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幽霊苗字
「シノノメって変な名前ね! 東の雲でどうしてシノノメなの?」
クラスメートの石田春子がハナにつっかかってくることは良くあった。どうにも御互いソリが合わないらしく顔を合わせるたびに喧嘩になるのだが、そのきっかけとなった言葉がコレだったように思う。
小学三年のクラス替えで自己紹介をした時にはもう目を付けられていたのか、石田はハナに対して友好的とはいえない態度で食って掛かっていた。
別に石田の言う事などどうでもいい話ではあった。別段、彼女と仲良くする必要はないし、他にも友人はいた。当時から身体を動かす遊びが好きだったハナの遊び相手は男子のほうが多かったようにも思うが。
ハナは気が付いていなかったが、そこが石田の癇に障っていたようである。どうも石田が想いを寄せる男子と仲が良かったのが気に入らなかったらしい。
『シノノメ』と云う苗字にそれまでは特に不思議に思ったことはない。
ハナにとっては『東雲』が『シノノメ』なのは当然のことであったし、疑問すら持ち得ない名前だったからだ。
しかしながら、この一件で『東雲』という苗字が変わっているのだと意識しはじめることになった。
クラスの名簿を見ても、『石田』『北本』『杉村』など、漢字を見れば読みもすんなり出る名前ばかりだった。シノノメのような変わった読み方をする苗字は他にいないのだろうかと興味が湧き始めたハナは意外なところでそれを見つけることが出来た。
「私の名前は『ヒトトセ』。春夏秋冬と書いて『ヒトトセ』。よろしくね」
毎週読んでいたマンガ雑誌の新連載の主人公の名前がこれだった。
「こ、これだぁ!」
当時のハナは自分と似た仲間を発見できたことに嬉しさを感じて声を上げた。マンガのキャラではあったが、春夏秋冬でヒトトセと読むと言う事実に感激すら覚えたのだ。
この発見を誰かに伝えたくて、台所で夕食の準備をしていた母親を捕まえてドヤ顔で語って見せた。
「お母さん、この子の名前、春夏秋冬で『ヒトトセ』って言うんだよ。すごくない?」
マンガ雑誌を両手で見開いて母親に見せ付けてやると、母親はキャベツを刻みながら笑った。
「あー、それ幽霊苗字だわ」
「ゆ、ゆうれい?」
カラカラと笑う母親は首を傾げるハナに対してやっぱり料理の手を止めることなく、ハナに伝えてやった。
「春夏秋冬って、つまり一年のことでしょう。一年はヒトトセ。だから、春夏秋冬でヒトトセと読むってありそうだけど、実際にそんな苗字の日本人はどこにもいないの。だから幽霊苗字って言われてるのよ」
「ええ? 居ないの? 幽霊って……じゃあ、ウチのは? シノノメもおかしくない? 東の雲でなんでシノノメ?」
ハナの素朴な疑問に、母親の料理の手が、はたと止まった。母親もそこは言われてどうしてだろう疑問に思ったらしい。
「はて。そう言われてみたらそうね。私、元々苗字は脇山だったから分からないわ~。お父さんなら知ってるんじゃない? 私からハッキリ言えることは、東雲の名前はちゃんとあるんだから幽霊苗字じゃないってことだけね」
その夜、帰って来た父親にハナが飛びつかん勢いで質問をしたのだが、父親はめんどくさそうに頭をボリボリと書きながら答えた。
「んなのおめー……。ほれ、あれだ。昨日って漢字と同じだよ。昨日って書いて『きのう』って読むのと同じ」
「は?」
「は? じゃねえよ。アシタでもいいけどよ、明日はアシタって読むだろうがよ。おい、ビール」
「はー……?」
そんなやり取りで結局苗字の話題はお流れになったのである。父親の言っていることと、苗字の話題とは何か論点がずれているようなイマイチ納得できないままに、ハナは東雲の苗字に関していつの間にかどうでも良くなっていた。とりあえず、頭に鮮明に残ったことは『幽霊苗字』というちょっぴり不気味な単語だった。
**********
チィーチィーという鳥の甲高い鳴き声でハナは目を覚ました。
目を開けてテントの中にいたので一瞬驚いたが、そういえばイホテルート探索のために旅立ったのだと思い出していた。
街道の脇に設営されたキャンプ場はそこそこに大きく、近場のアカデミーの学生が素材採取を行うためにしょっちゅうテントを張っていた。自分達虹川党の一行も似たようにテントを張って夜を明かしたわけである。ごろんと右に寝転がると隣にはセインの寝顔があった。
「っ――!?」
狭いテントだ。ハナとアッシャくらいの体格なら三人は寝転がることもできるが、セインとヨナタンが二人で寝転がればかなり窮屈。そんなサイズのテントで、現在ハナとセインの二人きりで寝ていたようだ。
すぐ傍で眠っているセインにドキドキと鼓動が跳ね上がる。思わず声すら出てしまいそうになっていた。セインの寝息は穏やかでよく眠っているようである。
あまりに無防備な寝顔に、ハナは心の底のほうでじんじんと熱くなる何かを感じながら、セインの寝顔を暫し見つめていた。
(……こんな風にセインの寝顔を、見たこと無かったな……)
普段は仏頂面の多いセインだが、寝顔は誰しも天使とは良く言ったものである。長い睫毛が伏せ、安らかな寝顔をどこか可愛らしく魅せている。
黒い肌に銀の前髪がさらりと流れて、少しかさついた唇が開いて白い歯を覗かせていた。整った高い鼻からはスウスウと静かな寝息がしていて、あまりに無防備すぎた。
(……やば……なんかかわいい……)
セインに対して、可愛いなんて思う日がこようとは。こんな事を本人に言ったら、あっという間に仏頂面になるだろう。
(ずっと見てたい……)
ハナとセインが横並びに寝転がり、ハナはまじまじと顔を寄せていく。セインの寝息がふわりと自分の鼻っ柱に感じたとき、自分があんまりセインに寄りすぎたことに気が付いて、ハナははっとしてから身を引いた。
(そ、そうだ! スマホで撮っちゃおう……。いいよな? こんなレア顔滅多に見れないもん……)
ごそごそと自分のポケットからスマホを取り出して、カメラモードを立ち上げる。
しっかりとベストショットを取ろうと、いい角度を見つけて、ハナは撮影のボタンをタップした。
カシャッ――。
電子スピーカーからシャッター音がして、無事にセインの寝顔がスマホの画面に保存された。
(撮れたし……)
自分で撮影しているのだから当たり前である。が、ハナはセインの寝顔撮影が上手くいったことにはしゃぎそうだった。
「……何の音だ……」
セインがのっそりと起き上がる。今のスマホのシャッター音で目が覚めてしまったようだ。
ハナが慌ててスマホを隠し、引き攣った笑顔と汗をタラタラ垂らしながらもセインに「おはよう」と声をかける。
「何かおかしな音がしなかったか?」
「んーん? 全然何にも聞こえてなかったよ」
ハナが黒髪をブンブン左右に振りたくる勢いで否定すると、セインは「くぁ……」とあくびと共に伸びをしてテントから這い出て行った。
(あ、焦ったぁ……)
改めてスマホを取り出して、画面を確認すると、セインの寝顔がばっちりと写っていた。
(……セインの寝顔って、やっぱり猫に似てる……)
思わず笑みがこぼれてしまう。前々からセインは犬より猫だななんて思っていたけれど、セインの寝顔はあのネコの寝顔みたいな、『へ』の字の形に瞑った目元がどうにもこうにもチャーミングだった。
――これでもうちょい素直な物言いをすればほんとに可愛いんだけどなぁ――。
そんな風に思いながらも、素直なセインなんてセインじゃないかと一人笑ってしまう。
「なに、ニヤニヤしてんだ。キモいぞ」
「ふぁーッ!?」
素っ頓狂な声を上げてハナが慌てて転げる。テントの入り口から顔を覗かせたセインがこちらを呆れ顔で見ていた。
「なんでもっ、ないっ!」
「そーかよ。とりあえずテントを畳むから早く出ろ」
「うっ、うん」
セインに赤くなっている顔を見られないように慌ててテントから這い出ると、いい風にさぁ――と髪がそよいだ。
見上げると実にいい天気で青空に流れる白い雲が、いかにもマーチの機嫌のよさを表している。
「あ、ファナ。おはよう」
テント前のキャンプファイアのほうからアッシャが声をかけて来た。小さな焚き木で作ったキャンプファイアには鍋がかかっていてお湯を煮ているようだ。
「おはようアッシャ。昨夜あまり寝てなかったみたいだけど……何してたの?」
アッシャが昨晩、フィールドワークから戻った後、すぐに休まず何かの作業をすると言っていたので気になっていたのだ。
アッシャが少し照れながら、えへへと笑って何か小ビンを取り出した。小ビンは掌に収まるような本当に小さなもので中には薄いレモン色の液体が入っていた。
「これを作ってたんです」
もしかしてポーションだろうか。セインに何か教えてもらって試薬品を作ったのかもしれない。
「これは、ポーション?」
「ちがいますちがいますっ、私にそんなすごいもの作れる訳無いじゃないですかっ」
アッシャが慌てるように否定したので、ハナも目を丸くした。セインはなんだかいとも容易くポーションを作るから、ポーション作成はそんなに難しくないのだろうと思っていたのだが、アッシャの様子からするとそうではないようだ。
「ポーション作成は錬金術の深い知識があって、人体に有益な液薬を生み出せるんです。素人が作ろうものなら、毒薬かただの不気味な混合液になっちゃいます」
「そ、そうなんだ。全然知らなくって……じゃあ、セインって実は、めちゃくちゃ凄い?」
「はい! セインダールは私が知っている中でも最高の錬金術師だと思ってます。あれだけの知識と技術があればお医者様にもなれるはずですよ」
……医者。確かにセインは薬物の取り扱いと知識が凄いし、ハナを身体検査した時の手際などを見ても技術力があるはずだ。でも、その本人はどこかアウトローな感覚を持ち合わせているし、ダークエルフである以上仕方ない負い目のようなものもあるのだろう。あまり目だって医学知識をひけらかすような事はしない。なんだかブラックジャックみたいなヤツだなと思った。
「え、と……。じゃあ、その小ビンは……?」
「えへへ、えっと……その……これはプレゼントなんです」
「? プレゼント??」
アッシャがやはり気恥ずかしそうに「えへへ」と笑う。一体誰へ渡すものだろう。アッシャが贈り物をしたい人と云えば、すぐに浮かぶのはセインの顔であった。
「初めて作ったので……上手くいったか分からないんだけど……」
もじもじといじらしく、自分の初めて作った作品を掌で軽く転がして、アッシャは頬を紅潮させていた。
アッシャの小さな掌で転がる小ビンの液体は、日の光を受けてキラキラと煌めく。見た目は普通の小ビンであるが、なんだかまるで宝石みたいに美しくも見える。
「うけとって、いただけますか?」
そう言って、アッシャがそっと小ビンを差し出す。
「えっ? え、あたしにっ?」
意外な状況にハナは小ビンとアッシャの顔を見比べてしまう。
そんなハナの表情をしっかりと見て、笑顔を返すアッシャは「はいっ」と元気に返事をした。
「ファナは……私に対していつも、同じ視線で接してくれてた。初めてイヒャリテの坑道であったときも、馬車の中で服を貸してくれたときも、宿屋で一緒に宝石の話をした時も……。前に、友達になってほしいって言ってくれたこと、私、ずっと気にしてました。あの時、きちんと返事もしてなくて。それで……その……私、ファナ……と……友達になりたくて……」
言葉の後半は揺れて、消えかかってしまっていた。差し出した右手の小ビンが細かく震えていた。
アッシャの、勇気が搾り出した言葉であると、ハナはすぐに分かった。そうして、アッシャの事をどこか嫉妬の目で見ていた事を恥じたのだ。彼女も結局、同年代の女の子なのだから――。
「ずっと、ファナに対して何かしたいって思ってた。ファナがいなかったら、私はきっと勇気を出せなかったように思うんだ……。ファナの事を見てると、私、頑張りたいって思えてくるの……。だから、何かお礼をしたかった。友達になりたかった……。それで、色々考えて……」
「そんな、お礼をされるような事は、何もしてないと思うよ。それに、友達になってほしかったのは、私のほうだし……」
二人して、なんだかギクシャクとしてしまう。改まって友達になってほしいなんて言いあっているこの状況になんだか照れてしまうのだ。ハナは、震えるアッシャの手にそっと右手を沿え、小ビンと共に包み込む。
「……なんだか、モノをもらって、友達ってのは嫌だからさ。これは友達無関係ね」
「え……では、どうやって友達になればいいのかな……」
「同じものを見て、笑って怒ってしたら、友達になってるんじゃないかな」
「おなじものを、見て……、笑う……?」
ハナはアッシャの瞳を見つめながら、そんな風に笑顔で言った。アッシャはハナの言葉にまだすぐには頷けないが、そんな事が実現できたらとっても愉しいだろうなと考えた。すると、自然と笑顔がこぼれてくるから不思議だった。
一緒に居て、自然と笑い、憤り、泣いて、並び立てる人。そんな風に、気持ちにウソをつかないでいられる人。
「うん、ファナ。分かったよ!」
「ん。じゃあ、アッシャ。これからもよろしく!」
「うん。だけど、その香水は受け取って欲しいです。私が最初に作った香水。ファナにあげたいってずっと思ってたから」
右手の小ビンをハナの手に握らせたアッシャは朗らかな笑顔でえくぼを作っていた。
どうやらこの小ビンの中身は香水だったらしい。
「香水……? アッシャ、香水なんて作れるんだ?」
「初めて作ったから、もしかしたら、おかしなところもあるかもしれないけど、でも、一生懸命つくって、きちんといい香りになってるから……だから……!」
改めて小ビンを受け取り、蓋をあけて鼻に近づける。鼻腔にふわりと舞った、甘くそしてあの青空に吹く風のような爽やかさ。
「これ、昨日の『ルー』の花?」
「はい。前に、ファナが女の子らしいことに興味があるって言ってたから……こういうの、いいかもって思ってつくったの……」
そういえば、そんな話を前にしていた。きちんと気に留めていてくれたのだとハナはプレゼントをもらったことに加えて、アッシャの思いを受け止めることができて嬉しかった。
「嬉しいよ、アッシャ。私、これ大事に使う!」
その言葉で、二人は掌を重ね合わせて自然に笑えた。これが、同じもので一緒に笑う、初めてなのだと、少女達は友情の一歩目を実感するのだった。
そんな二人の様子を遠巻きにヨナタンが見て、思わず零す。
「ああ、いいですね。あの周りにはとても癒しを感じます……」
うっとりという表情で目じりを緩ませるヨナタンにセインがジト目で「いいから、早く手伝え」とテントを片付けながらツッこむのであった。
「ところでアッシャ……。じつは私、香水ってつけたこと無いんだけど……どうやってつけるのかな……」
デオドライザーなら使った事はあるが香水はヤンキー少女に無縁であった。折角貰ったのはいいが、香水の付け方も知らない自分にちょっぴり恥ずかしさを覚えてアッシャにおずおずと訊ねる。
「少量とって首筋なんかに広げるのがいいですよ。香水も色んなつけ方があって、それも流行で変わるみたい……えへへ、実は私も聞きかじりなので……」
アッシャもテレながら言うのでハナとしても気が楽になった。なるほど、やっぱり異世界にだって流行はあるわけだ。この世界のオシャレも独自に調査して学ばなくてはならないなと乙女は胸に誓うのである。
「私、なんだか最近とっても胸が躍るんです。薬草探しも、香水作りも、自分にこんなことができるなんて思っていませんでした。やろうと思えばこんなにも力が湧いてくるなんて知りませんでした」
アッシャの弾ける瞳の理由は、まさにそれだろう。昔のアッシャとはまるで別人のように活発に煌めく彼女は、魅力的に思える。
活力を生む、人の心の動きはこんなにも美しいのだとダークエルフの少女が教えてくれる。
だからこそ、このマーチでのダークエルフの人権を確立してやりたい。この世界を誰もが活き活きと生活できるものにしたい。
それこそが東雲ハナのやりがいなのだと気付かせてくれる。
「うーん、アッシャから貰ってばかりで私も何かお返ししたいな」
「えっ、いいですよそんなの気にしないで! それはそういうつもりで作ったものではありませんしっ」
アッシャは気にしないでと繰り返すが、東雲ハナのモットーである『やられたらやり返す』がそれでは納得いかないのだ。
色々と頭を捻ってみるが、ハナがアッシャに送ることのできるプレゼントは現状手持ちにはない。物でないなら知識でどうだと考えてみたところでハナの人に語れることなど、喧嘩の極意とかそういうのだ。
さすがにアッシャに喧嘩の極意を教えるというのは、『お返し』と云うには酷い話だろう。
「あ、そうか。喧嘩の極意はナシにしても、護身術くらいなら私も教えて上げられそう」
「えっ、護身術ですかっ?」
「そうそう、私小さいころから道場に通ってたからさそういう知識は人並み以上にあると思うんだ。ほら、アッシャもこれから薬草ハンターをやるんなら、そういう技術を持ってても損はないでしょ」
「そ、そうですね……」
よし、とハナが名案というように、ぽんと手を合わせてアッシャへのお返しに、護身術の稽古がはじまってしまいそうな空気が作られてしまう。
アッシャは顔を引き攣らせて、内心それは勘弁してほしいと思っていた。昔から運動は苦手で幼い頃、兄に付き合わされて『修行』をさせられた時に死ぬ思いをしたことがあった。コヨーテ狩りをすると言って野獣の群れとバトルしたり、強い足腰を作るためといい、身長の二倍はある崖から飛び降りたり……。
その時の兄の顔そっくりのハナの瞳は『気合だー!』『元気があれば何でもできる!』『もっと熱くなれよ!』のそれであった。
体育会系のノリというのに苦手なアッシャとしてはハナの提案には少しばかり乗っかりたくない所だったため、どうにか話題をそらそうと苦し紛れにセインの事を吐き出した。
「ふぁ、ファナ! 私、護身術も興味あるけれど、セインダールとファナの関係を色々知りたいなっ?」
苦し紛れに出た言葉であったが、ハナの瞳を正気(?)に返すには効果覿面であった。ぼっと、火が付いたみたいに真っ赤にそまったハナの表情は一瞬で固まって動きを止める。
「セインとのカンケーっ?? いや、そんなカンケーとかまだ持ってないってゆーかっ……」
「……あ、いえ、その関係というか……では、どうして二人は出会ったんですか? 初めてあったときの事が知りたいです」
何か勘違いをしているらしいハナを誘導するようにアッシャが話題を具体的に絞ってやることでハナはどうにか気持ちを落ち着けてくれた。なんとかハナの護身術レッスンは避けられたようだ。
ほっとしながら、アッシャは興味津々の瞳をハナに向け、二人の出会いを聞き出そうと、攻勢を変えたのだ。
「えっと、私がこの世界に来て、右も左も分からない洞くつの中で、いきなり矢を撃ってきたのがセインだったんだよね……」
「えっ、矢で撃たれた!?」
思い返すと随分前のようにも思えるから不思議だった。アッシャが驚くのも無理は無い、今改めて考えても結構バイオレンスな出会いだったようにも思う。
「そうそう、動くと撃つってカンジで。セインのやつ、すっごい無愛想でさ。何にもわかんない私が色々聞きたいのに、最終的にはメンドクサイって言ってキレるし」
「け、険悪な出会いだったんですね……予想と違ってました……」
アッシャは、てっきり、二人は随分とロマンチックな出会いから互いに想いを育んできたのだと考えていたため、あまりにも想像と違った事実に表情を固まらせてしまう。
それでも、そう語るハナの表情が活き活きと明るいものであることに気が付いて、ああ、やっぱりなと再確認して心の隅っこをちりちりさせた。
(ファナは、セインダールのこと、好きなんだ。……それにきっとセインダールも……)
ちょっぴり胸がきゅうっとなるのを感じながらも、ハナが愉しそうに語るのがどこか嬉しかった。矛盾する想いが切なく渦巻いて、アッシャはなんだか落ち着かない。
「……でさ、私がラーメンって呼んでたらね」
「え、……え? ラーメン?」
少しぼうっとしていたせいで、ハナの話を聞き零していた。
「そう、ラーメン。セインのやつ、その名は好きじゃないって言って……」
その言葉を耳に受け止め、アッシャは思わず確認した。
「セインダールの名前、ラーメンと云うんですか?」
「うん、そうだよ。セインダール・ウィドリャンタス・ラーメン。あれ、フルネームまだ知らなかったんだ……。あ、でもあいつ、ラーメンって名前、嫌みたいだから呼んじゃダメだよ」
ラーメンって変な名前だよねと笑うハナだったが、アッシャは頭の中に渦巻く違和感に笑っていれなかった。
ちらり、とテントを片付け終わって一息ついたセインダールを見つめる。コッチを気にしている様子は無い。
「ファナ」
「ん?」
アッシャのトーンを落とした静かな呼びかけに、ハナはきょとんと首をかしげた。
「ラーメンという名前は……『幽霊苗字』です」
「…………え?」
ヒュゥ――と、マーチの風が、止んだ。
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