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プロローグ
――思えばこの時
今まで抽象的に何かだった物が、逃れられない,決して運命じゃない物だと
心の底からハッキリ痛感実感した気がする。
「いつきいいいい!」
「何だよ、どした?」
最近染めたばかりで樹のまだ見慣れない相手の黒髪が、うなだれた勢いでテーブルにバサリと散った。振動で紙コップのコーヒーがこぼれんばかりに揺らめく。
顔は突っ伏したまま、晴臣が携帯を握りしめ、樹にかざしている。
「内定……」
「決まったのか?」
「あぁ」
「おめでとう、良かったな」
内定を取るためにしたのだろう晴臣の黒髪を、樹は撫でてやった。
けれど、普段柔和な顔は歪んだままで全く浮上せず。出来事と目の前にいる本人の様子が、全く合わない。
「良かった、のか?」
「当たり前だろ。何社も受けたにしても、どこも冷やかしや遊びで受けた訳じゃあるまいし。なんなら、まだ決まってない俺に対して、嫌味かよ?」
自分のスケジュールを横目で見ながら、樹は本心をグチった。どこの世界に就職内定決まって喜ばない奴が居る?
何故かここにいるけど。
「ごめん」
晴臣はようやく顔を上げた。だけど表情はやはり複雑そうで。
「そうじゃないんだ。受かったのはうれしい……けど」
「けど?」
「俺が決まった会社に……タケルも来るらしいんだけど!!これって、良かったのか?!」
「”来る”って? 迎えに?遊びに?様子見に?」
樹は思い浮かぶ 来る をありったけ述べた。
今まで目の当たりにした晴臣に対する健流の行動。他人は、イチイチ度肝を抜くだろうけど、あれもこれも歴史の証人として目撃してきた樹は、そう簡単にもう驚きはしない。
「違う」
晴臣はゆっくり頭を振った。
「晴、違うってほかにアイツ、何?」
「タケル……俺とおんなじかいしゃに、就職するってよ……」
聞き覚えのあるフレーズに乗せて、晴臣の言葉が流れた。
「マジで?」
樹が度肝を抜かれた。
「大マジらしい。なあ!! こんな事ってアリか?! 学校はまだ解る。いや、ふつうじゃ解らないけど……就職する会社も一緒の所って。バイトじゃねーんだぞ! 正気じゃないだろ!」
(とっくに正気じゃないだろ)
樹は言葉を飲み込んだ。
にしても、驚いた。そんな事が出来る行動力と、力技と、勇気に。健流の一念が岩と面接官を通したのか。
「アイツ、何考えてるんだ……晴、でも他の所受けずにそこ行くんだろ?」
「うん。もう、一からエントリーシート地獄からの、圧迫されるかもしれない面接の攻撃を防げるHPは、俺には残ってない」
晴臣はコーヒーを味噌汁のようにすすって、ため息をついている。
樹は何分か前のおめでとうの意味ではなく、今度は慰めに、晴臣の頭を撫でた。……瞬間、手首を掴まれる。
「俺が唯一、晴臣に触れる事を認めた男。いくら樹でも、一日一度までだ」
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