面隊が下水を進みマルテカリの外へ向かう最中、もう少しでこの汚らしい下水道から出ることが出来るというところで、覆面隊の一人が醜い悲鳴を一つ上げた。 「ぐぇッ!」 「?!」  悲鳴を上げた覆面が転げ悶える。その足には矢が突き刺さっていた。 「追っ手かッ」  振り向いた下水道の暗闇に、二人の人影が見えた。  ひとりはエルフの魔法使い。もう一人は弓をつがえたダークエルフだった。 「やつらッ、虹川党ですッ」  アッシャを担いだ大柄の覆面が驚きの声でシグマジャに報告する。 「なぜ、ここが……!」  この通路は教会側に知られていないはずなのだが、それはエドガーがいつかのためにと調べ上げていた二重スパイ活動の賜物だった。  エドガーから地下水路の詳細な情報とダレンの情報を聞き出したセインとヨナタンはこうしてシグマジャを追い詰めるまでに至ったのだ。 「チッ、お前たちで相手をしなさいッ! 私は黒の魔女を回収します」  シグマジャは命令を飛ばし、一人駆け出す。  セインが矢を放とうとするが、それを邪魔するように覆面が通路を遮った。 「いかせん」  三名の覆面がヨナタンとセインに立ちふさがる。 「あなた達がファナさんとアッシャを攫ったのですね」  大柄の覆面がアッシャを通路に下ろしているのを確認したヨナタンが冷たく凍る声で(プレッシャー)をかける。 「お前が服従のヨナタンだな。噂は聞いているぜ」  魔法使いらしい覆面がヨナタンの前で構えた。宿屋を襲撃し、ハナ達に<沈静>を撃った覆面である。魔法使いとしてかなりの腕前を持ち、組織の実行部隊として抜擢されてから、覆面の中でもトップクラスの魔法の力を発揮してきた(つわもの)だ。  ヨナタンの魔力の才能を耳にしていたこの覆面は対決できる日を密かに楽しみにしてきた。<服従>という高性能の符呪首輪(アプリ)を作り上げ、その呪文構築(プログラミング)は魔法使いなら一度は目にしたいという格の高さを見せていたからだ。その上でヨナタンを(やぶ)る事ができれば、自分の実力は折り紙つきと言えよう。 「なるほど、あなたが宿屋に<消音>をかけたのですね」 「無様だったな、ヨナタン! こちらが上でお前が下だァッ!!」  覆面の魔法使いの右手が青く光る。マナの発光だ。魔法が放たれる兆候であり、それはまさに瞬間的なものである。青く光ったかと思えば既に魔法は放射されるのだから。その間は一秒もないだろう――。  バシュンッ!!  <沈静>が放たれた。一本の細い糸のような青白い光線が指先から発射され、標的を撃ち抜いていた。 「ば、かな……」  覆面の魔法使いは悔しげな表情を覆面の下に浮かべ、その場にへたり込んだ。魔法を放ったと思った間に、ヨナタンの<沈静>に撃たれていたのだ。 「遅いんですよ。あなたの呪文構築(プログラム)は。あなたが一発撃つ間に、私は十三発撃てるでしょう」  横で聞いていたセインはそれは盛りすぎだろ、とジト目で心の中で突っ込んでいたが、圧倒的な実力さは一目瞭然となった。残りの覆面二人が歯噛みをして汗を垂らしていた。  数は互角でも質で負けると分かったのだろう。覆面は通路に転がせたアッシャをすぐさま押さえ込んでダガーナイフを首元へと突きつける。 「おいっ、大人しくしろ。こいつを()るぞッ」 「アッシャ……!」 「弓を捨てろ。魔法使いは手を挙げろッ! 早くしやがれッ」  刃が首の皮を裂くようにアッシャに押し付けられて、アッシャは痛みに顔を歪ませた。少しだけ首元から血が垂れる。  それを見て、セインは弓を投げ捨てた。ヨナタンも同様に両手を挙げる。 「ようし、良い子だ。おい、礼をしてやれ」  覆面の一人がヨナタンに接近して、鳩尾をめがけて思い切り拳を叩き込んだ。 「うぐっ!」  呼吸を止められてしまって、咽ながらヨナタンは膝を折る。かがんだ状態のヨナタンの顎に、今度は鋭い蹴りが叩き込まれた。 「がぁッ……!」  ヨナタンはそのまま仰向けに倒れ、口の中を噛み切ってしまったか、口の端から血を流した。その頭部を追い討ちをかけるように覆面が踏みつける。 「ぐうっ、ごはっ。うごっ」  そのままボールを蹴るようにヨナタンの顔を何度も蹴り付ける覆面は残虐な笑みを浮かべながら安っぽい復讐心を満たすのである。 (よな、たん……さま……)  首元の痛みのためか、<沈静>を喰らったアッシャの意識が覚醒し始めていた。目の前には自分のせいで蹴り潰されるヨナタンが苦悶の声を上げて耐えている。  セインダールはアッシャをじっと見ていた。隙さえあれば助けようと考えているのだろう。 (なんにも、できない……私のせいで……。私なんかを、助けないで……セインダール……見ないで……)  アッシャの怯弱(きょうじゃく)な心が涙を零させる。どこまで行っても自分は情けない。セインダールのために出来る事は何もない。それどころか迷惑をかけて怪我まで負わせてしまっているのに、どうしようもできないのだ。  そんな自分を金色の瞳がじっと見つめ続けるのが耐え難い。情けない自分を確認されているようでたまらない。同じダークエルフだというのに、隣にも立てない。立つ資格がない。  彼に恋心を抱くなど、許されないのだ。 「アッシャ……、約束、をかなら、ず……」  苦しげな声でヨナタンがアッシャに手を伸ばす。 (やくそく……?)  ――絶対、お兄さんを探してあげますからね――。 「……っ!」  教会で聞いたヨナタンの言葉が蘇る。  セインダールは厳しい視線を向け続ける。なぜそんな視線を向けるのだろう。隙を窺っているのか。いや、違う。それなら、アッシャを見つめず覆面を見るはずだ。  セインダールはアッシャを見ているのだ。  金の瞳は何を伝えているのだろう。  なぜ、彼はダークエルフなのに、あんなに強い瞳を宿すのだろう。どうして、私はセインダールについて行きたいと思ったんだろう――。 (――そうだ……。……あのイヒャリテの暗い坑道で、私は憧れたんだ――)  あんな瞳を自分も持ちたいと――。  アッシャにナイフを向けている覆面はヨナタンがいたぶられているのに夢中だった。そのせいであろう。アッシャをしっかりと見ていなかったのだ。だから、ナイフを持つ手に何かが絡み付いてきたように感じて手元を見たとき、覆面は悲鳴を上げることになった。  ナイフから腕にかけて、毒蛇が絡み付いていたからだ。 「うああっ!?」  思わずダガーを取りこぼす。腕に絡む毒蛇を払いのけようとして、毒蛇が揺らぐのに気が付いた。  ――幻惑魔法――!  気が付いた時はもう、遅かった。毒蛇は<錯視>がかけられた、ただのベルトだったのだ。  ヨナタンの右手はアッシャのほうへ伸ばされていたから――。  覆面が慌ててナイフを取りこぼすと同時に、青い閃光が覆面を貫いていた。 「なっ!?」  ヨナタンを踏みつけていた覆面が驚愕の声を上げた。撃たれた仲間が倒れこむのに目を奪われ、隙を作ってしまう。  そこに、セインがその長身から繰り出される体重の乗った蹴りを思い切り横っ腹にぶち込んだのだ。  どごぉっ!! 「へぐっ!」  無様な声を地下水路に響かせて、覆面はヨナタンの上から吹っ飛ばされる。そのまま通路の壁に叩きつけられて肺の中の空気をカラッポにしてしまう。  一気に視界が揺らいで、すぐに空気を取り込もうと激しく息を吸おうとしたとき、その喉元に矢を突きつけられた。  右手で矢を掴んで、矢先を喉に突き出したセインが鋭い目を光らせて、覆面を押さえ込んでいたのだ。 「寝てろ」  そのまま、重い膝蹴りを腹部に入れると、覆面は泡を噴いて気絶した。 「ヨナタン、平気か」 「いや……、結構キツイです……」  腫れ上がった顔で鼻血を垂らして、ヨナタンは不細工な笑みを作る。  そんなヨナタンにアッシャが駆け寄った。 「ヨナタンさまっ!!」 「アッシャ、大丈夫ですか」 「私は平気です! ヨナタンさま、すみません、すみませんっ。私のせいでこんな……っ」  碧の瞳からぽろぽろ光る涙を零しながら、アッシャは何度も何度もヨナタンに侘びる。侘びることすらおこがましいようにも思える。こんなにも無力な自分のために、ここまでキズを負ってくれるエルフが今までいただろうか……。 「大丈夫、私は回復魔法専攻の天才魔法使いですからこの程度のキズはなんてことはありません」  そう言って、左手を顔にかざしてオレンジの光を放ちだすと、見る見る顔の青あざが引いていく。回復魔法の<治癒>である。ヨナタンは元々回復魔法が最も得意する分野であるため、その言葉にはなんら偽りなかった。 「でも、私のせいで……痛い思いを……。私なんか……何の価値もないのに……」  卑屈な心がまた歪んだ言葉をつむいでしまう。迷惑ばかりをかけてしまう自分が許せなかった。役に立てない自分が嫌いになりそうだった。  そんなアッシャの濡れる頬に掌を沿え、親指で涙をぬぐうヨナタンは、黄金に輝いて見える。 「貴女の勇気が、無価値であるとは、私には思えない。あなたが自分を無価値と思うのは自由ですが、私は、アッシャが生きていて、嬉しくてたまらないのです」  ヨナタンの胸に顔をうずめ、彼の温もりを知ることができた。凍えていたアッシャのハートは、やっと、自分の価値を信じてみようと、熱を持ち始めた。共に歩めるように、並び立てるように、モノクロの世界は彩り始める――。
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