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 黄土の沼に広がる森林に二度目の足を踏み込んだ虹川党は、周囲警戒を厳にしてゆっくりと奥地へ進んでいた。  朝方に踏み込んだ時とはまた違う緊張感により、一行は一言も発する事はない。  時折響く鳥の鳴き声。ザワザワと木が風に揺れる音すら敏感に感じ取って、額に汗を浮かべるハナは身体の疲労よりも精神面での疲労度が辛いと思った。精神面に余裕が無くなれば冷静な判断を怠ってしまい致命的な失敗を生み出すと考えていたためだ。  ダレンの狙いが自分なのだから、この中で誰よりも冷静でいなくてはならない。自分の判断ミスが一行を壊滅させることすらあるのだから。  ――やがて先ほど除草剤を撒いた沼地までたどり着いた。  撃退したゲッコウの死骸が転がっていたが、それは既に原型を留めていなかった。血まみれの肉塊がごろんと転がっていて、辺りは除草剤の臭いではなく死臭で満ちていた。 「……これを見ろよ」  肉塊の付近では何かが激しく暴れまわったような痕跡があった。その中に緑の木の枝のようなものが転がっていたが、セインがそれを手にとって良く見せてくれたので、ハナは木の枝ではないことに気がつけた。 「虫の……脚?」 「ああ、マンティスだな。ここでゲッコウの肉の奪い合いをして脚を失ったんだろ」  ヨナタンもざっと周囲を見て、大きな虫の翅が落ちている事に気が付いた。それはブロートフライと呼ばれる巨大なハエの翅だと分かった。 「明らかに凶暴になってますね」 「ああ……」  アッシャは周囲の植物の状態を調べていた。ここは先ほど、除草剤を撒いた沼であり、その効果はしっかりと出ているらしく、辺りの植物は枯葉のように色あせ、崩れ落ちていた。 「イホテルートは、ありませんね」 「うん。でも、イホテルートの事は後回しでいいよ。今は油断しないでね、アッシャ」  ハナの言葉にアッシャは小さく頷いた。そして、腰に挿してあるダガーにそっと手を添えた。  このダガーは今頭に巻いている鉢巻同様に兄から譲り受けたものだ。  その時の兄の言葉が不意に思い返された――。  ――このダガーでアイツに確実に突き刺したんだ――。  肉に刺さりこみ、確かな手ごたえを感じたという。  ――人を刺した事は初めてだったが、あの感触は忘れられない。オレは確実にシグマジャの背を貫いた――。  しかし、シグマジャはまったくひるみもせず、痛みも感じていないようにこちらを振り返り重い蹴りを打ち込んできたのだ。  兄に重症を負わせたシグマジャ、いや兄を闇の世界に引き込んだその元凶であるシグマジャを、アッシャは(ゆる)せない。必ず捕まえて罪を償わせて見せると、決意をダガーに込めた。 「もう少し進むぞ」  セインが辺りを調査してから、更に黄土の沼の奥地へと一行を促していく。  周囲のどこかに潜む巨大昆虫らやゲッコウの脅威に対する作戦は考えていた。それはずばり、臭いの操作である。  最初に遭遇したゲッコウはおそらく除草剤の強烈な刺激臭に反応して現れた事から、この習性を逆手に取ることでモンスター達をおびき寄せる事が可能だと思ったのだ。なので、黄土の沼の中ほどで除草剤を使い、臭いを発生させ、一行はその隙にシグマジャの足取りになるものを調査するという流れだ。  セインが先頭を進みだした時、後方からガサガサという叢を動く何かの音がして、一行は身を固まらせ戦闘体勢を整える。  音のした方をヨナタンが凝視し、すぐに魔法を放てるように指鉄砲の形で人差し指を向けた。 「誰ですか」  気配から獣ではないと分かったヨナタンが叢のほうへ声をかけた。  まさかシグマジャが現れたのかと思ったが、叢からガサリと立ち上がったのは黒のローブの錬金術師であった。  その顔を見てハナは「あ」と声をあげた。 「モンテノーさん」  ローブにくっついている葉っぱをそのままに両手をあげて降参のポーズで「やあ」と声を返してきた。 「そのローブ、アカデミーの教授ですね。ここは危険だと、あなた自身良く分かっているはずですが」 「そういう虹川党の方々も危険と知りながら、ここにいる。となれば、ひょっとすると目的は同じなのでは」  ヨナタンが探るように問いかけるが、モンテノーは質問に質問で返して誤魔化した。  ヨナタンが指先を下ろすと、モンテノーも上げていた両手を下ろしてローブにくっついた葉っぱを払い落としながら、一行に寄って来た。 「私は、どうにも自分で調査しないと気になって夜しか眠れないタイプなのでね。現地調査に来たわけです」 「なんで隠れるように付いて来ていた」  セインの追求に、モンテノーはモノクルをくいと持ち上げる。すぐに解答せず、少し間を置いて返事した。 「……うーん。言っても撃たないでほしいがね。正直なところ、私は()()()()()()()()」  モノクルから覗く青い瞳は細く、まるで蛇の目に似ていた。なにやら含むようなイントネーションで飄々と喋る。彼独特のペースを持っている喋り方をしていた。この喋り方にまともに付き合うと疲れそうだとハナはなんとなく感じていた。 「この森の生物の様子がおかしいことは、間違いないと思うけれども。この事件の犯人候補として、虹川党の面々は非常にアヤしいと睨んだワケだ」 「何をバカな! 我らはイヒャリテ教会の直属であり、マルテカリの勲章も貰ったんですよ」 「そんなもの、コネさえあればいくらでも貰えるだろう。教会の人間はすべからく犯罪を犯さない聖人ばかりなのかな? そうだとしても、ダークエルフの男女に、黒の髪の乙女とはどうにも異端の面々だろう。アヤしいと思わないのがおかしい」 「一理あるな」  同意したのはセインだった。自分が疑われているのに相手側の言葉に頷いている事にハナが逆に否定してみせる。 「何言ってんだ! セインもアッシャも、ダークエルフってだけで何も悪い事なんてしてない!」  モンテノーはその言葉を受けても特に改めるような様子は無い。どころか、半ば呆れ気味な口調で蛇の瞳を伏せて溜息まで吐いた。仲間内で擁護しあっても何の説得力もないと言っているわけだ。 「……マッチポンプじゃあないか、とね。疑っているのだよ。私はね」 「マッチポンプ? どういうことですか」  ヨナタンも教会の威信にかけてアカデミー教授の言葉には反発しながら、このモンテノーというつかみどころのない男の真意を探るように聞いた。こちらに敵意を持っているというわけではない。この教授は、真実を見極めようと考えているのだろう。 「虹川党の昨今の活躍ぶりがね、どうも胡散臭い。問題を解決して回る変わり者ばかりの集団。イヒャリテ追放の魔法使い、ダークエルフに、黒い髪の女。自分達で問題を起こしておいて、それをあたかも何者かが起こしたようにみせかける。それを自らで解決すれば、いともたやすい英雄譚の出来上がり」  大げさに身振り手振りを交えて、口の端を釣り上げ、唄うように指摘するモンテノーの言葉に、ハナはいよいよ怒鳴った。 「ふざけんなよ、おっさん! あたし達は指を指されるようなことは何もしてない!」 「おやおや、そんな大声を上げないほうがいいのでは?」  ハナの怒りを受け流すようにニタニタ笑い、馬をなだめるみたいにハナに対してどうどう、と掌を振る。完全にナメている態度だとハナは不良時代の感覚で喧嘩を売られているのなら、相手をするぞと無言にて、目で突き刺した。 「……要するに、あんたはあんたでこの問題に対して対処しようと動いた結果、俺達の尾行をしてたってわけだな」 「そのとおり」  ピン、と人差し指をセインに向け、教師が生徒によくできましたと告げるようだった。  そんなアカデミーの教授にヨナタンとハナはあまりいい印象を持っていないが、セインはこの教授の言動に理解出来る事だと受け入れた。アッシャもセイン寄りの考えのようだ。  日頃、ダークエルフだからこそ疑われる毎日を送ってきた彼らにとって、このエルフの教授の疑いの言葉はそのように考えても不思議ではないという理解を生んだわけである。モンテノー教授の性格に対しては、好きになれそうもないなとは考えていたが。 「では、我らの潔白をどうやって証明したらよろしいか」  疑われる事に慣れていないし、教会や虹川党の行動に疑いをもたれる事は避けたいヨナタンがモンテノーの正面に立ち、じっと教授の顔を捉えた。 「真犯人を見つけるしかない」 「つまり、ダレンを捕らえろと言う訳ですね。望むところです」  とりあえず、話の決着がついたところでセインが一行に、移動を指示した。こうしている間にも凶暴化した原生動物が襲い掛かってくるかもしれない。まずは、予定通りに除草剤の臭いでモンスターらを一つどころに引き寄せて安全を確保したいところだ。  ヨナタンとハナは、このモンテノーをいまいち迎え入れるという気持ちにはなれなかったのだが、モンテノーが虹川党の素行調査を目的にしている以上、共に付いてきてもらう他ない。  虹川党は、アカデミーの教授を連れ、黄土の沼を進む事になるのだった。  それからおよそ一時間ほど歩いた処で除草剤を使うことにした。  あわよくばイホテルートが発見できないかと期待もあったが、除草剤の臭いに惹かれてやってくる生き物に襲われては本末転倒だ。イホテルートの探索はほぼ諦める形で除草剤を撒いてから、すぐに移動を開始した。 「さて、問題はここからだ。一体、ダレンは何を実験素材に使ったか、だが……」 「凶暴化した生物が何かは把握しているかね?」  モンテノーはまさに教授と云った物言いでセインに対して問題を出しているようだった。私はもう答えは分かっているがね、と蛇のような瞳が笑っているようだった。 「午前中に俺たちがゲッコウに襲われた箇所で食料を奪い合う争いでもあったんだろうが、色々と痕跡はあった。おそらくあの場にやってきた原生生物は、ブロートフライ、マンティス、アント……」 「正解だ。ならば、その三種類の中で仲間はずれがいる事も分かるね」  モンテノーの問題に、セインはまったく間をあけることなく、さらりと解答する。そんな事は問題にされずとも分かっているという意味も込めたつもりだろう。 「マンティスとアントは肉食だが、フライは腐った樹液や果実を好む」 「そう! ゲッコウはそのフライを喰らう事から、フライが最も最下層だ。という事は、ひょっとすると……」 「腐った果実……マルテカリで有名な果実はジョレンですね」  モンテノーのペースで会話を進められるのがなんだかイラついたヨナタンが教授の言葉を遮るように割り込んだ。 「ちなみに、ウィシュプーシュの死骸を調べて分かったが、あれはジョレンをエサに飼育されていたようだ」  答えにたどり着いたご褒美だと言わんばかりにニンマリと笑ってモンテノーがアカデミーの調査結果の情報を付け足した。 「……ジョレンの樹が怪しいってことか」  ハナはジョレンを思い出していた。マルテカリに居る間、毎日のように食べていた果実だ。酸っぱいけれど、その酸っぱさを通り過ぎた先に来る甘みが美味しく、ジューシーで喉も潤せるリンゴ大の果実だった。 「あんた、最初から分かってたんだろ」  教授は最初から、ジョレンが怪しいと踏んでいたのだと分かる。一行がどこまで問題を理解しているのかテストするような態度だった事にハナはめんどくさいヤツだなあと、錬金術師の教授に若干うんざりしていた。 「推測はしていた。正解とは思っていない」 「……まぁいいや。じゃあ、ジョレンの樹を探すってことでいいのかな」  またも煙に巻くような言い方をするモンテノーに、もうまともに言い合いをするのも嫌になって、ハナは行動目的だけを確認するように一行に目配せした。セインとヨナタンが頷いて、今まで大人しめだったアッシャはぱっと右手を挙げて主張した。 「だったら、私、力になれます! ジョレンの腐った果実の香り、きっと追えます」  アッシャの得意技ともいうべき、嗅覚探知は人並みはずれている。香水の花探しをしたときも思ったが、アッシャの嗅覚は本物だった。  しかし、現状は除草剤の臭いがキツすぎるので、もう少し除草剤の現場からは遠ざかりたいと付け足していたが。 「なんだね、ダークエルフは嗅覚が発達しているのか? 少しばかり調べさせてほしいね」  これまでアッシャに興味を示していなかったモンテノーがその特異性に興味を刺激されたのか、ぬっとアッシャに向けて手を伸ばしたので、ハナはアッシャの前に躍り出て壁になった。 「アッシャに手を触れないで」 「冗談だよ、そう邪険にしないでくれたまえ」  だったら、そういう態度をなんとかしろよと、内心思いながら、この教授の性格はもう手遅れなのだろうと諦めた。自分でもそう言っていたし、こういう人物なのだ。いつもこの教授の補佐をしているという助手にちょっとばかり同情していた。 「キミの事も色々と調べたいんだけどねえ……黒の乙女さま」 「そいつは俺のだ。やらんぞ」 「べ、べつにセインのじゃないし……」  教授がハナをじろじろと観察しているのをみて、セインが低く重い声でクギを刺した。セインの言葉に、ハナはなんだか赤くなる。モルモット的な意味で言われているんだろうけれど、なんだか心をくすぐられたみたいでハナは表情が壊れてないか心配になってフードを目深にかぶったのであった。  それからは除草剤作戦が上手く行ったのか原生生物に出くわす事はなかった。ある程度離れた処でアッシャに臭いを追ってもらうために集中してもらうことになったが、セインが五感を一時的に高める事ができるポーションを用意していて、アッシャの嗅覚は一際精度が高くなったらしい。  アッシャが示す方角へ向かうと、やがて石造りの建物と数本のジョレンの樹が生える開けた土地に出た。ぱっと見ると果樹園のようにも見えるが、建物の様子が妙に冷たく感じられる。コンクリートで作られた現代社会のビルのようにも見えた。長方形状で建物は一階建てなのか高さはそれほどない。また、ジョレンの樹の傍に厳重な魔法の囲いがあり、簡単には入り込めそうも無かった。奇妙な囲いはまるでそこだけ蜃気楼がかかっているかのような奇妙な力場を生んでいる。  ヨナタンがそれを確認し、中々に高位の結界魔法である事を告げた。近寄ればあっという間に身体が黒コゲになると言われてハナは慌てて身を引いた。 「あっちの建物は?」 「あれは結界が張られていません。扉に鍵がかかっていない限りは入る事も出来るでしょう」 「明らかに、怪しい建物だな」 「あの樹も、普通のジョレンの香りと違うんです……。人工的な臭いが混じっています。例えるならポーションに似てます」  くんくんと鼻を動かし、ダークエルフの少女はしっかりと目標を捕捉した。ジョレンの臭いは多方面から感じ取れたらしいが、ここのジョレンからは奇妙な混成されている臭いを感じ取れたのが怪しいと睨んだのだと言う。  アッシャの鼻には一同舌を巻いた。だがそんな感心をアッシャは恥ずかしそうに否定する。  セインの作ったポーションがあればこその結果だったと彼女は謙遜したのだが、ハナが同じポーションを飲んだとしてもきっとこの場所を探る事はできなかっただろう。 「ほんとうにセインダールのポーションは凄いです!」 「ほぉう。しかし、五感を高めるポーションとはまた面白いものを持っていたね」  錬金術教授も流石にセインの水薬(ポーション)には感心したらしい。面白そうに瞳を大きくして、セインの薬品バッグを凝視していた。 「たまたまだ。目的にしていた薬品を作った後の副産物だよ」  セインは教授の凝視から逸らせるためにぶっきらぼうに言ってやる。左右にツンツン跳ねているセインの銀髪がネコの耳みたいにぴくんと動いた。  どうも、製薬の腕をそれなりに地位のある錬金術の教授に褒められた事にいささか気持ちが跳ねたようだ。  セインとて、錬金術には誇りがある。まだまだ自分の腕を磨きたいとも思っているし、ゆくゆくは異世界に還る為の摩訶不思議なポーションを作らなくてはならないのだ。  セインは毎晩、寝る間も惜しんで錬金術の知識を深めようと勉学に勤しんでいたのである。  いつかは行ってみたいと考えていた錬金術アカデミーにこんな形で関わり、そして今その教授が(変わり者だが)セインの薬を褒めたのだから、己の力量を認められたように感じたわけである。  セインの銀髪から覗いている長い耳の先が赤くなっているように見えて、ハナも何だか嬉しかった。ダークエルフのセインが、認められたのだから。 「どうやら、見事に当たりを引いたようですね」 「<生命探知>で確認する限りでは、中に人はいないようだが」  セインがじっと建物を見つめて報告した。とは言っても透視しているわけではないので、中がどうなっているか分からないのだが。 「……あの建物、なんか私の世界の建物に似てるんだよな」 「えっ?」  セインの隣で、ハナも建物を見ていて思った事だ。長方形の石造りの建築物で、中央に扉があり、窓も均等に左右にいくつか付いている。 「偶然かも知れないし、そっくりかと言われたらそうじゃないんだけど……コンクリ作りの……そう、まるでちっちゃな学校みたいだ」  コンクリで出来た豆腐のような形状の建物は、小さな小学校みたいに見えた。そっくりではないが、もしかすると、ハナのホームシックが見せた錯視だったかもしれない。ともかく、ハナにはそういう印象を持つ建物だった。  セインがゆっくりと建物の扉まで接近し、ドアを調べる。  ガチガチとノブが回らず、カギがかかっている事が確認された。 「あ。鍵開け……得意です……」  おずおずと云う表情で、アッシャが前にでた。そういえば、アッシャが一行に付いて来た時、馬車の鍵を細工して隠れていた事を思い出した。 「大活躍だな、アッシャ」  セインがアッシャの頭にぽん、と手を乗せて褒めた。  それだけで、アッシャは大喜びして大きな碧の瞳をキラキラさせた。  ――自分の価値が認められる事。  それがどれほど、人生において活力になるかは計り知れない。今まで自分は、誰からも必要とされていない、自分はつまはじき者で、何の能力も無い脇役人生だと、そう思っていたのに、そうじゃない。どんな場所にも、人には必ず居場所があるのだ。そして、居場所は作っていくのだと、ダークエルフ達は心を躍動させていた。 「すごいよ。みんな。みんな、本当に凄いんだ。だから、私はできるんだって、信じたいって思うんだな……」  ハナはフードの中の表情を、アッシャ同様輝かせていた。  人の可能性を見たとき、期待が生まれて信じたいという願いが飛び立っていく。  些細な事で、当然な話なのかもしれないが――尊いものだという事に何も変わりはないのだから。  だから、虹川党の活動はきっと、世界の架け橋になっていく。周りがどうであろうと、自分達はそう信じて歩んでいこう。  そんなハナを、虹川党一行を見つめ、モンテノー教授は小さな声で「なるほどね」と呟いた。  少しばかり驚いたような表情で、そして興味深そうに、この不揃いの面々を面白そうに見ているのであった。  ――カチン。  金属がかみ合ったような音が響いて、手ごたえのあったアッシャが扉から離れた。 「開きました」 「いよいよって感じだな」  ゆっくりと開いた扉の先、通路が伸びていて、左右に部屋がいくつか並んでいるつくりのようだ。 「私は外側から調査します。内側はお任せします」  ヨナタンがそう言って、建物周辺への調査に移動した。ヨナタン独りでは万が一があるという事でアッシャが共に外回りに移動した。 「人の気配は……ない。一部屋ずつ調べていくか」  面々は罠に気をつけながら、建物内を探索していく事になった。  建物内はそこまで広くない。部屋の数も合計五つだ。通路左に三つの扉、右は二つである。  内部調査はハナとセイン、そしてモンテノーが行う流れとなり、モンテノーがズカズカと部屋を物色し始めたので、ハナとセインも共に内部を調べていく。  調べていくと机や棚に資料などが散乱していて、ここで何を行っていたのか徐々にわかってきた。  部屋の内装は研究所と云ったものであったが、器具などをみれば、中々専門的な事を研究していたのではないだろうか。  セインが扱う錬金術の道具もあった。やはりここは薬物研究をしているようで間違いない。ポーションのレシピや、生物のレポートなども見つけられた。  しかし、明確にダレン関係と匂わせるものはない。 「セイン、ここで何をしてたか、分かる?」 「……詳細はもう少しきちんと調べなくてはハッキリとは言えんが……。生物実験をしていたのは間違いないな。臨床試験結果なんかも資料もある」  セインが広げて見せた資料には、何かの配列や生物の観察日記のようなものが記載されてあったが、ハナはそれを見ても何がなにやら分からない。 「どんな実験なの?」 「……食料を増産する上で進んだプロジェクトだな。プロジェクト会社はアイオリアと書いてあるからダレンではない……とは言え、ダレンがバカ正直に『ダレン社』って書いてるわけも無いと思うが」  セインが簡単に説明したこの資料内容は、食糧難を解決するため、様々にプランが生まれては実験が行われたらしいが、その一つとして、食物巨大化計画があったらしい。  既存の食材となる果実や動物などを大きく太らせ、膨らませる事で食料事情を解決しようとする実験だったようだ。  巨大化実験はそれなりの成果を上げていたようだが、ある日を境に資料などがまったくないみたいだ。それも日付を確認すると一年以上前のもので、今年に入ってからの資料はまったくないらしい。 「生物を膨らませる実験薬を作っていたようだが……これはきちんと教会の申請を通していたんだろうか……。通っていれば、この会社の事も教会で調査が付いたはずだが」 「じゃあ、違法的な薬品実験だったのかな」 「ありえるな。そうなると、ダレンの臭いもしてくるが……」  暫しセインが思案に耽っていると、隣から声が響いてきた。 「おうい、皆様方。こちらに来ていただけますか」  モンテノーの声だ。何かを見つけたようであったが慌てている雰囲気ではない。何事かとハナとセインが隣の部屋に入ると、モンテノーが項垂(うなだ)れているように見えた。  だが、その足元を確認しているのだと気がついて、視線を下に動かすと、そこにぽっかりと口を開いている地下への通路にはしごが下りていたのだ。 「秘密の通路のようで。これはもう、明らかに黒ですね」 「アカデミーはこのアイオリアって会社の事は知ってるのか?」 「さあ? アカデミーと言っても一枚岩ではありませんし、研究員はいつも気ままに自分の錬金術を磨いているばかり。誰が何をしているかなんて気にもしません」  ……それはモンテノー教授が他人に関心を示さないせいではないかとも思ったが、ハナとセインはとりあえず、無言を貫いた。  と、その瞬間。  ――バチィ!  何か激しくスパークするような音がして、建物内の照明が変わったように感じた。  しかし、現在は昼間で照明は付いておらずとも、部屋の中は十分な明るさが保たれていた。照明が変わったわけではなく、外から差し込む明かりが変化したのだと分かった。  窓から外を確認すると、その風景が蜃気楼のように歪んでモヤモヤと揺れていた。  そして、外部の音がまったく聞こえない状態になっていた。 「なんだ!? 魔法か!」 「結界のようだ。外のジョレンの樹に張ってあったものと同様のものがこの建物全体を覆ったみたいだね」 「じゃあ、ヨナタンとアッシャは!?」  入って来たドアのほうへ駆け出そうとしたハナだったがその手をすぐにセインに捕まれた。 「待て! 離れるな! 結界内となると、下手に結界に触れれば腕が千切れ飛ぶぞ」 「っ……!」  窓から覗く外の風景を見やると、そこにアッシャとヨナタンが見えた。何か叫んでいるが何も聞こえない。  ヨナタンが指先から何か魔法を放つがそれが結界に跳ね返されて逆にヨナタンが吹き飛ばされてしまった。 「ヨナタン!」  ハナが声を上げるが、こちらの声も届いていないらしい。ヨナタンにアッシャが駆け寄ると、ヨナタンはゆっくり起き上がったので、ひとまず息をついた。 「分断されたか」 「結界を解除するには、建物内のどこかに仕掛けがあると思うね」 「なら、地下に進むしかないか……」  一同は床の開いた暗い穴の先をみやる……。  梯子の先は暗闇に飲み込まれていてどのくらい深い穴なのか見ただけでは分からなかった。 「俺が先行する。大丈夫なら合図するから後から続け」  セインに頷いてハナは表情を強張らせた。結界が張られてから、どうも何かに見られている感覚が付きまとっている。  強張らせた表情でいるハナの頬にセインがそっと手を添えた。 「……俺を信じてくれるか」 「あたりまえだろ」 「だったら、不安そうな顔するな」  そういって、ピンとデコピンして、セインは梯子に足をかける。  ゆっくりと下っていき、やがてセインの姿は闇の底に溶けて行った。 「セイン! 聞こえるか!」 「ああ、結構深い」  声が下から反響してくる。かつ、かつ、かつ、とセインの梯子を下る音がしている間はハナはまだ無事なんだと安心できた。 「梯子が終わった。<照明>」  ぼんやりと下の方が明るくなる。高さで見ると5メートルは梯子で下ったようだ。闇の中にぽつんとセインの小さな姿が見えた。 「どうなってるー?」 「坂道だ。まだ下るようになっている。先は見えないがとりあえず降りてきても大丈夫だ」  セインの<照明>の明かりのお陰か少し安心して、ハナはモンテノーに視線を送った。  するとモンテノーはすっと手を差し伸べるようにして、「お先にどうぞ」と告げた。殿を務めてくれるようだ。ハナは「じゃあ、行く」と短く告げて、梯子を下り始めた。  <証明>が光っているため、梯子の移動も安全に行えそうだ。それでもハナは慎重に一歩ずつ、梯子に足をかけて行った。  一メートルほど下っただろうか。  梯子に足をかけたとき、なんと右手で掴んでいた梯子が中間から分解するようにガパっと二つに割れたのだ。それが合図だったように、梯子がバラバラと崩れていく。 「っ!?」  掴むものがなくなったハナは咄嗟に足をつけていた梯子の足場で踏ん張ろうとしたが、その足場もまるで簡単に取り外しできるプラスチックの玩具みたいに容易く分解された。 「う、わっ!?」  もう支えられるものがない。ハナはまっさかさまに、地下への竪穴を落ちるしかなかった……。  見上げた梯子の上で、覗き込んで手を伸ばしていたモンテノーを確認できたが、その手が届く距離ではない。空しく手は中空を掴むのだった。  落下する身体を自由に出来ず、ハナは床への激突を覚悟したが、下で構えていたセインがハナの身体をがっちりと受け止めてくれた。御姫様抱っこみたいに素敵な抱きとめられ方ではなく、全身でキャッチするみたいな受け止め方になったが、ハナの全身のどこにも痛みは走らなかった。ただ、逞しいセインの身体に受け止められてそのまま力強く抱きしめられた。 「う、く……! だ、ダイジョブ、セイン!?」 「……お前、着やせするタイプ?」  セインの言葉に、ハナは何のことかと混乱しかけた頭で暫し考える事になったが、左の胸を黒い指がむにむにと揉みこんだのでとりあえず、そのまま肘をセインの鳩尾に落としてやるのだった。 「どこ触ってんだ! この状況でっ!!」 「わざとじゃない、たまたま当たったから、ラッキーだったんだ」 「ば、ばか、そんな状況じゃないだろ!」  慌ててセインの身体から離れて、ハナは上を見上げた。なんと、今落ちてきた穴が鉄板で塞がっているではないか。  これでは、上に戻る事も、上からモンテノーが降りてくる事も出来ない。 「……どうも、これはミイラ取りがミイラって状況に近いな」 「タイミングが良すぎる……。私達の動きを計ってないとあそこまで的確なタイミングで分断の罠を動かせないと思う」 「ああ、どこかで誰かが俺たちを見て、ワナにハメたんだ」  セインは更に伸びる通路の奥を睨みながら言った。通路はなだらかなくだり坂になっていて、人口の壁の丸いパイプの中のようだった。 「シグマジャかな」 「……そうかもな。お前を狙って、最終的には俺とファナも引き離すつもりだろう」  そうはさせない。もうこれ以上、ハナと分断はさせない。セインは何が何でも、ハナの傍から離れるつもりはない。  だから、ハナの手を指を絡めて強く握った。  握って、こいつの手はこんなに小さかったかと少し驚いた。  ハナも、驚いていた。  セインの手の強さと大きさに。彼の手につながれていると、不安が膨らみだしていたはずなのに、一気に安心してしまった自分に。  二人は通路の奥を確認し、そして二人で目を合わせた。  信頼の熱が瞳と掌に宿っていた。  二人なら、こんなワナなどどうということはないとすら思えていた。  そして、二人は薄暗い地下研究所に一歩踏み出していくのであった――。
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