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東雲ハナは女の子
人工灯に似た白い明かりが、無機質な空間にぽつんと浮かんでいた。
その明かりが照らし出す光景は、暗い石造りの地下室に設置された流線型の様々な魔道具――。
それぞれに高純度の青生生魂が使用され、なんらかの符呪が行われていたであろうアーティファクトの数々は今はもう、その役目を終えたのか、まったく機能していない。
かなり複雑な形状の魔具と、青生生魂に符呪された高度な呪文は、相当な知識を持った魔法使いが作り上げたものであろう。
「……くっ。全滅か……」
白い<照明>の明かりを浮かべている魔法使い、ヨナタン・ジュニアは魔具から手を離し、苛立たしく舌打ちをした。聡明で優しげな彼のかんばせには似つかわしくない悔しげな表情は、眉根に皺を作り、焦りを浮かばせている。
ダレン社がマルテカリの地下で動かしていた秘密基地跡に彼はいた。
この秘密基地から逃げ出したダレンの支部長、シグマジャを追う手がかりを、どうにかして得られないかと秘密基地に捨て置かれた魔具を調査していたのだが、完全にガラクタとなってしまっていて、使用者の痕跡どころか、その器具が何の目的で使用されていたのかすら判明できない状況であった。
自分の魔法知識は、それなりに自信があったヨナタンでも、このダレンが使用していた魔具の仕組みには首を傾げるしかなかったのだ。
それがどうしても腹立たしい。まだまだ自分の魔学など、たいした物ではないのだと思い知らされてしまう。
ヨナタンは結局何の成果も得られぬままに、その足をマルテカリ教会へ向けた。
マルテカリ教会前には広場があり、今はそこにはいくつかの掲示板が備え付けられ、多くの人材募集の張り紙がされてある。
その張り紙を眺めるのは、スラムに住んでいたダークエルフ達だ。
力仕事に自信のあるものはスラム復興の建築仕事に就くことが出来たようだし、錬金術の知識に詳しい者は、薬局などに雇用されていた。
ダークエルフ達がその職場で、少しづつながらエルフの社会に滲み出していく。
その滲みを嫌がるエルフもいたが、意外なことにダークエルフのエルフ社会貢献は前向きに受け入れられていった。
それには、黒の乙女と呼ばれた黒髪の少女の影響が大きい。
マスコミが広げた情報で、『黒の乙女ファナ』の虹川党の活躍が世間に広まり始めたのだ。
そのあたりはイヒャリテ教会のリルガミンによるプロパガンダもあるだろうが、黒の乙女の人柄に惹かれはじめた人びとが増えてきたためでもある。
そういうわけで、東雲ハナは今やマルテカリで知らないものはいない。まさにアイドル的存在になっていた。
広場の前の掲示板を見ていたダークエルフも、ハナが近くを歩けば寄っていって挨拶をする。
そんな人たちにハナは笑顔で返すわけであるが――。
「ファナ様、今日も御元気そうでなによりです」
「あ、あはは。ファナ様はやめて欲しいんだけど……」
「何をおっしゃいます。ファナ様は我々の女神です」
「め、めがみ……」
ハナは真っ赤になって表情筋を引きつらせてしまいそうだった。
正直、女神とか持て囃されるような自分ではないと思っているし、どうにもくすぐったいというか……似合わないと思って恥ずかしくなるのだ。
「ファナさん。今日も人気者ですね」
「や、やめてよ、ヨナタンまで……」
「いやいや、ファナさん。リルガミン様もおっしゃっていたでしょう。あなたはアイドルなのだと。今後、こういうことが増えてくると思いますから慣れていただかないと」
もっともらしい事をヨナタンが言うのだが、その顔は吹き出してしまいそうな笑顔を押さえ込んでいるのが見て取れた。ハナが赤くなって恥ずかしがっているのが愉しいのだろう。
近頃、ハナの周りはダークエルフもエルフも関係なく、多くの人びとが寄って来て挨拶をしては握手を求めたりしてくる。
人によっては貢物と言って果物を持ってくる者もいたが、ハナはさすがにそれを受け取れず、気持ちだけ貰うようにしていた。
ハナのスラム街での説教は、今やマルテカリの中で語り草となっているのだ。そんなわけで、黒髪のファナはまさに『アイドル』扱いになっているわけではあるが……。ハナ本人はどうにも馴染めない。
「たく……。ところで調査はどうだったの?」
「……ダメでした。やつら、基地には一切の痕跡を残していません」
「……流石に悪の秘密結社っていうだけはあるか」
話が落ち込んでしまうのを避ける様に、ヨナタンが話題を変える。
「そちらはどうですか。例の……イホテルートでしたっけ?」
「ああ、うん。女神イホテの話は大体調べたよ。昔々、神話の時代に世界中の植物が枯れ果ててしまう天変地異があったんだって。その時、どこからともなく現れた女の人が、イホテだったらしい」
「人? 神様ではないんですね」
「うん。えーと、アラヒトガミ? とか言うんだって。元々人だったけど、イホテって女性が緑を大地に蘇らせたんだとか。その偉大な奇跡を奉って、イホテさんはやがて神様として崇められたみたい」
そして、そのイホテという女性は、この世界とは別の世界からやってきたという。
ひょっとしたら、ハナと同じように、ずっと過去の世界に異世界転移してきた人なのかもしれない。
農作物の知識に長けてて、その知識を持ったままはるか昔のこの世界にやってきた現代人だったとしたら、当時の人には神様にも見えるかもしれない。
そう考えると、イホテという女神にハナはどこか親近感を持ってしまうのであった。
「その荒廃してた大地に最初に育てた緑が、イホテルートなんだってさ。水が無くても、土が死んでても育つ植物なんてあるのかなー」
「私はそういう知識は疎いのでなんとも分かりませんが……セインなら分かるのでは?」
「あ、うん……だからセインもそっち方面で調べてくれてる。錬金術アカデミーに行けば、詳しく調べられるかもしれないって言ってたんだけど……」
そこまで話を聞いて、ヨナタンは「ふむ」とあごに手を当て考える素振りを見せた。
錬金術アカデミーは、このマルテカリ領の南にそびえる大きな塔で、その名のとおり、錬金術師達が様々な知識を磨くための学会だ。
そこには希少な植物も保管されているらしい。話では、そこにイホテルートも保存されているとか。
ふと、張り出されている求人の用紙見上げる。
そこには、錬金術アカデミーの判が押されたものがあり、内容としては新薬開発の治験募集があった。つまり、前にセインがハナにしたような新薬の実験対象になってほしいという内容の募集だ。これは、特別な知識や腕力も必要ない。ただ、健康な肉体を持ったダークエルフ募集、と書いてある。
藁にもすがる思いのダークエルフは、その張り紙に答える者は多かった。
医学と薬の発展が最も盛んなマルテカリだからこそ、ハナは少し気になっていることがあった。
一度、きちんと健康診断をしたほうがいいかもしれないと。
別にはそれは自分の健康状態を知りたいとかではない。
ずばり、自分の血液のコトを知りたいのだ。
マナを奪う血。ダレンの狙う血魔術とはどういう物なのか。
ひょっとすると、そういった話もアカデミーで詳しく聞けるかもしれない。
「ヨナタン、黒の魔女ってなんなの? ブラッドマジックって魔法なの?」
「……その話は、ちょっとここではできません。私の部屋まで来て頂けますか」
「う、うん」
ヨナタンの声をひそめた低いトーンに、ハナは少しだけたじろいだ。ブラッドマジックの話題というものが、どれほど禁忌なのかをそれだけで感じ取れる気がしたのだ。
初めてこの世界で読んだ御伽噺の『黒の魔女』にはブラッドマジックという言葉は出てこなかったと記憶している。
悪い魔女である『黒の魔女』を英雄が仲間と共にやっつけて、栄誉を手にするという英雄譚としか見ていなかったが、もしかしたら、物語には描かれていない闇があるのかもしれない。
そもそも、絵本や御伽噺は子供に教訓を伝えるためにあるのだから、やはりあの物語も『教訓』が含まれていたのだろうか。
それこそ、黒の魔女は悪である、すなわち、『血魔術』は禁忌なのである、と――。
もやもやと思考を彷徨わせているハナはヨナタンの背中に続いて、いつしか宿屋の部屋の前まで来ていた。
ヨナタンが扉を開いて、どうぞと招く。
ハナはそのまま部屋のチェアに腰を降ろしてヨナタンを見つめた。
「おほん。それでは、ブラッドマジックとはなんなのか、私の知る限りの事を御教えしましょう」
「……あー。私、学校の勉強とか苦手なタイプなんだけど……」
ヨナタンがまるで講義を始める教師のように語り始めたので、ハナはヨナタンの話についていけるか不安になって告白してみた。
ヨナタンは魔法バカであるし、その手の話題になるとストイックな面をちらつかせる。ブラッドマジックも、マジックと名前が付く以上、魔法の一種であるだろうし、ヨナタンの魔法使いの研究対象として濃密な講義が始まるのではないかと思えたこともある。
ハナの言葉に案の定、ヨナタンは肩透かしという表情をした。
自分の好きなジャンルの話題を切り出そうとして、出鼻をくじかれたようだ。
「……ええと、まず、大前提だけ説明はさせてください。血魔術は我々が使う『魔法』とはまったく違うチカラなのです。魔法はマナを媒体としますが、血魔術はそれを奪う真逆の存在というのはご存知ですよね」
「血魔術は、どうしてマナを奪うんだ?」
「それは分かりません。なにぶん、そもそも『血魔術』など、実在するかどうかも分からないような眉唾の秘術だったのです。確かに伝説には伝えられていましたが、実際にマナを奪う魔術など誰も見たことが無い、というのが私のつい最近までの見解でした」
サドゥリの魔法を掻き消したハナの奇跡をみるまでは、と、ヨナタンは表情で語っていた。
「でも、私の血は、この世界のマナを奪っちゃうみたいだよな……なら、伝説に残った黒の魔女の『血魔術』は、私と似たような異世界人だったのかも?」
「そうです。そういう仮説は成り立ちます。マナは、命の源の一つされていますので、それを奪う血魔術は悪魔の所業とされてます。だから、あまり人前ではこういう話題はするべきではないのです……。すみません……ファナさんが悪魔と云うわけではないので気を悪くしないでください」
「うん、大丈夫。気味悪がられても仕方ないってくらいには思ってる」
けろりとした表情でハナは気にしていないとヨナタンに伝えた。事実、異世界から来た自分は異質な者であるし、自覚もしている。この世界の文明は魔法で成り立っていることから、そのエネルギーであるマナを奪う血など、実際のところろくでもない物だろうと想像もつくからだ。
ハナの瞳に、ひとつ頷き返し、ヨナタンは続ける
「それでは、遠慮なく話を続けさせていただきます。この黒の魔女というのは、ダークエルフが信仰している存在でもあり、マーチの最南端にあるダークエルフの教会『黒の教会』に『血魔術』の秘法が隠されているなんて噂話もあります。もっとも、調査隊なども組織され黒の魔女の伝承を調べた経緯はあるのですが、やはり『血魔術』は幻の存在のままでありました」
「……じゃあ、ほんとにさっぱりナゾの存在なんだね」
ハナは溜息を漏らしながら頬杖を付いた。結局、ブラッドマジックも、異世界転移のナゾ同様に、さっぱり分からないという事らしい。
「私も血魔術は禁忌であるため、そこまで専門的な知識がないので、この程度のものしか語れませんが、考古学研究者は今もいます。そういった人物や、もしくは黒の教会、ダークエルフの神官などであれば、ひょっとするともう少し血魔術に関して詳しい事を語れるかもしれませんね」
「セインは? ダークエルフのセインなら、何か知ってるんじゃ?」
「知っているなら、きっと彼は自ら語ってくれるでしょう。おそらく彼もブラッドマジックに関しては人並みレベルの知識しかないのではないでしょうか」
もっともだと、ハナも考えた。おそらく、アッシャに訊ねてもヨナタンと同様の知識程度しか血魔術の情報は語れないと思われる。
そもそも、これまで誰も見たことが無い、調査隊まで組織されて発見できなかった幻の秘術なのだから当たり前かもしれない。
そんな摩訶不思議なチカラが自分の血液にあるなんて、未だにピンと来ないが、事実この血が問題を起こしかねないのだ。
情報がなくとも、色々と推測はできるかもしれない。それだけ幻の秘術なのだとしたら、悪の組織にとってどういう利益に繋がるのか――?
「ならさ、私の血を使ってダレンが何を目論んでいるか、どんな想像ができる?」
ハナの話題の切り替えに、ヨナタンは少し考えてから答えた。おでこに人差し指をつけて、とんとん、と軽くノックをする。
「やはり、対魔法用の生体兵器……開発、ですね」
「生体兵器?」
「ファナさんの血液を利用し、作り出す合成獣。もしくは、人造人間とか怪人とか……」
まるでマンガや特撮ヒーローの世界のような話であるが、実際ここはファンタジー世界である以上、冗談ではない話だろう。
自分の血液から、そういったものが生み出されることになるなど、考えるだけも身の毛がよだつ。
自分のためだけではなく、この世界のためにも、ハナはダレンに捕まってはいけないのだと自覚するのであった。
「その考えは、ほとんど当たってるかもな」
部屋に響いた声の主はセインだった。ヨナタンの部屋の扉を開けて入ってくるなり、彼はそう告げたのである。
「セイン、おかえり」
二日ぶりにアカデミーから戻ってきたセインはなにやら書類をテーブルに広げて、ただいまの挨拶もないままに、二人の話題のつづきを拾って語る。
「スラムで暴れたウィシュプーシュの解剖記録だ。奴ら、あのウィシュプーシュに色々と実験してたみたいだが、対魔法用に血の構造を変化させられてる事が分かった」
「ど、どういうこと?」
「人工的に、ブラッドマジックを生み出せないか、あのウィシュプーシュで実験してたようだ」
低く重い声が、セインの内側に滲む怒りを伝えていた。子供のウィシュプーシュを密猟し、実験材料にしていた事実は、非道徳的である。
「クスリの出所などから、ダレンの足取りは分かりませんでしたか?」
ヨナタンの問いに、セインは力なく首を横に振る。アカデミーの調査では、ウィシュプーシュに投与された薬品の出所まではつかめなかったらしい。
沈黙が数秒、辺りを満たした。暗くなる空気を切り替えるように、セインは声のトーンを上げ、もう一つの報告をした。
「まあ、悪い事ばかりじゃない。ダレンのほうはさっぱりだったが、イホテルートの方は話がついた。ゲンブツは貰えなかったが、イホテルートが群生している土地があるらしい。そこにいけばイホテルートは入手できるだろう」
「えっ? マジか! そんなにあっさりイホテルートって手に入るものなんだ?」
思わぬ話だった。てっきりイホテルートは希少な植物で、入手困難なレア物だと思っていたからだ。
ニヤリと笑うセインの表情を見ると、イホテルートに関しては自信があるようだ。ダレンの事は心配ではあるが、異世界転移の秘密に迫る重要な案件に進捗が見られたことは、ハナにとって何よりも大きい。自然に笑顔が広がっていく。
「今、アッシャが準備をしている。アッシャが準備でき次第、俺達はイホテルートを収穫に向かう。四~五日は戻ってこないと思うが、楽しみに待ってろ」
さらりと言ったセインの言葉に、ハナは黒い瞳を丸くして驚いていた。笑顔はすぐに萎む。
「え、……私、留守番なの?」
「当たり前だろ。お前はダレンに狙われているんだぞ。マルテカリから一歩も出せるか」
「アッシャが準備してるって……」
「あいつ、本格的に薬草ハンターを目差すらしい。やけに張り切ってたぞ」
それは、セインと二人の旅ができるからではないだろうかと、ハナは邪推する。
アカデミーに行くと二日前に出て行ったセインがやっと戻ってきたと思ったら、また出かける。しかもアッシャと一緒に。またも自分は置いていかれるという事実がどうにも納得いかない。
ダレンに狙われているから、マルテカリで大人しくしていろというのは分かるが……ハナの燻る胸の内は、我がままにもセインと一緒にいたいと訴えているのだ。
「ねえ、ヨナタン。私、行っちゃダメ?」
「ダメです」
「……どうしても?」
「ダメです」
無情な返しに、ハナはがくんと肩を落としてうつむいた。
「そんなにがっかりしないでください。退屈なのは分かりますが、せめてシグマジャが捕まるまでは……」
「……でも、さっき情報はさっぱり集まらなかったって言ったじゃん」
食い下がるようなハナの言葉に、ヨナタンも「うぐ」と喉を詰まらせた。
「ね、待っててもわかんないんなら、こっちから動かないと尻尾は出さないんじゃない? 私が動くことで、ダレンの情報が手に入るかも……」
「何言ってんだ」
セインも、一声で否定はしたのだが、ハナの意見にも一理ある。
事実、ヨナタンの調査も、セインの調査もダレンの影すらつかめなかったわけだ。このままマルテカリに引きこもったまま活動を制限されるとなると、虹川党としてはダレン撲滅の動きが取れないままであるのだから本末転倒ともいえる。
……とは言え、やはりハナを外に連れ出すのは、どうしようもなく不安がある。
もう二度と、ハナをダレンに誘拐などさせるつもりはないし、指一本すら触らせたくは無い。
あんな思いはもう二度とゴメンだった。ハナには出来る限り安全な場所にいて欲しい。彼女を失いたくない想いが日に日に増していく事に不安感も大きくなる。
彼女には危険とは程遠い場所で、心安らかに過ごしていて欲しいとすら願っていたのである。
「ともかく、お前はマルテカリにいろ。教区長が専属護衛まで用意したんだろ。今は、大人しくしてろ」
「あー……ジャスティンのこと?」
アルマール教区長が、もしものためにと、騎士団から一人、ハナの専属護衛を用意したのだ。
その人物がジャスティンであり、屈強な、若々しいエルフの青年は、ハナを崇拝するようにいつなんどきであろうとも、その傍に居続けていた。精悍な顔つきと紳士的な性格の男で、ハナもジャスティンに関しては信頼を置いている。日中はヨナタンが傍にいることもあり、彼は主に夜間、ハナの傍で護衛をしているのだ。
「確かに、ジャスティンはいい奴なんだけど……ちょっと、私にはムズかゆいっていうか……」
「あー?」
ハナが歯切れの悪い言い方をするので、セインは眉をひそめた。困ったような表情で笑う黒髪の少女をいぶかしげに見下ろす。
「ああ、そういえば、初対面の時、ファナさんの手の甲に接吻をしていましたね」
「なッ――?」
「うん……あーゆーの、初めてでさ。なんか御姫様扱いっていうか……、ちょっと転びそうになっただけで抱きとめてくれたり、過保護すぎるっていうか……」
「抱きッ――?」
セインがマルテカリの街から離れている間、ハナに付いた護衛の話に、いちいちダークエルフは反応した。
「ダレンに、宿屋で襲われたってこともあるんだろうけど、こないだ、私の寝室の前で中の気配を窺ってるって言われてさ……。なんか、私の寝言まで聞かれててすごいハズかしいんだよな……」
「あっはっは。それだけ彼はファナさんの事を、一時たりとも油断せずに護ってくれているのですよ。安心して寝付いていて良いと思いますよ」
「…………」
ハナが赤くなりながら報告すると、ヨナタンが愉快に笑う。そんな光景を傍で聞いていたセインは、ヒクヒクと眉を痙攣させ、口元をへの字にひん曲げて小刻みに震えていた。さながら後ろに『ゴゴゴゴゴ……』とか『ドドドドド……』とかオノマトペが描かれていそうな状況であった。
「おい……」
「へっ?」
がしっと、ハナの頭にセインの大きな手のひらが乗せられて、そのまま押さえつけるようにグググと、圧迫してくる。
「やっぱ、こい」
「え?」
「イホテルートの採取について来い、モルモット」
ビキビキと血管を浮かばせるように強張った笑顔と釣りあがった眉毛でセインがハナを見下ろしていた。金の瞳がやけにギラギラと輝いて見えた。
さっきまで留守番しろといった口がものの十分と経たずに、今度はやっぱりついて来いときたものだ。さすがにハナもきょとんとして、汗を一筋、頬に垂らした。
「な、なんだよ、いきなり。つか、モルモットはもう終わったんじゃ……」
「てめーが飲むポーション作りになるんだろうがッ! モルモットは継続だッ!」
「セイン、ファナさんはマルテカリで……」
さすがにヨナタンが静止の言葉を投げようとしたが、セインは勢い良くハナを抱き寄せた。セインの右手がハナの腕を強く握ったのが少し痛かったが、暖かい熱が伝わって、ハナは別の意味で表情を強張らせた。
「こいつは、俺が護る!」
セインの宣言は、その日宿屋全室に響き渡るほど、よく張りあがったのであった――。
結果、イホテルート探索は、虹川党全員で参加することになったのは言うまでもないだろう。
強く抱き寄せられたセインの腕の中で、何がなにやら分からなかったが、二日ぶりのセインの体温と臭いを傍で感じて、少女は胸を高鳴らせていた。
(――女なんだよ。俺にとっちゃ――)
あの言葉はどういう意味なのだろう。
自分の事を女性として見てくれているというのが、ハナにとっては電撃的な衝撃だった。
良く考えてみれば、セインが自分の事を『女』として扱ってくれていることは最初から分かっていたのだが、ああいう形で告白されると、「女性として」という意味ではなく、もうひとつ踏み込んだ意味が含まれているのかもしれない。
だが、ハナはこんな経験は生まれて此の方無かったため、素直に受け止めるだけの余裕は生まれてこない。
ただ、セインのあの言葉から、ハナは自分の『女』をこれまで以上に強く意識しはじめてきたのだ。
男勝りの不良女子高生が、自分が男にどう見られているのか、気にしているのだからなんだか笑ってしまう。
(セインに、どう見られてるのか、気になる――)
専属護衛のジャスティンに寝言を聞かれて真っ赤になったのには、わけがある。
なにせ、その時ジャスティンにこんな風に言われたからだ。
「ファナ様は、非常に可憐ですよ。自信をお持ちください」
朝方突然そう言われて、どういうことかと問いただした。
すると、どうやら、自分は寝言で『可愛くなりたい』と言っていたらしいのだ。
これまでの自分なら、寝言どころか夢の中でさえそんな事は言わないし考えもしなかったはずだ。
彼に見られるヘアースタイルが気になる。服装の乱れが無いか気になる。可愛らしいアクセでもつけてみたい。セインの目を惹いていたい。
――可愛いって思われたい――。
東雲ハナ、十五歳。異世界にやってきて、少女は初恋に胸を焦がし出したのだ。
もう、その時、不良女子高生はどこにもいない。ただの恋する女の子でしかない事を、ハナはまだまだ自分で素直に認められない。
恥じらいと、不安と、期待と、喜びと、幸せと、好奇心。心の色がぐるぐるまざって、異世界旅行は次の舞台へ動き始める――。
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