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異世界転移の謎と、ノメェーグリュ
セインがアカデミーに入り、イホテルートの共同研究が開始されて四日目であった。アカデミーの一室に集められた虹川党一行は、モンテノーとセインを教壇に立たせて、ハナ、ヨナタン、アッシャは生徒机に腰掛けていた。
アカデミーには既に別のイホテルートを保存していたので、それと比較検証を行った結果をモンテノーが説明することになったのである。
「……と云うわけで、イホテルートとは言っても、元々の植物の成分により効能はまるで違う事が分かるわけである。ここまでで質問はあるかね」
手元の資料とモンテノーの説明を照らし合わせて、解説を行われたのだが、ハナにはちんぷんかんぷんで理解不能であった。
めんたまを点にして、資料を見ているだけで、まるで頭に入らなかった。
ヨナタンも、錬金術や生物学などは専門外で、完全に理解できたとはいえないが、大雑把な理解を確認するように、モンテノーの説明に対して発言した。
「つまり、イホテルート甲には、A、B、C、Dの成分が含まれているが、今回回収したイホテルート乙にはW、X、Y、Zの成分が含まれていた。両者はまったく違う植物であるから当然である。この認識で合ってますか?」
「そうだ。つまり、一概にイホテルートで錬金術を行うにしても、枯れない植物の元になった成分が表向きに出てくるため、まったく違うポーションが作られてしまうということになる」
「両者に共通する項目などはないんですか?」
アッシャの疑問に、セインは「そこなんだが」と言って研究の結果報告を纏めるように、告げる。
「イホテルートは、無限の生命力を持つという共通項目以外は、まったく共通性がない別の植物である、という認識で間違いない。そして、この無限の生命力を持つ、イホテルートを錬金術素材とする事で、かのエリクサーが作成できるという結果は出た」
「えりくさ……?」
ハナが聞きなれない単語に首を傾げると、アッシャが補足するように教えてくれた。
「エリクサーは全能薬と呼ばれる希少な薬です。どんなキズや病気もたちどころに回復すると言われてます」
神秘の秘薬であるエリクサー精製は、高度な錬金術の技術と知識を必要とする。希少なイホテルートがかけ合わさって作成する事ができるアルケミストの究極的ポーションのようで、これを作り出すだけでも偉大な功績として認められるとモンテノーがアッシャの説明に付け加えた。
「そんなに凄い薬品が作れるんなら、異世界転移のポーションも出来上がるんじゃないかな」
ハナの希望的な言葉に、モンテノーは首を振りながら「残念だが……」と否定する。
「キミ達が求める異世界転移……そんな症状を生み出すポーションなど、錬金術では作成できないと断言しよう」
その言葉にセインは隣で苦い表情でうつむいた。
モンテノーには、ハナの事情を説明した。異世界から人間で、きっかけはおそらくポーションだったという事。そして、ハナの血の事も説明に付け加えた。
モンテノーはハナの身体を隅々まで調査させて欲しいと、マッドな眼差しで提案してきたが、セインが「それなら細かいデータがここにある」と事前に調べたハナの身体調査の結果を見せてやることで収まった。
ひょっとすると、セインはモンテノーにハナを直接調査させたくなくて、ハナの事を事前に細かく調べたのかも知れないと考えられた。
しかし、そうまでして事情をさらけ出したにもかかわらず、モンテノーとセインの出した研究結果の回答は「異世界転移ポーションは存在しない」という振り出しに戻るようなものだった。
セインはそれでも、何か可能性はないかと錬金術の本を漁ったが、漁れば漁るほど、「そんなものは作れない」と云う事実が固められていくようだった。
頼みの綱であるアカデミーですら、不可能という回答を持ち出してしまい、八方塞がりになってしまったのである。
「じゃ、じゃあ……イホテルートは異世界転移に無関係ってこと?」
「イホテルートというか、ポーションで転移という事がありえない」
「でも、私が飲んだ賞味期限切れの牛乳は、間違いなくこの世界のポーションの感覚だったよ」
ハナのその言葉にセインもモンテノーも「ううむ」と唸るだけだった。
元々イホテルートが異世界転移に関係があるかもしれないと提案したのはヨナタンで、彼もポーションで異世界転移など不可能という認識はあったが、異世界から来た女神イホテの伝承にかけて、神の御業で成すしかないという考えからきたものであったから、正直なところこの結果に、「矢張りか」という気持ちがあった。
とは言え、そんな事は口には出せず、何か可能性はないものかと頭を捻るが、どう考えても異世界への転移などは魔法技術でも難しいと考えられた。
「問題にあたった時、答えが出ない場合は、まず前提条件が間違っているものだ」
思考の渦に飲み込まれている一同に、モンテノーがそう助言した。
解けない問題はない。もし、それが解けないのならば、問題自体が間違っているのだという持論の生み出す言葉であった。
「前提条件って?」
「ポーションがキミを転移させたという事が間違いではないかな」
そういわれても、あの牛乳を飲み干した実感は、この世界のポーションと全く同じと断言できる。あれは間違いなくポーションだったとハナは確信している。
――でも、教授の言うようにそれが異世界転移の条件ではなかったとしたら、他に考えられるものなんだろう?
「キミ、裸だったかね」
モンテノーがハナをじろじろと見つめながら、突然突拍子もない事を言ったので、ハナは「は?」と間抜けに返事をしてしまった。
「こちらに来たとき、全裸で来たのかね。それとも、服を着ていたのかね」
「着てたよ。私の世界の学校の服」
その言葉にセインも「俺もこの目で見たから間違いない」と言った。だが、それが何の関係があるというのだろうか。
「ポーションは肉体にのみ作用する。仮にだが……異世界転移ポーションがあるとして、肉体を移動させることが出来ても、衣服などは移動させる事はできないと考えるね」
「そう、だな……根本的な話だが、それは当たり前な事だ……ポーションはあくまでも薬品だ。飲んだ人間の肉体にのみ作用する……」
ハナもなるほど、とは思ったがその辺りはファンタジーな力が働いたとか、おぼろげな印象でしか考えていなかった。しかし、リアルに考えると、美肌サプリを飲んだとしても服装まで綺麗になるわけではないのだから、実に当然の話だ。
前提が間違っている、というモンテノーの言葉は、その通りかもしれないとハナに考えを改めさせた。
しかしハナの知識ではその答えにいたるはずもなく、手元のイホテルートの資料を見ながら、溜息を吐き出すしかなかった。折角苦労して入手したイホテルートが何の関係もなかったとは、骨折り損のくたびれもうけだ。
「はあ……。なるほどなあ、確かに服まで転移するのはおかしいといえばおかしいかー……」
――と。
自分の落胆の溜息を吐き出しながら言葉を耳で受けて、「あれ?」と何か違和感というか、気がついたことがあった。
(……あれ? 今、私、何か矛盾に気がついたような――)
手元のイホテルートの資料をぼんやりと見つめていたハナは、そこでハっと思い出した。
転移するときに服装を着ていた――。
「あっ! まさかっ!?」
ガタン、と席から立ち上がってハナは手元の資料を掴んで指差した。
「そうだよ! 転移ならあるじゃん、この世界! 金魚蜂にかけてあった符呪!」
「え? ああ――あの転移のワナか――! なるほど!」
セインとハナは二人で指差しあって弾けるように思い出した。アイオリアの地下施設でハナが<転移>のワナにかかった事を。
「<転移>魔法なら服も一緒に転移していたよ」
問題が解けないなら前提条件に間違いがあるという言葉に、導かれたどり着いた答えはポーションが原因ではない、ということであった。
即ち――イホテルートを入れていたツボに符呪してあったように――。
「牛乳が原因じゃなく、牛乳瓶が原因だったのかも知れない!」
今度こそ回答を得たとハナは喜びの色を滲ませた声で言うのだが、そこにヨナタンが立ち上がって発言した。
「お、お待ちください! 確かに<転移>魔法はあります。しかし、それはかなり高度な呪文が必要な上級魔法であり、それであっても、精々数百メートル程度の転移しか出来ません。次元と空間を飛び越えて転移する<転移>魔法はありえませんよ!」
ヨナタンの言葉に、ハナの表情が喜びから冷めていく。元々、異世界転移の秘密は魔法にあるんじゃないかと召喚魔法を調べたりした過去もある。その結果、そんな魔法はないというヨナタンの前提の元、この旅は始まっているのだ。
「あの、魔法でも、錬金術でもできない、不可能と言ってますけど……両者を掛け合わせることで、生み出せるものもあるのではないでしょうか?」
アッシャはほとんどハナに対する励ましのつもりでの発言でそう言った。実際に、魔法と錬金術の混合法で異世界転移が可能になるかどうかなどはさっぱり分からない。
しかし、その発言にモンテノーが「ほぉー!」と面白そうな声をあげた。
「魔法と錬金術の混合法か。中々面白い事をいうな。元々、魔法はエルフ発祥の技術、そして錬金術はダークエルフの秘術であったことから、両者はどこか互いに避けあっているわけだが、共に共同開発するという発想は実に虹川風であるな」
モンテノーが瞳をギラギラと輝かせ始めて、アッシャの思いつきのような提案に一気に興味を持っていかれたようだった。
錬金術と魔法の競合はこれまで実践されたことはない。どちらも互いに、魔法こそが錬金術こそが、という空気があり、共同作業など考える人間はいなかったためだろう。
閉鎖的なマーチのエルフとダークエルフの思想はこんな所にも滲み出ているらしい。
それを虹川党の一員が提案するのだから、教授の言った『虹川風』という表現は面白いなとハナはなんとなく考えていた。
「魔法技術の協力を得るならば、クエストランの魔法大学に頼みたいところではあるね」
「大学ならば、私にコネがあります」
ヨナタンが挙手してモンテノーへ進言した。とは言え魔法大学と錬金術学会の共同作業など、これまでの歴史上なかったことだ。コネがあるからと、すぐにそれが実現できるかは分からない。
それに、ヨナタンにはひとつの心配事があったのだ。
――みんなには知らせていないが、虹川党の活動はクエストランの長老会にはあまり良い印象を与えていないようだった。エルフの色が強い最北のクエストランは、ダークエルフとの共存を訴える虹川党の動きは好かれる物ではない様だ。
近頃はかなり虹川党の宣伝が広まりだし、ひょっとすると、北からの妨害工作も始まるかも知れないとイヒャリテの教区長から念を押されていたのである。
今回報告した人造人間とダレンの脅威を世界的に報せる事で、クエストランも考えを改め、異種族だからといがみ合っている状況ではないという事を伝えられればいいのだが。
「ヨナタン君。少々、キミの魔法知識を借りたい。セインダール共々暫く研究に力を貸してくれないかね」
「それは、やぶさかではありません」
「よし、では早速異世界転移の秘密を探ろうではないか。次元の壁を越える転移は不可能と云ったが、例外もあるだろう召喚魔法とかさ……」
「ええ、しかし、召喚魔法は過去ネクロマンシィと呼ばれていた事をご存知ですか? あれは厳密には死霊を現世に呼び戻す魔法であり……」
「なら、魂だけは引っ張れるって事だろ。錬金術には精神作用に大きく影響を与える物だってあるから、アストラル学の応用で……」
男性達は研究の議題に熱が入り始めたようだった。こうなるとハナとアッシャは完全についていけない。ハナの使う魔法薬品の開発であるのに、もう男性の気持ちはまったく彼女たちを見ていなかった。
「…………だいじょぶかな、これ」
「ど、どうでしょう……。……これ以上私達がここに居てもあまり役に立てなそうですし、お暇しましょうか」
「だね……」
議論を白熱させる男達を置いて、少女二人は教室から抜け出る事にした。
願わくば、この共同開発が実を結ぶ事を祈り、――ハナはやっぱり教室は苦手だなあと考えていた。
**********
アカデミーの教室から抜け出た二人は、異世界転移とは別に調べたいと考えていた事があった。
それは即ち、『血魔術』の事である。アッシャと共に、ハナはその調査を行いたいと述べて、二人は黒の魔女の事を調べるべく、アカデミー内の資料室へと足を運んだのであった。
「ごめんね、アッシャ。つき合わせちゃって」
「いいんですよ。……友達じゃないですかっ!」
友達、という表現にテレながら、アッシャが赤くなって言ってくれたのがハナは嬉しい。今度、アッシャが依頼へ出向く時は協力しようと心に誓い、ハナは黒の魔女に関する書籍を探して資料室をうろつく。
資料室内には管理者と思しき高齢のエルフの他、学生達もちらほらと目的の資料を探すために書棚を見て回っていた。
「ファナ、ありました。やはり、錬金術学会ですね。ダークエルフの資料も豊富です」
「あ、そっか、錬金術ってダークエルフの秘術だったんだもんね」
アッシャがダークエルフの文化に関する資料を見つけて持ってきてくれた。
資料室の脇に設置してある円卓で二人は陣取ってその資料を読み解いていく事にした。
どうやらこの資料はダークエルフの過去の文化などを記録したもののようで、エルフがやってくるまえのダークエルフ達がどのような暮らしをしていたのかなどが記載されている。
著者はエルフらしく、かなり隔たった見解の元に書かれた資料になっていて、鵜呑みにはできそうにない内容であった。
例えば、ダークエルフは土に穴を掘って眠るとか、食べるものがない場合、共食いなどをしていたとある。
さすがにそれはないだろうと、ハナは半ば呆れながら、アッシャも複雑な表情で資料の頁を読みすすめていくのだが……。
「……こんな風に書かれていたら、エルフがダークエルフを毛嫌いするのも仕方ないですね」
アッシャが哀しげに零して、小さな溜息を吐いた。自分の種族の事をまるで野獣のように描かれていたら参ってしまうのは当然だろう。
ハナだって、日本人は粗野で知性的な生き物ではないなどと書かれていたら、その本を燃やしてやりたくもなる。
こんな本が出回って、風評被害を拡大させているのだとしたら、なんとも悲しい話だ。
とは言え、これが現状のマーチの常識なのだ。互いの事を良く知れば、けしてそんな事はないとすぐに分かるのに、一部の人間の偏見が全ての人間の常識に影響を与えだしてしまえば、たちまち社会は盲目になるのだ。
常識や普通は、即ち、盲目なのかもしれないと、ハナはらしくもなく哲学的に考えてしまった。
そうさせてしまうほど、隣の友人の瞳が哀しげだったせいもあるだろう――。
「ありました。黒の魔女信仰に関してです。ダークエルフの崇める黒の魔女は、奇怪な魔術を使役し、信心を集めていた。人びとの血液を用いて生み出す魔術を血魔術と呼称しており、実在した一人の女性であったことが確認されている……」
黒の魔女は本当に、過去、このマーチに存在していたらしい。かつて、まだエルフがマーチにやってくるずっと前に、このマーチに現れた黒い髪の女性で、その名をダークエルフ達はノメェーグリュと呼んでいたとのことである。
「ノメェーグリュ? い、言いにくいな」
「え、そうですか? 普通だと思いますけど……」
東雲ハナとこの世界の人びとが呼称しにくいように、ハナもこの世界の独特の名前には少々言いにくいところもある。セインダールの幽霊苗字も『ラーメン』と読解しているが、実際に口に出すと『リャゥアミェン』のように、少々日本人には発音しにくい感覚なのだ。パスタの『カッペリーニ』は日本人向けに訳した言葉で本場では正しくは『カペッリーニ』のほうが近しい。そんな感じでハナの耳には『ラーメン』で受け取られている。
「ノメェーグリュ……、ノメェーグリュねえ……うーん。どっかで聞いた事があるんだよなー……」
「ええっ? どこでですか?」
腕組してうんうん唸るハナであったが、考えても明確にどこで聞いたのか思い出せない。でも確かにどこかで聞いたはずだと頭の中で妙に気になって仕方なかった。
この世界にやってきてから聞いたのは間違いない。それはなんとなく分かるが、いつ、どこで聞いたのかさっぱり出てこないのである。
「ノメェーグリュさんは、どういう人だったんだろう。ダークエルフから信仰されるくらいだから、何かしらすごい人だったんだろうね」
「えーとですね。黒の魔女は、血魔術を利用してダークエルフに様々な恩恵を与えていたとありますね。生きた人間の血肉を使って、心臓を捧げる生贄の風習もあったと書いてますけど……この著者の言葉をそのまま受け取るのは私はちょっぴり疑問なところですけれど……」
生贄とはまた物騒な話だが、現代日本だって生贄の風習があったと言われる場所などもあるし、本当のところは分からない。
しかし、ハナの持つマナを吸い上げる血魔術を考えると、血液を利用するのは確かにありそうだから、そこから尾ひれがついてこんな伝承があるのかもしれない。
黒の魔女は血魔術により、ダークエルフに様々な文化を与えたようだ。時を止め、空間を切り取り、魂をも自在に操ったという。
ハナの血魔術はマナを吸い上げるだけだから、ノメェーグリュのような凄まじい能力はないようだが、そんな事を本当に出来たのであれば、それは確かに信仰の対象にもなるだろう。
「くっ、黒の乙女!?」
突如資料室に響いた素っ頓狂な声にハナとアッシャだけでなく、周囲の学生たちが一斉に何事かと反応した。
ハナが声の主を見つけて、「あ」と思わず困った表情を作ってしまった。
そこに居たのはあのアイドルヲタク学生であるトッドだった。
キャンプ地で握手をねだってきたトッドは、あの時同様の表情で、感激のあまりに大きな声を出してしまったらしい。
「あ、あか、アカデミーにいらしてたんですかっ」
「え、うん……もうここに来て四日くらいたってるけど……」
「ま、全く知りませんでした……! まったくここの学生ときたら錬金術にしか興味がないんですかね! 黒の乙女がここにいるって言うのに!」
トッドが憤慨しているが、寧ろそれがアカデミーの学生であるべきだろうとトッドにあきれてしまった。
それから、トッドはキョロキョロと見回して、誰かを探し始めた。
おずおずとハナに寄って来て、小さな声で訊ねる。
「あの……護衛のダークエルフはいないんですか?」
セインの事だろう。以前、握手をねだろうとしてセインに強かに対応された事を思い出したのだ。
「セインだったら、今はモンテノー教授と研究中……」
「そうですかあっ!」
その言葉で一瞬にしてぱっと明るい表情に変化したトッドはいよいよハナのほうへ擦り寄ってきて、興味深そうに覗き込んできた。
「こんな所にいらっしゃるという事は、何か調べ物ですか? 私の知っていることであれば何でも教えますよっ」
「あ、あんがと……。今はノメェーグリュの事を調べてるんだけど……」
トッドのテンションの高さに少々引きながら、色白なファンにどう対応していいやらわからず、汗を垂らすハナ。
トッドは、ハナの言葉にいちいちオーバーリアクションで反応して、一人興奮しながら、『ノメェーグリュ』のヲタク知識を教えてくれる。
「ノメェーグリュと云えば、なんと言ってもあの預言書でしょう!」
ヲタク特有の雑学の多さと独特のノリから伝えられた話の一部に『預言書』なるものがあった。
なんでも、黒の魔女こと、ノメェーグリュは預言者としても有名だったらしい。
1999年、地球が滅ぶと予言したというノストラダムスと似たような感覚らしいが、ノメーグリュが遺した詩集がその後に起こる様々な事件を予言していたというのだ。
少々眉唾な話だが、異世界ファンタジーなこの状況で、予言というものがどのくらい信用できるものか図りきれない。
禁忌の魔女というだけではない側面もあったことに、ハナはちょっぴり興味が湧いて、その予言の話に食いついてみた。
「預言書の原本はクエストランで保管されているらしいんですけどね、読み解かれた詩の一部は写本としてマーチ中に出回ってるんですよ」
「アッシャ知ってる?」
ハナの質問にアッシャは首を小さく振った。そんな雑学を仕入れているような人生ではなかったので当然ではある。
目の前の少女達が知らない、と言い、トッドの言葉に興味津々な様子に、ヲタク学生は血液がどんどん熱くなる感覚だった。
己のヲタクトークを麗しの黒の乙女が、可憐な瞳をクリクリさせて訊ねてくる(ように彼には見えている)のが堪らないのだ。
「写本は……ここには置いてないんですけどね。多分、マルテカリの本屋とかには売ってると思いますよ。有名なのだと、いずれ人類は魔法を失うだろうって奴ですねえ。それっていつだと思います? なんと、預言書には来年に起こることらしいですよ! 怖いですよねェ!」
怖いという割りに、笑顔で面白そうに話すので、トッドはこの予言の事をやはりエンターテイメントくらいにしか考えていないようである。
それに関しては、ほとんどの人が同じ印象を持っているようではある。
魔法が失われるなどありえない――と、考えているのだ。
そうは言ってもマヌケという疾患はあるわけで、完全にありえないと言い切れないというこの一筋の予言の可能性がロマンなのだとか。
……トッドはそういうが、魔法が失われるという予言に、ハナは内心並々ならぬ不安が過ぎった。
もし、……もし、ダレンが自分を捕らえた場合、確かに一年後にはこの世界のマナを奪いつくすような活動を起こしかねないとも思えたからだ。
……そう、予言の可能性はまさに、『ありえる』と考えさせるところがミソなのだった。
ハナは、この『預言書』に俄然興味が湧いてきた。ただの眉唾エンタ本とは思えないのだ。
そして、ひとつの推理が浮かんだ。
(そういえば、セインが言ってた……)
以前、セインはダレンが自分を狙っている可能性の話をした時、秘密結社が媚薬を欲していたのは、元々ハナを標的にしていたためではないだろうかと言っていた事を思い返す……。
だが、もしそうだとしたら腑に落ちないことがある。
ダレンがハナに対して媚薬を使うつもりだったのなら、タイミング的に矛盾が発生するのだ。
ハナがこの世界にやってきたその日に、セインはすでにダレンから媚薬の作成の依頼を受けていた。
ハナが、この世界にやってくるという事を知っていないと、準備しようがない話だと思ったのだ。
(もしかして、ダレンは預言書を……?)
ハナの推理はちょっとばかり突拍子がないものだったが、それでもダレンがハナを狙うタイミング、切欠となったものはなんだったのだろうという疑問は、なにかしら重要なものにつながるのではないだろうかと少女の表情を真剣にさせるだけのものがあったのである。
「あっ!?」
そこで不意に思い出したのだ。
あまりに急な声にアッシャもトッドも驚いた。
「ど、どうしました?」
「思い出したんだノメェーグリュ! どこかで聞いたと思ったんだよ!」
そう、ノメェーグリュの単語は、本当に随分前に聞いたものだった。
それは、この世界に到着してセインと出会い、ほんの数分で彼の口から耳にした言葉だった。
「私が最初にいた場所が、ノメェーグリュの祠だった――」
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