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「今日は……カットのご予約で。どういう髪型にしたいとか、ご希望は」
「……南さんが、似合うと思う髪型にしてください」
ずっとこの日のために半年頭の中で反芻してきた台詞を、ようやく口に出す。震えていたが、言い終えられて少しだけだが胸をなで下ろした。
「そうだね……じゃあ、前髪長めのスマートマッシュ、でどうかな? 校則に引っ掛からないようにスタイリングしますよ」
僕にクロスを掛け、髪を軽く触りながら――ただ髪質を見ているだけだ――微笑みかける彼に、心臓を射抜かれ息の根を止められそうになりながら、いっそ坊主でもなんでも構わないので好きにしてくれ、と言いそうになるのを我慢して、俯きかげんに「それでお願いします」と答えた。
「じゃあ、カットしていきますねー」
腰に提げた年季の入ったシザーケースから、ハサミと櫛を取り出し丁寧に長さを確認しながら小気味良い音を立てて切っていく。
「今日は、学校休みかな?」
平日昼間に学生服姿の客が来たのだから聞かざるを得ないだろう。その質問のシミュレーションはできていた。
「修学旅行で、東京に来たんです」
「えっ、それでわざわざ俺を指名して予約して来てくれたの?」
「はい、ずっと髪を切って貰いたいと思っていて」
「ずっと逢いたかったので」なんて男の僕が言ったら、背中を虫が這い摺ったかのような顔をされるのは目に見えていたから、あくまで「美容師として」のファンという体にする。初対面で号泣した時点で既に手遅れだと思うが。
illustration by ば/けさん
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