優しさ

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優しさ

 私は親の身として、仕事をこなしている身として目前にいるホームレスとにひどく腹を立てていた。  私はケーキ屋の店主をやっている。従業員は私と妻の2人で、昔は子供たちも手伝ってくれていた。今は2人とも成人になり巣立ちをした。当時の私は息子たちに勉強することの大切さを何度も教えた。おかげで2人とも某有名国立大学を通っている。 教育を重んじた私は、職につかず、ホームレスになり、ましてやその家を私の店の前に置く人間などとは巡り合わないと思っていた。しかしここ最近、といってももう3年は滞在しているが私の店の前には職につかずホームレスになった家がある。家と呼ぶには躊躇いのあるブルーシートの家だ。 何度でてけといっても、何度物を投げて追い払おうとしても頑なにいうことを聞かないホームレスに私は憤慨している。今日こそはあいつに引っ越してもらわないといけない。 「ここを出て行け」声を荒げて私は言った。 しかしホームレスは無反応というに近い態度だった。 それでも私は諦めずに言う。 「私はお前のことを思って言ってるんだ。ヨレヨレの服を着て、犬よりもみすぼらしい物を食べる。こんな生活を続けることが幸せか?俺はお前が立派なスーツを着て格式のあるレストランで飯を食えるようにそんな祈りを込めて言ってるんだ。世の中には気づかれる優しさと気づかれない優しさがある。おそらく私がお前に行っているのは後者だろう。しかしみんなきっと感じている。気づかれない優しさは気づかれるためにあるんだ。頼むから気づけるような人間になってくれ。こんな簡単なことに気づけない。もうそれは人間じゃない」後半からは語勢が弱まった。それでも私は言い切った。ホームレスは微動もしなかった。今まで大事になるのを恐れ避けていた、警察に頼ろうとしたその時、 「気付かれない優しさは気づくためにあるか...」 ホームレスが初めて口を開いた瞬間だった。呆れたような言い方だった。立ち上がり拠点としていたブルーシートを丁寧におると、ホームレスは何処かへ行ってしまった。私はホームレスのあっけなさに喜ぶこともできずただ口をぽかんと開け、立ち尽くしていた。 妻が死んだのはそれから一週間後だった。私が住んでいる街は確かに治安が悪く1日に1人や2人が殺されるということを当たり前のように受けとっていた。 しかしまさか妻がその1人や2人に入ってしまうとは思ってもみなかった。妻は寝ている間に何者かに侵入され、たった一本の紐で殺されてしまった。私は悲しみよりも犯人への復讐に駆られ、防犯カメラをチェックすることにした。 すると見慣れないファイルがそこにはあった。何だろうと思い、開く。あのホームレスがヤクザのような格好をした男たちに殴られつつも戦い店を守っている映像だった。嘘だろう?私が散々馬鹿にしていた彼がまさか店を守ってくれていたなんて思ってもみなかった。他にも映像は四つあり、どれも彼がボロボロになりながら店を守ってくれていた。  このファイルを作ったのは妻だろう。ではなぜ妻は私にこの出来事を伝えなかったのだろう。  もしかすると私が妻にホームレスの悪口を言っていたからではないだろうか。私はホームレスの悪口を言う際人間性を否定しながら口をこぼしていた。 妻は私に恥を欠かせぬよう、このことを言わなかったのではないだろうか。それはホームレスの彼も同じだ。私は先週ホームレスを追い出したことを恥じた。遅れて妻を失った悲しみと妻やホームレスが私を気遣ってくれていたことの嬉しさがやってきた。思わず声を上げ泣いていた。しかし涙に浸るのもこれくらいにして犯人を見つけなくてはならない。警察に調べられた犯行当日の映像を開いた。警察が見をとしているのではないかという希望を込めて。  5回か6回みている間に私はあることに気がついた。画面左側上部にホームレスの姿が写っていたのだ。画質が悪く見づらいが右手にはロープを持っているように見えた。彼が犯人なんだろうか。心臓の鼓動が早くなり、手が震える。 突然背後で物音がした。 誰だ?考える暇もなく私は机に体を押さえられ、首に紐を巻かれた。 やばい、殺される。 首が締め付けられ意識が遠くにいく。 「気付かれない優しさは気づくためにあるか...」 背後で声がした。
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