エルフの歴史

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エルフの歴史

 暴走したダークエルフを捉えたヨナタンは、そのダークエルフの首輪を入念に調べているようだった。  首輪自体に外傷はなく、装置の異常ではない事を確認して、ヨナタンは首をかしげた。 「おかしいですね……首輪には何も異常がない。多少の魔力低下は見られますが機能不全になるようなほどではない……」 「ヨナタン。その首輪でダークエルフを支配しているのか?」 「ええ。首輪を装着したものは感情と人格を封じられ、木偶(でく)人形のようになります。それに対して命令すれば、どんなことでもやりますよ。例えば、自害しろと命じれば、なんの抵抗もなくナイフを自分の心臓につきたてるでしょう」  ヨナタンは淡々とした声で応える。 「最も、人の命を奪うような命令は実行できないように作っていますが……」 「自分の命を絶つことは出来るのにか」  追求するハナの声は厳しい色を見せていた。だが、そんなハナの声を受けたヨナタンは何でもないような表情でハナに首を傾げて見せた。 「え? 申し上げたでしょう。人の命を奪う事はできないんですよ。ゴズウェーは人ではありません」  そのヨナタンの言葉にハナはキレてしまった。  その胸ぐらを掴み、飄々としたエルフの青年に怒りの眼光を突きつける。 「てめぇ……、どんな神経で言ってやがる!」  ハナの剣幕に、ヨナタンは一瞬驚いたようだったが、その表情はフっと冷たいものに切り替わる。  ハナに(つか)まれた胸ぐらもそのままに、彼の青い瞳がハナを見下ろし低く暗い声でゆっくりと言葉を零していく。 「山賊狩りがあったのはご存知ですか?」 「……ああ」  そういえば、セインが出会ったその日に、山賊狩りで山賊が減ったと言ったことを思い出した。 「このゴズウェー達は、その山賊です」 「……えっ」  ハナは横たわったままのダークエルフへ思わず視線を投げた。  相変わらず、首輪のダークエルフはしんと静まったまま、その場で小さく呼吸をするのみだ。 「山賊を捉えた我らは、彼らへの処罰にこの<服従>の首輪を着けさせ、罪を償わせているのです。労働という形でね」  ……彼らは元山賊で、その罪状による処罰……。つまり服役中ということなのだろう。  しかし、それでも……人に首輪を着け、人格を封じて人形のようにするなど許されていいのだろうか。  この世界の倫理観は分からない。しかし、東雲ハナの心にはそれは許容できるものではなかった。 「こんな風に罪を償わせたって、悔い改めないだろ!」 「死刑にするよりはずっといいと思っているのですが? それに彼らが悔い改めるなど、するわけがないでしょう。彼らはこうして調教し、管理してやらなくてはならないのです」  ヨナタンの目は冷たい。ゴズウェーを見る彼の瞳は人に向けられるものではなかった。さっきまであんなに優しい声で微笑んでいたとは思えない。まるで別人のようで、ハナは掴んでいた手を解いた。 「確かに、こいつらは山賊でろくな事をしなかったんだと思う……。でも、人じゃないなんて、あんまりじゃないか」  言いながら、ハナは――ああ、今の言葉は自分のための言葉だな――、と胸中で呟いた。  不良として暴力に明け暮れ、そこから抜け出したいと思ったときには、周囲の目は自分を『異端視』していた。  今更切り替えようなんて甘い考えだったのは分かる。  でも、だからと言って、どん底に沈んだ自分が一人で沼の上に立とうともがいても、ズブズブと沈んでいってしまうのだ。落ちぶれた時こそ、誰かに救ってもらわなくては、手を差し伸べてもらわなくては這い上がれない。  だから、罪滅ぼしがあるのだと、ハナは思う。  だが、ヨナタンのしている事は、その機会も奪い、落ちたものは切り捨てるという考えにしか聞こえない。その行き着く先はディストピアではないだろうか。いずれ、ゴズウェーを駆逐した後、今度は自分達すら首輪をつけるハメになるのではないか?  ハナの瞳は訴えるように、ヨナタンに注がれた。  ヨナタンはそんなハナを見て、(まぶた)を閉じた。  ハナの視線があまりにも真っ直ぐで、向き合っていられなかったのかもしれない。 「そんな目で見ないでくれ……」  ヨナタンの悲しみと憐れみの声が小さく響いた。  ヨナタンの言葉は始めて彼の中身を写すように、丁寧な口調が取り外されて素直に吐き出されていた。 「……ヨナタン……?」 「ファナさん。私の妹に会ってくれませんか」  ゆっくりと瞳を開いたヨナタンは、一緒に食事をした時のヨナタンの顔だった――。    **********  ダークエルフは、コウマックが引き取った。彼の妻もキズは癒えて命に別状はないようで、ひとまず安心した。  それからヨナタンがハナを連れて、もう一度街へ戻り、メインストリートを抜けていく。そのままヨナタンのラボを通り過ぎてエルフの住宅地と思しき地区までやってきていた。  やがて一際大きな屋敷が見えてきた。周りの家と比べて一回り広い庭に二階建ての家屋。どうやら、そこはヨナタンの実家らしかった。  ハナはヨナタンに案内されるまま、家の奥の寝室らしき部屋にやってきた。  部屋は大きな天蓋付きのベッドが一つ。周りの家具はどこか可愛らしく、女の子部屋といった印象を受ける。 「妹の部屋だ。メリー、お客様を連れてきたよ」  ベッドに誰か寝ていた。おそらくメリーと呼ばれたヨナタンの妹だろう。  ハナはヨナタンに続き、ベッドの側まで来て覗き込んだ。  そこにはヨナタンと同じブロンドの髪の少女が横たわっていた。年のころはハナと同じくらいだろうか。青い瞳がこちらを見つめて、眠たげにとろんと瞼がうごいた。 「あー、はー」  メリーが笑顔でハナに手を伸ばす。その声は言葉になっていない。口を開いて、力のはいらない舌で声を鳴らすようだった。 「ヨナタン……、この子は……」  ハナはどうしたらいいのか分からずに、ヨナタンを振り返る。 「妹のメリーだ。残念だけれど、話せないんだ。全身の筋肉が弱っている」 「え……」 「数年前までは元気に笑って、沢山食べて、走り回って、私を殴ってと、お転婆な子だったんだ」  ヨナタンはメリーの伸ばされた手をとって、優しく包んでやる。すると、メリーはとろんとした笑顔で「はー」と喜んだようだった。口許からはよだれが垂れてしまっていた。 「ある日、メリーは山賊に誘拐された。ゴズウェーの集団だ。救助隊が組織されて、山賊狩りが行われたよ。なんとか山賊から妹を救い出した時には、グニャグニャになっていた。手足に力が入らなくて、タコみたいでね。山賊たちに好き放題されたらしい。痣だらけの身体で檻の中で見つかった。ゴズウェー共がメリーを大人しくさせるために薬物を使ったんだよ」 「……!」  ヨナタンの声は妹の前だからだろうか、終始落ち着いた、柔らかい物であった。  それがかえってハナの心臓を殴りつけるようだった。ヨナタンのあの憎悪の瞳の意味が分かった気がした。 「私は、あの首輪を作った。その理由……お分かり頂けましたか」  ヨナタンの言葉は、怒りと悲しさで、憎しみと苦しみで、だけれど妹の前で見せる笑顔は柔らかく、ハナを突き刺すのだった。  ハナは、思わず涙を零した。  しゃくりあげて、声をもらして――。自分がなぜ泣いているのか分からない。  ただ、ヨナタンの痛みに触れた心が引き裂かれそうで、たまらなくなったのかもしれない。 「メリー」  ハナは、ベッドの中の少女の顔をしっかりと見つめた。  メリーはとろんと蕩ける表情で、笑顔を作る。その笑顔がやはり兄妹なんだなと思わせてくれるほど、ヨナタンに似ていた。  メリーの瞼は重たそうに持ち上がりきれていないが、その瞳の奥の輝きは立派に女性の強さを感じさせた。  彼女はきちんと意思があるのだ。そうして、ハナに対して笑顔を向けてくれたのだ。  その想いに、ハナが出来る事はひとつだけだった。  ハナはフードを脱いだ。  世界を何も知らない自分、甘い考えだった自分。ハナは自らが情けなくてたまらなかった。メリーと向き合うには、そんな自分をさらけ出すしかないと、感情だけでハナはフードを取ったのだ。  黒の長髪がさらけ出される。  メリーは黒を畏れるかも知れない。ヨナタンは嫌悪するかもしれない。  だが、理屈ではなく、感情が言っていた。この兄妹の前では素顔をみせたいと。 「はー」  メリーが目を細めて笑ってくれた。 「ごめん、私……マジでバカでさ……」 「ファナ……」  ハナの嗚咽交じりの謝罪に、ヨナタンが妹にするように、優しく頭を撫でてくれる。  黒髪の少女は、涙で滲んだ視界の中、やはりヨナタンの手は暖かいと想うのだった――。    **********  結局ハナはその日、ヨナタンの家に泊めてもらうことになった。もとよりこのお使いは一泊二日の予定だったのでスケジュールとしては問題が無かったが、色んなことがあったハナの心は揺れていた。  召喚魔法の実態。ゴズウェーとエルフ。ヨナタンと妹――。  ドナテリ家の一室を貸してもらったハナは、外套を脱ぎ、制服姿で椅子に腰掛てぼんやりと物思いに耽っていた。  ヨナタンの気持ちは理解できた。なぜあそこまでダークエルフに対して冷酷になるのか。メリーの様子を見れば山賊たちがどれほど非道な事を行ったのか想像できる。  妹の人生を奪った者に、相当の罰を与えるため、首輪で人格を封じ、その人生を捧げさせようという事であろう。 「ファナさん、よろしいですか?」  トントンとノックがして、ヨナタンの声がした。  ハナは立ち上がって扉を開くと、いつもの柔和なヨナタンがそこにいた。少し雰囲気が違うなと感じたがそれはポニーテールを下ろしているせいだと気がついた。肩まで降りた金の髪はランプの明かりでなんだかまぶしかった。 「少しお話しませんか」 「うん」  ヨナタンを部屋に通して、静まった夜の音が暫し二人の間に流れた。  最初に口を開いたのはヨナタンだった。窓際に立った彼は三つの月明かりを白い肌に受けてハナを見つめている。 「……ステキな御召し物ですね」  ハナの制服姿はおそらく、この世界の人間とってかなり特異なはずだ。 「あなたは、マーチの外からやってきたのですか?」  マーチというのは、この領土の名前だ。つまり、ヨナタンは海外から来たのか、と聞いているのだろう。 「もっと、遠く……かな。たぶん、全然違う世界からやってきたんだと思う」 「その黒髪も、私は始めてみました。あなたの纏う雰囲気に惹かれたのは、やはり気のせいではなかったのですね。異世界からの来訪者、とは想像外でしたが」  少しおどけながらも、静かな声が柔らかい。ヨナタンはハナが想像した拒絶などなく、受け入れてくれたのだ。 「エルフは黒を嫌うと思っていたんだ。それでフードで隠していた。ごめん」  素直なハナの態度は、ヨナタンにも真っ直ぐに届いたらしい。一つ、ゆっくりと頷いて「その通りですね」と応えた。 「確かに、我々は黒を良い色としておりません。その発端はおよそ二百年前にさかのぼります」  今よりおよそ二百年前、マーチと呼ばれるこの地方にやってきたエルフは、そこで暮らしていたダークエルフと出会う。  彼らのその見た目にも驚いたが、その生活様式や信仰対象、身の毛のよだつ風習などに当時のエルフは嫌悪感を抱いたのだという。  ダークエルフは狩りを生業にし、動物の血をつかい、心臓を捧げ呪術を成す。人の姿を捨てたと言われる黒の魔女を信仰し、生贄の儀式をしていたダークエルフは、当時のエルフに『残忍者(ゴズウェー)』と呼ばれたらしい。  それから数年でエルフはマーチを開拓し、植民地としていった。  エルフの侵入によって、マーチで暮らしていたダークエルフは徐々にその生活圏を狭められていく。最初は互いに友好関係を組み立てようとしていた両者も、互いの生活に馴染めず、区別がされていく。マーチ一帯は白黒に塗り分けられることになっていくのだ。  エルフの白の領土は北から徐々に広まっていく。ダークエルフは確実に南に追いやられては生き難くなっていくマーチに不満を募らせていくのだ。  そして、今からおよそ百年前。ついに両者の緊張は極限を迎え、戦争へと発展した。この戦争を『霊戦』と呼びエルフとダークエルフはその長老の首を狙って争い続けるのだった。  決着は開戦から十八ヶ月してからだった。ダークエルフの黒き教会ドマドーリが落ちた。  教会に潜んでいたダークエルフの主導者オゥグニースが首を討ち取られ、幕引きとなったのだった。  戦争に勝ったエルフはマーチを我が物とし、敗れたダークエルフはエルフの言いなりとなる。戦争でダークエルフはすでに数を減らされていて、まともに交渉などもできるはずもない。  エルフには逆らえず、あるものは奴隷として、あるものは山賊に、あるものは人目を離れて暮らすようになっていく。  こうして、今のエルフとダークエルフの関係が出来上がっていったのだと、ヨナタンは語った。 「戦争から百年経った今でも、ダークエルフは似たような暮らしをしています。もはやこのマーチのならず者……、ゴズウェーは穢れた者として忌み嫌われているのです」 「……エルフとダークエルフのコト、良く分かったよ。それに、ヨナタンのことも」  簡単な言葉ではぬぐえない両者の溝は、もう手を伸ばしあうには深みがありすぎたのだろう。 「……でも……、それでも……、だけど……って言いたい。取り返しがつかないとか、遅すぎるとか、そういうのは認めたくないんだ」  ハナは、窓の外の月明かりに光るブロンドの青年に向き合って、我侭のようにも聞こえる、青くさい想いを伝えるのだった。 「ダークエルフが全て、ゴズウェーなんじゃない。ゴズウェーだって、どうしようもないから、それしかないからって生きてるんだって。生れ落ちての悪なんていないはずだと、私は思う」  ハナの言葉を受けたヨナタンは嗤う。冷たい蒼の瞳が月に濡れてどこか神秘的にすら感じ取れる。 「軽い言葉ですね。異世界の人間が言ったところで、まったく感動も出来ない。妹を破滅させたゴズウェーに同情の余地はないと断言できます」  冷えた言葉がハナの心を厳しく突き刺して、凍りつかせる。 「でも……そう言っているあなたの目は、メリーにそっくりだ」  悲しい瞳をしたヨナタンの心は暖かく、ハナを包むようだった。しかし、ハナはゆっくりと首を振る。メリーのようには強くなれないと思うから。  異世界に来て、いつ死ぬのか分かりもしない。もし己がメリーのような状態になったとして、その瞳の強さを保っていられるほど、恐怖に震えた自分の心は、強くなさそうだと認識したのだ。 「メリーもヨナタンも凄いよ。私はカラッポだ。……でも、だからこそ、黒でもあり、白でもある私は、エルフ同士の関係が歪に見えるんだ。カラッポだから、受け入れられるんだと思う」 「そうかもしれませんね。我々は……背負ったものが大きすぎて自分を支えることに手一杯なのかもしれない」 「なら、荷物もちをやるよ。私は手ぶらだからな」  なんだか前にセインに似たような事言ったな、と少しハナは笑った。ヨナタンも、少しだけ笑った。  自分にできることなど、本当に些細な事で、きっとメリーを救うことなんてできない。  しかし、こんな悲しい事がもう起こらないようにすることなら、ハナにも小さなことができると思うのだった。 (セインの薬品作りを、辞めさせる。秘密結社に売ろうとしている薬品は、きっと似たような被害を生み続けてしまうだろうから――)  ハナは一人、胸に決意を固めるのだった。 「あ、そうだ! ところでファナさん。お風呂に入りませんか?」  ぽんと手を叩いて、ヨナタンがニコニコと提案してくれた。 「OFURO!!」  ハナのぶっとんだ反応がヨナタンを一歩たじろがせた。 「もちろん、着替えも妹のものでよければ用意しますよ」 「じゃあ、遠慮なく使わせてもらおうかなー!!」  疲れ切った肉体と精神を休ませる最高の提案だったので、ハナはヨナタンの提案に喜び乗っかった。  熱いお風呂に漬かった時、やはりハナは思ったのだ。 (――こうして、お風呂に入って気持ちいいって思う心は、エルフもダークエルフも同じハズだよな――)  ちゃぷんと沈んだ湯船は心地よく、酷使した筋肉をいたわるようにゆるゆると包んではポカポカと暖めてくれる。  こんな快感、人類共通に決まってる。肌の色も髪の色も関係ない。  この世界に銭湯でもあって、セインとヨナタンが一緒に風呂に入ればいいんだよな。なんてちょっと緩んだ発想をして、顔を朱に染めるハナであったとさ。
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