終章・終末の呼び声

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終章・終末の呼び声

 ──一年と十ヶ月後。メイジ大聖堂、スズランの私室。 『スズちゃんとモモハルも、もう十一歳か。すっかり背が伸びたのう』 『ますます美人になってしもうて。長い髪もよう似合っとる』 「ああ、これは……」  ゴッデスリンゴ社の遠隔通信端末でココノ村の人達と話していた私は、背中まで伸びた自分の白髪に触れ、苦笑しました。  伸ばしたくて伸ばしたわけではなく、この二年近く忙しくて切れなかっただけなのです。本当はそろそろ切ろうかと思っていて、先日もお忍びで評判の良い理髪店へ行ってみたのですが、どういうわけか店長さんに物凄い顔で睨まれ、そそくさ退散してきました。 (昔の私(ヒメツル)に恨みのある人だったんでしょうか……う~ん、神子に認定されて自由に動けるようにはなりましたけど、やはりこの聖都では肩身が狭いですわ) 『モモハルもだいぶ男らしくなったな。ノコンさんは元気か?』 「うん、師匠も最近また褒めてくれるようになったよ」  モモハルは私以上に背が伸び、顔付きも男らしくなってきました。依然中性的な顔立ちではあるので、幼さが減って大人びてきたと言った方がいいかもしれません。九歳の時は舌っ足らずだったあの喋り方も、今ではだいぶ改善されています。  ノコンさんはモモハルに指南役を頼まれ、ココノ村の衛兵隊長の職を辞してまで大聖堂へ来てくれました。ミツマタさんが交代しても良いと申し出たんですが、モモハル本人が習うならノコンさんがいいとワガママを言ったため、それを聞いてくれた形。  まあ、おかげでロウバイ先生といい感じになれたのですから、ノコンさんもこの子には感謝しているでしょう。最近ようやく手くらいは繋ぐようになりましたわ、あの二人。 「そっちはどう? みんな元気にしてる?」 『おう! なんと言ったって最長老のウメさんがピンピンしとるんじゃ、ワシらも負けてられんよ』 『メカコさんとソコノ村から来た面々のおかげで、だいぶ助けられとるしな』 『うちの馬鹿息子も嫁や孫達と戻って来たし、モミジさんも助けてくれとる。何も心配はいらんよスズちゃん。安心して頑張っとくれ』 「うん、絶対に勝つからね!」 「スズは僕が守るから、みんなも安心して」 『はっはっはっ、モモハルは相変わらずじゃの! そろそろスズちゃんの心は射止められたんか?』 「それは、まだ……」 『親父同様険しい道じゃのう、まあ挫けずに頑張れ』 「ははは……」  モモハルが苦笑いしていると、開きっぱなしにしていた入口からクルクマがひょっこり顔を覗かせます。 「スズちゃん、なんか賑やかだけど……あっ、これは皆さん、お久しぶりです」 『おおっ、クルクマさん!』 『いやあ、本当に久しいの。って、アンタもなんだか背が伸びとらんか?』 「ハハ、このままじゃ弟子に年齢でも追い越されてしまうんで、一旦固定化を解除したんですよ」  そんなわけで、今の彼女は十六歳ほどの見た目。 『ああ、なるほど。ええと思うよ、アンタみたいなタイプは大きくなったら美人になる』 「だといいんですけどね」 『ワシが保証する。なんせ死んだうちの女房の若い頃とそっくりじゃからな』  クロマツさんがそう言うと、映像の中でムクゲさん達がその脇を小突きました。 『おいおいクロマツさん、アンタまさか狙っとるのか?』 『スズちゃんのお師匠様で、この村の大恩人じゃぞ。妙な真似したら許さんからな』 『ワシはただアイツに似とると言うただけじゃ! 下衆な勘繰りはやめんかい!』 「皆さん相変わらずお元気そうで安心しました。この戦いが終わったら、私もそちらに顔を出させてもらいます」 『アンタならいつでも大歓迎じゃ! 美味いカニを用意して待っとるぞ!』 『あ、来た来た。おーいスズちゃん、まだ切らんでおくれよ。ほれ、カタバミ、こっちゃ来い』  向こうの様子が慌ただしくなったかと思うと、それまで画面を占めていたクロマツさん達が外に出て、入れ替わりにお母様とお父様と弟がフレームイン。 「お母さん、お父さん、ショウブ、無事に着いたのね」  私以外の家族は、ボンのお墓参りのため護衛付きで帰省しているのです。 『うん、今しがた着いたところよ。この遠くと話せるやつ、こっちではモミジさんの中に設置したのね。ほらショウブ、お姉ちゃんがいるよ~』 『あぶ、あぶぶ』  ふふふ、弟のショウブは今日も可愛いですわ。  父もニコニコしながらこちらに話しかけます。 『これは魔力が必要だからモミジさんに供給してもらわないと動かないんだ。ああ、スズ、ざっと村の中を見て回って来たけど、ほとんど去年と変わってなかった。クロマツさんのお孫さん達が大分馴染んでくれたことくらいじゃないかな、変化らしい変化は』 「それは良かった」  アサガオちゃん、ヒルガオちゃん、ユウガオくん。去年ご両親と一緒に村に引っ越してきた三姉弟の顔を思い浮かべる私。長女のアサガオちゃんとは去年の帰省時に色々あったのですけれど、最終的にお友達になれました。ちょっとおませなヒルガオちゃんと控え目だけど芯のしっかりしているユウガオくんも今から再会が楽しみ。村へ戻ったら学校にも一緒に通いたいですわ。 「この戦いが終わったら、また前みたいに戻れるね」 「うん」  モモハルの言葉に、早くそうなったらなと頷く私。  すると、その瞬間── 「ッ!?」  おぞましい気配が、この世界に侵入(はい)って来ました。 「これ……まさか……」 『来たぞ、スズラン』  モモハルの口を借りてアルトラインが告げます。  北の方角に、とてつもなく巨大な魔力が出現。映像の中のお母様達が悲鳴を上げてから十数秒後、ここ聖都でも突風が吹き荒れました。世界の端から端まで衝撃波が駆け抜けて行く。  この部屋は北側に窓があります。その窓ガラス越しに見える空に黒い一本の線が生じていました。ついにその時が来たようです。 『な、なに今の? まさか……』 「お母さん、皆、そのままモミジの中にいて。モミジ、頼んだわよ」 『はい、ご主人様』  これで良し、村はモミジが大結界で守ってくれる。  あとは私達が敵をやっつけるだけ。 『スズ、モモハル君……』 「大丈夫よ、お父さん。私達、すっごく強くなったんだから」  伊達に二年近い時間をかけて備えたわけではありません。あれからもずっと特訓を重ね、北の大陸では万全の迎撃態勢を整えておきました。今の衝撃でだってあの地に築いた砦はビクともしていないでしょう。世界中の軍隊と魔法使いの半数以上が集結しているのですから。  来るなら来なさい! ぶっ飛ばしてやります!! 『気を付けるのよスズ!!』 「うん、お母さん達も。それじゃあ行ってくるね……ショウブ、お姉ちゃん勝つよ!!」 『ぶうっ』 「あはは、それじゃ行きましょ、モモハル、クルクマ」 「うん、お願いね、モモハル君」 「わかった、じゃあ手を繋いで」  私達三人は手を繋ぎました。  次の瞬間、視界が一瞬で切り替わり、北の大陸に到着です。  もうすっかり転移を使いこなしていますね。 「おう、戻って来たか!!」  背後には前線基地。物見台に立つミツマタさんが嬉しげに北の空を眺めています。彼の視線を辿って行った私達は、大聖堂の窓から見た黒い線の正体を知りました。 「あれが……」 「崩壊の呪い……?」  空が割れ、そこからドロドロした黒い液体を垂らしているのです。 「ナデシコさん……」  あれが現れたということは、彼女はもう──そう思った時、突然北の大陸全域に彼女の声が響き渡りました。 『逃げろ!!』 「えっ?」 『アイビー、スズラン! これは違う! ここで戦うな! 様子を見るんだ! こいつはアルトラインから聞いていた並行世界を滅ぼした“呪い”じゃない! もっと遥かに深い領域の力だ! この“何か”に迂闊に手を出すな!!』  ──数分前、ナデシコは自身の身に起きつつある異変を察し、ペルシアとウェルに指示を出した。 「お前達、前線基地まで行って危険を報せるんだ……ついに、来た……」  体内の“竜の心臓”が泡立ち、何かが溢れ出そうとしている。膨大な量の思念。渦巻く憎悪と怨嗟の声。千年近く微かに、だが確かに、この耳に響き続けていたそれがとうとう自分という門を通じ、界壁内への侵入を果たそうとしている。 「ぐ……う……っ」  凄まじい苦痛。胸が今にも引き裂かれそうだ。それでも名残を惜しむように足を止めている二頭に、ナデシコはいつもと同じ優しい微笑みを向ける。 「ありがとう、今まで付き合ってくれて……これからは、彼等と共に生きなさい」 「……」 「……」  ペコリと頭を下げて走り去るペルシアとウェル。その姿を見届けてからナデシコはもう一人の家族に呼びかけた。 「サルビア!」  呼びかけに応じ巨大なミミズに似た魔物が氷の大地を割って出現する。その巨体に髪を刺して新たな力と命令を授けた。 「お前も行ってアイビー達を助けてやってくれ、頼んだぞ」 「はい、お母様……今まで、お疲れさまでした」 「ありがとう」  巨大な肉塊が圧縮され、サルビアは金の髪と瞳を持ち、肌は赤い人間の娘の姿になった。この子は自分が作った魔物の中でも最高傑作。最もこの身に近い獣。きっとアイビー達の力になれる。  サルビアは竜のものに似た翼を生やし、弟妹の後を追いかけて行った。  これでお別れか。できればあの子達と、もっと一緒に過ごしたかった。叶うなら最後にもう一度アイビー達の顔を見たかった。  代わりに、数日前彼女達が遊びに来てくれた時のことを思い出す。モモハルの祖父が考案したというカウレなる料理を初めて食べた。あれは素晴らしいものだ。だから以降何も食べずに時を過ごした。なんとなく、心のどこかでこうなることを察していたのかもしれない。どうせなら最後の晩餐はああいう素晴らしい食事の方がいいじゃないか。友人達にも囲まれて、とても幸せな一時だった。  さあ、もう思い残すことは無い。来るがいい、この世界を破滅させようとする亡者達よ。子供達は強くなり、すでに信頼して任せられる領域に到った。彼等なら必ず、今度こそは世界を守り抜いてくれる。 「あ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」  ついに胸が張り裂けた。凄まじい衝撃が周囲に拡散し、傷口から飛び出した黒い左腕が上空の空間を掴んで引き千切り、大穴を空ける。そこからさらに黒い粘液のようなものがドロドロと流れ出して来た。  だが── 「なんだ……なんだ、こいつは……!?」  その粘液に飲み込まれながら、さらに異変を感じ取る。あれほどうるさく聴こえていた怨嗟の声が唐突に止んだ。いや、潰された。より大きな嘆き、より深い絶望、より強大な思念に。  黒い粘液が震えている。数多の世界を滅ぼした“呪い”が怯えている。  せり上がって来た。近付いて来た。信じられないほど深い領域から全体を見渡すこともできない巨大な何かが。  次の瞬間、彼女は魔法を使って呼びかける。断末魔なんて聞かせたくは無かったが仕方ない。警告を発すべきだと判断した。 「逃げろ!」  別物だ。アルトラインから聞いていた数多の並行世界の終末。そのどれとも違っている。もっと恐ろしいもので、もっと危険な存在だ。この“何か”を相手に今の態勢ではとても耐えられるはずが無い。 「アイビー、スズラン! これは違う! ここで戦うな! 様子を見るんだ! こいつはアルトラインから聞いていた並行世界を滅ぼした“呪い”じゃない! もっと遥かに深い領域の力だ! この“何か”に迂闊に手を出すな!!」  直後、彼女は完全にその粘液の中に没した。  やがて全ての粘液が浮上して空中の一点に収束する。  それは再び弾けるように散らばって氷の大地の上に六つの影を生み出した。全てが人の形。そして一斉に同じ名を呼び始める。 『ウィンゲイト……』 『ウィンゲイト』 『マリア・ウィンゲイト……!!』  声に込められているのは憎悪ではない。  強烈な渇望。  たった一つ、小柄な少女の影だけが彼方に佇む別の少女を見つめ、呟く。 『ママ……』  そして、この世界だけでなく全ての≪世界≫の命運を決する戦いが、今始まった。                                 (続)
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