4人が本棚に入れています
本棚に追加
彼が私と暮らすために家族を捨てると決めた日。
新しく借りたアパートのベランダで私は心細さに震えながら彼の姿を探した。
スーツケースを持って現れた彼に私は泣きながら手を振った。
これからは堂々と二人で夕闇に紛れる前の明るい町を歩こうと言ってくれた。
幸せを逃さないように二人で過ごした日々。
大変な時もあった。
何しろバブルが崩壊したからどうしようもない。
お互いに努力して何とか乗り越えたよね。贅沢も幸せも知っているからなんてことはない。アリとキリギリスみたいなものだよと二人で笑った。
私のことを彼のお金目当てだと決めつける人もいたがそれだけでなかったことを私は証明した。
始まりは道に外れた関係でも、それからの私たちは幸せだった。
あの夕暮れまでは。
何か様子がおかしいとは思っていた。
スマホを見て深刻な顔をしているのに気付いていた。
私は思いきってどうしたの?と訊いてみた。
はっきりとした返事はなかった。
ある日、彼は私に深々と頭を下げてこう言った。
「ごめん、俺のわがままを許してくれ。あっちに戻ろうと思う。もと女房が余命宣告受けてる。せめて、最後は傍に居てやりたい。こんな俺でもそれを望んでいるらしい」
返す言葉がなかった。
ひどい、と呟くくらいしか私には出来なかった。
悪い役回りは私が一手に引き受けていた。無理矢理夫を奪った女。その役を引き受けることで彼を自分のものにできるのなら、私は悪者になろう。20代の私の必死の覚悟だった。
最初のコメントを投稿しよう!