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マヌケとゴズウェー
セインの小屋がある山、ドガフマウンテンには一つ清んだ川がある。
その川をドガフの恵みと呼び、下流にエルフの町が作られた。
その町をイヒャリテと言う。
自然の恵み豊かな土地で、人々はそれなりに豊かな生活をしている。
産業や商業も発展しているが、セインはそこには近づかない。
世捨て人のように山小屋で一人生活し、極力イヒャリテとは接点を持たないようにしているのだ。
セインは、できる限り他人とは関わらないように生きていこうとしていた。
……だと言うのに、突如現れた『厄介者』に彼はそのライフスタイルを一気に乱された。あの黒髪の異邦人によって。
「……くそ……何をやっているんだ」
山の中腹に流れる川辺でセインは釣竿を構えて仏頂面をしていた。
水流の中に投げ込まれた釣り針には、未だに獲物はかからない。
サワサワと風に揺れる草木と冷たいせせらぎが、乱れたセインの心と対照的であった。
ハナが眠ってから、食料の調達にと魚釣りに来たはいいが、さっぱりかからない獲物にセインは苛立ちを募らせていった。
一人分の食料であれば、これまで調達することに苦労はなかったが、人が一人増えただけで随分と物が足らなくなったと彼は思った。
(――あいつ、クツも無かったな)
自分の服を着こんで不恰好な姿を晒す少女の姿を思い出して、セインは軽く頭痛を覚えた。
煩わしい――、他人との関わりなど、煩わしいだけだ。
そう思っていたのに、あの夜、光ゴケの洞くつであった少女は、自分の目を見て話をしてくれた。
他世界からやってきた異邦人である事は、纏っている雰囲気ですぐに理解した。
どう考えたって面倒な厄介者でしかないはずなのに、なぜ自分は家にまで招いて世話を焼いているのだろう。
「黒い髪……」
セインは彼女の流れる黒髪を思い出してしまう。
彼女が黒い髪をしていなければ、おそらくここまで興味は惹かれなかっただろう。
彼女の黒い髪を見たとき、思わず触れてしまった。美しいと思ったからだ。
「そして、ブラッドマジック……血の呪いか」
あの魔法のこもったシートからマナを奪った血。それはアンチマジックの効果を発生させた。
あの少女は間違いなく、『黒の魔女』そのものだった。忌むべき魔女とされる伝説の登場人物――。
だが、彼女の持つ、まっすぐな心はなんなのだろうか――。
ダークエルフの暗い小屋に明かりを灯すような。
打てば響くような、彼女の反応は――。
なぜ、こうも心を振るわせてくれるのだろうか。
自分の事をあんなに真っ直ぐに見つめてくれた人はいない。
最初は彼女を振り切るつもりだったのだ。
「実験材料になれ」とでも言えば引いてくれるだろうと思った。だが、彼女は「やる」と言ってついてきた。
もちろん、あの現状ではそう言うより他はなかっただろう、安全確保さえできればなんでも良かったのだろう。そう思っていた。
嫌がらせのつもりでモグラネズミの死骸まで運ばせた。
それをハナはやり通した。履物だって山道を歩くようなものではなかったのも分かっていた。
絶対に根をあげると思ったのだが、ハナは弱音を吐かなかった。
(そしたら、あいつはコケやがった。これで怪我でもさせたら、俺が悪者ではないか!)
慌てた。どうでもいいと思っていた他人が怪我をする事に酷く怯えた。
気がつくと、前のめりに倒れる彼女を抱きとめていたのだ。
あの時の少女の体温が今も手に思い出せる。抱きとめた少女の柔らかさも、黒髪の香りも――。
艶めく黒髪が揺れるたび、粗野な言葉で騒ぐたび、不安で震えた瞳を見ると――、セインは火をつけられたような気持ちになるのだった。
思い返せば、本当に彼女を切り離そうとするのであれば、もっと方法はあっただろう。
結局、セインは彼女に巡り会った運命に引き寄せられていたのだ。
「ああ、クソ。アイツの顔を見ると、どうしてもからかいたくなって来る!! ……無視すればいいだけなのに歯がゆい」
人と関わりを断ちたいと願っているはずの自分が、ハナとの会話で喜びを感じていた。
『繋がり』を求めていた自分がいるのだ。
どれだけ人を嫌い、距離を置こうと、孤独の海に投げられた石ころが波紋を広げてしまう。
あの月明かりの中で自分に微笑みかけた異世界の少女は、水面に投げ入れられた石のようだった。
波も立たない海だと思った自分の心に、たったひとつの笑顔で、波紋を作ってしまったのだ。
「歯がゆい! 歯がゆい! ぬうううっ」
川に投げ込まれた釣り針がクイクイと引かれて、小さな飛沫を生んでいた。
それを自分に当てはめられてしまったようで、猛ったセインは思い切り竿を引っ張りあげた。
見事、大きな鮎がかかっていたのだった――。
**********
気だるさの中、ハナはゆっくり目を開けた。
身体全体に力がはいらない。指先の感覚が鈍いように感じる。
(――ああ、睡眠薬のせいか――)
どのくらい眠っていたのだろう。
地下室は閉じられているため、真っ暗だった。
上の階から人の気配を感じる。
おそらくセインだろう。
目が覚めたことを知らせなくては。薬の効果時間を知りたがっていたはずだ。
まだぼんやりとした頭を起こして、鈍い体を持ち上げる。
階段まで向かって扉を開こうと手を押すとカギがかけられていた。
ハナの居る側からなら、錠前は回転させるだけで開くことができるので、外部からの侵入を防ぐためのカギなのだが、それをわざわざセインがかけて行ったのだろう。
少しだけ疑問が浮かんだが、ハナはカギを外して、床扉開いた。
「セイン、起きたよ」
「よう、御邪魔してるぜ」
ほぼ同時に声を掛け合う形になった。
その後、互いにぎょっとした。
想定外の人物が現れたからだ。
一階に上がったハナの目に映ったのはセインではなかった。
椅子に腰掛け、こちらを凝視しているのはエルフの青年だった。
だが、セインとは違う白い肌に黄金の髪、青い瞳の正統派のエルフといった印象だった。
しかし、その顔にはいくつかキズ跡があった。驚いた顔をしている瞳は鈍い光を宿していて、ハナはいつか見た目だと思った。
そう、その目は中学時代にケンカを売ってきた不良どもと似ていたのだ。
何人もの不良を叩きのめしたハナは、すぐにアウトローの目だと感じ取った。
ハナは思わず身構えた。
「誰だ、てめー」
第一声はハナだった。
相手はまだ目を丸くしている。ハナの声を受けて、相手ははっとしたのか、腰のナイフに右手をもっていった。鞘に収まったナイフをいつでも抜けるようにし、椅子に座っていた腰を軽く持ち上げた。
「それは、こっちのセリフだぜ。まさかセインの他に人が居るとは……それも女が居るとは思わなかった」
相手の声はニタついた笑みから零れた舐めてかかっている口調だった。
「三下の顔だな」
ハナは経験から相手の態度で度量を見抜いた。
その言葉で相手は一瞬呆けた。まさか丸腰の女からこんな風に言われると思っていなかったのだ。
怯えてキャアキャアと泣くくらいだろうと想像していたからだ。
「お前、セインの女か? まさか違うよなぁ? 女どころか友人……、家族さえ居ないあの野郎が女を作るわけがない」
エルフの男がハナを厭らしい目で観察してきた。
そうして、スラリと男の目と似た淀みを持つナイフを抜いた。
ハナの方へ突き出して、椅子から立ちあがる。
「聞こえてなかったのか、私が最初に聞いたんだ。誰だ、てめーは」
ナイフを抜かれてもハナの調子は変わらなかった。
ハナからすればよくあるシチュエーションだったし、こちらをねめつける様な目線もしょっちゅう感じていたものだった。
女と思ってナメているゲスの目だ。そういうヤツには、一歩とて譲らない。どちらが上なのか、纏う気のデカさをみせつけてやる必要がある。
いわゆるメンチを切る、というヤツだ。
ハナの眼光に、男は焦った。
(なんだ、この女ァ……丸腰のくせにどこからそんな気迫が……)
二人の距離はほんの二メートルほどだが、そこから男は動けない。
ハナのほうは、ゆっくりと床扉から上がりきり、右半身を前に出して距離を測っていた。
(身長はセインより小さいな。百八十ってところか。エモノはナイフのみ。腕が長い……リーチはあるが、あれなら私の蹴りのほうが射程がある)
伊達にケンカはしていない。相手の体格からどう攻めれば有利か不利か、そのくらいは見分けることはできる。
だが、問題はこの世界が異世界で、魔法だとかを使われたら対応できないし、なによりも――。
(睡眠薬の効果が――、きっついな。力が入りきれない……)
相手に威圧のオーラを飛ばしているが、全身は薬の効果で力が入りきれていなかった。
まともにぶつかってもパワー負けする事は間違いないだろう。
そんな弱みを見せるわけにも行かない。ハナは一切のスキを見せないように、相手からは目を離しはしなかった。
「もう一度、聞く。お前は誰だ」
ハナはプレッシャーを重ね掛けにして相手へ言葉をぶつけた。
その言葉の後、相手の男が「ヒュッ」と短く息を吸うのが見えた。
(くる――)
男がナイフを引いて、ハナに突進してきた。
(武器を有利と思っているなら!)
ナイフの射程内、突き出せばハナに叩き込める線引きでナイフの手が前面に突き出される。ナイフを一度、引いたという事は、突きで攻撃する予備動作に他ならない。それがわかれば、対応はしやすい。
そして何より、相手からは殺気を感じない。まだこちらをナメているのか、脅しのつもりかの一撃だ。
「うらぁッ!」
気合と共にハナの左足が弧月を描く。下から斜め上に蹴り上げられた閃光が男の右手に直撃し、ナイフを叩き落とす。
「ぐうっ?!」
男は右手を押さえて一歩引いた。苦渋の顔でハナを睨む。
(くそ、軽い……)
一方ハナは、自分の蹴りの威力に歯噛みした。薬が効いていなければ、もう少し重さの乗った一撃を決める事ができたはずだった。
一撃で完全に相手を慄かせるつもりだったが、威力が十分でなかったため、相手の目に宿る戦意はまだ消えていないようだった。
「この女ァッ」
男ががむしゃらに掴みかかってきた。
こうなるとマズいとハナは考えていたのだ。
現状、力で組みしかれては手も足も出なくなる。
「止まれッ!」
ドアが開け放たれると共に、セインの張った声が室内に響いた。
エルフの男がそれで止まってくれた。
「セインダールッ、この女はなんなんだぁ?」
エルフの男の対象は一瞬でハナからセインに切り替わったようだ。
ズカズカとセインのもとに詰め寄って、怒鳴り、ツバを飛ばした。
「この女は『マヌケ』だ。俺の患者だ」
セインが無表情にサラリと言ったが、ハナはセインの発言に眉を跳ね上げた。
「誰がマヌ……っ」
物申そうとした所をセインの強い目線でとめられた。
黙れ、と言っていた。
「ハッ、マヌケだぁ? どーりで知性も品性も感じない女だと思ったぜ」
男がハナを蔑んだ目で確認して、鼻で笑った。
ハナは男の態度に、今度こそ蹴りを叩き込んでやろうかと思ったが、セインがまだこちらを睨んでいたので、ぐっと推し止めることに専念した。
それを男がどう勘違いしたのか分からないが、何も言わないハナに近寄って、もう一度、ジロジロと淀んだ目で観察する。
「良く見りゃ、食べごろのイイ女じゃねぇか。マヌケじゃ生きてくのも大変だろ? オレのところに来たら、可愛がってやるぜ」
クイ、とハナの顎に手をあてて持ち上げるとエルフの男は舌なめずりをした。
そのまま、ハナの身体に好色な男の左手が無遠慮に伸びていく。
「落としているぞ」
今にもハナの胸に手が触れるかという所で、エルフの男の頬にナイフがピタリと当てられた。
男は、小さく悲鳴を上げてから身を引いて、セインからナイフを奪い取った。
「悪いが、その女は患者でもあるが、俺の新薬被験者でもある。手をつけないで貰おうか」
「ンだと、偉そうに『ゴズウェー』がッ」
セインがハナと男の間に入ってくれたが、エルフの男がセインを『ゴズウェー』と呼んだ時、ハナは見た。
セインの表情に一瞬、暗い影が刺したのを。
「あんたの所望している『睡眠薬』と『媚薬』。完全なモノが欲しいんだろ。失敗は許されないはずだよな」
そのセインの言葉で、「チッ」とはっきりした舌打ちをして、男はナイフをしまって身を引いたのだった。
「そのクスリのために態々来てやったんだぜ。進捗は進んでるんだろうなッ?」
「ああ、この女に試した所だ。いい効き目だったぞ。昨夜は凄まじい乱れっぷりだった」
セインがわざとらしく下卑た言い回しで、ニヤリと笑うと、エルフの男は「フヒ」と歪んだ顔で笑った。生唾を飲んで鼻の穴を膨らませる。
「あとは睡眠薬で完成だ。一週間後には渡せるから、分かったら帰るんだ。まだこの女で実験をしなくてはならない」
男に合わせた口調で喋るセインだったが、その金の瞳の奥に暗い炎が燃え上がっているのを、ハナは読み取っていた。
だから、ハナはセインに任せ、自分はもう何も言わなかった。
「ケッ、早くしろっつーんだよ。マヌケとゴズウェーでノロクサやってんじゃねーぞ。また来るからな」
捨て台詞を告げて、エルフの男は小屋から立ち去った。
あとに残されたハナとセインは、暫し男の出て行ったドアを眺めていた。
ひとまず、厄介事は片付いたらしい。
ハナは張っていた緊張を解くと、一気に身体が脱力するのを感じ、ぐらりと体勢を崩してしまった。
足がもつれ、倒れこむ。そこをセインの腕が抱きとめて支えてくれた。
「ファナ! 無事かッ?」
「薬の効果が抜け切ってない、みたいだ……。力、入んない……」
「あいつに何かされなかったか、ケガは!?」
セインは必死の形相だった。表情に乏しいと思っていたセインがここまでの剣幕をするのかとハナはぼんやりとした頭の中で感嘆した。
自分を抱く腕の強さが少し痛い。痛いが、力の入らない身体を支える逞しさに、不思議と安心する。
「だいじょぶ、何もされてない。あ、そっか、起きたのはついさっきで十分くらい前かな……」
セインが慌てているのは、薬の効果時間がはっきりと分からなくなるからかと思ったハナは、とりあえず伝えなくてはならないと考え、起きた時間をセインに告げた。
だが、セインはその言葉を受けて、首を振った。
「済まなかった……家を空けるべきじゃなかった。俺が悪かった……」
セインの瞳は揺れていた。そして、ハナを抱いている腕も小さく震えていることに気がついた。
「そーだよ、どこ行ってんだよ、バカ」
ハナは意地悪く笑んで、白い歯をみせる。
そして力のこもりきらない拳で、セインをコツンとどついてやった。
**********
それから一時間後、セインの釣り上げた鮎を焼いて食べ、ハナはすっかり身体が回復した。
頭もクリアになっていたし、疲労感もない。
あえて心配があるとしたら、今夜は眠くなりそうに無いなというくらいか。
地下室のベッドに腰掛けて、ハナはセインと向き合った。
気持ちも落ち着いたことで、セインにはまた聞かなくてはならない事があった。さっきの男の事だ。
「アイツは、エルフの秘密結社『ダレン』の者だ」
秘密結社――。想像もしなかった単語が出てきて、ハナは目をパチクリとしばたたかせてしまう。
「秘密結社って……その『ダレン』ってのは何やってる連中なんだ」
「表では扱えないような仕事や、違法薬物の売買、用心棒だか傭兵だかをやっていたりもする」
……つまり、暴力団とかヤクザとかマフィアとか……そういう類の連中なのだろうとハナは想像した。
「そんな奴らがなんでここに来た?」
なんとなく想像はつくが、セインの口から聞きたかったので、ハナはあえて、ハッキリと聞き出そうとした。
セインは、少しだけ表情を曇らせて黙ったが、言わないわけにもいかない状況である。
低く、小さな声で、セインは告白した。
「俺は所謂、違法薬物を作って、やつらから金を貰っている」
「……なんでそんな事を?」
「そうしなければ、生活が出来なかった。どうしたって金は必要だったからな」
「真っ当な仕事でやっていくことは出来なかったのか?」
まさか異世界に来てまで、こんな話をするなんて思わなかった。現代社会の裏側とほとんど同じじゃないか。
不良時代に良く聞いた話だったため、ハナはどこかあっさりとその話を飲み込んだ。
ハナは項垂れるダークエルフをじっと見つめていた。
急かすつもりはないが、きちんと回答をしてほしかったのだ。
だから、セインが口を開くまで、ハナはただただ、セインを見つめた。
「さっき、お前の事を『マヌケ』と呼んだのを覚えているか」
「え、ああ、うん」
エルフ男とのやり取りの中で出てきた『マヌケ』の単語だったが、会話の中で使われる意味合いにハナは少し疑問を持っていた。
もしかしたら、自分の世界の『間抜け』とは意味合いが違うのではないかと。
「マヌケ、とは……マナが無い人間の俗称だ。侮蔑的表現で使われている。済まなかった」
「あ……そういう事だったのか」
セインは素直にハナに謝った。あまりにも素直に謝るので、ハナはちょっと意外だった。
現代社会にも侮蔑的な表現のある言葉はある。身体障害者などに対して使われた言葉は昨今では随分と減ったようだが、昔は頻繁に使われていたらしい。
おそらく『マヌケ』もこの世界ではそういう類に該当するのだろう。
「えと、じゃあ……『ゴズウェー』ってのは?」
男がセインに対して使った言葉だ。
あれも言い方からして、汚い言葉なのだろう。セインはそう呼ばれたときに暗い感情を見せていた。おそらく、耳に入れたくない言葉だろうが、話の流れから聞かざるを得ない。
「あれは、俺の事だ。『ゴズウェー』は、ダークエルフの差別表現だ」
「……そっか。ごめん、なんにも分かんなくて」
「お前が謝ることじゃない……」
セインは申し訳なさげに睫毛を伏せた少女を見て、しわがれた心が潤った気がした。だから、この少女には惹かれてしまうのかもしれない。自分の事を一人の人間として対応してくれているのだ。真っ直ぐにこちらを見る瞳は、良い所も悪い所もすべて見て、そして自分で判断する。そういう意思を秘めていた。
「ファナ、ダークエルフはこの世界において醜悪で、邪悪で、野蛮であるとされている。そういう意味で人々はダークエルフを『ゴズウェー』と呼ぶ。これはもう百年近く続くこの世界の常識だ」
セインはあくまで客観的にと、ゴズウェーの説明をハナにしてくれた。事務的にしゃべる彼の声は、少しでも色づいてしまうと自分の事が情けなく、悔しく、怒りがわいて来る為かもしれない。機械的に説明する事で、彼は感情を押し殺そうとしているようだった。
「ゴズウェーは社会的に最下層に位置づけられ、職には就けず、奴隷として暮らすか、人と関わらずに自活するか、もしくは、裏の人間として生きていくかしかない」
「なんだよ、それ……。そんな事が許されてるのかよ、この世界は!」
ハナの怒声が地下に響いた。
「仕方が無い。そういう社会だ」
「セインのどこが醜悪で、邪悪で野蛮なんだよ!」
ハナの剣幕に、今度はセインが驚いた。自分の事が認められたようで嬉しかったのだ。少しだけ笑って、肺の中にあった嫌な空気を吐き出すように、一息ついた。
「良く見ろファナ。俺のこの黒い肌を。邪悪で醜いだろう」
「全然。それよりエロいのが問題。セクハラーメン」
ハナはあっけらかんと否定してから、的確な問題点を指摘した。
「はっ?」
セインの目は、点になってしまった。思わず素っ頓狂な声があがってしまう。
「一応私も女なんだぞ。肌を見ろとか、変態か」
「いや、これはそういう話ではなく……」
「それにお前、さっきの媚薬の話なんだよ! 昨夜はすごい乱れっぷりとか! 変態か!!」
「…………」
あまりにも普段通りのハナのテンションは、張りすぎて切れてしまいそうだったバイオリンの弦に似たセインの心をゆるゆると解いてしまった。
やっぱりそうだ、とセインは実感した。ハナは、自分の見たままでしか相手を評価しない。彼女にとっては醜悪なダークエルフは問題ではなく、セインのスケベっぷりの方が問題なのだ。
なんだか笑えてしまう。
自分にとっては何よりも重要なことだったはずの肌の色より、まさか自分の性癖を指摘されてしまうとは。
「黒いのがダメなら、私の髪はどうなんだ。セインは私の髪が気持ち悪いのか?」
ハナは変わらず、セインを真っ直ぐ見つめていた。
セインは思った。もし、自分が黒は気持ち悪いと言えば、この少女はだったら直ぐに出て行くと言うだろう。
ハナは相手に不快な思いをさせたくないからだ。血液の話の時もそうだった。
自分の黒髪が相手に不快だと思わせるのであれば、身を引くのだ。
自分が独りで暮らす理由とは違う。
相手から気持ち悪いと思われるのが怖いのだ。邪悪な者と蔑まれて、黒い意思をその視線から感じたくないからだ。
「俺は……」
彼女の黒髪は、暗い地下室の闇よりも黒かった。
吸い込まれるような黒は、漆のように、麗しく、潤しい。
彼の黒い指先が、彼女の髪に優しく絡んでいく。こうして指を絡めると良く分かる。自分の黒よりも漆黒で彼女の髪はセインを包むのだ。
「好きだ」
指に絡む髪のサラリとした感触が心地よい。セインは思わず、零していた。
気持ちがそのまま声に出ていたらしい。
何かを好きだと言ったのは、久しぶりな気がした。
「あー……。異世界生まれの私が言っても、説得力はないかもしれないが」
ハナも、セインの頬に手を差し伸べ、掌でなぜる。
「……一度しか言わんので、聞き返すなよ……」
と、紅くなって小声で言うハナはなんだかむず痒そうに勿体つけた。
「……かっこいいとおもう……」
虫の声かと思うほど、普段の彼女からは想像できない小さな声がつぶやいた。
紅くなる少女を見ていると、セインはもうたまらなかった。
(あぁ、歯がゆい……)
だから、つい意地悪をしてしまう。
「えー? なんだってー、聞こえないんだがー?」
嬉しさが隠せない。たしか、凄く重要で重たくて、厄介でデリケートな問題を扱っていたはずだ。
そんな時に不謹慎かもしれない。でも、そんなの全然重くないと、黒髪の少女は言っているようだった。だから、セインは子供みたいに聞き返してやるのだ。
「おまえっ、ぜったい聞こえてただろ!」
「もう一回言ってくれ。耳元で。はい、どうぞ?」
「もうぜってー言わねー!!」
――異世界の異文化交流は、今やっと始まったのかも知れない――。
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