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序章・死の天使と好色剣士
その少女が三柱教の僧侶見習いとなりメイジ大聖堂にやって来たのは彼女が十三歳の時だった。トキオの有力な貴族の娘で生まれながらに強い魔力を宿していた。
父親は、より大きな富と権力を持つ人間に彼女を嫁がせたかったらしい。しかし当人が強く神に仕えることを望んだため渋々承諾した。幸いにも娘には魔力だけでなく優れた魔道士としての才覚もある。その能力を活かしてお役に立てば、三教教に対し強いコネを作れるだろう。年頃になれば自然と結婚願望だって芽生えるかもしれない。そう思ったのだと後に周囲に語った。
父の思惑通り、彼女は献身的に働いた。信仰と教会上層部への忠誠心は他の誰より強く、多少行きすぎなきらいはあったものの、罪を憎み、正統な裁きを望む潔癖さを好む者達は多かった。
──嫌う者も、それなりにいたが。
優れた能力と高潔な人格。当然のように彼女は頭角を現していった。ゆくゆくはイマリの賢者ロウバイに並ぶ偉大な魔女になるだろうと誰もが確信を抱くほどに。
しかし、ある時を境に彼女は変わった。
事情を知る者達は言う。おそらくは一人の罪深き魔女を取り逃し、その凶行を止められなかったことに責任を感じているからだと。
彼女は自ら罪人を裁くようになった。それも極めて苛烈なやり方で。
時にその手法は非難の的となったが、教会上層部は庇った。表向きそれは彼女が一時の迷いの中にあるだけだから、ということになっている。だが実のところ彼女が彼等の弱味を握ったからだったりする。
彼女は僧侶から猟師になった。猟犬を従え、どこまでも獲物を追い詰める狩人に。本来教会としては止めるべき行為。しかし、いくつかの理由で叶わない。
彼女は教会上層部を脅していたし、それでいて三柱教という組織そのものには常に忠実だった。教皇の命令には従順に従い、扱いさえ間違えなければ非常に有能に働いてくれた。教会に対し敵意を抱く者達や、戦争を起こそうとする者達への抑止力にもなる。
そしてなにより、彼女の力を知る者達は恐ろしかった。あの力の矛先が、もし自分達に向けられたらと思うと下手に刺激できなかった。
だから彼女の父が突然の心臓発作で他界してしまった時も、誰もその死を疑い、真相を暴こうなどとは考えなかった。
彼女は教会の犬。三柱教の切り札。聖騎士ですら太刀打ちできない異質な魔女。教皇の懐刀にして最高戦力。
彼女のその魔力は、かの“最悪の魔女”に匹敵する。
大陸中西部の荒野。少女の腕が一振りされるたび、数十人の兵士が一斉に薙ぎ払われて甲冑ごと砕け、肉片と化して宙に舞う。彼女という一点に向けて集中的に放たれた砲弾は、しかし全てが標的に当たる寸前、見えない何かに当たって阻まれた。魔力障壁とは異なる不可視の力場。だから魔道士達ですら突破口を見出せない。
「な、なんなんだ、あいつは……」
二つの国の国境地帯。ここで衝突を繰り返して来た両国の軍隊は今、共に理不尽な目に遭わされていた。これは戦闘などではない。一方的な蹂躙である。
「おしまいだ……あの女が来た……」
「だから、こんな下らない戦争やめろって言ったんだ……」
少女の正体に気付いた者達は武器を手放し、諦め顔で座り込む。もはや逃げることさえ許されないだろう。あれはそういう存在なのだ。愚かな争いを繰り返す者達に死を運んで来る神の使い。灰色の髪の天使。
「良い覚悟です。多少は罪が軽くなるでしょう」
再び腕を一閃。たったそれだけでまた多くの命が天に還る。
殺戮を為す少女の顔に表情は無かった。ただ金色の瞳だけが鬼火にも似た輝きを放っている。彼女は己の行いが絶対的な正義だと確信する。その正義の前に立ちはだかる者達は全て神の威光から目を逸らし、神聖な大地に唾を吐きかける罪人なのだ。
故に死刑。
捕縛の必要は無い。裁判も不要。自分は教会からその権利を与えられた動く法廷であり処刑執行人。この権能の矛先が向けられた時点で罪人共の運命は決する。
死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑。判決は全て死刑。
「た、戦え! なんとしてでも倒せ!」
「無駄なことを」
諦めの悪い何人かがまた大砲を撃って来た。こんなものでどうにかなるとでも? 仮にイマリが開発中の新型砲弾を使ったとしても自分には通用しない。魔法という神々の与え給うた奇跡を扱えない人間が魔女に勝てるものか。どうしても勝ちたいならせめて聖騎士になってから挑んで来い。
(もっとも、彼等でも私は倒せませんがね)
戦場には幾人か魔道士もいたが、ことごとく彼女の姿を見た瞬間に逃げ出した。一目で力の差を理解したからだ。賢明な判断ではあったが、あまりにも遅すぎた。彼等には背中を向けた瞬間に串刺しになってもらった。今は一人も息をしていない。
つまり、この戦場に自分に対抗しうる存在は皆無である。それを理解できるだけの知能を有しているなら大人しく裁きの時を待つがいい。順番はすぐにやって来る。
血肉が舞う。爆風が跳ね返される。大地が裂け、不可視の攻撃が逃げる兵士を背後から貫く。悲鳴は全て一瞬で途切れて消えた。
──時間はかからなかった。あっと言う間に動く者は二人だけになった。彼女と一方の国の指揮官だけ。もう片方の国の軍隊は、先に攻め込んだ側なので情状酌量の余地無しと判断して全滅させた。
その運良く生き残った将官の前に立つと、少女はにこりと微笑んで一枚の書状を広げてみせる。興奮しているのか、その動作に勢いがあり過ぎてギラつく太陽に照らされた灰色の髪も踊るように跳ねた。
「貴方には、このメッセージを王に伝える役割があります。ですから、今回だけは特別に赦免して差し上げましょう」
本当なら自分で伝えに行きたいところなのだが、あいにく別の用が出来た。一刻も早くもう一つの任務に戻らねばならない。
「いいですか? この戦争の発端となった銀鉱山は我々三柱教が預かります。異議がある場合は申し立てなさい。我々が間に立ち、彼等の国と協議する機会を設けてあげましょう。ですが、もしも、万が一にもこの提案を蹴ると仰るなら……」
「ひっ……」
細められていた両目が、ほんの少しだけ開く。その隙間から再び鬼火が外へと漏れ出す。指揮官は蛇に睨まれた蛙の如く固まり、それに魅入るしかなかった。
「この“正裁の魔女”が直接出向くと伝えなさい。聖騎士団に任せはしません。彼等の手を煩わせるまでもなく、私が貴方達を“清めて”差し上げます」
「……は、はい」
やはり頷く以外に何もできない。そんな男の手に書状を押し付けると、彼女はすぐさまホウキを召喚した。空へ舞い上がり、今しがた一直線に縦断してきた戦場を一望する。
見渡す限りの屍山血河。それが夕日に照らされていた。荘厳で壮観な景色。こんなにもたくさん罪を清めることができた。心が喜びで満たされていく。
けれど足りない。やっぱり、それでもまだまだ足りない。
あの女だ。あの女が今もどこかで生きているからだ。
自分の輝かしい人生の唯一の汚点。
たった一人だけ取り逃がしてしまった罪人。
“最悪の魔女”
どこにいる? どうやって隠れている? 罪は贖わなければならない。誰も絶対にこの原理から逃れはしない。神の定めた節理に従え。経典に書かれた法理に従え。三柱の意志を代弁する我々の前で頭を垂れろ。
「必ず見つけ出す……手がかりは得られた……絶対に、今度こそ息の根を止めてやる……ヒメツル」
それこそが、正裁の魔女ベロニカの使命なのだから。
「……」
ベロニカが空へ飛び立ったのと同じ頃、とある人物が大陸東北部タキア王国で目を丸くしていた。
辛い、でも美味い。
「どうですお客さん? 美味しいでしょ? それがこの辺りの名物のカウレよ」
「……」
酒場の看板娘に訊ねられた青年はコクコク頷く。どうやら彼、口が一切利けないらしい。生まれつきの障害だろうか? それとも病気? どちらにせよ可哀想な話。
(でも、その顔だけでお釣りがくるわ。最ッ高!!)
少女は端正で甘い顔立ちを見つめ、ため息をつきながら、喋れないくらいどうってことない欠点だと思った。むしろ口を開けば幻滅させてくれる下らない男だらけのこの世の中、それは長所とさえ言えるかもしれない。
(あたし今日、いつもよりイケてると思うんだよね……)
髪のセットがうまくいったし、昨日買ったばかりの新しいおしろいも肌に馴染んでいる。
ただ、それでも自信が持てない。これだけ美形なら、きっと女なんてよりどりみどりのはず。自分なんかが粉をかけても靡いてくれないに違いない。
いや、それでもこのまま黙って帰すよりマシ。そう決意してわざとらしく「暑い~」と呟きながら胸元をはだけ、再び話しかけようとした、その時──突然、店の入口が乱暴に開け放たれた。
「おおい! いったいどんだけ待たせる気だァ!?」
「とっくに返済の期限は過ぎとんのだぞォ!! なァァァァッ!?」
「な、なんだなんだ?」
「ありゃキンギョソウ一家の……」
「ひっ!? あいつらまた……」
「……」
客達が騒ぎ出す中、一人だけ「誰?」と目で問いかけて来た青年に、少女は怯えた顔で説明する。
「キンギョソウ一家ってゴロツキどもの集まりだよ。高利貸しもしてて、こないだうちの店長が金を借りちまったんだ」
どうして?
「古典的な手に引っ掛けられたんだよ……道端でぶつかってきて皿を落として、高級品のそいつが割れたから弁償しろって。それで法外な額をふっかけられたのさ。そんなの無理、払えないって言うと今度は奴らの元締めのところまで連れていかれて強引に借金。
ったく、だからあれほど外に出る時は気を付けなって言ったのに。あいつら同じ手口で荒稼ぎしてやがるらしいんだよ。そのくせ上手く証拠を隠してるから衛兵隊にも手が出せないって。表向きはギリギリ合法な商売人だからね」
「……」
話を聞くと、青年は立ち上が──らなかった。
その代わり、手に持っていたスプーンを律儀に拭いてから水平に振った。視線の先には青ざめた顔の店長に対し、声を荒げて詰め寄って行く二人の男。
ただし、誰にもその手の動きは見えず、空を切る音も聴こえなかった。あまりにも速く、そして静かな一閃。
「おい! 今日こそ耳を揃えてかえ」
「なんならあそこにいるカワイコち」
「あれ?」
看板娘は眉をひそめる。今、一瞬だけ店内の全ての“音”が消えた気がする。ゴロツキ達も首を傾げた。発した脅し文句が何故か途切れてしまったような?
次の瞬間、
「ああっ!? 兄貴の服がっ!!」
「なな、なんだなんだ!? おめえの服もだっ」
男達の衣類がバラバラになって床へ落ちる。続けて、頭髪、眉毛、その他の体毛までもハラハラと散った。その事実に気付いた片割れが頭を押さえて絶叫する。
「オレの髪があああああああああああああああああああああああああああああっ!?」
「ぅあにきひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!?」
元々残り少なかった髪を失い、泣きながら外へ飛び出して行く彼と、手近にあった大皿で股間を隠しつつ追いかける舎弟。
二人が走り去った後、店内の人間はただひたすらに呆然としていた。何が起こったのかまるでわからない。
そんな中、例の青年だけが立ち上がる。彼はお代をテーブルの上に置くと看板娘の手を取り、その甲にキスをした。
「ひえっ!?」
「……」
ニコリと微笑む青年。眉にかかる程度の長さで切られたサラサラの金髪。妖しい魅力を湛えた翡翠色の瞳。背は高くスマートな体型。でも貧弱なわけではない。郵便局員の制服の上からでもわかるほどしっかりと無駄なく鍛え抜かれている。
店から出て行く彼の背中を頬を染めて見送る少女。
(い、今の……どういうことかな?)
何もかもが意味不明。いったいここで何が起きた?
彼はまたここへ戻って来てくれるの?
「──あれえ?」
翌朝、彼女が目を覚ますとすぐ隣に甘いマスクの美形が眠っていた。脳裏に昨夜の情熱的な行為の記憶が蘇って来て顔を真っ赤に染める。そうだ、店が終わった後、またこの人と道端でばったり再会して、そして、
「ええっ!?」
出勤しようとすると、何故だかキンギョソウ一家が全員ふん縛られて衛兵隊に捕まっていた。巧妙に隠して来た数々の悪事の証拠と共に詰所まで連行されて行く。
「なんでえ!?」
さらにその日の夜、家に帰ると最高の一夜を共にしたはずの相手はあっさり彼女を置き去りにして街から出て行ってしまっていた。
“昨夜聞いた、もっと美味しいカウレを食べに行きます”
という書き置きだけを残して。
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