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あたしの名前は呼びにくい?
幻想世界の山道を少し登ると小さな小屋が見えた。
アルプスのハイジが住んでそうな家だなとハナは思った。
家の周りには薪が転がっていて、切り株に木こりの手斧が突き立ててある。
脇には簡単な柵で覆われた花壇があり、そこには草花が育っていた。
玄関には雨避けの屋根もあり、何やらニンニクのような野菜がぶら下げてある。
木製の家は、独特のぬくもりが感じられそうではあるが、どこか寂しげに佇んでいる様にも見えた。
「俺の家だ」
セインはそのまま小屋の中に入る。ドアをあっさりと開いた事からカギをかけていなかったらしい。
(山賊が出るって言ってたのに、無用心なんだな)
セインに続いて、ゆっくりと玄関をくぐると、暖炉が最初に目に付く。
部屋の周囲には本棚やタンス、何やら色々なビンが入っている棚。
部屋の奥にははしごがあって、屋根裏スペースに上がれるようだった。
他にも台所らしきところにはナイフやら食器が置いてあった。
その付近の床には一箇所蓋が閉まっている開け閉めできそうな扉が備え付けられている。
おそらく地下室への扉なのだろう。
セインが壁にかけてあるランタンの灯りをつけると、それらが活き活きとしたオレンジに染まって、ハナはそれだけで少しテンションが上がった。
幼いころ、父と母で一緒に行ったキャンプを思い出したのだ。
「セイン、一人で住んでんの?」
「ああ。貸せ」
ハナが担いでいたモグラネズミをセインが受け取って、そのまままた外へ出て行く。
「ど、どこいくの?」
「捌くんだよ、喰うだろ?」
「え……」
言われて空腹な事に気がついた。
(しかし……モグラネズミだろ……喰えるのか?)
モグラもネズミも食べた事がないハナは、正直なところその肉を食べる事に躊躇した。
だが、そんな気持ちなど無視して、腹の虫が鳴ったのだから立つ瀬もない。
その空腹の音にセインはにやりと笑って出て行った。
(う……、なんだよ、その顔……)
恥ずかしくなってしまって、ハナは紅くなってしまった。
傍にあったチェアーに腰掛けて、ハナはスリッパを脱いだ。
そのまま、片足を持ち上げて、足の裏をマッサージしてやる。
スリッパでの登山はかなりキツかった。
今後どうするにしても、靴をなんとかしないとならないなと考えた。
(それに……装備、か)
山賊やら、野生動物やら、危険なモノがはびこる世界らしい。
最低限の装備は必要かもしれない。
それに、セインの事は今のところ悪い人間ではないとは思っているが、ハナも一応女子である。
今夜はここで夜を明かすのだ。知り合って間もない男性と。
何かある可能性だってある。
少し家の中を物色しておこうと、とりあえず、はしごの上のロフトのような作りをしている屋根裏へハナは向かった。
屋根裏はどうもセインの寝室スペースなのだろう。
簡素なベッドと、小さなテーブルと戸棚があるくらいだった。
窓もあったので、そこから外を眺めてみると、家の裏手側を見ることが出来た。
裏手は少しスペースがあり、セインはそこで獲物の皮を剥いでいるらしい。
手馴れているらしく、作業は見る見る進んでいく。
裏庭の周囲は崖がそびえていて、上に登るには回り道をしなくてならないような地形になっていた。
とりあえず、屋根裏は特別めぼしいものはないようだ。
ハナは下に下りて、今度は、棚に並ぶビンを眺める。
ビンの中はまた多様で、基本的には液体が入っているようだった。
液体の色も赤、青、緑、無色と色とりどりなのだが、貼られているラベルには読み解けない文字の羅列が書いてある。
(これが、セインの作ってるクスリかな……ヤバいのじゃないといいけど……)
下手に触って怒られるのも嫌なので、棚の中身はそのままに、本棚の本を手にとって見た。
革で包装されている本で表紙はやはり意味不明な文字の羅列であった。
(言葉は通じるのに、なんで文字は読めないんだ……)
ふとした疑問だったが、良く考えてみるとおかしな話だ。
セインが日本語を話しているように聞こえている状況に救われているが、おそらくセインは日本語を喋っているわけではなさそうだ。
途中から気がついたが、耳に届く言葉とセインの口の動きが合っていないのだ。
まるで洋画の吹き替えを見ているようなそんな違和感。
おそらくセインは日本語ではない言葉でしゃべっているのだろう。
そして、それが翻訳されて耳に届いているのだ。
多分、それは相手側にも同じ違和感を与えているのではないだろうか。
ハナの日本語が、相手の言語に合わせて届けられている。
セインが、ハナを『異質』と評した事はそれも含まれていたのかもしれない。
「文字が読めないのはマズいかもな……地図も読めないって事だし」
読めない本をパラパラと捲っていると、セインが中に戻ってきた。手には皮をはがれて薄ピンクの肉をさらけ出すモグラネズミがあった。
「料理するの?」
「そんな立派なものじゃない。焼いて食うだけだぞ」
キッチンに立ったセインがナイフで肉を切り、それに鉄の串を通す。
暖炉に火をつけてから、赤い火の上にフライパンを持ってきてそのまま焼き始める。
じゅうじゅうという肉の焼ける音と、香ばしい食欲を刺激する臭いが小屋の中に充満していく。
「香辛料とかないの? コショウとか、塩とか」
「塩ならあるが……食用じゃない」
「野菜は? 色々育ててるみたいだけど」
軽く見ただけだが、トマトやレタスが育っていたようにみえる。
もっとも、こちらの世界の食物が現代社会と同じなのかは分からないが。
「あ、ああ……、あるが」
「使わないの?」
「焼くのか?」
キョトンとした顔でフライパンをもったままハナの顔を眺めるセインをみて、ハナは少しいぶかしんだ。
「焼き野菜も美味しいとは思うけど……、あ? もしかして、セインさ……」
「あ?」
金色の瞳が怪訝な表情でハナを見つめる。ばつの悪そうな表情が少し可愛らしく見えて、ハナはニヤニヤと笑った。
さっきの腹の虫のお返しのつもりだった。
「料理、全然できないんじゃない?」
「……」
セインはぐっ、と声をつぶして飲み込んだようだった。
どうも、図星らしい。
「出来ないんじゃない。面倒なだけだ」
「あーそう。使って良いんなら、あたしが簡単に作ろうか?」
ハナの提案に、ダークエルフの青年は豆鉄砲を食らったような顔で目を丸くしていた。
「お前、できるのか?」
「これでも、お母さんが死んでからは食事を毎日作ってきてんだぜ。舐めんな」
「……母親は死んだのか」
セインが少し驚いたような顔をした。ハナは変に気を使われるのもイヤだったので、軽く流すことにした。
「事故でね。で、いいの? あとぶら下がって干してるの、ニンニク? あれ使える?」
「あ、あぁ」
「卵くらいない? あ、水! 水はどうしてんの?」
「井戸が……卵は裏に鶏小屋がある」
「オッケー」
今度はバタバタとハナが家の周囲を回ることになるのだった。
あっという間に主導権を握られたようで、セインは少しむくれる。
「本当に、料理なんかできるのか?」
意地悪く黒髪の少女に言ってみせるが、「さぁね」と笑顔で返されて、またも意表をつかれてしまう。
(……変な女だ)
そう言えば、こんな風に人を家に招いたのは何年ぶりだろう。
ずっと独りで生活してきた青年は、マヒしていた人との繋がりにどう向き合えば良いか、戸惑う。
そして、封じていた記憶が幽かに心に蘇ってきたのを、銀髪を振って掻き消そうとするのだった。
「セイン! 肉、焦がすなよ!」
「お、おわ!」
慌てて串をつまんで肉を裏返す。
裏返した肉の表面は小麦色に丁度良く焼けていた。
暖かい食卓が、この小屋で数年ぶりに行われるのだった――。
**********
「ご馳走様っと」
ハナが手を合わせて、テーブルに広げられたステーキと野菜炒めを平らげて一息ついた。
懸念していたモグラネズミの肉だが、思ったよりも美味しかった。
肉は若干堅めではあったが、さっぱりとした味で鶏肉と豚肉の中間という感じだった。
「お前、本当に異世界から来たのか? 食材だってよくわからんのじゃないか?」
「あー? まぁ、大抵のもんは火を通せば食べれるだろって思っただけだよ。小麦粉もあったし、肉汁で炙ったのがうまかったのかなー。醤油かミソがあればもうちょいマシなのできるんだけど」
セインはハナの作った野菜炒めをバクバクと食べて、感心していた。
ニンニクもどきは細かくカットしてガーリックチップスのようにしてまぶしてやったが、厳密にはニンニクとは違うらしく、少しピリっとした絡みがあったのが、味のアクセントになっていた。
「……じゃあ、落ち着いたところで、色々と話を聞かせて欲しいんだけど」
「そうだな。でも、お前……」
「セイン」
ハナはセインが語りだす前に、それを制止した。
「お前って呼ぶな」
「ぬ……」
「『お前』って呼ぶなら、あたしは『ラーメン』って呼ぶぞ」
「……すまん、お前の名前、忘れた」
ハナは、呆れた顔で大きく溜息を吐く。
「東雲ハナ」
「スィノーメ、ファナ」
セインのその返しで、ハナはやっぱり、と思った。
自分の名前を呼ぶセインの唇を見て、その声を聞いて、『東雲ハナ』と発音できないでいる事を確認できた。
つまり、日本語で話していない事がこれでハッキリと確認が取れた。
英国人がカタコトの日本語を話すような、おぼつかない発音と、唇の動きは日本語を話すときの使われ方をしていないのだ。
「し・の・の・め」
「スィ・ノン・メ……」
「ハ・ナ」
「ファ・ナ」
『東雲ハナ』と云う日本名は、発音しにくいのだろう。
ハナからすれば、セインの名前が聞きなれた『ラーメン』だったから、割とすんなり聞き取れてしまったのかもしれない。
「変な名前だな」
「ラーメンに言われたくねぇぇぇぇッ!」
割と気に入っている自分の名前を変と言われて、ハナは指をつきつけながら咆哮する。
「ったく、なんと呼べば良いんだ?」
ハナの剣幕に少々推され気味にセインが口を尖らせる。
「ハナでいいよ」
「分かった。じゃあ、ファナ……」
やはり、ハナと発音できないらしい。もう訂正するのも面倒なので、ファナでいいやと諦めた。
「俺が思うに、お前が色々と訊ねたところで結局疑問が生まれるばかりで、話にならんと思う」
「う……、そうかも」
それはハナも考えていた事だ。
訊ねたいことはいくらでもあるのに、それを訊ねた回答が理解できないのは致命的だ。
「だから、俺がお前を躾けてやろう」
「はぁ!?」
「俺が教師となって、ゼロから常識を教え込んでやる。さっき、本を見ていたようだが、字も読めないんじゃないのか?」
「ぬぐぐ……でも、あたしはさっさと元の世界に戻れたらそれで十分なんだけど……」
もどかしさにハナが唸っていると、セインは金の瞳を真っ直ぐに向けて、真剣な表情でゆっくりと言った。
「知らないままに、行動していれば、利用されるだけだぞ」
「……!」
セインの重い言葉に、ハナは背筋を伸ばす。
「そうだな……その通りだ……」
ハナ自身も理解していないこの状況を改善するには、おそらく一人ではできない。
そうなると、誰かを頼らなくてはならないのだ。
相場も分からず、海外で買い物をしてボッタくられるような状況もあるだろう。
ボッタくられるくらいならマシな方かもしれない。
山賊だっている世界ならば、人身売買や場合によっては殺されてしまう事だってあるかもしれない。
「……あ」
ハナは、はっとした。
そんな無法地帯の世界で、目の前の青年はどうしてこんな自分を助けてくれるのだろう。
まだ一緒にいた期間は数時間だ。
でも、セインが悪い人間ではなさそうなのは分かった。
――実はかなり幸運だったのではないだろうか。
「セインは、なんであたしを助けてくれたんだ?」
「言ったろ、人体実験だよ。お前のカラダが目当てだ」
「言い方、エロイ」
ハナは少し顔を赤らめてしまう。正直なところ、セインはかなり美形だ。
その顔から、唇からそういう言葉が出てくると、恋愛経験の無いハナは、ドキマギしてしまう。
キラーマシーンとか呼んでいる連中が見たら、笑い転げてしまうのではないだろうか。
「実験って、具体的にどういうの?」
「俺のクスリを試してもらう。あとはそのまま観察だ。臨床試験だよ。とりあえずは健康診断からだな」
「どういうクスリなんだ?」
ぶっちゃけ不安なので、そこは聞いておきたい。
「今回のは、破壊魔法に対する魔法抗体を活性させるクスリと、マナ補給のクスリの同時使用の影響だな」
魔法に対するクスリ。
早速ながらファンタジーすぎてそれが自分の人体にどういった影響がでるのか、サッパリ分からないので、なんともいえず、ハナは「へえー」と間抜けな返事しかできなかった。
「ともかく、それは明日からだ。一週間は検査を続けるから、その間はここに居てもらうぞ」
「え、マジ?」
「その一週間で、俺もこの世界の歴史や、読み書きくらいは教えてやれる。それしかないと言うくらい、はまり込んだ条件だろう」
異世界の生活が、これからどのくらい続くのか分からない。
あっちでは、今頃どうなっているんだろう。
ハナはせめて連絡が取れればと歯がゆい気持ちに焦りを覚えて、一週間という時間すら惜しく感じた。
だが、セインの言う通り、これ以上の方法は現状ない。
選択肢はあるが、どれもバッドエンドにしか繋がっていないように思える。
現状、これが唯一のまともな選択肢なのだ。
「あ、あのさ。一週間もここで暮らすんなら、色々あるんだけど……、着替えとか」
「俺の服だが、使って良い。女物はないが、我慢しろ」
さらりと言ってダークエルフは屋根裏を指差す。
先ほどのタンスの中身を使えというのだろう。
「ど、どこで寝たら良い?」
ハナは、内心めちゃくちゃに焦っていたが、なるべく表情に出さないように質問した。
ベッドは一つしかなかったから、まさかと想像してしまう。
すると、今度はセインが下を指差す。
「地下を使え。物置にしているが、寝床は作れる。不安ならカギも掛けることが出来る」
ほっとした。
そして、思った以上にセインは紳士的な対応をしてくれていると思った。
「だが、地下は俺の実験室でもある。素材や薬品には絶対に触るな」
「う、うん」
一週間、男性と一つ屋根の下……。
ハナは、思春期の女子の一人として、胸を落ち着かせるのに必死だったのだが、セインが本当にいい人でよかったと安心した。
モルモットにする、と言っているのはどうにも不安になる要素ではあるが、根っからの悪人ではないのは確実だ。気を使ってくれたのだから。
――こうして、二人の共同生活が始まる。
本当なら、不安で押しつぶされる所だっただろう。
だけど、ハナの心はどこか跳ねていた。
ここは、自分を見て畏れない人がいる。
自分を不良としてみない。女の子として見てくれている男性がいるのだ。
小さく芽吹いた心の灯火は、彼女自身、まだ気がつかないでいる。
東雲ハナは、ドキドキと鳴るハートに、黒髪を躍らせる――。
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