人心掌握

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約束の時間より一時間早く、健流は待ち合わせの場所に着いた。 (やっぱり部長は紳士だな) 同性の新入社員に手を出すという行為の是非は別にして、健流は場所に感嘆した。 まあまあなランクのホテルのラウンジ。 レストラン単体ではない。ホテルの部屋直でもない。 ここを提示して来たという事は食事後、暗に了承と逃げ道の分岐を相手に用意して委ねてくれていると健流は見た。 晴臣の事、勿論タイプか気に入ったのではあるんだろうけれど 部長は仕事柄とキャリアと年の功で、晴臣の性癖を見抜かれた気もする。 相手の晴臣も悪くはない反応で、今までやりとりを続けて来た。 とはいえ、普通の相手ならそんな気は毛頭ない時、算段する余地もある。 上司の圧力でもなく、最後は誘われた方の意志で選択させてくれるのだろうから。 (だけど……臣の場合、食事中手を握られただけでも、惨事になる) 健流は肩を竦めながらも、笑った。 時計を気にしながら、健流は全神経をエントランスに集中し続けている。 小一時間集中力を途切れさせる事なく姿を探し続けた時、社内で見知った姿を瞳が漸く捉えた。 部長がフロントでチェックインしている。 手続きが終わった頃を見計らい、健流はソファから身を起こし 部長が携帯を手にした瞬間、駆け寄った。 晴臣の姿を探していただろう視界に、部長にも見覚えのある姿が飛び込んできた時…… 流石に声はあげなかったが、心底驚いた顔をした。 「……君、は」 滅多に見せはしないだろう大人の歪んだ顔を見て、健流は背中が見えるほど、深々と頭を下げた。 「本間部長、突然すみません。僕は、今日水瀬の代わりにこちらへ参りました、冴木です」 「な、」 自体が飲み込める筈もなくただ驚いている部長に、健流は部長の泳いでいる瞳を見据え、暫く見つめ合い続け 「無理を承知でお願いします。話をさせて下さい。僕を……部屋に、連れて行って下さい。お願いします」 健流は真剣な眼差しと口元だけ笑みを作り、部長に表情を残した後、再び頭を下げた。 沈黙が続き、健流は大理石の床を眺め続けていると、背中に手の感触を感じ、頭を上げた。 見ると、部長は前を歩き始め、エレベーターの方を指さしていた。 「有難うございます!」 公共の施設内で、部長だけに聞こえる音量で、礼を告げる。 部長の背中に着いて歩きながら、健流は拳を握って小さくガッツポーズを取り、微笑んだ。  
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