記憶

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記憶

 王子は、記憶喪失だった。 無理もないよね。空から落ちて来たんだから。 まだ、鈍く、頭のてっぺんが痛いんだって。  まこは、自分がお姫様になる前、普通のOLだった時のことを、ぼんやり思い出していた。  父が高校生の時、病気で他界し、それからずっと、まこの頭にあったのは、早く、「自立」することであり、「結婚」することだった。  母を困らせてはいけないのだ。 兄嫁に、母が虐められ、まこも、肩身の狭い惨めな思いをする前に、 優しい旦那さんをゲットしなければ、と、思っていた。  父が欠けた分、まこに新しい家族が出来れば、そう、子どもも産まれれば、落ち着いて、平穏無事に暮らせると思ったのだ。  そんなことを思いながら、まこは今、かまどでパイを焼いている。 OL時代、(もちろん、オフィス・レディーの略だけど、母はオールド・ミスになることを何より心配して)花嫁修業として、母が料理を教えてくれていた時は、ちっとも、身につかなかったはずの料理が、今は嘘のよう。  まこが、王子と住む家には、レシピの本があってね、それを見れば、ひとりでに、材料がそろうの。  例えば、今日はチーズケーキが作りたいと思ったら、もう、生クリームとバターとたまごがね、本のページから、出てくるのよ。冷蔵庫を開けるよりも、簡単ね。  料理の本と同じように、この家には、絵本もあって、 それをめくると、お姫様が出てくるんだって。  まこは最初、信じなかったけれど、ある日、王子がこんなことを言うから、とてもびっくりしたの。  「君は、僕の部屋の、どの絵本から出てきたの?」って。  だって、まこは、王子が空から落ちて来た時、野原にいたのよ。それに、ここは、最初からまこの家だったはずだから。王子こそ、どこから来たのかしら。
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