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「逃げろー!」
巣穴の入口から、誰かが下を覗き込んで叫びます。でもその声を聞き終わる頃には、 積み上げられている土砂の 壁がガラガラとアントンの上に 崩れ落ちて来ました。
「うわーー!」
アントンは必死に逃げ道を探します。しかし崩れた土砂は、まるで川の流れのようにアントンを押し流してしまいました。
「誰かぁ……助け……」
土砂に巻き込まれたまま、アントンは大雨で出来た巨大な 濁流に飲み込まれてしまいました。水の流れが土砂を洗い流し、土砂の中から浮き上がったアントンを、 激流がどんどん下流へ流して行きます。
もう……ダメかも……
アントンが 諦めかかったその時……
「小僧! つかまれ!」
すぐ近くで誰かの叫び声が聞こえました。アントンが目を開くと、真横に葉っぱの縁が見えました。アントンは急いでその縁をつかみ、葉っぱの上に乗り移ります。
「ふぅ……間に合ったな……」
「あ……」
葉っぱの上には、数日前に出会ったキリギリスのギリィと、見知らぬ女の人がいました。
「あら? 誰を助けるのかと思ったら……。いらっしゃい、アリん子さん」
「あの……あなたは……」
「ん? 俺はキリギリスのギリィ。で、こっちは……」
「鈴虫のリンよ。よろしくね、坊や。……どうしたの? せっかく助けてあげたのに……」
アントンは助かったことを喜んだのも 束の間、父アリからの言いつけを 破ってしまったという罪悪感で気持ちが 沈んでしまいました。その 曇った表情に気付いたリンが、 不思議そうに尋ねたのです。
「……僕……ギリィさんとは……ちょっと……」
ギリィとリンは、アントンの返事を聞くとポカンとし、次にリンは怒った声で言いました。
「ギリィ! あんたこんな小さな子に、いったい何をしたんだい!」
「は? いや……ちょ、ちょっと待てよ! 何の話だよ!」
リンは手に持っていた小枝でギリィを数発叩きます。
「坊や、大丈夫よ! 安心なさい。コイツが何かしてもあたしが守って上げるから」
「え? いや……あの……」
突然の 乱闘に、アントンは驚きながら答えました。
「ち……違うんです! 別にギリィさんから何かされたワケじゃなくって……」
「あら? 違うの? なぁんだ」
「『なぁんだ』じゃねぇだろリン! 急に何しやがるんだよ! 痛ってぇなぁ……」
ギリィは2本の手を使い、リンから叩かれた身体をさすっています。
「お前ぇのせいで変な 誤解されただろが、坊主! ん……お 前ぇは……」
アントンの顔をマジマジと確かめると、ギリィは笑顔になりました。
「なぁんだ! あん時の小僧じゃねぇか! えっと……アトム? アントー?」
「……アントン……です」
「あっ! そうそう! それだ! 働き者のアリん子アントン!」
ギリィは 嬉しそうにアントンの名前を呼びました。
「で? その坊やが、どうしてコイツにそんな 態度をとってるワケ?」
リンが不思議そうに尋ねます。
「あの……お父さんとお母さんから……ギリィさんとはお話をしちゃダメって。……会っても 無視しなさいって……」
「はぁ? お前ぇの 親父とお袋は何言ってやがんだ? 別に良いじゃねぇかよ、お話くらいよぉ……」
「……理由は?」
ふてくされるギリィの声に重ねるように、リンが優しく尋ねました。アントンは何と答えようかと考え、申し訳なさそうに答えます。
「……働きもしないダメ昆虫で…… 怠け者の大人だから……」
アントンの返事を聞いたギリィとリンは、 唖然とした顔でお互いを見つめると……やがて「クククッ!」と笑い始め、ついに 堪えきれない様子で、お腹を 抱えて笑い出しました。
「はーはっはっ! ダメ昆虫の怠け者だってよ! 違ぇねぇや!」
「アハハ……ほら、見てる人は見てんのよ! ダメ昆虫のギリィってさ! ウケるぅ!」
アントンはビックリしました。 正直に本当の話をしたら、この人達が怒り出すかもしれない……と、どこか不安に思っていたからです。それなのに……なんでこんなに大笑いをしてるんだろう?
「ヒィヒィ……腹痛ぇ……」
ギリィは笑いながらバイオリンを取り出しました。
「こ……この思いを……この曲に乗せて……」
そう言うと、簡単にバイオリンの調律をすませ、一気に 軽快な曲を奏で始めます。いつの間にか雨は止み、 厚く暗かった雲も薄れて晴れ間も見え始めていました。葉っぱのボートはまだ流され続けていますが、ギリィは上手にバランスを取りながら、明るく元気な曲を奏で続けます。
アントンは生まれて初めて聞いたキリギリスのギリィのバイオリンに圧倒されました。力強い 音色……でも心から楽しそうに……そして、 沈んだ気持ちを沸き立たせるような……
雲の 隙間から射し込む陽射しが、周りの水面にキラキラ 反射する流葉ステージの特等席で、アントンはギリィの奏でる音色に自然と心を 奪われていきました。
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