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モラトリアム
翌朝のこと、虹川党の女子の部屋にノックの音が響いた。
アッシャが出迎えるとそこに立っていたのはセインだった。
「セインダール! もうだいじょうぶなんですか?」
「ああ、完治した。……心配、かけたな」
「よかったです!」
アッシャの後ろからハナもセインの顔を覗き込んで普段通りのセインの表情に安心して笑顔を返した。
「それで、イホテルートの研究に早速取り掛かろうと思ってな。……ファナ、少しいいか」
セインの誘いにハナは頷いた。
アッシャも来るかと誘ったが、アッシャはそれを丁重に断った。今日はヨナタンの様子を見に行くと告げて、教会まで一緒にむかってから、それぞれに分かれた。
セインはハナを連れて、教会の地下に作られている錬金部屋へとやってきた。
殺風景な地下室は、セインの小屋の地下室と少し似ていた。
錬金術に使う機器が置いてあり、いくつかの薬剤も常備されているようだ。ここの使用許可をマルテカリ教区長に申請し、滞りなくその許可が下りたらしい。
「イホテルートを調べることもだが、服用者であるお前の事をしっかりと知っておかなくてはならない。身体検査をさせてくれ」
「うん、そうだよね。私が飲むポーションだしね」
セインの提案にハナは快く了承し、セインに促されて設置された椅子に腰掛けた。
正面にセインが立って、じっとハナの顔色を確認し、瞳を覗き込んだり、口の中を開いて喉の奥を確認したりと基礎的なところからの健康診断が始まった。
ハナの調子がいいことにセインは頷いてから、改まった様子で一度咳払いを入れてこう言った。
「脱げ」
「……ん?」
「服を脱いで、寝台の上で横になれ」
「…………え、いや、いやいや。え、マジで言ってる?」
「……マジで言ってる。全裸になれとは言わん。下着まででいい」
セインは大真面目な顔でそう言った。確かに診療所なんかで検査するときは服を脱ぐ事もあるが、そういう時とはちょっとばかり事情が違う。相手がセインなのだ。身体検査のためと分かっても、どうにも意識してしまう。
「いや、でも、その……」
「これは、そういうのじゃない。俺だって、錬金術師として、今はお前に向き合ってる」
「そ、それは、分かってるけども……」
ここで拒否してしまえば、ハナが意識をしすぎているようになり、セインの紳士な態度に申し訳ないようにも思う。しかしながら、そうは言っても東雲ハナは思春期の女の子なのだ。しかも相手が相手なので気持ちの整理がつかないのである。
「……分かったよ……。でも……頼みがひとつある……」
ハナは真っ赤になりながら、体温が高まっていくのを押さえられずに、どうしてもこれだけはというお願いがあった。
なんだ、とセインが真っ直ぐに真摯な視線を向けてくる。本当に、セインは真面目に対応するという態度をしっかりと伝えてくれている。それがまた、ハナの心を暖かくさせた。
きちんと、そういう切り替えができる男性なのだと、セインをまた惚れ直してしまったのだ。
「正直、めちゃくちゃ、恥ずかしい……から……、絶対茶化すなよ……」
セインが本当に紳士的に対応してくれているのは分かっているが、不意に彼は悪戯な事をしてくる。普段ならそれも冗談で済まされるが、こんな状況で、何か言われたりしたらもう自分を覆い隠せなくなりそうだった。
「分かった。……なら、もうこの際だから言っておくが、少し言いにくい事を質問する。だが、それは全部お前のためなんだと、分かってくれ」
セインがハナに視線を合わせて膝立ちになって真っ直ぐ見つめてきた。
(……だから、そういう顔が、今はほんとに、ヤバいんだよ……)
セインの、その真剣な想いと眼差しが、ハナのうなじを熱くさせてしまう。正直、もう視線を合わせるなんてできそうもない。一秒すらセインのその表情を受け止めきれず、うつむきながらハナは「はい」と小さく返事した。
服を脱ぐ間、セインはハナを診ないでいてくれた。そして、下着姿になってから、寝台の上に仰向けになる。胸がドキドキしまくっている。体温も絶対に通常以上のはずだ。これで診察されてもまともなデータは取れないのではないかと思われた。
「い、いいよ」
ハナのおずおずとした声に、セインは「よし」と頷いて横たわるハナのほうへと歩み寄った。
下着姿を見せてしまうことの堪らない恥ずかしさで、ハナはもう目を開けてもいられない。今つけている下着は、この世界にきて買ったものだ。この下着がエルフの世界の価値観で可愛いのかどうかも良く分からない。非常にシンプルな布製の下着は現代の下着と比べて随分と野暮ったい印象も受ける。もし、この下着がセインの価値観から言ってゲテモノ系だったらどうしようとか、そんなことまで考えてしまっていた。
「触れるぞ」
「あ……」
ふと、思い出した――。そう言えば、初めてセインの小屋に行ったときも、こんなやり取りをした気がした。
きちんと、触れるときには、低く、ゆっくりした声で言ってくれる。このセインの声に、不思議と安心すら覚えてしまうのである。
セインの掌がハナの身体に重ねられる。大きく、暖かい掌だった。左の胸の辺りに置かれ、心臓を確認する。
(ドキドキ。止まって――。普通の、診察だから……)
そんな風に頭で思うのに、心臓の鼓動はまったく言う事を聞かない。それどころか、セインに触れられて尚更熱く早くなっていくようにも思えた。
「……深呼吸してみろ」
セインの優しげな声が静かな地下室に響いた。
その言葉に従って、すう、とゆっくり息を吸い、そして吐き出す。
「もう一度」
すう……、はぁ……。
(セイン……)
セインの声は普段のようなぶっきらぼうなそれじゃない。患者のための安心させる頼もしくも優しい、包み込むような声だ。その声が本当に愛おしい。いつまでもその声を聞いていたとすら感じてしまう。
スマホで録音しようか、とかちょっとばかり邪な考えが浮かんでくる自分に心の中にて、己でツッコミを入れる。
「いいぞ、そのままだ……」
すう、はあ、と繰り返し、セインの声に包まれながら、心地よい世界に身を委ねだして、ハナの心臓は少しばかり落ち着きだした。
「心音を調べるから、そのまま深呼吸を続けろ」
すう、はあ、と言われるままに深呼吸を続けていたハナの胸から掌が離れ、ふわりと、セインの顔が、いや、耳が押し当てられた。
「――っ――」
心音を聞くのに、聴診器などないのだったと今更ながらに思い出し、エルフの大きな耳で直に聞くため、胸に横顔を押し付けているセインに、ハナは思わず深呼吸が止まってしまって、閉じていた瞳を見開いていた。
ベッドの上の下着姿の自分の胸に、セインが横顔を押し付けているのが見えた。
セインは半身でハナに覆いかぶさる形で、その顔をハナの胸に押し付けている。
(うわあ! うわあー! おちつけ、おちつけこれは診察、診察なんだ!)
落ち着けと内心で喚きながら、瞳をぐるぐる回して混乱状態から抜け出せない。
すると、セインの左手がハナの頭へ伸びてきて、そのままよしよし、と撫でられた。おちつけ、と言っているのだろうか。
頭から抱きこまれるみたいになって、セインの聴診はそのまま継続した。
(うぅぅ……。セイン、それ逆効果だぁ……)
いっそ気絶でも出来ていれば心臓も大人しくなっただろうに、強欲な少女の意思がこの状況を忘れたくないと妙にはっきりと覚醒してしまうのであった。
心臓がバクバク言ってるままに、どうやって大人しくさせようか戸惑っていると、セインの顔がどうにか離れていった。
結局、最後までドキドキの鼓動は収まらなかった。なんだか、セインに申し訳ないように思って、怒っていないかダークエルフの表情をそっと見た。
「……っ」
見つめたセインの顔も、紅潮していた。口では冷静に、診察医の態度を崩さぬようにしていたが、セインも、意識はごまかしきれない所があったのかもしれない。
そんな状況において、これまでのセインだったら、誤魔化しなどで茶化したりもしただろうが、さっきのハナのお願いがあったためか、セインは結局無言で赤くなった顔をゴシゴシと右手で擦りあげているだけだった。
そんな様子のセインに、ハナは本当のところ、ほっとした。
自分だけが特別に意識をしていたわけではないのだ。セインも、やはりどうしても意識してしまったのだという事実がなんだかおかしくて、そして可愛らしくも思えた。
一生懸命、自分のために冷静に、頑張ってくれていたのだと知って、安心もできた。
妙なドキドキは、どうにか収まってくれそうだった。
「……セイン、もう平気だから、続けても、いいよ」
「……ちょっとタンマ」
どうも、今度はセインのほうが問題ありのようだった。暫し気持ちが落ち着くまで、セインはひたすら壁とにらめっこをしていたのである。
その後は平静をとり戻り、いくつかの検査と質問の後、ハナは服を着替えなおした。
血液を採って、セインは色々な薬と反応させて見たり、ハナがポーションを飲んだときの身体の反応などを細かにデータ取りをしたが、随分と長丁場になった。ハナのほうの検査は十分だと告げて、セインは続けてイホテルートの実験に移る様だった。
だが、時刻は昼を過ぎていて、休憩しようというハナの提案に、二人はそのままマルテカリの町へと出向いたわけである。
昼食時のマルテカリは、食事の取れる店はどこも繁盛していた。
表の通りはほとんど満席でいい店が見当たらなかったが、セインが元スラム街のほうへ行こうと提案し、そちらに出向くと復興中のマルテカリスラムは想像以上に活気に満ちていた。
まだまだ建物はスラムの状態が色濃いが、そこに集う人びとの顔ぶれと表情が違って見えた。
まず、スラム街でエルフの顔が多く見受けられることである。
あの事件が起こる前まではここはダークエルフ以外は誰も近寄らないようなところだったのに、今は教会の神官たちもこの元スラムで食事を取っている様子だった。
「タンネンベルクの影響がでかいらしい」
セインはそう言う。タンネンベルクは、元教会騎士団長で、今は退役しこのスラムの復興のため、その身を粉にして働いているとのことだ。
タンネンベルクは己にも他人にも厳しい男であったが、部下の信頼はあったようで、退役後、ここで居酒屋を開いてからダークエルフ、そしてエルフ共々に飲み食いできる店として賑っていた。
店の中ではダークエルフとエルフが共に食事を取っているテーブルもあった。
それを見て、ハナは自然と笑顔になった。セインもその表情に柔和な笑みが浮かんでいた。
この光景を見たかったのだと、二人は思っていた。
まだまだ小さなコミュニティの一部分でしかないが、確かな功績なのだと実感もわいた。
「おお! 黒の乙女にセインダール」
店の席から声が投げかけられた、その声で店の一同の視線がハナたちに集まって、一瞬でハナとセインは店の中へと引っ張られてしまう。
ハナはすっかりこの界隈では有名人であり、人気者だ。まさにイヒャリテ教区長の思惑通り、アイドル化しているわけだ。
あっと言う間に取り囲まれて、飲めや喰えやと宴会状態になったわけである。
二人は居酒屋の客達の勢いに若干気おされながらも、楽しい昼食のひとときを過ごす事ができた。
慌しくも温もりある昼食を終えた後、ハナとセインは腹ごなしも兼ねて、少し街中をぶらついてから静かな空き地の一角へとやってきた。
ここは以前、月明かりの下で、セインがハナを抱きしめてくれたところだと、ハナは思い返していた。
「すごかったね、居酒屋のみんな」
「ああ、凄かった」
素直な笑みと共に、セインが木の根元に腰を降ろし、木陰の中で風を受ける。
ハナはそんなセインの正面で今の今まで多くの人達からの質問や握手攻めからの心地よい開放感と共に背伸びする。
「ファナ――。前に、お前が何のために錬金術師をやってるんだと、聞いた事を覚えているか?」
「あ、うん。作りたい薬があるんだって言ってたよね」
そう言った時のセインの妙に沈んだ表情が印象的だった。そして、どんな薬を作りたいのかは結局教えてくれなかったのだ。
しかし、今のセインの表情はあの時の真逆だった。こうも素直な表情を浮かべる事ができたのかというほど、セインの顔は仮面を脱ぎ捨てていた。
「俺が作りたかった薬はな、もう必要ないかもしれない」
そう言って、風に銀髪を靡かせて笑う。吹っ切れたという印象をハナは持った。
「何の薬を作ろうとしてたの?」
「肌の色を変える薬さ。ダークエルフの黒肌をエルフの白肌にするものだった。それがあれば、ダークエルフもエルフ社会に溶け込んでいけると思っていた」
確かに、そんな薬があれば、肌の色での差別はなくなるかもしれない。しかし、それは根本的解決にはならないのではないだろうか。たとえ、肌の色を変えたとしてその社会に飛び込んでも、今度はいつ、その秘密がばれないかと怯えて過ごすことになるのだ。何よりも、自分自身を偽ってしまうことが、とても哀しいことのように思える。
「でも、今のあの状況を見たら、そんな薬は必要ないと思えた。だから、俺の錬金術師をやっている理由はもう切り替わってしまった」
「……今は、何のために錬金術をやってるの?」
風が悪戯するみたいに、二人の間を走って、一瞬の間を作り出した。
ハナの問いに、セインは何かを応えようとして、意地悪そうにニタリと笑った。
「……それは……。言う必要がない」
意地悪く笑うセインはハナには解答しなかった。だけど、そう――言う必要などなかった。
それは、言わなくても伝わっている。ハナは言われなくたって分かっていたことだ。
セインは今、ハナのために錬金術の勉強をがんばっているのだから。
イホテルートの調査、そして異世界転移の秘密の解明のため、男はひとつ生まれ変わった。セインは肌を変える薬を作ることを考えていた時とは比べられない明るい顔で笑うのだ。
それが嬉しい。セインが笑っていられる世界に、近づけたのだと、ハナは風に髪を躍らせて、幸せというものに指先が触れたように両手を伸ばすのだった。
「ファナ、俺はアカデミーに行こうと思う。俺は独りではお前を護れないと、思い知らされた」
セインが、男の表情で空を見上げてそう零した。
アイオリアの地下施設にてシグマジャから守り通せなかったことがセインの心を追い込んでいたのである。
だからこそ、この数日は必死に己の力だけでハナの異世界転移の秘密を解き明かそうとしていたのだが、この『独りでやる』という考えが、間違っていたのだと、セインは考えを改めだした。
シグマジャとの事も、独りでは成しえない事ばかりだと分からされ、そして異世界転移ポーションも、己の能力だけでは限界を感じていた。
だがハナを想うあまりに、セインは自分が、自分こそがハナを救いたいと、意固地になっている事に気がついた。そしてそれでは真の意味で愛する少女を救えないと知ったのだ。
この数日、病室でそれを考えていた。
自分の力を知り、人のつながりの強さを認めよう。そう、ダークエルフは先の居酒屋の光景で気持ちを切り替えた。
「異世界転移のポーションの研究のために、イホテルート研究をアカデミーに依頼する――。いいだろうか?」
自分の弱さを知り、そして、人の強さを知った男の、輝く黄金の瞳だった。
なんと逞しいのだろうと、ハナはその男に惹かれた。間違いを認め、自身を認め、他者を想うことの出来る、何者にも勝るその男気に、東雲ハナはただ、受け止めて頷いた。
「アカデミーは錬金術の最高峰でしょ、そんなとこでセインが研究できるなんて、私も嬉しい」
「ああ――俺は、初めてダークエルフの自分の事を、好きになってきたんだ。嬉しいって、こういう感覚なんだな……」
二人は風に吹かれて互いに笑い合う。
そして、ハナもセイン同様にこの世界でやらなくてはならないと考え始めていた事を告白する事にした。
「セイン、私もひとつ知りたいこと、知らなきゃいけないことができた。『黒の魔女』と『血魔術』に関して」
ダレンが付けねらう理由は血魔術の独占によるエネルギーの支配だ。そのために、ハナの血を必要としている秘密結社に対するためにも、己自信、黒の魔女と血魔術の事をより詳しく知る必要があると考えた。
セインは、一瞬口を噤んだ。ハナをあまり傷つけたくないからだ。だが、ハナの瞳は傷つく事を怖れずに、困難への対処のため活動しなくてはならないという覚悟を見せ付けていた。
強い黒の瞳に、セインは応えることに腹を括る。この少女と共に生きて行くのなら、自分にも覚悟が必要だと考えたのだ。そしてそれは、自分ひとりでは成し得ない。虹川党のみんなで共に背負い込んで立ち向かっていく事象なのだ。
「黒の魔女の伝承は、ダークエルフが最も親しい。だが、かつてはダークエルフの深い信仰心を集めていた黒の魔女だが、今はほとんどのダークエルフがその信仰心を欠いている。俺もその一人だ。だが、今でも黒の魔女……そして禁忌とされる血魔術を伝統として継いでいる組織がある。それが、マーチの最南端にある通称『黒の教会』と呼ばれる魔女信仰団体だ」
マーチ最南端。即ち、最もダークエルフの影響力が強い地域である。
マーチの勢力図は北に行くほどエルフの白が埋め尽くし、南に行くほど、黒になる。そして南へ行くほど、治安が悪いと言われているため、最南端は危険地帯とされている。
「危険のレベルが格段にあがる……。今回のシグマジャのことは、間一髪だったが……運が良かっただけとも言える。血魔術は禁忌の秘術だ。知ろうとすれば……不幸が訪れる。苦行になる可能性が高いぞ?」
念を押すダークエルフの言葉に、ハナは恐怖がまったくないと言えば嘘になるが、それでも、血魔術に関しては知るべきだと内側から己の声が激しく訴えるのだ。
無限のエネルギー。それを自分が操作可能なのだとしたら、ダレンのような悪党に使われるわけにはいかない。利用価値があるのなら、それはマーチに生きる全て物を幸福につなげるために使いたい。
考えてみれば、決して枯れない草花の『イホテルート』も無限のエネルギーと考えられる。
ダレンがイホテルートを保管していた事もひょっとすると何か繋がりがあるのかもしれないが、それを知る術は今のところ失われてしまった。
もしかすると、血魔術を詳しく知ることで異世界転移の秘密も解き明かせるかも知れない。――これは希望的観測とも言えるが、価値はあると思いたいところである。
「私は、黒の魔女としてダレンに狙われる以上、血魔術を知っておきたい。そして、シグマジャみたいな哀しい存在を、もう生まないようにしたい」
「分かった。なら、南に向けて旅立とう。……イホテルートの調査が済んでから、だがな」
目的地は決まった。目指したいものがおぼろげながらに見えてきたとき、その足取りは強くなる。そして、同時に切なくもなる。
ゴールが見えると、そこにたどり着くまでに懸命に駆ける――。しかし、その道程が愛おしいものであった場合、終点に辿り着く事が寂しくも思えるものだ。
ハナとセインの二人にとってそれは、別れを意味する。
二人は別れるためにゴールへ向かって歩いているのだ。二人はもちろん、その事を分かっているのだ。しかし、今はその時の事を考えたくは無い。
いや、例え別れる定めだとしても、二人はその瞬間、後悔ないしないために、この道を歩んでいくのだと、互いに想っていた。大切な一歩一歩のストライドを、遺す様に――。
それから更に数日後、虹川党はアカデミーへと旅立った。アカデミーへのアポイントは、例の教授であるモンテノーが取り持ってくれたらしい。
虹川党からのイホテルート調査依頼の話がアカデミーに舞い込んだ時、モンテノーはこうなることが分かっていたように、根回しすら済ませていたようだった。
虹川党一同が、アカデミーの門をくぐった時に出迎えたモンテノー教授の第一声は「のんびりだったね」と云うものであった。
人の食えないモンテノー教授に、セインは歩み出て、そして意外にも、頭を垂れて教示を求めたのである。
「セインダール・ウィドリャンタス・ラーメンをあなたの下で学ばせてください」
そう名乗ってモンテノーにダークエルフが深くお辞儀をした時、誰もが驚いた。あのセインがこうも素直に教示を請うとは想像だにしなかったのだ。
大切なものを護るため、幸せを勝ち取るために、男はひとつ成長したのだろう。
――ゴズウェーと呼ばれたならず者のレッテルを貼られた青年――。
そんな彼が社会に交わり、生きていくため、第二の人生の幕開けとも呼べる一歩を踏み出した瞬間であった。
「歓迎しよう。我らアルケミストは、知識を刺激するモノをなんであろうと求める。即ち、好奇心の兄弟よ」
モノクルをきらりと光らせて、モンテノー教授は両手を広げ、虹川党を歓迎して見せた。相変わらずどこか芝居がかった仰々しい立ち振る舞いと物言いに、モンテノーはどこまで真剣に対応しているのか図りきれないが、それでもセインは「ありがとうございます」と例を述べてみせた。
こうして、ハナ、セインダール、ヨナタン、アッシャの四名はこれから数日、錬金術アカデミーで過ごす事になるのであった。
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