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第一話 ある見える人の話
気付いたのは、自宅のダイニングキッチンでラーメンに湯を注ごうとした時だった。
窓を開けてはいないのに、押されるようにゆっくりと揺れるカーテン。そのカーテンと俺の間に、ベッド以外何もあるわけはない、はずだ。
しかし、それがぼうっとこちらを見ているのが分かった。目を合わせないようにして横目で窺う。男だ。
視線を感じながら湯を容器の線まで注いでラーメンの蓋の上に割り箸を乗せる。
いつからだろう、見えたのは。見えなくなったのは。
幼稚園に上がる頃には、それの存在に気付いていた。それが自分以外に見えないということも。
小学校低学年の頃になると、それを見るのを止めた。
「見える」と相手に気付かれてしまうと、ついて来ようとしてくることが何度かあって、害を与えられることはないのだが、気持ちの良いものではないから、できるだけ見ないようにした。普通の人に見えるから厄介なのだが。
テーブルにつき、ラーメンを啜りながらテレビに視線を向ける。しかし、家の中に唐突に現れたこの男は一体誰なんだ? 窓から進入してきたわけではないことは、ここが四階で窓も開いていないことから明白だ。生きた人間では、ない。
食べ終わって空になった容器と割り箸をゴミ箱に放り込んで、テーブルの上のシザーケースを手に取った。学校に行って家に帰り着くまでに、どこかに行ってくれるといいが。
玄関に向かい、履き古しの先のとんがった革靴を履く。と、玄関の壁にある鏡に男の姿が映っているのが見えて、背筋が凍った。
『……あ、あの……』
か細く弱々しい声を発する。鏡越しに見たその顔に、見覚えがあった。
しかし構わずドアを開けて外に出た。追い掛けてこないことを祈りエレベーターまで直進して、操作盤を押す時に振り返る。ついてきてはいない。溜息を吐き、マンションからほど近い、理美容専門学校に足早に向かった。
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