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死
「手を貸してくれ! 人が狼に襲われてるんだ!」
ドニスは近隣の集落に走り、助けを求めた。
人々はそれぞれ武器となるものを持って、ドニスに従った。
「フアナ!! 助けに来たぞ! フアナー!」
ドニスは川に戻ってきたが、フアナの姿がなかった。
狼もすでに立ち去ったようで、そこには血のあとしかない。
狼に連れていかれたのかもしれない。ドニスは急いで川を渡り、付近を捜索し始める。
血が森へと続いているかと思ったが、そうではなかった。血は川原にしか残っていない。
「流されたのか……」
あの状況で助かる方法は、狼をすべて撃退するか、川に飛び込むしかない。だが、狼の死体はそこにはなく、フアナは泳げない。であれば、逃げようと川に飛び込み、今ごろ溺れているに違いない。
「フアナー!!」
ドニスは下流に向かって走った。
川にフアナがいないか注意して、川沿いを下っていく。
「フアナ!!」
いた。
フアナが川岸に倒れている。
ドニスはすぐに駆け寄って、フアナを助け起こした。
「おい、しっかりしろ!」
フアナは目を覚まさない。
体には力がなく、ぐったりとしている。触れただけで体温が下がっているのも分かる。
周囲の水が赤くなり、服は真っ赤に染まっていた。
ドニスは血を止めようとするが、傷が多くてどこから手を付けていいのか分からず、呆然としてしまう。
出血多量。狼に噛みつかれ、引き裂かれたのだ。これほどの血を流して人は助かるのだろうか。
血の気が引き、ドニスは頭が真っ白になる。
(こいつは……俺のために……)
自分だけが助かってしまったことに、罪悪感が押し寄せてくる。
フアナが言ったように、あのままでは二人とも助からなかった。フアナだけ逃がそうにも彼女は泳げない。あのときは、フアナを囮にして逃げるのが最善策だったはずだ。
こうして誰かを犠牲にして逃げるのは、初めてではない。仕事で危機的状況に陥ったら、多くが助かるために一人を見捨てることになっている。
いつもラッキーだった、と思うドニスだったが、今日はまるで違った。
「くそっ……。なんでこんなことに……!」
自然と拳に力が入る。
フアナを助けられなかったことが悔しかった。
今日出会ったばかりの子だ。危険だとも伝えた、死ぬかもしれないと。けれど、自分を頼ってくれたフアナを死なせてしまったのは、自分のせいで、自分の力不足が原因だった。
(優しいと言われて、浮かれてた? 強くなった気でいた? 何もできねえじゃねえか……!)
弱すぎる無能な自分を責めることしかできなかった。
「……うっ。……あら。ドニスさん」
「フアナ!?」
フアナが目を開け、口を開いていた。
さっきまで青ざめた顔をしていたのに、温かみが戻っている。
「どうして? いや……。大丈夫なのか?」
「たぶん、大丈夫です」
フアナは起き上がろうとする。
「まだ立っちゃいけない」
ドニスは制止しようとするが、フアナはあっさり立ち上がってしまった。
あれほどの怪我をし、血を流しているのに平気なはずがなかった。
「すみません、ご心配おかけしてしまったようで……」
「それはいいんだが……」
「やっぱり泳げず、溺れてしまいまいた」
フアナはてへっと笑う。
ドニスは「てへっ、じゃねえよ!」と「可愛い」を両方言いたくなり、変な顔になってしまう。
「はあ……。まあ、無事ならいいんだけど……」
「ありがとうございます」
「ん、何が?」
「約束通り、助けにきてくれたではないですか。やっぱり、ドニスさんは優しいです」
「あ、ああ……」
そんな純粋無垢な顔で言われては、すべてが小さいことのように思えてしまう。苦労や心配があっても、この笑顔さえあれば十分だ。
「結婚してくれ」
「へっ!?」
またやってしまった。感情が思考を飛び越して、声になってしまっている。
「いや! なんでもない! なんでもないんだ! 忘れて!」
どうもこの少女といると乱される。自分が自分ではないみたいで、うまく制御できなくなる。
よりによって、付き合って、ではなく、結婚してくれ、なんて。
ようやく思考が追いつく。
この子と一緒にいたいと自分は思ったようだった。この子といれば人生が変わる。この子のためなら、まっとうな職についてお金を稼ぐ気になる。盗みなんて危ない仕事はもうしない。安全な普通のことをして生きる。自分は変わる。変わりたい。だから、結婚してくれ。
そういうことだった。
「私なんて……ろくな人間ではありませんよ」
「そんなことないだろ。君は……その……あの……可愛い」
フアナは微笑して言う。
「すみません、少し考えさせてください」
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