落花流水

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落花流水

 それから数日が過ぎ去った――。  セインとヨナタンは、モンテノー教授の下、魔法と錬金術の化合実験を繰り返し、検証を掘り進めていたし、アイオリアの施設から改修された様々資料から明らかになった事実など、マーチは今、水面下で大きく物事が動き始めているのである。  あれから、ハナはセインに詰め寄って、初めて会った光苔の洞くつの話を聞きなおした。  やはりあの洞くつの正式な名称は『ノメェーグリュ』の祠で間違いないようで、ハナがこの世界に転移したとき寄りかかっていた石碑に彫られていた一文をセインは明らかにしてくれた。  あの石碑には、かけた部分もあり、完全な判読ができないが、概ねの文章は、しごく単純で、短いものだと前置きして、セインは告げた。  ――愛を込めて――。  その一文だけはきっかり残っている状態であり、前後の文章は分からない。しかしながら、考古学の調べでは、かつてのノメェーグリュが愛する誰かへ贈った言葉であると伝えられている。  単純な言葉だけに、ハナは転移したことへのヒントにならなかったことに落胆したが、 「そこにヒントらしいものがあれば、俺が先に気付いてる」  ……と、言いながら、ハナの鼻をつまんで意地悪に笑った。とはいえ、ハナは益々この黒の魔女であるノメェーグリュという人物に惹かれるものを感じていた。きっと、自分がここにいる理由と、ノメェーグリュは関係がある。そうでなければ、自分が黒の魔女とは呼ばれないだろうし、最初に転移した場所にも説明が付かないように思えたのだ。  結局、それ以上の進展は見込めなかった。セインたちの実験も、理論の構築から始まり、それから研究チームを集めて、アカデミーと魔法大学との共同研究につなぐ必要があるため、より慎重に計画を進めているようだった。  セインとヨナタンがその矢面にいるため、二人はいつも忙しくしていたので、ハナとアッシャは若干置いてけ堀みたいになっていた。  アカデミーの宿泊棟の一室を間借りしての生活が続く中、ハナはひとつ気がかりな事があったのだ。  それは、エルフとダークエルフの関係性に他ならない。  どうしても、互いに意識しあう異種族は、これまでに根付いた価値観がもやもやと霧のように纏わり付いて、相手の顔を隠そうとしてしまうのだ。  これをどうにかできないだろうかと、ハナは不出来な頭で色々と考えていた。 「ファナ? どうしたんですか?」  らしくもなく考え込んだ黒髪の少女に、アッシャがひょっこりと顔を向けて様子を窺う。 「あー、うーん。偏見ってどうやったら無くなるんだろうって……」 「……そうですね……。でも、ファナはその答えはもう知っていると思ってましたけど……」 「え?」  アッシャの笑顔を見つめ返して、ハナは思わずきょとんとしてしまう。  そんなハナの表情を見て、アッシャの大きな碧の瞳がくりくりと動いて当たり前みたいな口調で言う。 「だって、ファナはいつも言ってるでしょ。相手を知れば、見えてくるって」 「あ、うん……」  それは自分が他者に願っていた事でもあったはずだ。不良として自分を括るのではなく、一人の東雲ハナとしてみて欲しいと、常々思っていたのだ。  そう考えていたから、ダークエルフへの偏見と差別に、ハナは極端に反応したし、相手を良く知りもせず、黒は黒でしかないと斬り捨てる価値観に、お節介ながらもそれは違うと言ってしまいたくなるのだ。  そして、それはエルフ側の問題だけではなく、ダークエルフ側も言えた事なのだと良く分かった。彼らも、エルフはエルフと括ってみているのだ。そして、己たち自身を、黒は黒と括っている。いつの間にか作り上げていた価値観と偏見の壁が、互いの顔を見えなくさせていたのである。  それを解消するには、どうしたらいいのだろう。  答えは単純だ。アッシャが言ったように、相手を知る。知り合うことが大切なのだ。  ハナとアッシャも、最初はギクシャクしていたし、最近になってアッシャは勇気を持って、世界に向き合う素晴らしさを感じることができた。  そうして、二人は本当に友達として、一歩一歩を歩き出しているのだと分かる。  ハナの持つ、香水の香りがまさにその証拠であるかのように、淡くも、確かな存在感を伝える。 「あっ、そうだ。香水のお返ししてないままじゃん」 「え? い、いえ、それは本当にお返しなんて必要ありませんし、最近は私の薬草ハントを手伝ってくれてるからもう……」  アッシャが手をふりふり、お返しなんてもう考えなくていいと言ったが、ハナのほうは、それではっと閃いたものがあった。 「そうか……。そうだ、これなら私にもできるし、偏見なんか関係ないじゃん!」  がばりと立ち上がって、黒の瞳をらんらんとさせるハナに、アッシャはなにやら妙な不安感を抱いた。というか、いやーな予感、という感じだ。 「ふぁ、ファナ……?」 「アッシャ! 私、空手道場をやる!」 「ファー!」  流石のアッシャも変な声で悲鳴を上げた。そのハナの眼が、熱血していたからだ。アッシャの最も苦手なジャンルであったが、もう彼女は止まりそうにない。  かくして、錬金術アカデミーを巻き込んだハナの東雲道場が開かれるまでものの三日とかからなかった。    **********  錬金術アカデミーの午前中、学会の敷地内の中庭で、なにやら人が集まっているのをセインが見つけた。 「なんだ、あれ」  実験棟の三階の窓からその中庭を見下ろす事ができ、十数名が列を作って正座していた。  顔ぶれがまた変わっていて、アカデミーの生徒数名と、治験にやってきたダークエルフたちがみな、動きやすい麻のシャツとパンツに身を包んでいる。  何かの集会かと思ったが、メンツがメンツだ。セインは参加しているメンバーをじっと見ていて、ダークエルフの中にアッシャがいることを見つけた。その隣には、キャンプ場で絡んできたアイドルヲタクのトッドが正座で座って正面を見ている。  その視線の先を追っていき、セインは「ボブゥーッ!」とツバを吐き出した。  そこには、黒髪を後ろで束ねたポニーテールのハナがいたからだ。  参列しているメンバー同様に、麻の胴着に身を包んで、帯をしめている。  どうも、この集会の代表は彼女のようだった。 「な、なにやってんだ、アイツは!?」  慌てて中庭に向かおうとするセインだったが、後ろからやってきたヨナタンが、「ああ、カラテ、というらしい」とセインの横に立ち、中庭を見下ろしていった。 「カラテ??」 「ファナさんが元の世界でやっていた武道だそうです。エルフとダークエルフの門下生を募って、共に鍛錬することで、健全な精神を育み、互いの親交を深めるために始めたそうだ」  中庭に参列する面々を前に、ハナは仁王立ちでババンと構え、良く通る声を張り、中庭どころかアカデミーにすら響くように伝える。 「カラテの教えに、こんなのがある。『空手に先手なし』。私が教える空手は武道だけど、相手を倒すためのものじゃない! 先手がないとは、空手は自らが攻撃を仕掛けるために鍛錬する武術ではないということだ! 己の精神を磨く事こそ、空手の真髄なんだ!」  己への戒めのつもりでハナはそう述べた。かつて道場で学んだこの空手を、ハナは暴力に使ったのだ。こんな言葉をエルフたちに言える立場ではないかもしれないが、唯一伝えられる人間でも在るのだ。  だから、ハナは伝える事で己を磨きなおしたかった。そして、胸をはれる人として、今度は女性としても成長したい。  女性として成長したいと願うハナに、空手道場がどう関係するのか。華やいだドレスや作法などを学ぶほうがよほど女性を磨く事につながるだろう。実に矛盾したことのようにも思えるだろう。  しかし、東雲ハナはそうではない。  強い黒の瞳を輝かせ、空手の指導をする姿は、セインの瞳に眩く映った。誰よりも、可憐で、強く、麗しく見えたのだ。 「ファナさんらしいというか、なんというか……。アッシャは参ってしまっているようでしたが、いざという時はサポートに回ったほうがいいですね」 「なぁ、見ろよヨナタン。あのファナの姿。あれが黒の乙女か? あれが本当に黒の魔女かよ」  そういうセインの横顔をヨナタンはちらりと見て、ふ、と小さく笑った。 「あいつは、ファナなんだよ。単なるファナだ。どうしようもない、歯痒い女なんだ……」  そう言ったセインの横顔は、光に照らされ美しく映える月のようだった。光が光をつなげ、一人ひとりを輝かせていく。  こんな表情をする男だったか、とヨナタンは思うのだ。 (お前だって、ゴズウェーでもダークエルフでもない。ただのセインダールだな、その顔は――)    ********** 「ハナって名前はどうかしら?」 「ハナ……、ハナねえ。今時、シンプルすぎねえか?」 「今時だとか、流行にそって名前をつけたくないの。ねえ、どうかしら。一応ね、理由はあるのよ」 「どんな?」 「落花流水から取ったの。落ちた花が水に流れて行く光景」 「流れて落ちるって、ちょっとどうなんだよ」 「違うわ。落ちた花びらは、水と共に流れて生きたいという、相思相愛って意味」 「あー? つまり、花は女で、水が男ってわけか」 「ほら、あなたの名前も、海彦でしょう。海は水の行き着く先。めぐりめぐって、この子も、いつか、花になって水と出会う……」 「お前の名前は、めぐる。海を巡って、ハナは水と出会う、か。なるほどな。しかし、生まれる前から、娘の男の事を考えたくは無いな」 「んもう、そんなんじゃハナから嫌われちゃうわよ、お父さん」  暖かい海原で、いつか聞いたような声が聞こえた気がした。  マーチの風がざぁっと吹きつけ、ハナの黒髪を靡かせる。  異世界へと流れ着き、存在意義が分かってきた少女が、世界に関わり、大人になっていく。  東雲ハナは、確かに成長しているのだと、風が伝えたのかもしれない。遥か彼方の母親へ。  眩い世界は、いつから眩かったのか、もう分からない。もしかすると、最初から世界は眩しかったのかも知れない。  だから、赤ん坊は泣きながら生まれてくるのだろうか。世界の眩しさに、驚き戸惑い、萎縮して。そんな赤ん坊を抱きとめる両手に包まれて、やがて巣立つその日まで。世界はいつも待っていたのかもしれない――。  三章――終幕。
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