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マナなんてあるわけない
「おはよ、セイン」
ハナは地下室から上がり、椅子に腰掛け、弓矢の手入れをしていたセインに挨拶をした。
あれから、地下で一夜を明かすことになって薬品臭い部屋で一夜を過ごした。
簡素なベッドで眠ったハナであったが疲労感のせいかあっという間に熟睡した。
特に問題はない一夜であったのだが……。
服装だけはハナに一苦労させた。
セインの言う通り、セインの服しかなかったので、女物ではないこともあったが、何よりそのサイズだ。
セインの身長は百九十センチであり、その服を百六十五センチのハナが着込むと、不恰好なことこの上なかった。
たるんだ服の裾がうっとおしいので、袖口を捲り上げるようにしてから、革紐で固定してなんとか落ち着かせたが、それでも撓んだ布地が膨らんでなにやらモコモコとしたきぐるみのような姿を晒してしまうのだ。
「ぷ」
ハナの姿を見て、セインが小さく噴き出した。
「……今、笑ったな?」
「いいや、気のせいだろ。これに座りな」
飄々と言って、腰掛けていた椅子から立ち上がって椅子の脇に立つ。
(んなろー、こいつやっぱり、陰険な性格してるぜ)
やれやれと促されて椅子に腰を落とすと、正面にセインがひざまづいて顔を覗き込んで来た。
(う……)
間近で見るとやっぱりその顔立ちにドキリとする。
黄金の瞳がハナの顔を正面に捉えて、まじまじと観察してきた。
「よく眠れているな」
「あ、うん。おかげさまで」
「口を開け」
「あー」
「舌を出せ」
「えー」
「そのまま少し待て」
「えー」
「……いちいち声に出さんでもいいぞ」
セインはハナの口内を観察し、その健康状態を調べているらしい。
病院だか保健室でのやりとりのようでハナは少し面白いななんて思った。
白衣の御医者様とは言えない格好のエルフが、医者のように健康診断するのがなんだか『ごっこ遊び』みたいに思えたからだ。
「……うん、健康状態は良さそうだな。もういいぞ」
「もう、クスリを飲むのか?」
「……いや、もう少し身体検査をさせてくれ。お前は異界の住人だしな」
「ああ、まぁそうか……」
それからセインはハナの身体を検査していく。
「触るぞ」
「う、うん」
セインは断りを入れてから、ハナの身体に触れ、肉体を調べているようだった。
少し身構えたが、あくまでその動きは誠実であり、デリケートな所に触れる前には、「触れるぞ」と断りを入れてくれていたのが、安心にも繋がった。
心音を確かめたいと言われ、左胸にセインの大きな耳が押し当てられた。
「少し早いな」
「き、きんちょーしてんだよ」
「おちつけ」
(落ち着けるかっつーの……)
ハナは努めて冷静にと自身を言い聞かせていたが、どうにも気恥ずかしい。
「基本的な体のつくりは、なんら変わりがないな……ココまでは問題ないが……」
セインはカルテにツラツラと読めない文字で診断結果を記入している。
「すまないが、少し血を採りたい。指先を軽く切りつけることになるが、大丈夫か」
セインの声は、低くそしてゆっくりとしていた。
ハナの心情を案じてか、目線をまたハナの瞳にあわせて、真っ直ぐに見つめて聞いてきた。
ほんの少しだけ抵抗感はあったが、病院だって血液検査はある。注射器がないのだから、指を切りつけてという方法を取るのは致し方ないのだろう。
「ど、どのくらい採るんだ」
「一、二滴程度でいい。このシートに垂らしてくれ」
そういってガーゼのような小さいシートを差し出してきた。
蒼白い布地は薄く光の膜で覆われていた。
光っている布など、生まれて始めてみたハナは先の予想がつかなくて、少し押し黙った。
「キズ薬はある。必要以上には傷付けない。……怖いか?」
セインが覗き込んでくる。ハナは、もういちどダークエルフの青年の瞳を正面からきちんと捉えた。
中学時代に出あった多くの人間が、自分に向けてきた目を思い浮かべて、セインの瞳と比べていく。
こちらに対して敵意や恐怖ばかりを投げてきた目線ではなく、ただ透き通った、動かない視線が黄金に光っていた。
「大丈夫。いいよ」
「よし、良い子だ」
セインがニコリと表情を和らげた。
その表情で、ハナはまた心音が大きくなった気がしたので、目線を外した。
「ガキじゃねえってば」
そんな照れ隠しをして、右手を差し出す。
セインは医療道具と思しき様々な道具が入っている木箱から小さなナイフを取り出した。
刃は小さいが、氷のように薄く冷たく光っている。
おそらくアレはこの世界の『メス』のようなものだろうと、ハナは想像した。
「少し痛いぞ」
「痛みには慣れてる」
「……そうか」
セインの黒い手がハナの白い右手を取った。
親指の腹にメスが軽く当てられると、ハナは少し身を固めた。
つうっと、滑るように指の上を刃が走った。
軽い痺れような痛みがチリリと親指を痺れさせる。
セインが素早くガーゼを押し当てると、蒼白い光がスウ――と、溶ける様に掻き消えていくのが見えた。
ガーゼが血を吸い、赤黒い小さな斑点ができる。
それを確認して、セインはハナの親指にキズ薬を塗り包帯で素早く巻き上げた。
慣れた手つきが医学の知識と実績を信じさせた。
ハナはほとんど痛みを感じなかったセインの採血にたいしたもんだと感心していた。
「……まさかと思ったが……」
対してセインは、驚愕しているようだった。
声はいつものトーンであったが、ふうっと吐き出した溜息が嫌な予感が当たってしまった、と言っている様だった。
「お前には、マナがない」
セインがガーゼを見つめて、首をゆっくりと振りながらハナへ告げた。
「いや、それどころか……お前の血はマナを奪ってしまった」
「どういうこと?」
ハナは事情が飲み込めないので、セインに向かって首を傾げるしかない。
セインがそんなハナの表情を見て、もう一度重い溜息を吐いた。
「まず、マナと云うのは、魔法を使うための力と説明しておこうか。我々の世界の住人は基本的に生まれたときから自然に持っているモノだ」
「うん、まあ私の世界は魔法なんてないしなー、私にマナが無くても驚かないけど」
「あのシートには、マナが込められていた。血液に含まれるマナと反応しあって、光がより強まれば、マナの健康状態も異常なしというものだった」
先ほど、ガーゼのようなシートは蒼白く光っていたが、今はもう光などひとかけらも無く、ただの白いガーゼにしかみえない。
「私の血が、シートのマナを奪ったってこと?」
「そうだ。マナが無いなんて生半可さじゃない。マナを奪う、ウィルス……と云うのが的確か」
ウィルス――。即ち病原菌と評されたハナの血液は、セインを驚愕させているようだった。
ハナと云えば、病原菌と言われて嫌な気持ちはあれど、そもそもマナなんて存在しない現代社会生まれとしては、まぁそうかも、くらいに考えた。
「……じゃあ、もしかして私が居ると、セインは病気になるのか?」
ハナが気にしたのは、それだった。もし、自分がこの世界にとって病原菌のようなものならば、セインに害が出るのは避けたいと思ったのだ。
「もし、そうなら、今すぐにでもここから出て行くよ」
ハナはキッパリと言いのけた。
一宿一飯の恩があるし、セインが悪い人間でない事は分かっていた。
セインには迷惑をかけたくは無い。
そんな思いから、ハナは椅子からすっくと立ち上がって、セインに向かい合った。
そんなハナを暫し、セインは黙って見つめ続けていた。
「お前が出て行って、右も左も分からない世界でどうするつもりだ」
「なんとかなるさ」
「なるものか、お前が考えているより、この世界は危険だぞ」
「でも、セインに迷惑をかけてまで、ここには居たくない」
セインの言葉に、一切の間髪をいれず、ハナは通った声で伝えた。
今度はセインが、ハナの瞳を覗き込む番だった。
セインはこれまでこんな女性を――いや、こんな人を見たことが無かった。
自分の身が危険に晒される状況で、相手を思いやる。
愚か者とも思えるその行為は、セインの中で塗りつぶされていた何かを洗い流し、その奥に煌めく宝石のような感覚を目覚めさせる。
黙っていたダークエルフは、左手をハナの目の前に差し出す。
「<照明>」
その呪文でセインの左手からふわりと光の玉が浮かび上がった。
白くどこか冷たい人工の明かりで、ハナから見ると、その光は蛍光灯のようにも見えた。
「これは明かりの魔法だ。俺のマナを消費して作り出している」
セインが左手の明かりを説明し、ハナにゆっくり歩み寄ってくる。
「お前が居ることで俺のマナに影響があるのならば、この明かりは消滅するだろう」
そこで、セインは一呼吸して、もう一度ハナの顔を見下ろす。
白の光が二人の頭上で煌煌と輝き、ハナの黒い髪に艶々と光の筋を作り出す。
ハナがその光に目を奪われていた時、不意に視界を奪われた。
突如、何が起こったかハナに理解できなかった。
目の前が真っ暗になったように思えたからだ。
だが、それは違った。
セインの黒い肌が目の前にあっただけだった。
そして、ハナの唇に、熱く柔らかな感触が押し付けられた。
(!?っ)
セインがハナへと接吻していた。
長身のダークエルフが健康的な筋肉を折り曲げ、上半身でハナを抱き、片手をハナの腰にあて、首を落として唇を奪っていたのだった。
二人を照らす白の照明は消えずに輝く。
自分がキスをされていることに気がついて、ハナはそのままへなへなと椅子に腰を降ろした。
降ろしたと言うか、腰が砕けた。
「な、な、な。なななな……」
真っ赤になって震えるハナは椅子から動けず、目玉をぐるぐる回すことになる。
「なにしてやがんのー!?」
キスなんて生まれて初めてだった。
紛うことなき、ファーストキスである。
「粘膜同士の接触をだな」
セインがいけしゃあしゃあと、盗人猛々しく、デリカシーを踏みつけて云った。
「ねんまくとか、いうなしー!?」
ハナは口をごしごし袖で拭きながら、もはや自分が何なのか、何をしているのか、この地で目覚めた瞬間以上に混乱していた。
「消えないだろう」
慌てまくるハナに対して、セインはニヤリと笑って見せた。
セインが光を指す。
白く輝く魔法の明かりを。
マナは奪われていない。
「ここにいろ。俺の躾はまだ始まっていない」
「…………っ」
セインは笑顔で椅子の中のハナに手を差し伸べる。
その笑顔は、本当にセインの素直な笑顔なのだろうとハナは感じ取った。
いたずらが上手く行った子供みたいな無邪気な笑顔だったからだ。
ハナはその手をとり、震える脚をなんとか踏ん張らせて立ち上がった。
「……セイン……」
そのまま、とん、とセインの胸におでこを当てる。
セインの胸の鼓動だって、早くなっているじゃないか――。そんな風に少女はクスりと笑う。
そうして、その笑顔が徐々に口角を吊り上げて、瞳は煉獄の赤に燃える。その表情は鬼。通称キラーマシーンの表情であった。
流水のような軌道でハナは腰を落として右手を引く。
フッ、と短く吸い込まれた空気が肺の中で停滞し、腹の下で気を練りこむ!
「……こぉのッ! セクハラーメンがぁぁぁぁぁッ――――アァッッ!!」
セインのその黒い腹部へ、ハナの鉄拳制裁がぶち込まれることになった。
ドゥゴバァッ!!
綺麗に埋まりこんだハナの右拳により、セインは「おンふぅっ」と変な悲鳴を上げて、膝を折るのであった……。
「よし、私の拳は通用するな!」
うんうんと強く頷き、腕を組んで目の前でピクピク痙攣するセインを見下ろし、ハナは大満足していた。
ハナは自信を取り戻したのでしたとさ。
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