月光の下で

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月光の下で

 夜に吹きつける風が汗だくの身体を冷やす。  マルテカリの外門で警備員に呼び止められたセインは、ハナが教会で待っていることを聞かされて、息を切らせてやってきた。  鼓動の高鳴りを抑えながらセインが街を駆け抜け、辿り着いた教会には多くのダークエルフがいた。  家を焼かれたため、復興までは教会で過ごす事を許されたのだ。その申し立てをアルマールにしたのは他でもないタンネンベルクだったらしい。 「セイン!」  聞きなれた、明るい声がした。ほかの誰とも違う。耳に残る、飛び跳ねるような声。セインにとって、色を与えてくれる少女の、音。  視線を動かすと、手を振るハナが笑顔で駆けてくるところだった。  ――やっと出会えた。  喜びよりも先に、安心と締め付けられていた心が熱くなる感覚に、セインは金の瞳を見開いて、黒い髪が流れるのを見つめた。 「セイン、聞いたよ! エドガーさんの家族を助けたんだって? ほんと、すごいな!」  駆け寄ってくるなり、弾けるようなはしゃぎっぷりでセインを労うハナが何をそんなに喜んでいるのか、セインは少し理解できない。 「別に助けたってほどじゃない。あの家族はこれからも闘病生活は続くし……俺だけが頑張ったってわけじゃない。ヨナタンの考察があったから、俺達はエドガーの家までいけたわけだし」 「へえ~?」  にまにまと笑いハナがセインを覗き込んでくる。 「セインがヨナタンをそんな風に認めるなんてね」 「……むかつく顔向けんな」  ふい、と顔を逸らして腕を組む。少しだけ堅くなった声が恥ずかしさを隠し切れていない。 「でもさ、ほんと凄いよ。エドガーさんたちを助けてなかったら、私も、ダークエルフもここでこうしていられなかったかもしれない」  あのスラムでエドガーの言葉があったからこそ、タンネンベルクはダークエルフとハナを認め、教会に連れて来てくれたのだから。セインがエドガーを救っていなかったらと考えるとハナの説教だけで事態が好転したかどうか分からないところだ。 「どういう事だ? 誘拐されてから一体何があった」  と、訊ねてセインはハナの太ももに巻かれている包帯に気がついた。 「どうした」 「ああ、これはダレンのボスにやられちゃったんだ。でも大丈夫。もうほとんど治ってるし」 「……また無茶をしたんだろ」  少しセインの声が低く、厳しいものになった。  ハナはちょっと怖い声だと、怒られる前の子供みたいに首をすくめてしまう。話題を変えたほうが良さそうだと判断して、気になっていた事を訊ねてみる。 「アッシャは、だいじょうぶ?」 「ああ」 「そか、なら良かった!」  またも、笑顔を見せてハナは大きく伸びをした。これでひとまず心配事であった要素がひと段落したという安心により、強張らせていた肩から降りていく。  そんなハナをセインはじっと見つめ続けていた。 「おい」 「うん?」 「どうした」  セインはやはり低く、厳しい声で聞いてくる。まだ怒っているみたいだとハナは誤魔化すように、(まばた)きをしながらあわてて返す。 「いや、だから、言ったじゃん。これはダレンのシグマジャってやつが……」 「違う」  セインが聞きたいのは足の怪我じゃないと、ハナの言葉に被せて、改めてハナを正面に捉まえる。声色同様に、その視線は厳しく見定めるようだ。  しかしながらハナも若干困惑した。セインが何のことを問い詰めてきているか分からないからだ。 「ヘタクソなんだよ、お前。作り笑顔」  貼り付けていたハナの笑顔が固まって、そして萎んだ。  ハナの妙な明るさは、セインからすると『違った』のだ。この少女の笑顔は、もっと自分をバカにさせる。止めなくちゃならないラインを超えさせてしまうのが、ハナの笑顔だ。  だから、無理やりに笑っているのが、セインにはわかってしまう。彼女を笑顔を見て、痛々しいとすら感じてしまったからだ。 「……はは……。まぁ、あんまり作り笑顔とか、したことなかったしな……」 「……どうした」  改めて、セインは「どうした」を繰り返してくれた。  ただ、じっと見つめてくれる瞳は、慣れない気遣いを滲ませている。どこか不安が交じった優しさがセインにあるのだろう。人に優しくする事など碌にした事がないダークエルフは、どうやって少女を受け止めれば良いか手探りに、揺れる少女を見つめた。  そんなセインだから、ハナも張っていた心を崩すことが出来たのかもしれない。  不器用な二人の、不器用な近づき方は、相手を傷つけるのが怖く、抱き留め方に悩んでしまう。 「……ちょっと、場所変えたい……」  ハナの沈みかけた声に、セインは頷いた。  二人は夜のマルテカリをふらふらと歩み、静かな一画にやってきた。  冷たい夜風が二人の間に吹き、空の月明かりさえ、どこか冷めているようにも思えた。風にそよぐ木々のざわめきが大きく聞こえる静けさが、まるで世界は今、ハナとセインの二人だけのようにすら感じさせる。  大きな木の下で、ハナは幹に寄りかかり、ポケットからスマホを取り出す。 「これ、私の世界の道具。スマホっていうんだ」 「ああ、動画とか、写真とか、撮れるってヤツだったな」 「うん、でもさほんとはその機能はオマケで、遠く離れた人と話ができる道具なんだよ」  あんな薄い板でどうやって遠くの人と話すのだろうとセインはハナの言葉に疑問を抱きながらも、ただ黙ってハナの言葉を聞いていた。 「私さ、これもってると、自分の世界の事を忘れないでいられるんだ。んで、絶対に元の世界に帰ってやるって、気持ちを持ち直すお守りみたいにしてる」 「そうか」  そうだろう。彼女は最初から自分の世界に帰りたいと願っていた。当然の話だ。  しかし、セインはその言葉に心臓を針で突かれたみたいにチクチクとした痛みを感じてしまう。 (……そうだ。ファナは、元の世界に帰りたいんだ。……二度と離したくないなど、願うべきじゃない……俺はファナを送るために共にいるんだ)  抱きしめたい――。もう二度と、自分の傍から消えないように、ずっとハナを抱いていたいと願ってしまっていた。  しかし、それは許されない。  ハナの望みは、自分の世界に帰ることなのだ。もしかしたら、自分の世界には彼女を待つ、愛する人もいるかもしれない。彼女が愛する、大切な人がいるかもしれない。  ――だから、セインは動けない。  理性が、心で言葉を紡ぐ。 (こいつの笑顔を見るためならば、何の不満もない)  スマホを指先で撫でながら、ハナは寂しそうに呟く。 「子供のウィシュプーシュが、スラムで暴れたんだ」  ビーバーズレイクから密猟され、ダレンの薬物実験のために利用されたウィシュプーシュの子。それを追って遥々住処からやってきたその家族。今も、ウィシュプーシュの骸はスラムの広場で横たわっているままだ。  家族も、門外の森で悲しく鳴く。そしていつかは、また元の住処に帰っていくのかもしれない。 「あの子は、私なんだって思ったら……もう、私……動けなくなっちまった」 「そうか」 「ダレンは、私の血を狙っているみたいでさ、黒の魔女とか言って何か目的があるようだし……もし、逃げられず捕まったままだったら今頃どうなってたか」 「そうか」  セインのどこか無機質で単調な返しにハナは眉をひそめる。 「……ちょっと、セイン? お前、『そうか』しか言ってないじゃん。聞き下手か!」  張り合いの無いセインの反応に、ハナは流石に突っ込んだ。どうせ話半分しか聞いてないんだろうと思っていたからだ。  だが、セインはしっかりとこちらを見ていた。  その表情はやっぱり、硬くて厳しい。教会で再会してずっとこの顔だ。一体、何を怒っているのだろうとハナもいぶしかんでしまう。 「ねえ、怒ってんの?」 「あ? いや、怒ってない」 「じゃあなんでそんな顔して、返事テキトーなんだよ!」 「悪かったな。こういう顔なんだよ」  ケッ、とねじくれた顔で明後日をみやるセインにハナもちょっとムキになってしまう。 「セインがどうしたって聞くから話してんだぞ!?」 「じゃあ、言わせて貰うけどな、お前はウィシュプーシュでも黒の魔女でもないんだよ! 普通(ただ)の女だ!」  次第にぶつかり合うように互いの身体を寄せ合って、言い合いを始めるハナとセイン。弱音を聞いてくれるんだと思ったらなぜだかそっけなくなるセインにハナは心のどこかで、どうせ私はアッシャのように可愛くないしと、卑屈さが覗いて、自分の事を卑下してしまう。 「普通じゃないだろっ! 異世界から来たし、マナを取っちゃう血だし! 黒髪で耳だってちっちゃいし!」 「――女なんだよ、俺にとっちゃあ」  ざあ――、と、木の葉が舞う。冷たい風がセインの頬を撫ぜると、体温が高くなっているのだと自覚させられるようで、顔を隠したくなる。  でも、隠せない。隠したくない――。  目の前の少女も、白い頬を赤らめ、黒い瞳を丸くするのが、可愛らしかったから。見ていたいのだ。 (え――?)  ハナはいきなりの言葉に思考回路がとまる。見事に混乱して、言葉がでない。目の前には、自分を見下ろすセインが、決まりの悪そうな顔をしていた。いや、恥ずかしがっているのだろうか。分からない。ハナはもう世界がグルグルだった。 「歯痒いんだよ……」 「……え。え……?」  突然に、セインがハナを抱いた。長身のセインがハナを包むと、その顔は黒い胸板に押し付けられる。とん、とうつむいたセインの顎がハナの頭に乗せられて、強い腕で引き寄せられた。 「これは、正しいことじゃない」 「セイン……?」 「でも……正しさなんて俺はいらない。短い幻だろうと」  風は冷たかったのに、すごく熱い。静かだと思ったのに、どくんどくんとすごく騒がしい。 「俺が必ず、お前を元の世界に帰してみせる。だから……、もう自分に悲劇を重ねるな。不安なんて……持たなくて良い」  押さえつけていた不安が、セインに暴(あば)かれ、そして散らされていくようだった。  ハナはやっと、本当にやっと、安心した。  女だからと舐められないよう、秘密結社の悪意に奮いあがらないよう、友達のために行動しよう、虹川党の責任を持っていよう――。  そんなに多くの物を十五歳の少女が抱えきれるはずもなかった。ハナだって、普通の女の子なのだ。ただ、この異常な環境に馴染んでいかなくてはと懸命に自分の中に火をつけて動かしていたにすぎない。  誘拐され、人種間の責任を担わされ、家に帰れず、ナイフで刺され、屈強な騎士にだって立ち向かってみせた。  無理をしていたわけじゃない。ただ、ただ、一生懸命に一瞬一瞬を夢中に動いた。感情にゆだねないと、考えたら怖くて動けなくなるからだと、やっと理解した。セインの腕に抱かれ、自分の事を女の子として抱きしめてくれる男性に、居心地の良さを感じる。 「ありがと、セイン……信じてる」  胸の中から顔を見上げてハナが笑う。  月光に照らされる少女の笑顔を見て、セインは柔らかく笑んだ。  見たかった笑顔は、宝石(メレスィ)よりも貴重で美しかったから――。    **********  数日が過ぎた――。  スラムの復興が始まり、より美しい街づくりをしようとマルテカリは慌しい。  教会でダークエルフ達が寝泊りをしながら、マルテカリのメインストリートを歩く事も増えてきて、中には豊富な錬金術知識を買われ、薬局に就職が決まったダークエルフもいたらしい。  変わりだしたマルテカリは、まだまだ白と黒の居心地の悪さが滲みながらも、互いの歩み寄りにより、少しづつ虹色を生み出す。  逮捕されたダレンの構成員達は牢に繋がれることになった。  その中にはアッシャの兄、ロカクの姿もあった。アッシャは悲しんだが、ロカクは真っ当な仕事に就くためにも、罪を償うと刑罰を素直に受け入れた。事情やこれからの態度により釈放は早まると言われていて、一年もあれば出てこられるだろうという話であった。  それから、タンネンベルクは騎士団を辞めることになった。教会からも出ることにしたらしく、今はスラム復興のための建築仕事をしているという。これで罪が償えるとは思っていないが、ダークエルフのために何かをしていきたいと語っていた。  騎士団長に新しく認定されたのはエドガーであった。彼はダレンに協力していた事実はあれど、それはタンネンベルクから指示された二重スパイ作戦のためという事で一切の罪に問われることはなかった。  この決定にエドガー本人は不服であったらしいが、ダークエルフの事を友人と言えた人物こそ、相応しいとされ虹川党からも頭を下げられ、エドガーはこの辞令を受け入れることになったのである。  虹川党はマルテカリの教区長から、勲章を与えられ、首につけるバッジがまた一つ増えてしまっていた。  そういうわけで、大々的にハナ達はマルテカリの教会で『異界の女神、イホテ』の情報を集めることができるようになった。  イホテの神像にも握られている『草』は通称『イホテルート』というらしい。 「イホテルートねえ……見た目はほんと、雑草にしか見えない」  イホテの像を眺めながら、ハナはいまいちピンとこない話に溜息を吐いた。 「イホテルートは希少な植物だが実在はしている。百年に一度生えてくるとか色々な話があるぞ」 「草でほんとに異世界転移ができると思う?」 「草だけなら、できないだろうがこれを薬剤としてポーションにすればあるいは……だな」  セインとハナが教会の図書室で悩みながら多数の分厚い神話伝承や薬草図鑑を捲り上げていく。少々行き詰ってきた異世界調査に脳が疲労を訴える。 「御疲れ様です。お茶を淹れましたよ」 「アッシャ、ありがとう」  アッシャがお盆にカップを乗せてやってきた。香るお茶の香りは甘みを帯びている。疲れた頭に丁度良さそうだ。  三人が一息ついているところに、ヨナタンが顔だした。 「おや、休憩中ですか。私ももらえますか?」 「はい、ヨナタン様」  アッシャがヨナタンのぶんもカップにお茶を注いでやると、ヨナタンは寂しそうにアッシャを見つめた。 「もうお兄様とは呼んでくれないんですねぇ」 「はい、私の兄は、お兄ちゃんだけですから」  にこりとアッシャが笑う。よよよとわざとらしくヨナタンが金色のポニーテールを萎えさせてがっかりするのだが、アッシャのその笑顔を見て、青い瞳は優しげに、ふっと細まっていく。 「大体、なんで『お兄様』なんて呼ばせてたの?」  ハナがちょっと面白そうにヨナタンに聞くとヨナタンはお茶を啜ってから答えてくれる。 「……そのほうが親近感がわくと思いまして。アッシャにはこれを命令としていたんですがね……」  あの自分に自信のなかったアッシャが、エルフの命令を拒否するとは嬉しい成長と云えよう。ヨナタンは寂しいと言った言葉は半分本当だったが、同時に嬉しい気持ちもあったのだ。 「アッシャ、なんか最近いい感じだよね。よく笑うようになったし」 「まだまだです! 私はもっともっと頑張ります! いつかみなさんのように立派な人になりたいんです」  その言葉に、セインもアッシャを見て、笑顔で頷いた。  ダークエルフ自身が、己をゴズウェーと蔑んでいては、伸ばされている掌にも気がつけないのだ。  それを、あの下水道でセインの黄金の瞳は語っていた。  伸ばされているヨナタンの右手に答えるのは、アッシャ自身でその手をつかみ返さなくてはならないと――。  今回の事件は、この四人がいなくては、何一つ上手く回らなかっただろう。  セインがエルフの家族を救い、アッシャが勇気を振り絞って逃げ、ヨナタンがアッシャに手を差し伸べ、ハナが騎士団に一喝した。それぞれバラバラでは何もなしえなかった事柄が、四人が絡み合ったことで、一つの奇跡を生み出したのだろう。  この虹川党の活躍はマルテカリだけでなく、イヒャリテやビーバーズレイク、マーチ全域にマスコミを通して広がり始めていくのだ。  黒の乙女(アイドル)の『雑多な色の人となり宣言』と銘打たれた演説は、ほんの少しだが確実に、虹川党の名声を広め、そしてエルフとダークエルフに反響を与えていく。  逃げてしまったダレン支部長のシグマジャは未だにその足取りがつかめていないし、あの様子ではまたハナを狙いに襲い掛かってくるだろう。  まだまだ油断できない状況ではあるが、それでもハナは心配なんてしていない。  ヨナタンにアッシャ、そして……。  セインをちらりと盗み見るハナは、ちょっぴり紅くなりながらも、素直に笑顔を向けていられる。そういう仲間がいるのだ。好きな人が、いるのだ。何も不安はない。  虹川党は、目下『イホテルート』の情報集めに奮闘することになるのだが、それはまた次回のお話――。  二章――終幕。
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