キミの足元に映るもの

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キミの足元に映るもの

 資料室で飛んでもない事を思い出したハナは、その勢いでセインの元へと駆け出した。  まさか、と云うより、どうして気がつかなかったんだと慌てていたのである。  こんな異常な異世界転移なんてわけの分からない事象の当事者でありながら、その出発点をうっかりと忘れてしまっていた。  何よりも重要視するべきだった、自分が最初に転移した場所――。  なぜ、あそこだったのか?  そして、そこはどうして『ノメェーグリュの祠』という名称だったのか?  あのほら穴にあった石碑には何か文字が彫られていたじゃないか。 (今思い出せば分かる……。あの石碑に彫られてあったのは、この世界の言葉だ。でも、なんて彫られていたのか思い出せない!)  あの時は、異世界転移した驚きとめまぐるしく展開する周囲の事件に、光苔に包まれた石碑のことなどすっかり忘れ去ってしまっていたのだ。  だが、セインだったらあの石碑の文字を覚えているかも知れない。そう考えたハナは、資料室を飛び出して、セインたちが議論していたあの教室へと向かったのだった。  アカデミーの廊下を慌てて走っていると、突如、ピシャリと女性の声で注意された。 「廊下は走らないッ!」 「はッ、はい!」  思わず返事してしまった。  急に注意されたせいで、若干足がもつれてコケそうになってしまった。小学校の頃に先生に怒られたような感覚でおずおずと声の主へと向き直る。  そこに立っていたのは、金髪ですらりとした体躯に白いローブを纏ったエルフの女性だった。鋭い眼光はまさに女教授の厳しさを携えていて、身長もハナよりも高い。百六十八~九センチと云ったところか。  切れ長の目じりと、鋭く整った鼻先、細面の女性はキリっとハナを睨みつけていた。 「す、すいません。シルヴィアさん……」  ハナも彼女には敵わない。その叱責に大人しく頭を下げる。  彼女の名はシルヴィア・フランシス・デイヴィス。あのモンテノーの助教授であった。  このアカデミーにやってきた虹川党一行を滞りなく招き入れるために、色々と助力してくれたのが彼女だった。  モンテノーがあの性格であるため、どうにも手続きや交渉などは不得手である。そのための補佐役としてシルヴィアが様々な手伝いをしているのである。  シルヴィアは、モンテノーとは対照的に、厳しく、何事も規則にしたがい、パリっとした態度を示す女性であった。少々生真面目すぎるとモンテノーは言ったが、そんなモンテノーに対しても鋭い視線を投げかけ「教授がだらしないだけです」とピシャリと言ってやった姿は、単に助教授というだけではない二人のバランスが見え隠れしていた。 「何を急いでいるんですか」 「え、えっと……セインに聞きたい事があって……」 「セイン、ヨナタン、それから教授は先ほど実験棟へ向かわれましたよ。これから繊細な実験をするらしく、誰も通すなとおっしゃってました」  ツラツラと説明してくれたシルヴィアに、ハナは慌てていた気持ちを落ち着けて、「あー」と溜息を吐き出した。  間が悪かったようだ。別に今すぐ確認したいわけでもない。後ほど、セインに聞いてみればいいだけだ。今度は忘れないようにしようと、自分に戒めをして、セインへの面会は諦める事にした。 「急用だったのですか?」 「あ、いや。だいじょうぶ……」 「だったら! はしたなく乙女が大股で走り回らない!」 「はっ、はいぃっ……」  厳しい声で両断されるみたいに、ハナはシルヴィアの叱責に更に頭を下げた。 「あなたの事は分かっておりますが、ここはアカデミーです。節度を持って行動してくださいませ」 「すいません……」 「分かれば宜しいのです。……ところで、ファナさん。今、御時間宜しいですか」 「え、はい……?」  てっきり、注意されてそれで御仕舞いだと思っていたハナは、表情を堅くしてシルヴィアを見つめ返した。説教はまだ続くのだろうかと悪戯小僧みたいにジト汗を垂らして視線を彷徨わせてしまうハナだったが、シルヴィアはそんなハナの反応を見下ろしながらやはりツラツラと言った。 「学会長がお会いしたいとの事です。ご足労願えますか」  その言葉でハナは別の意味で、表情を固まらせてしまった――。    **********  錬金術アカデミーの最も偉い人、それが学会長であると説明は受けていた。  多分、学校でいうと校長先生みたいなものかなと適当に考えていたハナだったが、もちろんそんなレベルの偉い人ではない。  これまで多くの功績を得た、錬金術師のカリスマであり、このマーチ全体の錬金術師の最頂点であるマルテカリ錬金術アカデミー長なのだ。  アカデミーの正門には銅像も立っていたし、その名を聞いて知らぬものはいないとすらされる歴史的にも名を残す人物であった。 (……なんでそんな偉い人が私に? セインだったら分かるけど……正直、どう対応したらいいか分かんないんだよな……)  シルヴィアに連れてこられて、アカデミーの会長部屋までやってきたハナだったが、煌びやかな廊下に目を奪われる事もなく、なぜ自分が呼びつけられたのかとそればかりで変な汗をかいている始末である。  トントン、とシルヴィアがノックし、「シルヴィアです。ファナさんを御連れしました」と告げると、「どうぞ」と短い女性の声が返ってきた。  華麗な装飾に彩られた扉を開くと、シルヴィアはハナを先に通し、その後にシルヴィアが扉をくぐった。  扉の奥へと進んで、ハナはやっと周囲の光景に息を飲んだ。  鮮やかな絨毯が敷き詰められ、高価であろう家具がキラキラと光沢を放っていた。ここだけひとつの大豪邸の一室みたいに飾り付けられているのだろうか。これぞ、まさに異世界ファンタジーの夢の世界、乙女の夢見る貴族の空間という印象だった。 「こんにちは」  部屋の奥のソファに腰掛けていた老婆がひらひらと優雅に手を振っていた。  彼女こそ、錬金術学会の会長であるトゥッティ・セクエンツァ・アゴーギクであった。  銅像を見た時にも思ったが、まさか女性がこのアカデミーの会長とは思わなかった。ひょっとすると、錬金術にかなりストイックな人なのかもしれないと、セインやモンテノーを見ていて想像していたハナだったが、ソファに座って柔和な笑顔でしわしわの手をふりふりする姿は、不思議とチャーミングに見えた。 (あ、なんか、やさしげなお婆ちゃん……)  そんな風に思いながら、ぺこり、とお辞儀をするハナであったが、彼女はとても偉い人なんだと改めて考え直し、緊張を強めてしまう。 「おかけになって」  ふわりとした誘いに、ハナは「アッハイ」と妙にカチコチな返事をして、緊張しっぱなしの四肢をギコギコ言わせながら学長のソファの前に腰掛けた。 「挨拶がおくれてしまってごめんなさいね」 「い、いえ。こちらこそ。あ、改めまして、虹川党のファナと、言います」 「ええ、ええ。なんだか凄く有名人らしくって、ごめんなさいね。私、あんまり流行とか疎くて」 「いえ、有名人じゃないです。ちょっと珍しいタイプなだけだと思います……」  和やかな口調のマドモワゼルといった雰囲気の錬金術師会長はしわしわの手を口元にあて、ほほほと上品に笑う。見た目だけならTVで良く見るの毒舌な某夫人に似ているが、柔和な口調が対照的だった。 「お話があるって聞いたんですけども」  どうにも目上の立場の人間に対する対応が苦手なハナは居心地悪そうにトゥッティ会長へ上目遣いに窺った。完全に職員室に呼び出された悪ガキという感じでハナは殊更に参ってしまう。 「そう、そうなのよ。ああ、シルヴィ? ちょっと説明していただけませんか?」 「はい」  シルヴィア助教授がしなやかに会長の後ろに立ち、ハナへと適切に今回の呼び出されたわけを伝えてくれた。  ここ数日、マルテカリでアカデミーの新薬の治験者を募集するべく広告を出していたが、それを見たダークエルフがアカデミーにやってきたらしい。その事情はハナも知っていた。マルテカリの教会前に看板に張り出されていたはずだ。  広告をみて、ここまでやってきてから、数日、身体検査も順調ということでいよいよ治験に入ろうとした矢先であった。  その治験に参加したダークエルフ達にある噂が広まって、協力に否定的になったというのだ。 「……その噂というのが、例のアイオリア実験施設のことなのよ」  ハナもなるほど、と察する事が出来た。あの事件はここ錬金術アカデミーでも調査をしているわけであるが、どこからか、事件の情報が漏れてしまったのかもしれない。  あの地下施設で奴隷のダークエルフを使った非人道的実験が行われていた事が、噂となってダークエルフに伝わってしまったのであろう。  もしや、自分達も不気味な実験に利用されるのではないかと不安が渦巻きだし、治験への協力を拒否しだしたらしい。  もちろん、アカデミーで行われる治験は、違法性なものではなく、マナ増強剤のポーション実験でしかない。しかし、芽吹いてしまった暗い噂に疑心暗鬼が発生してしまったようなのだ。 「きちんと説明はしているんだけど、エルフのいう事は信用できないという具合なの。そこで、あなたの話を思い出したのね。あのマルテカリスラムでダークエルフを襲った巨人を踏み潰したとか?」 「いや、その話はちょっと誤解があると思いますが……」 「まぁまぁ、事実はこの際、あまり関係ないの。重要なのは、あなたがダークエルフ達の女神様ということよ。あなたの言う事なら、この問題も素直に聞いてくれるのではないかと思って。どうかしら、ダークエルフとの仲人になっていただけませんこと?」  アカデミーとダークエルフ間の仲人の依頼に対して、ハナは拒否するつもりは全くなかった。何よりそれが虹川党の本分であるし、ハナ自身としても取り組みたい問題のひとつである。  会長の言葉に、ハナは二つ返事で頷いた。――あと、スラムであった対決の内容は、一応きちんと説明しなおした。会長は皺だらけの表情を朗らかに、「あーらまぁ」としか返事しなかったが。  会長の部屋から出ると、そこでアッシャが慌てた様子でハナに何があったのかと窺ってきた。セインの元へ向かったと思ったら、会長室に呼び出されていることを知りかなり動揺したらしい。  一言謝って、会長からの依頼の話をアッシャに伝えると、「虹川党の腕の見せ所ですねっ」と腕まくりしたのが、なんだか可愛らしかった。  そんなわけで、ハナとアッシャは、シルヴィア助教授に連れられて、ダークエルフたちが過ごしている病室へと向かう事になった。  病棟は実験棟からは離れていて、セインとの合流は遠のいたが、今はこちらの問題に向き合う事が何より重要にも思えた。セインにノメェーグリュの祠の事を聞くのを忘れないようにしようと思いつつ、ハナは病室のドアの前で一呼吸整えた。  シルヴィアがノックして、ドアを開けると、そこは清潔感漂う白の病室だった。  真っ白の布団が敷かれている上に、ダークエルフ達が横になっていた。部屋に入って来たハナを見止めると、その身をがばりと起き上がらせて驚きの声と溜息がざわざわと病室に満ちていく。  人数は十名だ。老若男女問わず、ここに一緒にいるようだ。最初は男女は別れて部屋割りしていたが、ダークエルフ側から、できれば一緒がいいと言われたらしく、この状態になったとのことだった。  どうも、最初から警戒の色はあったようで、男女で分けられる事が人質を取られる可能性に繋がるのでは、と邪推していたのではないか、とシルヴィアは入室前に話してくれた。 「え、と、こんちは。虹川党のファナです」 「おおおっ、黒の乙女! な、なぜこんなところに!?」 「か、感激です」  ダークエルフ達はみんなベッドから起き上がり、床の上で土下座する勢いでハナに頭を垂れてくる。テレビで見た被災地に赴いた政治家みたいな扱いに、ハナは少し感覚がおかしくなりそうで、「そのままでいいから」と慌てて手をぶんぶん振った。 「あの、みんなはここに新薬の実験のための協力にきたんだよね?」  いつまでも崇められていても話が進まないので、ハナから問題を提示した。すると、ざわめいていたダークエルフたちが急に静まり、ばつの悪そうな顔になる。  そして、何かを言おうとしているが、モゴモゴと言葉になっておらず、喉の奥で消えていく。その視線はハナではなく、シルヴィアに時折、チラチラと向けられ、警戒しているようにも見えた。  それをシルヴィアも感じ取ったのだろう。「私は教授のサポートがあるので、これで失礼します」と手早く退出した。やはり、事前に知らされたように、ダークエルフ側に、エルフに対する不信感が強まっているようだった。  部屋の中にいるのはハナを除けば、アッシャも含めてダークエルフだけになった。それで彼らは安堵したらしく、はぁと、それぞれに息を吐き出す。 「どうしたの」  露骨でもある明確な壁の感触にハナは改めて問いかける。  すると、ダークエルフの代表らしい中年の男性が「実は」と切り出してきた。  話はやはり、あのアイオリア地下施設の噂を聞いたためであった。噂によると、エルフらはダークエルフの奴隷を使って、人道に劣る実験を行っているとのことだった。自分達ももしかするとそうなるのではないかと不安になっていたという。  あの事件は、事実だが、それはアカデミーのこの実験とは全く無関係だし、そもそもアイオリア、引いてはダレンの手による忌まわしい事件であったと説明しても、ダークエルフたちは、しかし、エルフがやったんでしょうと食い下がってきた。  ――確かに、あの事件は一部の心無いエルフの錬金術師が生み出した禁断の人体実験である。その犠牲になったダークエルフを哀れむ気持ちはあるし、同族をそのように失ったダークエルフの怒りと不信も分からなくはない。  しかし、――しかしながら、それはそれ、これはこれと考えなくては、憎しみの連鎖は途絶えない。  悪事を起こした人種を憎むのではなく、その組織を、人物を憎むべきであろう。レッテルは、一度貼り付けられてしまえば、いつまでもその印象が付きまとう。人はどこまで行っても、価値観をフィルターでゆがめられていく。だから、そのフィルターに気が付く事が大切なのだ。誰か一人でも、そのフィルターから離れた視点を持っていれば、「それはおかしい」と注意することもできるのだから。  その役目が異世界人のハナならば、その役目を果たしたい。 「みんなの気持ちは、分かるよ。確かに、あんな話のあとで、アカデミーで新薬実験なんて怖くなる。でもさ、もう一度、きちんとここの教授たちやエルフを見てよ。エルフとしてじゃなく、個人として」 「そ、そうは言われても、彼らと我らには差がありすぎる……我らはここで見える範囲しか知れない。しかし、彼らは我等よりも遥か高みから遠くを見ているように思える。まるで我等の事を足元にいる蟻のように考えているのではないだろうか……」 「そんなわけないだろ。マルテカリ教会からだって、きちんと査定を受けているんだから、おかしなことをするはずがない。私がさせない」 「……でも……」  どうにも煮え切らないダークエルフ達は、それぞれがうつむき、視線を床に落とす。その中の誰もが真っ直ぐにハナの瞳を見てはいなかった。  エルフと会話する時もそうなのではないだろうか。相手の瞳をきちんと覗き込まず、うつむき、真意を見極めずに、己の中の脳内フィルターを通して、エルフの言葉を歪に変えて受け取っているのだ。  卑屈な、今まで踏みにじられてきたスラムの住人達は、他者を信用する事ができないのだ。  生まれもって生活してきた世界観で身にしみこんだ負け犬根性とも言える諦め。自分達は下で、エルフは上であると、矢張り心の中で考えているのだ。 「なぁ、じゃあ、考えてみてくれよ。ここのエルフたちから、一度でもあんたたちの事を『ゴズウェー』と呼ばれたのか?」  ハナの真っ直ぐな視線に向き合うものは誰もいないが、その言葉は耳を受けている。ゴズウェーはダークエルフの差別用語だ。それを口に出すか出さないかは、ひとつの判断基準になるはずだ。 「それは、それは……たぶん、ない……」 「わ、私……ちゃんと、名前で呼ばれてます……」 「だが……それだけでは……」  揺れ動くダークエルフ達だった。ハナの言葉は間違っていないし、ここのエルフ達は自分達を蔑むような事は一度だって言っていない。だが、怖いのだ。エルフを正面から見るのが。そしていつまでもそんな様子のダークエルフに辟易してしまうエルフだっているのだろう。だから、両者はどこかすれ違ったまま向き合えない。エルフは見下し、ダークエルフは避ける。  互いに正面から向き合う事が難しい。そういう世の中になってしまっているのだ。  どうしたものかとハナがどうにか言葉を繰り出そうとしたとき、一喝が部屋に響いた。 「でもとか、だがとか! なんで、最初から否定するんですか!」  その声はアッシャだった。普段のアッシャからは考えられないくらいに、怒りに滲んだ声に、ハナも少々戸惑ったが、病室のダークエルフたちはそれ以上に目を丸くして、少女を見つめた。  一喝したダークエルフの少女は、同族だ。  その少女なら、彼らは真っ直ぐ見つめる事ができる。小さな細い身体を精一杯に大きく開いて、彼女は訴えていた。エメラルドの光を湛えた宝玉のように煌めく瞳で。 「人は、だれだって、何か欠けて生まれて来るんだと思います。私には、それがなんだったのか、分かりました。それは勇気です」  猛るダークエルフの少女は、力強く訴える。そう、かつて自分に何の自信も持てなかった過去を語っているのだ。  そしてそのきっかけを与えたのは、同族のダークエルフであるセインダールであった。  今こそ、アッシャはセインダールになる時なのだと、胸に火をつけて、同族たちへと訴える。 「欠けた物を手に入れることは難しいです。完全な人なんてこの世にいないと思います。だから、私達は、他者を見つめて、自分にない物を見つけていかなくちゃいけないじゃないんですか!?」  アッシャの言葉に、ハナも頷いて続けた。 「アッシャの言う通りだよ。うつむいていても、見えるのは暗い影ばかりだ。見てみなよ。アッシャの顔を。そして、もう一度、うつむいて見てよ、きっと気付く。見つめていたのは地面じゃないって、影じゃないって」  ハナの言葉に、一同は、アッシャの碧の瞳に当てられる。そして、その眩しさに視線をそらしてうつむいた。矢張り見えるのは、己の影でしかない。そう思う。だが、黒の乙女はこう言うのだ――。 「うつむいて見たものは、地面じゃなく――世界なんだよ」  ――世界を見ていた。  うつむいていたダークエルフ達は、はっとなる。  己の視点の狭さに、目から鱗が落ちるようだった。自分達の偏見にまみれたフィルターの視野は、地面に移る己の影しか見ていない。しかし、そうじゃないのだと黒の乙女が言うのだ。  見ているものは、世界なのだと。  ダークエルフも、世界の一部なのだと、彼らは分かっていない。気がつけないのだ。  そうして、もう一度、アッシャを見つめ返した。  その瞳の強さは、同じダークエルフとは思えないほど、煌びやかだった。  なぜ、こんな眼をできるのだろう。年端も行かぬダークエルフの少女が見せた強さは、世界の色を知る、多色のエメラルド。  あの日のセインの黄金の輝きを、彼女も抱いていたのである。 「きちんと、向き合って、そしてもう一度判断してみて欲しい――」 「自分を認めて、他者を信じてください。そしたら、きっと、世界がとっても愛おしい」  二人の虹色の煌めきが、川となって流れていく。白い病室にあつまった黒いダークエルフのモノクロが、彩られていき、雑多な色に気がつき始める。  影は世界に移り変わるには、まだ時間はかかるだろう。しかしそれでも、確実に気がつけたことがある。  今、この瞬間、アッシャが眩く照らした世界は、本物なのだということに。 「オレ、……実験の仕事、手伝うよ」  ダークエルフの若者が、ぽつりと零した。  向き合ってみる意味や、価値、そして気がつけなかった色を、確認してみたいと、好奇心が疼きだしたのだ。  好奇心は人を動かす原動力になる。そしてそれは、碧の瞳の同族が伝えてくれたのだ。そして、そんな瞳を自分も抱きたいと、彼は動き出した。 「わ、私も……自分で、考えて、決めて見ます」  女性のダークエルフが顔を上げて、真っ直ぐにハナを見つめながら言った。その表情はまだ不安もあったが、だが、真っ直ぐだった。きちんと見定めるという意思が見えたのだ。  偶像に目くらましされていない、自我を携えた女性の目だった。 「うん。いい感じ!」  ハナはにこりと微笑み返した。すぐに変わらなくたっていい。一歩踏み出さなくたっていい。半歩でいいから、まずは歩み寄るんだ。そうすれば必ず世界は変わる。  人は必ず、何かを欠けて生まれてくる――。そういったアッシャに、ハナも心が動かされた。  そうして、欠けていた物を他者に見つけたとき、世界がとても眩くなるのだ。地面の影が吹き飛んだとき、そこに現れるのは、まごうことなき、『世界』なのだと――、愛を分かり始めた不良少女は、自分に欠けていた『女の子』が急速に色づいていく事に胸が躍りだしそうでしかたないのだった――。
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