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私は異常だ。
窓から目を逸らして、溜息をつく。
漆黒の髪に、どこまでも吸い込まれそうな黒い瞳。
彼のことを想うと、胸が苦しくなる。
「サシュア殿下。カルシア・バーン、参上いたしました」
扉を叩く音がして、彼の低音が私の耳に届く。それだけで甘美な想いに駆られる自分を押さえ、表情を改める。
「入れ」
「失礼いたします」
しばらくして、扉が開かれ彼が顔を見せる。
先ほど、窓から見た姿と同じ、かっちりと黒色の制服を着こみ、髪は邪魔にならないように編み込まれている。その長い髪は、想い人のために延ばされるとか、どうとか。
その想い人へ嫉妬の心が込み上げてきて、押し殺す。
私は、王国の第一王子で、王太子である。次期に王になるものとして、この思いは決して知られてはならない。
「今日の視察先のことだが……」
彼が口を開くよりも先に、用件を切り出す。その黒い瞳に囚われないように、視線はそらしたままだ。自身の気持ちを自覚してから、彼の瞳を見れなくなっている。情けないが、この想いを悟られるわけにはいかなかった。
「それでは、予定通りに午後に」
「頼むな」
本当ならばわずかでも彼と同じ場所にいたい。
けれども、自身の気持ちが伝わってしまうのが怖くて、私は直ぐに用件を済ませた。
午後からは彼を伴って、孤児院へ視察に出かける。
☆
馬車の小窓から、国民に手を振る。視界の端に彼の姿を移り、追ってしまって、彼がこちらを向く前に慌てて視線を別のところへ向ける。
――彼を私の騎士から外したほうがいいかもしれない。
最近思っていることだ。
彼には弟の警護を頼もう。前から彼に憧れている弟のジョシュアだ。
喜んで受けて入れてくれるはずだ。
カルシアも……。
最後にまともに話したのはいつだろうか。
気持ちを自覚する前は、いつも彼と話していた気がする。それも異常だったかもしれないな。今は、私から少し解放されて、彼も騎士としての仕事を全うできているだろう。
王太子の騎士から、第二王子の警護は格下げになるだろうか。
それなら……。
私は、なんてことを。
王太子として、最低な考えだ。
小さい時から、次期王として学んできた。今更、何を考えているのだ。
弟に譲ったからと言って、この気持ちを伝えられるわけがないのだから。
伝えて、拒否されるに決まってる。
軽蔑されるはずだ。
それなら、王太子として振る舞い、彼から尊敬の念をもらったほうがいい。
――サシュア殿下は、王太子としてとても立派な方です。私はあなたを尊敬しております。この命尽きるまで、あなたの臣下として……。
臣下として……。
ああ、そうだ。
「殿下。到着いたしました」
「ああ。ありがとう」
彼の低音が聞こえ、我に返る。
彼は私の臣下。
そして私は彼に相応しい王太子であるべきもの。
☆
「サシュア殿下!」
朦朧とする意志の中で、彼の声を聞く。そしてその腕の中の温もりを感じる。
「カルシア……」
彼の表情が驚愕に満ちていく。同時に悲しみ、そんな思いも見えた。
なにが……?
私の意識はそこで切れた。
今日は孤児院への訪問だった。
子供たちと遊び、馬車に戻る途中、おかしな女が騒ぎ立てた。カルシアがその女を止めたのだが、その者が急に私を指さして、何やら唱えた。
そしたら急に眩暈がして……。
目を覚ますと、寝室にいることがわかった。
見慣れた天蓋があって、部屋の中はまだ日中なのか、光が満たされている。
「まさか、殿下が女性になってしまうとは」
「あれはいったい」
「魔女の呪いです。カルシアが魔女を追っているようですが……」
どういうことだ?
寝室から少し離れたところで交わされる言葉。恐らくあれは王宮付の医師と近衛兵団長だ。
女性とは?
体を少し起こすと、長い髪が見えた。それは自分と同じ胡桃色の髪色。胸が少し膨らんでいて、触るととても柔らくて、急に恥ずかしくなった。
「殿下?」
ベッドのきしみ、擦れの音で気が付いたのか、彼らの足音が聞こえ、私は動揺しながらもどうにか平静を保とうとした。
女性。間違いなく、私は女性の体になっている。
ということは……。
このような状況であさましいことに考えたのは、カルシアのことだ。
今の私なら、彼は……。
「殿下、ご気分はいかがですか?」
「ああ、悪くない」
女性になった高揚感を隠して、俯いたまま答える。
「すでにお分かりだと思うのですが、殿下の体は女性体に変化しております。いくつかご質問をさせていただきたいのですがよろしいでしょうか?」
「ドイソン。その前に殿下に状況説明が先だろう。殿下、何が起きたか覚えてらっしゃいますか?」
「ああ。孤児院から馬車に乗る前に、おかしな女に襲撃されそうになった。いや、襲撃されたのか。このありさまだしな」
「……申し訳ないことを。カルシアがいながら」
自嘲ぎみな言い方がよくなかったらしい。
団長が平伏した。
「謝ることなどない。まさか、魔女が襲撃するなど、想像できぬものだ。怪我も追っていないし、お前が責任を感じる必要はない」
「殿下。魔女とはいえ、襲撃を許したのは事実。その上、殿下がこのような姿に。すぐに魔女をひっとらえて、呪いを解いてみせます。現在カルシアが…、殿下?」
思わず、手が動いていた。
必要ないと。が、私は慌てて誤魔化す。
「魔女捜索はまかせる。カルシアには無理をしないように伝えてくれ」
「はっ。それでは私はこれで」
団長は敬礼すると部屋を出て、医師のドルソンと二人きりになる。
「殿下。これから私が質問することに正直に答えてもらえますか?」
ドルソンは完全に団長が出て行くことを確認して、ベッドのすぐ近くにある椅子に腰を下ろす。白髪が目立つ医師は、私が小さい時から懇意にしている者だ。
彼は眼鏡の奥の小さな青い瞳を真摯に私に向けている。
――気が付かれている。
その瞳が私の想いを見抜いているようで、怖くなって、ブランケットを硬く握る。
「殿下。私を信じてください。そしてあなたの想いをきかせてください」
彼はにっこりと笑ってから、質問を始めた。
☆
「後はカルシアに任せましょう」
「カルシアに?」
全ての質問に答えた後、ドルソンはそう言った。
質問は私が予想したようなものではなく、一般的なもので安堵した。
彼には私の想いがすべてを知られていると思ったのだがそうではなかったらしい。
「殿下。呪いなんてものは存在しないのですよ。あるのは願いのみです。魔女は願いを叶えたのです。彼の」
「どういう意味だ?彼の?」
去り際に彼は意味深なことを言ったのだが、聞き返した私に答えることはなかった。
言葉の意味を考えていると、父上、母上、弟が訪ねてきて、ドルソンの言葉など考える暇はなくなる。
「サシュア。呪いはすぐに解かれるはずだ。安心しなさい」
「そうよ。今はゆっくり休みなさい」
「兄上。私にお任せください」
14歳の弟のジョシュアは胸を叩き、勇ましい。
子供だと思っていたが、よく見ると身長は母上よりもすでに高くて、顔立ちも大人に近づきつつあった。
――これなら。
淡い期待をもってしまう。
王太子という立場を弟に譲り、王女として、生きて行けたらと。
カルシアの傍で。
『サシュア殿下は、王太子としてとても立派な方です。私はあなたを尊敬しております。この命尽きるまで、あなたの臣下として仕えるつもりです』
カルシア。
彼は、私を王太子としか見えていない。
そんな彼に、無理だ。
「サシュア。国民にはお前の件は伏せておる。幸運なことに、お前の姿が変わったことはカルシアが咄嗟にお前にマントをかけて隠したため、怪我を負ったということになっている。呪いが解けるまで、静養という形で国民には知らせるつもりだ」
「ありがとうございます」
呪いを解く。
それは正しいことだ。
父の言葉に私はベッドに座ったままだったが深く頭を下げた。
☆
「ねえ」
その夜、眠れないと思っていたが、そうでもなかったらしい。
眠っていた私は、女性の声で起こされた。
見覚えのある、あの私に呪いをかけた女性――魔女がそこにいた。
「どうや!」
「しっつ」
声を荒げた私に対して魔女は自身の唇に手を当てる。すると声も何も上げれなくなった。
「あなたもわかってるいるのでしょう?これが呪いではないということ。私は、願いを叶えたあげたの。私の可愛いカルシアの」
カルシア?
「馬鹿なカルシアは、怒っていたけど。呪いを解くのは簡単よ。ほら、よくあるでしょう。真実の愛の口づけ。それを交わせば、あなたは元の男性の体に戻るわ。でもその瞬間、あなたは彼の本当に気持ちを知り、余計絶望してしまうかしら?性別なんてどうでもいいのに」
立て続けに言われて、混乱していた。
彼が願った?私が女性になるように?
そして戻るためには真実の愛の口づけ?
「お馬鹿さんは、明日返してあげるわ。ふふふ。カルシアはどうするかしらね。あの馬鹿にも呪いを解く方法を教えてあるわ。どうするか、見物だわ」
魔女はそう言うと消えてしまった。それこそ、煙のように。同時に口が利けるようになった。けれども、人を呼ぼうとは思わなかった。
与えられた情報が多すぎて、整理する必要があった。
カルシアと魔女は知り合い。
彼の願いは……私が女性になること?
ということは、彼が……。
いや、まさか、そんなことは。だけど、真実の愛の口づけ……。
自然と私は自身の唇に手を当てていた。
柔らかい、その唇。
結局、その夜眠れず、私はカルシアの訪問を受けることになった。
☆
「殿下と二人きりにしていただけますか?」
朝食をすませ、すぐにカルシアの訪問が知らされた。彼の他に団長と医師ドルソンもいたが、二人に彼はそう申し出た。団長は反対したが、ドルソンに説得され渋々部屋を出て行く。
二人きりになり、私は緊張で気が遠くなりそうになる。
女性の身であるが、ドレスを身に着ける気にもなれず、私は男装のまま彼に対峙していた。椅子に腰かける私に近づく彼。
黒い瞳から逃れ、私は彼の胸元に視線を向ける。
「殿下……。申し訳ありません」
あと一歩で触れる距離まで近づき、彼は膝を折った。
首を垂れたまま、言葉を紡ぐ。
「あなたが女性になったのは私が原因です。あなたの呪いを解く方法を私は知っている。でもそれは、私の秘密をあなたに語ることと同じ。だから、すべてを話して、私は罪を償います。他の者に語られたり、推測されたりするのは許しがたいこと。それはすべて言い訳で……ただあなたに強く覚えてもらいたいだけかもしれませんが。こんな私を、あなたはきっと軽蔑されるでしょう。けれども、すべてを語り、あなたに軽蔑されて、私は極刑につく」
「カルシア……」
彼の言葉の端々から、彼の覚悟と想いが溢れていた。
なんてことだ。
「殿下。呪いを解く方法はただ一つ、真実の愛の口づけです。もしかしたら他にもあなたに愛を誓う者がいるかもしれない。けれども、呪いの原因を作ったものとして、私は自身で呪いを解く。……それは言い訳ですね。私は、自分の欲望を満たそうとしている。この機会に。最低な臣下です」
彼は顔を上げると、立ち上がった。そうして一歩踏み出し、私の触れる距離にいた。
「サシュア殿下。愛しています。あなたが男性であり、王太子という立場だというのに、私は自身の想いを消すことができなかった。それが、このような事態を……」
「このような事態?私が女性化したことか?」
久々に間近でみた彼の黒い瞳。なぜか心は落ち着いていて、私はその瞳を静かに見つめ返していた。
「ええ。あなたが女性であれば、王女であれば、我が妻にと問えたものを、と願ってしまったのです」
「カルシア!」
思いは同じで、私は気が付くと立ち上がり、彼の腕を掴んでいた。
「殿下?」
「カルシア。どうか聞いてくれ。私も同じなのだ。私もあなたを愛している。そして女性であればと何度願ったことか」
「殿下!」
カルシアは私の手を振り払い、全身で私を包む。
彼の胸の鼓動が聞こえてきて、その緊張が、温もりが伝わる。
しかし、それは一瞬で彼は直ぐに体を離した。
「……殿下。ありがたいお言葉。これで私も悔いがありません」
「カルシア。お前を罪に問うことはない。この呪いは、私も願ったものでもあるからだ。魔女は呪いではなく、願いといった。なので、これはお前だけのせいではない。しかし、私は、王太子であり、責任がある」
「殿下……」
「カルシア。お前の愛が本当であれば、私を待つことも可能だろう。私は弟に私のすべて譲渡する。そのための時間が必要だ。待てるか?」
「当然です。私は、「死」と覚悟しておりました。待つことなど、たやすいことです。疑うのであれば、私の真実の愛の口づけで証明いたしましょう」
「そうだな。それで問うとしよう」
初めての口づけは、よくわからなかった。
彼の顔が近づいてきて、とりあえず目を閉じた。
すると柔らかい何かが私の唇を啄み、そこで意識が途切れたからだ。
☆
「カルシア」
三年後、私はカルシアと共にいた。
呪いが解け、元に戻ってから、カルシアは軍を除隊した。そして隣国へ出奔。私はそれを待ってから、父、母、弟にすべてを話した。本来ならばカルシアが傍にいてくれたらと思ったが、もしものことを考え、彼には隣国で待ってもらった。
説得には時間がかかったが、どうにか納得してもらい、私は準備を進めた。三年間、カルシアとは手紙のやり取りしかできなかった。けれども、あの口づけ……あまり覚えてはないけど、「真実の愛の口づけ」と信じて、彼に会うために頑張った。
三年後、私は王子としての自身を捨て、ただのサシュアになった。
カルシアに迷惑をかけたくないため、修道院に入ったことになっている。
「会いたかった」
「私もです。殿下」
「カルシア。私はもう殿下ではない。サシュアと呼べ。いや、呼んでだな」
「……サシュア」
黒い瞳が私を射貫き、身動きが取れなくなった。
「愛しています」
囁きとともに、落とされる口づけ。
呪いを解くために交わされた口づけは記憶にほぼなかったが、もしかしてこのせいかもしれないというくらい濃厚で、眩暈がした。
「もう!私の前でいちゃつかないでよ」
「いたのか?」
「いたわよ。まったく」
待ち合わせの場所は魔女の家だった。
魔女はカルシアの叔母であり、彼の迷いをしり、協力したと。カルシア曰く協力などではないというが、私にとってみれば、協力だ。
彼女の呪いのおかげで、私は自身の気持ちに正直になれた。
王太子としては失格だった。けれども、私は自身の幸福を手に入れた。
-Happy Ever after-
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