第一話 アリとキリギリス

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「逃げろー!」  巣穴の入口から、誰かが下を覗き込んで叫びます。でもその声を聞き終わる頃には、 ()み上げられている土砂(どしゃ)(かべ)がガラガラとアントンの上に (くず)れ落ちて来ました。 「うわーー!」  アントンは必死に逃げ道を探します。しかし崩れた土砂は、まるで川の流れのようにアントンを押し流してしまいました。 「誰かぁ……助け……」  土砂に巻き込まれたまま、アントンは大雨で出来た巨大な 濁流(だくりゅう)に飲み込まれてしまいました。水の流れが土砂を洗い流し、土砂の中から浮き上がったアントンを、 激流(げきりゅう)がどんどん下流へ流して行きます。  もう……ダメかも……  アントンが (あきら)めかかったその時…… 「小僧! つかまれ!」  すぐ近くで誰かの叫び声が聞こえました。アントンが目を開くと、真横に葉っぱの(ふち)が見えました。アントンは急いでその縁をつかみ、葉っぱの上に乗り移ります。 「ふぅ……間に合ったな……」 「あ……」  葉っぱの上には、数日前に出会ったキリギリスのギリィと、見知らぬ女の人がいました。 「あら? 誰を助けるのかと思ったら……。いらっしゃい、アリん子さん」 「あの……あなたは……」 「ん? 俺はキリギリスのギリィ。で、こっちは……」 「鈴虫のリンよ。よろしくね、坊や。……どうしたの? せっかく助けてあげたのに……」  アントンは助かったことを喜んだのも (つか)()、父アリからの言いつけを (やぶ)ってしまったという罪悪感(ざいあくかん)で気持ちが (しず)んでしまいました。その (くも)った表情に気付いたリンが、 不思議(ふしぎ)そうに(たず)ねたのです。 「……僕……ギリィさんとは……ちょっと……」  ギリィとリンは、アントンの返事を聞くとポカンとし、次にリンは怒った声で言いました。 「ギリィ! あんたこんな小さな子に、いったい何をしたんだい!」 「は? いや……ちょ、ちょっと待てよ! 何の話だよ!」  リンは手に持っていた小枝でギリィを数発叩きます。 「坊や、大丈夫よ! 安心なさい。コイツが何かしてもあたしが守って上げるから」 「え? いや……あの……」  突然の 乱闘(らんとう)に、アントンは驚きながら答えました。 「ち……違うんです! 別にギリィさんから何かされたワケじゃなくって……」 「あら? 違うの? なぁんだ」 「『なぁんだ』じゃねぇだろリン! 急に何しやがるんだよ!  ()ってぇなぁ……」  ギリィは2本の手を使い、リンから叩かれた身体をさすっています。 「お前ぇのせいで変な 誤解(ごかい)されただろが、坊主! ん……お ()ぇは……」  アントンの顔をマジマジと確かめると、ギリィは笑顔になりました。 「なぁんだ! あん時の小僧じゃねぇか! えっと……アトム? アントー?」 「……アントン……です」 「あっ! そうそう! それだ! 働き者のアリん子アントン!」  ギリィは (うれ)しそうにアントンの名前を呼びました。 「で? その坊やが、どうしてコイツにそんな 態度(たいど)をとってるワケ?」  リンが不思議そうに尋ねます。 「あの……お父さんとお母さんから……ギリィさんとはお話をしちゃダメって。……会っても 無視(むし)しなさいって……」 「はぁ? お前ぇの 親父(おやじ)とお(ふくろ)は何言ってやがんだ? 別に良いじゃねぇかよ、お話くらいよぉ……」 「……理由は?」  ふてくされるギリィの声に重ねるように、リンが優しく尋ねました。アントンは何と答えようかと考え、申し訳なさそうに答えます。 「……働きもしないダメ昆虫で…… (なま)け者の大人だから……」  アントンの返事を聞いたギリィとリンは、 唖然(あぜん)とした顔でお互いを見つめると……やがて「クククッ!」と笑い始め、ついに (こら)えきれない様子で、お腹を (かか)えて笑い出しました。 「はーはっはっ! ダメ昆虫の怠け者だってよ!  (ちげ)ぇねぇや!」 「アハハ……ほら、見てる人は見てんのよ! ダメ昆虫のギリィってさ! ウケるぅ!」  アントンはビックリしました。 正直(しょうじき)に本当の話をしたら、この人達が怒り出すかもしれない……と、どこか不安に思っていたからです。それなのに……なんでこんなに大笑いをしてるんだろう? 「ヒィヒィ……腹痛ぇ……」  ギリィは笑いながらバイオリンを取り出しました。 「こ……この思いを……この曲に乗せて……」  そう言うと、簡単にバイオリンの調律をすませ、一気に 軽快(けいかい)な曲を(かな)で始めます。いつの間にか雨は止み、 (あつ)く暗かった雲も(うす)れて晴れ間も見え始めていました。葉っぱのボートはまだ流され続けていますが、ギリィは上手にバランスを取りながら、明るく元気な曲を奏で続けます。  アントンは生まれて初めて聞いたキリギリスのギリィのバイオリンに圧倒されました。力強い 音色(ねいろ)……でも心から楽しそうに……そして、 (しず)んだ気持ちを()き立たせるような……    雲の 隙間(すきま)から()し込む陽射(ひざ)しが、周りの水面(みなも)にキラキラ 反射(はんしゃ)する流葉(ながれは)ステージの特等席で、アントンはギリィの奏でる音色に自然と心を (うば)われていきました。
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