人造人間

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人造人間

 二人の目の前には、小脇に抱えられそうなガラスのツボが置いてある。その中には水にもつけられず、土にすら植わっていない草が保管されていた。金魚蜂みたいな形状のツボはしっかりと密封されていて、ひょっとしたら中に酸素すらない状態かもしれない。  それでも中の草は瑞々しく緑を萌えさせているのだ。 「これ……魔法で保存されてるの? すごい……」  枯れない草の異名は伊達ではないようだ。ドライフラワーにはない水気すら魅せて、生きているのだと実感を持たせてくれるイホテルートは、見た目とは裏腹に神秘的だった。 「魔法は、この地下は封じられているだろう。これは天然で生きてるんだ。俺も初めて見たが流石に驚いた」 「回収しなきゃ!」 「まて」  ハナが金魚蜂を持ち出そうと歩み寄るが、セインが素早くそれを制した。ワナの可能性もあると考えたのだ。イホテルートのツボに接近する前に、しっかりと部屋とその周囲、天井から床に至るまで目を光らせ異常が無いかを調べた。  特に何か細工がしてある様子は無い。ワナらしいギミックも見当たらないようで、セインは警戒の色は解かずに、ハナに「良さそうだ」と短く言った。  それにハナも頷いて、そっと近づいていく。余計なものに触れないように、床に足音すら立てないように気をつけた。片手では持ちにくいと思って、持っていた杖をそっと床に置いた。  そろりと手を伸ばし、ガラスのツボに掌を添えた。少しひんやりとした感触を受け、それをそっと持ち上げた。重さは大したことがない。花瓶と同程度でハナの両手に素直に収まったイホテルートのツボは落として割ってしまわないか不安になりそうなくらい普通に金魚蜂だった。 「わぁ……これがイホテルート……」  ハナが改めて間近で眺めて感嘆の声をあげた時――。  ぱちり――! 「!?」  セインが思わず見上げた。突如、真っ暗だった重要保管施設に明かりが灯ったのだ。 「通電した?」  ハナも驚きながら、急に明るくなった部屋と通路に疑問がそのまま声に出たが、通電というのはおかしな話だなと自分で思いなおした。  なぜなら、この世界には電気で動く機械はないのだ。この世界の文明は全て魔法の力で動き、照明もマナを宿した符呪器で――。 「ファナ! イホテルートを捨てろ!!」  セインの焦りが滲んだ叫びが響いた。ハナはその声に咄嗟に従うことが出来なかった。その暇も与えられなかったといっていいだろう。  シュパァ――!  ハナの持っていた金魚蜂が眩く煌めき、強く光を放ちだした。その光に一瞬にしてハナは飲み込まれていったのだ。 「――っ!」  言葉すら出す余裕もなかった。ハナは持っていた金魚蜂と共に忽然と部屋から消えてしまっていた。 「ファナ――――ッ!!」  セインの雄たけびのような呼び声は、空しく部屋に響くのみだ。あれだけワナに気を張っていたというのに、完全に見落としていた。  この地下施設が魔法禁止区域になっているという前提で考えてしまった自分を殴り飛ばしたかった。  ハナがイホテルートを回収すると共に、施設内の結界を解除させたのだ。おそらく犯人はこちらの様子を窺っていたのであろうシグマジャのはずだ。  そして、ワナはやはり仕掛けられていたのだ。金魚蜂に<転移>の魔法が――。  施設の結界を解除させれば、おのずと発動できる。オートマチックトラップだった。  セインはさっきまでハナが握っていた杖を見つめ、嫌な予感がグルグルと脳裏を駆け巡り、心臓がどんどん冷たくなっていくみたいに感じていた。流れていく体内の血液が凍えていて、内側から震えさせる恐怖。考えていた嫌な予感が的中してしまった絶望感だった。  そんなセインの耳に、ジジジと嫌な雑音交じりの施設内放送が響き渡った。  施設内の魔法機能を使用し、<伝播>の魔法でシグマジャの声がどこからともなく聞こえてくる。 「聞こえるかな、ゴズウェー」 「シグマジャか……!」  シグマジャは一度しか対面した事がないがこの相手を逆なでするような神経質な声色は間違いないとセインは確信した。 「ククク……! まんまと思い通りに引っかかってくれて、正直笑いが止まらない。黒髪の乙女は頂いたよ」 「きさまぁ!」  怒号を上げるセインに面白そうに笑う声が返ってくる。 「彼女はダレンが責任を持って()()()をさせてもらうので安心して、死ね」  ブツンと通信の切れる音がして、雑音混じりの声が途絶えた。そして、すぐに通路の奥から別の物音がしてくる。  ぺた、ぺた。と裸足の生き物が通路をこちらに向かってくる音と、その生き物のぜぇぜぇと随分荒れた息遣い。先ほどのミイラがまた来たのだと思った。  すぐに弓を構えて通路に躍り出てセインは驚愕した。相手は一匹二匹ではなく、合計四体のミイラがこちらに向かって来たのだ。流石に弓で複数戦は分が悪い。接近される前に一匹を倒したとしても後続の三匹が一気に飛び掛ってくれば対処が難しくなる。  だが――そんな考えはセインにとって二の次だった。なんであれ、自分がどうなろうが、ハナを一刻も早くシグマジャから救い出すと、それだけが最も優先される感情だとダークエルフは弓を引く。  ビシュッ!  空気を裂くセインの一撃は、焦りがそのまま結果に出てしまった。頭部を狙った矢はミイラの眉間を掠めて、外れたのである。 「――ッ!」  そして、それを皮切りにミイラたちは「ぎゃあああッ!」とおぞましい声をあげながらセインにがむしゃらに飛び掛ってきたのだ。  大きく右手を振りかぶってツメを立てた一撃がセインに振り下ろされた。それを身を捻って回避しようとしたが、鋭いツメが服を切り裂き、肌を薙いだ。紙一重の回避ではあったが血が噴出すほどのダメージは受けていない。  だが、それは怒涛のラッシュの一撃目でしかなかった。続く二匹目がセインに全力のタックルをしてきたのだ。ミイラの細い身体ではあったが、がむしゃらに自分の肉体の破損すら考えていない攻撃は痛烈だった。身を捻ってすぐにバランスが取れなかったせいもあるがセインはその一撃でミイラともつれ合うように倒れこんでしまった。 「こいつッ!」  引き剥がそうとしたセインだったが、三匹目がさらに飛び掛ってきた。もがくがタックルしたミイラが自らの腕を軋ませながら強烈な腕力で抱きしめてくるのだ。体格はセインのほうが上回っているのに、人の理性のブレーキを破壊されているミイラの捨て身の力はとんでもない怪力を生んだ。  ミイラのベアハッグはセインの腰骨を軋ませて、三匹目が牙をむき出して噛み付きに来た。倒れた拍子に床に落とした矢束を自由の利く右手で掴み、そのまま喰らいつこうと迫ったミイラの口に突きこんでやる。 「ゲボッ」  くぐもった悲鳴をあげ、三匹目のミイラがくずおれる。どうにか撃退したが最初に躱したミイラがそのまま蜘蛛みたいな体勢で這い蹲って噛み付こうと接近してきた。 「ど・け・ろぉぉぉぉッ!!」  セインの怒号と共に腰に組み付いていたミイラを思い切り蹴り飛ばす。己の腕力がミイラの細い枝のような腕で支えきれず、セインの蹴りと共に折れて千切れる。どうにか身動きが取れる状態になったセインがすぐ傍まで迫ってきていたミイラの牙を左の腕で防ぐ。セインの黒い肌に食いついたミイラの黄色の歯が、理性を無視して力の限界以上で深々と埋め込まれていく。 「ぐぅっ――……!!」  肉をそのまま噛み千切ってしまうようなミイラの喰らいつきにセインは額に汗を浮かべ、苦悶の表情を作る。だがそんな痛みよりも、セインの内側にあるハナへの思いが身体を動かす。理性のブレーキを外しているのはセインとて同様だった。  手じかにあった杖を引っつかみ、セインもがむしゃらにミイラの頭部へと振り下ろす。 「何の魔法か知らんが!」  そのまま杖に符呪されてある魔法を発射する。すると杖の先から電撃が走り、噛み付いたミイラに紫電が纏わりついていく。  <電撃>の魔法だ。実験室に置いてあった杖である事から、検体に対して電流をおくり、筋肉の動きや脳の信号を操作していたのかもしれないが、今のセインはそんな事まで考えが及ばない。出力を最大でミイラに電流を流し込む。もちろん、そうなると自分の腕に噛み付いている歯から自らにもスパークが走るが、自分のダメージなど知った事ではなかった。  怒りと焦りが一刻も早くミイラを排除し、ハナの元へ向かわせようとさせるのだ。  激しい電流にミイラが食いついた顎を開いてセインの腕から離れた。その瞬間にセインが胴体を蹴り飛ばしてミイラは電流にまみれながらぶっ飛んでいく。  どうにかミイラを処理したセインが振り向くと同時に後ろからミイラが首筋を狙って食いつこうしていた。  杖を返す刀で横薙ぎにし、背後のミイラを叩く。しかしそれでもミイラはひるまず、そのままセインの首へ噛み付いた。 「いぎっ――!」  ミイラは痛みなど感じない。セインの一撃など意にも介さず、首の肉を喰らい、血を啜るつもりなのだ。首筋から激痛が走り、セインも流石に苦痛の声をあげる。だが歯を食いしばったセインはその痛みを押さえ込んで、噛み付くミイラの首を両手でどうにか取る。そして力任せに全力で首の骨を回して折ったのだ。ミイラとなった検体の身体は細く脆いことはこれまでの観察で分かっていた。頭部を破壊する事で死ぬ事も分かっている。だからセインは噛み付いているミイラの首を九十度回してやった。  それで顎の骨も壊れたか、噛み付いた歯が脱力しセインの血を滲ませて抜けていく。  二匹目のタックルしてきたミイラが腕を失ってもがきながらも立ち上がっていた。だが、既に体勢を整えたセインの、野獣のような怒気と共に放たれた矢によって、その頭部は吹っ飛んだ。 「……うぐっ……!」  どうにか四匹のミイラを撃退はしたが、抱きつかれた骨の軋み、腕の肉から噴出す血と首の痛み。セインは首筋を押さえて倒れこみそうになる処を、片膝をついて持ちこたえた。しかしその表情は青ざめ、大量の汗を吹き零し辛そうに眉根をしかめていた。 (ファナ……! ま、まってろ……!)  ライフポーションを取り出し、すぐに使用する。これでキズは癒されるはずだ。痛みはすぐには消えないし、失った体力はそのままだ。何より、精神面でのダメージが大きい。最も大切な女性を、またも護れなかったのだから。 (あいつは――俺が護ると、言ったのに――。なんだ、このザマは……。これではゴズウェーと言われても、当然じゃないか……!)  自分の価値など、底辺だ。やはり何も為しえない、好きな女も護れない情けない男なのだ。セインはそんな自虐と共に震える膝を立て直す。 (――だが――それでも――!)  重く引きずる一歩を踏み出す。骨の痛みがまだ引かない。首の血が熱い。右手の感覚がないように感じる。  脂汗が滲み、背中が妙に寒い。血の気がなくなっていくようだ。しかし、止まれない。行かなくてはならない。 「俺が護りたいんだ……!」  セインは明かりの灯った通路を、『管理室』めざし、進み始めた――。    **********  眩い光が収まった時には、ハナはシグマジャに捕らわれてしまっていた。  身動きを封じるような縄や鎖に捕らわれたわけではなく、まるで金縛りのように全身がいう事をきいてくれず、シグマジャの足元に転がされていた。傍には金魚蜂が転がっていて、中身のイホテルートは変わらず緑を彩っている。 「くう……! 身体が、うごか、ない……っ」 「<麻痺>の魔法を混ぜているから、暫くは自由には動けませんよ。本来なら喋る事も満足に出来ないはずなんですが……さすが黒の魔女と云ったところですか」  シグマジャがニタリと笑って見下ろす。黒く丸いサングラスが更に影って暗黒に見える。笑ってはいるが、その内面はどす黒い感情が渦巻いていて計り知れない。 「これでどうにか私の面目も保たれそうですが、本当にしてやられましたよ。黒の魔女。……ああ、ファナという名前でしたか」  横たわるハナの顔を乱暴に持ち上げて黒の瞳をじろりと覗き込んでくるエルフのシグマジャは邪悪な気を放っている。 「あなたたちの動向を逐一調べていた甲斐がありました。イホテルートを探している事を知ったときは使えると思いましたよ」 「……放せ」 「んん? 本当にあなたは立場が分かっていない。また、その血を流したいのですか」  ズラリと鈍く光る刃がハナの目の前に突きつけられた。ナイフよりも刃渡りが大きくこれで刺されたらあの時の比ではない傷を負うことになりそうだとハナは息を飲んだ。しかし、その瞳に怯えの色はまったくない。 「……その目、本当にムカつきますねェ!」  ハナが怯えない事に苛立ちを隠せず、シグマジャの笑みが歪み、邪悪の色が更に濃くなっていく。挑発すれば本当に刺してくると思われた。ハナとしてはそれでもいいと考えていた。自分の血が流れるという事はマナを奪い取れるという事だ。この全身にかけられている<麻痺>の魔法を解除できるかもしれないと作戦を練っていた。  ――が。  シグマジャはフっと笑って、ハナの顎をくいと持ち上げて顔を寄せてきた。 「ククク、血魔術(ブラッドマジック)を狙っていたんでしょうが、そうは行きませんよ。血を流させず、お前を弄ぶ手段など、いくらでも知っているんだぞ。小娘がッ」  言うと、ギラリと光る刃をハナの胸元に当て、衣服を切り裂こうとツゥーと蠢かした。  女性として、陵辱しようというのだろう。だがそんなことでハナは退かない。……退かないはずだった。  気丈に振舞うハナの耳元にそっと口を寄せ、気色の悪い神経質な声を楽しげに震わせてシグマジャが言う。 「お前、あのゴズウェーと恋仲なんだろ」 「……っ」 「もう抱かれたか?」  まっすぐに立ち向かおうとしていたハナの瞳が始めて揺れた。シグマジャの声を振り払いたいが身体の自由は奪われているままだ。視線を逸らし、ハナは胸の内側に冷たい銃口を突きつけられた気分だった。 「クククッ! いいぞ、その顔だ! そういうのが見たかった! クヒャヒャッ!!」  実に満足そうに笑ってシグマジャがちっぽけな自尊心を立ち直らせる。ハナはそれが悔しかった。今までなら身体をどうされようともなんとも思っていないはずだったのに、セインの事を想うとこうしてシグマジャが耳元で囁く事すら吐き気をもよおしそうになる。 (……ちくしょ、こんなヤツに……あたしも焼きが回ったよな……)  胸元を滑るシグマジャの刃が怖くなっていた。傷をつけられる事ではなく、汚される事に我慢ならなかった。 「良い事を教えてやろうか。お前はこれからダレンに連れて帰る。そうして、その身体で子供を産んでもらうんだよ。血魔術(ブラッドマジック)の使い手である黒の魔女の量産さ。お前はダレン社の妾となるんだよ」 「……!」  虹川党が出したダレンの目的は当たっていたようだ。本当に、自分の身体を使い、黒の魔女を産ませるつもりなのかとハナは愕然とした。これでは死ぬよりも屈辱だ。今すぐに舌を噛み切って死んでしまおうかとも考えた。だが麻痺した身体がまともに言う事をきかない。それに、やはり想うのだ。セインの事を想うと、自分は死ねない。セインが先ほど伝えてくれた本音が、ハナに生きる意志を強く働かせるのだ。 「……だ、ダレンは、血魔術(ブラッドマジック)で何を、企んでるんだ……!」  時間を稼ぐつもりでハナは自尊心を回復させて調子付いているシグマジャに問うた。魔法が使えるようになったという事は例の結界が解除されているはずだ。なら、セインやヨナタンたちも障害なくここまでやってこれるのではないかと希望を持っていたのだ。 「そんな物は考えなくても分かるだろう。この世界のエネルギーは何だと思ってる。マナだ! そのマナを奪い取る血魔術(ブラッドマジック)は言わばエネルギーの独占権を得るようなもの。世の中というのは、エネルギー源を抑えたものが回して行くように出来ているんだよ」 「あ、あたしの血が、マナを奪ったって、エネルギーを自由に扱えるわけじゃ……」 「なんだ、お前は自分のコトなのに気がついてなかったのか。お前の周りで奪ったエネルギーの恩恵で動く永久機関があるだろう」 「……え……」  歪んだ笑みのシグマジャが愚かな奴だと言う様に見下していた。  自分の周りでマナの恩恵で動く永久機関――。  一体何を指しているのか分からない。自分の身体がマナを奪って、そのマナは消えてしまっているのだと思っていたが、そうではなかったのだろうか。自分の近くに無限に動くものなどあっただろうか……。 (ケータイ――!)  ポケットにしまっているスマホを思い出した。そうだ。あれはどういうわけか()()()()()()()()()()()()()のだ。  まさか、このスマホが自分の血魔術(ブラッドマジック)で動いていたのだとしたら……その技術を掌握できるのだとしたら――。  それは確かに世界中の人間が喉から手が出るほどほしがるものなのだろう。無限のエネルギーは無尽蔵な開発を赦し、自在に世の中を組み立てる事が出来るだろう。 「さて、オシャベリはここまでだな。さっさとお前を郵送しなくてはならん。<転移>魔法では遠距離は不可能なので、逃避行に付き合ってもらうぞ」  シグマジャがハナの細い身体を無遠慮に抱き上げ、小脇に抱えるようにする。強引に引き上げられたせいで身体に痛みが走り顔をしかめるハナ。  そんなハナの視界の隅に、床に転がった金魚蜂を見つけた。<転移>魔法がかかっていたイホテルートのツボだった。  ――まだここから離れるわけには行かない。  時間稼ぎを続けようとシグマジャに苦悶の表情で質問を重ねていく。 「イホテルートは、なんでここにあるんだ」 「……オシャベリはもう終わりだと言った。黙らなければ出血させない方法で、痛覚を刺激してやるぞ? 骨を折るとかな」 「……うぐっ」  腰を抱えるシグマジャの腕に力が込められた。このくらいで骨を折られるほどやわな鍛え方はしていないつもりだが、シグマジャは脅しの意味も込めて痛みを与えるように、ギリギリとハナの華奢な身体を絞める。  苦痛にくぐもった声を上げ、歯を食いしばる少女を見て、シグマジャがぞくりとするような笑みを浮かべる。ハナの苦しむ顔を見て(よろこ)んでいるのだ。  シグマジャが部屋の壁に付けられている操作パネルを弄るとなんとただの壁と思われた箇所に隠し通路が開いた。この施設の管理者がいざと云うときに逃亡できるように造った隠し通路であろうか。  ハナを抱えてダレンの支部長はゆっくりと通路へ入り込もうとした時、入り口側の通路が開いた。  ハナはそこに立つ人影を見て、一瞬であの時の光景がフラッシュバックした――。  初めてこの世界にやってきた時、洞くつの薄暗い明かりの影から、弓を構えて現れたダークエルフの青年の姿――。 「ファナに触れるな」  弓を構えたセインが、あの時同様に立っていた。  あの瞬間と同じ光景ながら抱いた感情はまるで違う。ハナは、苦痛の表情を回復させて希望の笑顔でその名を呼んだ。 「セインっ――!!」  シグマジャは侵入者のダークエルフの声にゆっくりと振り向いた。 「ゴズウェーの分際で私に対して頭が高いな」 「もう一度言う。()()()()()()」  凄味のある声でセインは最後通告と共に矢先をシグマジャへ向けた。 「その矢を放って魔女に当たりでもしたらどうする、やめたまえ」 「それはありえないから安心しろ」  シグマジャの余裕のある煽りにセインは一切揺れずに返答した。  シグマジャが笑んだ表情をすうっと切り替える。仮面のように無表情なものへと。 「嫌だと言ったら?」 「死ね」  言葉と共に矢が放たれた。ハナに血を流させるのはまずいとシグマジャは考えていた。だから矢を自らの身体で盾にするように片手で受け止めた。矢が見事にその腕に突き刺さり貫通した。  腕を貫いたと言うのに、シグマジャはその表情を一切変えずにいたのである。それがどうしたと言わんばかりに扉のほうへと顔を向けなおしてその無表情の顔に驚愕の色が浮かぶ。  つい先ほど矢を放ったセインがそこに居なかった。  ハナはずっとセインを見ていたがシグマジャが身を捻ったせいでセインを視界の隅にしか捕らえられなかった。それでも、この世界で誰よりも信頼している男性を見つめていたかった。そんなハナの瞳に、セインが超人のようなスピードでこちらに接近してくるのだけが確認できた。放たれた矢と同じ速度でダークエルフが跳躍していた。  一瞬で消えたように見えたシグマジャは、背後にまわりこんできたダークエルフに対処できなかった。 「せぇあッ!」  超速度の肘撃ちがシグマジャの横っ面に叩き込まれた。かけていたサングラスが衝撃と共に吹っ飛んで、勢いに押されたシグマジャがハナを手放し倒れこんだ。 「なにぃっ……」  信じられない速度とパワーにシグマジャは一撃を受けた左の頬を押さえながら、ダークエルフを睨みつけた。 「なんだ、その力とスピードは……!」  そのシグマジャの問いにはセインは無言だった。  この超人的な能力はセインがこの時の為に用意していたドーピングポーションによるものだった。アッシャに対して使われた五感を高めるポーションはこのドーピング薬の副産物だったのだ。  すべての身体能力を一時的に強化するポーションは、超人的な能力を獲得できるがそれは時間制限がある。だからセインは内心焦っていた。このポーションの効果時間内にシグマジャを封殺しなくてはならないのだ。  ドーピングは強力な身体を得ることが出来る代わりのリバウンドも凄まじい。薬品効果が切れてしまえば、全身がガタガタになって立ち上がることもできなくなる諸刃の剣なのであった。 「セイン!」  シグマジャから解放されたハナが名を呼ぶ。麻痺した身体のせいで、床に転がったまま首だけを必死に愛する男性に向けた。本当は今すぐにでも駆けつけて抱きしめたいが、痺れが身体を動かしてくれない。 「ファナ、少し待ってろ」  セインがシグマジャを見据えて構える。弓と矢を入り口付近に投げ捨てていたので素手でシグマジャと対峙する形になった。  一方シグマジャも相手の驚異的な能力に驚きながらも起き上がって腕に刺さった矢を掴む。肘鉄を受けたダメージで口の中を切ったか端から血を流していた。ぐっと力を込めて先ほど貫いた矢を腕から強引に引き抜いて床へと投げ捨てた。  傷口から出血し、肉も抉れているのが分かる。だがシグマジャは矢張り涼しい顔をしたままだった。  それから、セインに見せ付けるみたいに腕の傷を見せびらかした。  すると、抉れた肉がゾワゾワと動いて修復されていくのが目に見えた。急激な速度で行われる自己再生機能は人間技とは思えないものだ。 「元通り」  シグマジャがニタリと笑い、腕をふりふり回復をアピールして見せた。ハナはその様子に驚いていたが、セインは分かっていたように冷静な金色の瞳を投げ続けていた。 「……再生能力。アイオリアの資料にもあった。ここまで来る中で襲ってきたミイラの検体もそうだ。シグマジャ、お前は人間じゃないな」  その言葉に、シグマジャが恭しく首から提げたネクレスを手にとって煌めかせた。  そのネクレスに付いたプレートに、『人造人間・Σ《シグマ》』と彫られてあったのである。 「人造人間(ホムンクルス)……!?」  ハナはシグマジャを改めて見たがどう見ても人間だと思われる外見をしていた。先ほど出会ったミイラの検体17号とは似ても似つかない。 「あんな検体番号の連中と一緒にしないで欲しいね。私はあれらと違い、無から生まれた人造人間なのだ」  黒の魔女を造るという計画により生み出された人造人間(ホムンクルス)は、てっきり女性型だと思っていたが、シグマジャは男性だ。黒の魔女は生み出せず、血魔術(ブラッドマジック)も使えない人造人間だったが、その驚異的な再生能力と、名前の(アザナ)を持たない存在として、この世界では闇社会の兵隊として何よりも優れていたといえよう。  アイオリアの闇の実験の産物である人造人間・Σは秘密結社(ダレン)の支部長となっていたのである。 「我ら人造人間のため、ダレンのため、黒の魔女をいただく」 「やらん。この女は俺の物だ」  セインとシグマジャが激突した。  セインの肉体が薬物効果(ドーピング)で素早く蝶の様に舞い、蜂の様に刺す一撃を浴びせる。対してシグマジャは驚異的な再生能力と、凄まじいパワーを持った重い一撃を武器にしていた。御互い武器は己の肉体だけ。それぞれの拳と蹴りがぶつかり合った。  スピードは圧倒的にセインが上だった。どれだけ破壊的な力があろうと当たらなければ意味がない。シグマジャの鉄板すら凹ませる一撃をセインは身を翻して回避していく。  しかし、セインの攻撃もシグマジャに対して有効打とは言えない物だった。どれだけ打ち込んでも致命傷にならず、その傷を修復させていくのだ。セインの医学知識が的確に人体の急所を攻めたて、骨を粉砕したとしても、シグマジャがそれを人造人間の再生能力で回復させてしまっていた。 「どうした! 息が上がってきてないか?」  セインが圧しているいるようにハナには見えるが、その表情は徐々に色合いが変わっていく。セインには時間制限があるのだ。ポーションの効果時間が切れてしまえば、激痛が全身を巡って立ち上がることもできなくなる。  シグマジャの再生能力に底があるのか不明だが、精神的な優位はシグマジャが上のようだった。 (頭部を破壊すれば……)  先ほどまで戦ってきたミイラたちは頭部を破壊する事で動きを止めていた。だったら、シグマジャも同じかも知れない。とは言え、シグマジャの頭部を攻撃することはできても破壊するだけのダメージを与えるのは困難だと思われた。  突如、セインの体勢が崩れた。踏ん張った右脚に激痛が走ったのだ。 「ぐっ」  シグマジャから一撃を貰ったわけではない。ポーションの副作用が出始めのだ。  そのスキをシグマジャは逃さなかった。 「<重力>よ!」  シグマジャの履いていたブーツがスパークしマナの光に包まれる。 「!! あれはっ」  ハナがそのブーツに光に声をあげた。あのブーツの光は自分の<風乗り>と似ていたのだ。おそらくシグマジャのブーツもマジックアイテムなのだろう。<重力>が発動し、シグマジャの重みが爆発的に上がる。  <重力>の光を纏ったシグマジャの蹴りがセインの上半身に横薙ぎに襲い掛かった。セインは咄嗟に腕でガードしたが――。  ――ボギッ――。  巨大なハンマーで殴られたようだった。何十倍にも重さを増した一撃がセインの腕を砕いて折った。骨が折れる嫌な音が響いて、セインの絶叫が後に続いた。 「ぐああぁあっ!!」  ガードした左の腕がだらんと下がっていた。完全に腕の骨が折れてしまっているとハナも一目瞭然なほどにセインの腕は無残だった。  あまりの激痛に、セインがその場で膝を追ってうずくまってしまう。アッシャの兄もシグマジャの一撃で骨をバラバラにされてしまったらしいが、これが理由かとセインは汗を垂らし激痛を堪えて思い知った。 「折れたか? 痛いか? いい顔だ!」  シグマジャがセインの激痛に歪む表情見てぞわりとする笑みを浮かべる。そして、またも<重力>のブーツでセインを蹴飛ばした。  バキイッ! 「うがぁっ!」 「セインっ!!」  蹲っていたセインを石ころみたいに蹴っ飛ばして、セインは吹っ飛んでしまい壁に激突した。今の一撃で脚の骨もおかしくなったみたいだった。それに加えて、ポーションの副作用がセインの身体を苛みだしたのだ。セインは激痛の走る全身に汗を浮かべて悶えていた。 「ああ――、いいな。いい声だ。その表情を見ると、私は生きる喜びを感じるよ」  シグマジャが身もだえして苦しむセインを眺めて恍惚の表情で口の端を釣り上げた。  攻勢ははっきりと逆転していた――。  気味の悪い人造人間の笑い声と、苦しむダークエルフの青年の声が地下施設に響き、ハナは耳を塞ぎたくなった。  このままではセインが殺される――。  それは嫌だ。絶対嫌だ。死んでも嫌だった。  彼を救うためなら何でもしたい。そして現状、彼の命を握っているのはあの人造人間なのだ。  だから、ハナは全てを覚悟して、シグマジャに言ったのだった。 「もうやめろ……! あたしがダレンに行けばいいんだろ。早く連れて行けよ」 「殊勝な事を言うね。ならば、大人しく我らの子を孕んでくれるんだね?」  ニタニタ笑いながらシグマジャがハナに寄って来て下種な物言いをしてくる。 「ふざ、けんな……! ばかやろー……!」  セインが息を乱して起き上がろうとするが折れた足と腕で満足に身体を動かせずに激痛に歯を食いしばる。  そんなセインを見て、ハナは強気に笑って見せた。大丈夫だからと伝えたかったのだ。だから、生きてほしいと願ったのだ。生きていればチャンスは生まれるのだから。  そしてシグマジャをきつく睨み、ハナは人造人間に静かに告げてやった。 「あんたは、哀れだと思う」 「はァ?」  突然の言葉にシグマジャは間抜けとも思える声で首をかしげた。弱いムシケラが命惜しさに戯言を言っているのだと見下した。 「……造られた人間で、色んなものが欠けてる。人として、足りないものが多すぎる」  その言葉に横たわるハナの黒髪をがしっと掴み、顔を持ち上げさせた。 「立場、分かってないのは変わらないな、魔女」 「お前は痛みを知らないんだ。だから、他人を痛めつけて悦んでる……。それしか生を実感できないみたいに、カラッポなんだよ」  ハナの言葉で血管を浮かび上がらせ、シグマジャが更に強く髪を引っ張った。痛みがハナを襲ったが、ハナは表情にそれを出さなかった。痛みを見せることがこの男を悦ばせるのなら、絶対にこいつの前では屈しないと黒い瞳が鋼鉄の意志を煌めかせていたのだ。 「私は、不要なものを排除した人を超えた人造人間(ホムンクルス)なのだ。分かったように説教垂れるんじゃない小娘がッ!」 「はは、何怒ってんだよ。図星だったのが見て取れるぜ」  ハナの不適な笑いにシグマジャはいよいよブチ切れそうになっていた。こちらが圧倒しているのに、なぜこの女はこんな目ができるのか。腹立たしくてしょうがない。  どうにかこの表情を歪めて、泣き叫ばせてやりたいと暗い欲望が燻りだす。  そして良い事を思いついたという表情で、またも気色悪い笑みを浮かべなおした。ニタっと笑って舌なめずりをする。  肉体に対する痛みを堪えようとするのならば、精神に癒えぬ傷を負わせてやろうと思い至ったのだ。 「おいゴズウェー。そこで見ていろ」 「なに……?」  ハナの傍からくるりと首を回してセインにそう言い、シグマジャはハナの身体を持ち上げた。 「お前達は恋仲なんだよな。目の前で見せてやろう。最高に面白いショーを、な」  シグマジャの言葉にセインは青ざめた。  何をするつもりなのか、胸糞の悪い想像がセインの折れた身体を震えさせて痛みを膨らませる。  ぞっとする声でシグマジャがハナの耳元で囁いた。 「――犯してやる」
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