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千年前の勇者 終わりの物語
「神よ…ロードオブマリア、聖なる母竜よ。今こそ俺に、大切な者達を守れるだけの力を!愛するクレアを、天使の微笑みを失わずに済む為の勇気を!与えてくれ、どうか…たとえこの身、果てようとも悔いはない!!」
駆ける、駆ける、どこまでも。
斬る、斬る、ひたすらに。
かつての同胞、人間に勇者は刃を向ける。
胸の内には愛する天使への想いを秘めながら。
「ロベリオ…この裏切り者が!貴様は人間界の恥だ、卑劣な魔王に飲み込まれやがって!殺してやる!!」
目の前に、旅立ちの時には俺を勇者と崇め、笑顔で送り出した帝国の騎士が襲い掛かって来た。
だが、俺は気にせず一刀の内に返り討ちにする。
絶命する時、奴は俺に鮮やかな噴血による返り血と呪いの言葉を残して壮絶に果てた。
「魔王と魔界に味方する人間界の勇者だと?竜の男が聞いて呆れる!何が伝説の竜人族だ、呪われるがいい!!」
卑劣な魔王?そんな者はどこにもいない。
母に竜を、父に人間を持つ俺は、中途半端な存在でありながら人間界の誰よりも強いと言われて勇者に選ばれた。
旅立ちの本当の目的も、何も知らずに。
卑劣なのは俺達、人間界の人間の方だ。
勇者として旅立った俺に、人間界から暗殺の依頼が来ていることを知った上で、魔界を統べる魔王様はいつだって覚悟を決めて俺を受け入れてくれた。
側近の黒騎士…一番の部下であるヴェルグにも伏せて、暗殺の機会を与えてくれた。
そんな出来た御方が卑劣な物か!
俺は襲い掛かってくる人間界の猛者達を一人、また一人と斬り捨てながら、誰よりも気高い魂を持つ魔王様と交わした最後の会話を回想していた。
「ロベリオ…我はお前の判断を信じておるよ。故に、お前が選ぶ道ならそれが我の暗殺であろうと受け入れる。それくらいの覚悟も無くて、魔王等と名乗れようか。だが、ヴェルグには秘密であるぞ?知れば必ずアレは全力で我を守る、たとえ親友のお前であろうとも止める。お前を殺してでも、な……しかし我は、その様なお前達の姿は見たくないのだ。我が儘よな」
「魔王様…そんな、俺が皇帝の説得に失敗したから!全て俺が悪いんです、魔王様は何も悪くありません!」
俺の旅の始まりは、至極簡単な物だった。
人々には畏敬を込めて、ロードオブマリアと呼ばれる聖なる母竜…母の意思により人間界へ送られた時。
二代目アストレイル帝国皇帝、ルシーズ=フェリア=マリクスによって人間界代表パーティーをまとめる勇者に選ばれたことがきっかけだ。
未だ混沌の最中にある四世界を一つにまとめる…言葉にすれば陳腐だが、実際は様々な種族の問題を抱えているこの世界に希望の光はなかなか見えない。
だからこそ竜にも人にも味方できる立場の俺が選ばれた訳だが、俺はその期待を見事に裏切った。
理由は皇帝や人間界の意思に、魔界を制圧する為の魔王様の暗殺に俺は納得が出来なかったからだ。
今の魔王様はルシーズ皇帝等よりも本物の王と言えよう。その唯一高貴な命さえ投げ出し、民や魔物達のみならず世界中の全ての者に幸あれと願われる、心優しき至高の御方なのだから。
俺とヴェルグの紡いだ儚い友情をも守ろうと、俺を密かに呼び出して真意を尋ねられた気遣いに俺は心から感謝し敬服した。
「不器用よな…お前も、ヴェルグも。そしてクレアもな」
「魔王様…お願いがあります!どうかクレアを、仲間達を守って欲しいんです。今から俺は、反逆者になる…人間に刃を向ける裏切り者になります。だけどクレアや皆は何も悪くない、ですからどうかご慈悲を」
旅の導き手として、空高くに在りて人間界を見下ろす天空界より舞い降りた一人の天使。
それが大天使の双子の兄を持つ、慈愛に満ちた天使クレアチスだ。
俺は心密かに導き手のクレアへ好意を持っていたけれど。
この恋心はこのまま一生、口にすることなく他の仲間達にも伏せて、独りで戦場へ行こう。
故郷である人間界や人間達から裏切り者扱いされるのは、罪を背負う俺だけでいい。
そして出来ることならば、今の俺が彼女や大切な仲間達にしてやれる最後の真心として…この魔界で生き延びることが出来る様にしてから逝きたい。
俺の本来の結婚相手である義妹…真面目でちょっとだけツンデレなリリエルには、やはり泣かれてしまうだろうか?
いつも強気で勝ち気な性格の涙など滅多に見せない義妹の涙を思うと、少しだけ義兄としても結婚相手としても酷いことをしているのだと改めて自覚させられて胸が酷く痛んだ。
「約束しようロベリオ…我はお前が望む限り、クレアやお前にとって大切な者達全てを守り続けると」
「あ、ありがとうございます魔王様!俺は、これでやっと覚悟を決めることが出来る…」
魔王様の足下に土下座して、あまりの寛大な御心に感動したまま頭を上げることも出来ない俺を、魔王様は自ら立たせて下さると俺を気遣って小さく頷かれる。
たとえそこに言葉はなくとも、俺と魔王様の間には通じ合える思いがあったから俺も同じ様に小さく頷き返した。
今まで一度も泣いたことなど無い俺が、唯一その時だけは魔王様の御前だと言うことも忘れて大声を上げて泣いた。
それはクレアや仲間達を失う不安から解放された為からなのか、それともこれが魔王様や皆との永遠の別れになると分かっているからの涙なのか。
あぁ…だけど、それも今となっては分からない。
かつての同胞を一体何人斬り殺したか、何人の返り血を浴びたのかすら分からない。
幸か不幸か…俺もそれだけの罪を犯した報いとも言える深手を負ったけれど。
浅い呼吸と朦朧とする意識の中、脇腹に負った傷から流れ出る血を手で抑えながら、魔界と人間界の境界をひたすらさまよい歩く。
出来れば誰にも見つからない所で死にたいと願っていた俺は、俺が出来る本当に最後の手段をようやく手の中に掴んだ剣の柄に見出だして安堵する。
既に目は見えず息も絶え絶え…哀れと呼ばれても仕方ない姿を晒している今の自分は、誰にも見せたくないし見られたくはなかった。
俺は最後の力を振り絞ると、台座に突き刺さったまま数千年の時をこの境界で、魔界と人間界を繋ぐ次元の扉を封じる役目を果たして来た至高の剣に唱える。
四世界…人間界、魔界、天空界、地底界、全ての境界に存在している次元の扉を封じる鍵は剣の役目。
そしてそれは…生命を糧にすることでしか制御出来ない禁忌の剣だった。
「剣よ…どうか、このロベリオ=ファンガス=アークの魂を以て、永久に愛しき世界を守りたまえ!次元の扉を封じる鍵となりて、卑しき人間の侵略を防ぎたまえ!さようなら……クレアチス」
もう一度、魔界と人間界に通じる次元の扉を封じてしまえば、もう誰にも魔王様や皆に手出し出来ない。
どうせこのまま尽きる命なら、せめて魔界の為になることをしてから逝きたいと考えた俺は…魔界の剣に命を捧げる選択をした。
血塗られた覇道を極めてきた魔王は今は昔の物語。
今の魔王様を知らぬ人間達に、心から伝えたい。
魔王様もヴェルグも、魔界の者達は皆が心ある者達であること。
誰しもが魔王様を尊敬し、その統治に心から敬服していることを心から伝えたい。
分かり合うことに、遅いなんてことは決してないのだから。
…残念ながら、俺の物語はここまでの様だけれど。
その後、剣が眩く光った後に残された物は何も無かった……
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