清ら松風、月影に謡う 【弐】

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「さて、では宴を始めよう。長く待たせてしまったから撫子が口を尖らせているし、建殿は居眠りを始めてしまわれた。夢の中でも微睡むことができるとは、器用で残念なお方だ。ふふっ」  やっぱり夢みたい。私の肩を抱いて祝膳の前まで誘導しつつ、ふわっと柔い笑みを見せてくださる光成お兄様なんて、現実でお見かけしたことないもの。 「建殿! 起きてください! まだ宵の口ですよ! 何をどうしたら、よその邸でよだれを垂らして居眠りできるのでしょう。ほら、早く目を覚ましてください!」  ——ぱちんっ! 「痛い! 光成、両手で頬をぶっ叩いたら痛い!」 「人聞きの悪い。優しく、覚醒の刺激を与えただけです。けれど、これで痛いとおっしゃるなら仕方がありません。特別に頬を撫でて差し上げますから起きてください。特別の特別、ですからねっ!」 「痛い、痛い! 撫でるなら、もっと優しく! ぐりぐりと握り拳をめり込ませてくるのは、撫でるとは言わんのだぁ!」 「ふふふっ。ちゃんと優しく撫でていますよ。右の頬だけは、ね。左の頬は……まぁ、眠気覚ましのご愛嬌という、あれ、です」 「『ご愛嬌のあれ』って、何だ。確かに右頬だけは優しく撫でてもらえてるが! 光成の手のひらのすべすべ感が私の肌に触れて、たいそう至福だが! 如何(いかん)せん、左頬にめり込んでくる拳が(いわお)のように殺傷能力に溢れているぞ!」 「知りませーん」 「光成ぃ、っ!」 「あははっ!」  ……前言撤回。とても楽しそうに笑って、生き生きとなさっているお兄様も初めて見たわ。  幼い頃、珠子と三人で遊んだ記憶はあるけれど、お兄様は微笑んでいてもどこか醒めていらしたから。  やはり、同性を相手にしたほうが気が楽なのかしら。いいえ、私では駄目だったのかもしれない。  私では、お兄様が心を許せる存在にはなれなかったのか……それとも――。 「それとも、源建様だけが特別、なのか……」
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