プロローグ

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真面目な口調で、この上ないアホな言葉を告げられ、樹は腕を取られていて。樹が踵を返すと、そこには見飽きたドヤ顔があった。 (二度撫でるなってことは、どっからかずっっと俺らのこと見てたのかよ) 雑然とした学食、健流の姿はこちらからは今まで陰一つ見えていない。樹は、つまらない事に気づいてしまい、悪寒が走った。 「よぉ、健流。挨拶くらいしろ。言い飽きたけど、俺をお前の狂人シナリオに巻き込むな」 樹は半目で健流を見つめた。 「ッス。樹……(おみ)!」   健流はにっこり笑って、樹の手を解き、当然の様に晴臣の横に座った。 音を立てて椅子をマックス近くに寄せている。いつもの一連の流れ、樹は見て見ぬ振りをした。 音もなくさりげなく、温くなったコーヒーを変えてやっている。コーヒーの種類はもちろん組み合わせ何十通りもある、自販の砂糖ミルクの分量、晴臣が飲んでる物と全く一緒の物。 「オミ、メール送ったけど」 「……見た」 晴臣も晴臣でいつもの習慣で、新しいコーヒーを何の疑問も抱かず一口飲んだ。代わりに、冷えた飲みかけを健流が飲んでいる。 「会社……」 「……」 晴臣がだんまりを決め込んでいる。 「俺、授業行くわ」 樹は、始業より早めに席を立った。いたたまれない空気。 今回はかなり晴臣のメンタルにキているんだろう。だけど、樹は知っている。 どれだけ空気が荒れようが、今回は時間がかかるにせよ、結局何事もなかったかの様に、空気が元に戻るんだ。 (流石にそこまで付き合ってられん) 「……じゃあな」 「樹!」 恨めしそうな顔の晴臣と、たおやかな笑みを浮かべて手を振っている健流を一瞥し、樹は二人をあとにした。 授業が始まっても二人は現れなかった。 授業が終わると同時に樹の前に姿を見せたのは、一人だけ。 「樹、ノート貸してくれ」 「断る」 「臣の分もなんだけど」 「……しょうがねーな」 上背のある樹にノートを渡されたついでに、健流は頭をはたかれた。 「なんだよ?オミなら貸してくれんのかよ!差別反対!」 「晴が授業にでなかったの、お前のせいだからだろ」 文句を言いつつノートを分捕る健流に、樹は溜息をついた。樹が健流を睨んだ。いつも右隣にいる晴臣の姿は無い。 「晴、帰ったのか」 「あぁ」 「今回はてこずってんな」 「そんなに、おかしいことか?一緒の所で働くのが」 「まあ、俺の周りにはいないな。お前ら以外」 「生まれた時から大学まで一緒だったら、就職だって一緒なのがむしろ当たり前だろ?!」 健流はボケていない。純粋な澄み切った瞳で樹に訴えかけてくる。国の文化が違う異国人と話をしているようで、樹は言葉を飲んだ。 「まあ、一晩寝たら晴も諦め……いや、気持ち落ち着いてコロっと元気だろ」 そんな姿を何度も見てきた。確かに今回は晴の様子はかなり動揺していた。 「そうかな!」 やにわに健流の顔が明るくなる。 「でも、お前辞めるかもしれんとはいえ、就職なんて一大事だろ。そんな、決め方でいいのか?」 大方、晴臣が受けた所を片っ端受けたんだろう。 「そんな、決め方?」 吸い込まれそうな深いグレーがかった瞳が見開かれた。 「オミが行くかもしれない会社以外、何の選択肢がある?一生の事だぞ」 ”一生の事だぞ” その言葉を、そのまま健流に熨斗つけて返してやりたい。 「あぁ、そうだな」 不毛な会話を終わらせる決め台詞を吐いて、樹は帰り支度を始める。 「たださ、晴だってお前の事、どうこうっていうんじゃなくて、世間の物差しで客観的に自分達を感じたんだろうし。 社会に出るってことで、自立、したかったんじゃないか?」 樹は最後に言い逃げのごとく、晴臣と話して感じた事を代弁した。 「自立……そんなもんオミはとっくにしてる。会社だって、オミが選んだところだ。ちゃんとオミの意志、尊重してるだろ。離れられないのは、俺だ!オミが居るところじゃないと考えられないのは、俺だから!」 「健流……」 過保護な保護者なりをしているのかと思っていた樹は、意外な言葉に驚いた。 誰より解っていると思っていた健流と晴臣の関係を、少し勘違いしていたのかもしれない。 「樹、いつも有り難う。オミの事色々、恩に着る」 「い、いや、あ、あぁ」 これも出会った頃から感じているけれど、晴臣がその場にいないと、健流は (まあまあ真っ当な奴なんだよな) 「お前は……」 健流の聞き飽きた決め台詞を、樹は途中で制した。 「あー分かってる分かってる。”健流が唯一、晴臣触るの認めた男”が俺、なんだろ」 「樹は……違う。オミが唯一認めた男だから……俺もお前を認めてるんだ!」 健流はノートを掲げ、樹に別れを告げた。 廊下を駆ける足音と、健流の独り言がシンクロしながら樹の前から姿を消した。
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